A 回答 (27件中11~20件)
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No.17
- 回答日時:
自分とは肉体ではなく、意識することで自分の存在がわかるのです。
意識とは脳の働きでもありますが、脳自体が意識を持つのではありません。生命そのものが自分を存在させるのです。「自分を思う、ゆえに自我あり」の「自分」とは生命としての自分であり、「自我」とは肉体としての自分です。
No.16
- 回答日時:
自分と自我は同じ意味のものではありません。
ですが、それを一つの言葉で「我」と表したことで、「我思う、ゆえに我あり」となり、意味がわかりずらくなったのだとわかります。本来の書き方としては、「自分を思う、ゆえに自我あり」となります。意識において自分を認識することにより、自我は存在します。ですが、そのことを意識しなければ、自分がどこにいるかもはっきりせず、自我は存在しないに等しいものとなります。
「我思う、ゆえに我あり」とは、自分を客観的に見ることにもなります。
No.15
- 回答日時:
我“自分”の意思(魂)が先に存在しソレを形作る体は
結果として“意思(魂)”の従属物でしかないということです。
(若干ずれますがこの考え方を突き詰めていくと“人こそが神だ”というチョトアブナイ考え方に発展していきます)
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_10.png?8acaa2e)
No.14
- 回答日時:
masatoramaさんは、何で「我思う、ゆえに我あり」なんて言葉が、こんなに有名なのか分からないなのだと思います。
私も学生の時分そうでした。『省察』でのデカルトの思考過程を一緒にたどってみるとよいです。そして実際にmasatoramaさんもmasatoramaさんの身の回りにあるものを見渡して、一つずつ捨てていく作業をしてみると、「なんたることか!」と得心が行くと思います。
私の場合は、心と身体が分かれていく音が聞こえた気がしました。気のせいでしょうけど。
ちょっと恐ろしいことなので、私はmasatoramaさんは、デカルトなんてよくわかんないな~、のままでいいのではないかと思います。
No.13
- 回答日時:
物体が存在するという事は、視覚や聴覚等の情報により認識されますが、その情報がもし整合された偽りであれば、人間は気付かないと思います。
しかしながら、それら現実すべてが偽りだとしても、その事を考えている自分の存在だけは確実です。というよりも、それだけが、ただ一つ信じられる事実だと思います。
No.12
- 回答日時:
>この言葉の意味が全く分かりません。
>分かりやすく説明していただけないでしょうか?
この時点であなたが既に(困り度3:直ぐに回答ほしいですの)『我思う』でしょう。
あとはそれを考えているあなた自身がそこにいる事、つまり『ゆえに我あり』の状態を自覚してみては?
あなたはそこに存在しているハズですから。ネット上なので分かりませんが(^^;)。
No.10
- 回答日時:
例えば夢を見ているときにぼくは夢の中で「あ、これは夢だ。
」と気が付くことが無いのですが、すると、夢を見ているときの世界に出て来る自分自身のことを、現実の自分自身だと思っているわけです。しかし起きて目が覚めているときには、夢の中の世界は単なる夢で、現実ではないと考えています。
すると目が覚めていると思っている現実の世界だって、ハっと目が覚めて夢でした、なんてことがあるかもしれない。
そもそも自分ていうのは一体、どこからどこまで自分でしょうか。
例えば、爪とか髪とか、汚い話ですがウンコとかは、自分なのでしょうか。
髪の毛は切り取られたり抜けたりした瞬間に自分でなくなるのでしょうか。では腕が千切れたら、やはり腕は千切れた瞬間に自分ではなくなるのでしょうか。
だとすると、死なないと仮定して、体を胴体の真ん中でちょうど半分に切ったら、どちらの片側が自分でどちらの片側が自分では無いのでしょうか。
頭のついている側が自分でしょうか。すると首は自分でしょうか、鼻から上ぐらいが自分でしょうか、目から上ぐらいが自分でしょうか、心臓は自分じゃないのでしょうか。
切り離されたりせず有機的に結合されている生体である限り自分であるとすると、爪や皮膚の表面は既に死んでいますが、自分では無いのでしょうか。
食べものは胃に入っているときは自分でしょうか、自分では無いのでしょうか。胃壁から吸収された瞬間に栄養素だけが自分になるのでしょうか。すると例えば血液は自分でしょうか。ケガをして血が流れたとき、血液はどこからどこまで自分でしょうか。血管から溢れたら自分ではないのでしょうか。すると内出血している内部は自分では無いのでしょうか。
そもそも、もし死んでしまったら自分の肉体は自分では無いのでしょうか。
自分が生まれてきたのは自分の意志というよりオットサンとオッカサンがセックスしたいという欲望に駆られた結果だから、たまたまですよね。
DNAの遺伝情報と成長してきた環境の影響で自分の意識が形成されてきたのだとすると、自分が今日のお昼ご飯にマーボ豆腐定食が食べたいと思うのも、DNAと成長環境から受けた経験を脳味噌コンピューターに入れてガラガラポンした結果、必然的に導き出された結果かもしれない。そうするとそもそも自分自身の自由意志なんか無くて、ただの神の巨大なサイコロが転がり続けてるだけかもしれないです。
なんかそういうような、生産性の無い暇なことを、ベットの中でゴロゴロしながら鬱々と考えてるときに、「あ、でも俺って主体的に今考えてるよな。少なくとも考えてるっていう部分は俺だよな。」と、そういう風に気がついた、という言葉です。
コンピューターはどこからどこまでコンピューターなのかと考えたときに、少なくとも中央演算装置のようなものが演算処理するという部分が無ければ、コンピューターじゃないよな、と定義したようなことです。
No.9
- 回答日時:
デカルトは元傭兵をやっていました。
17世紀前半、30年戦争のときのことです。ドイツはぐちゃぐちゃになっていました。なにしろ宗教的な対立、大国の主導権争いとその狭間でゆれる小国(どっかで聞いたような・・・)そういう中で従来の価値観はこわされ、信用できないものになっていました。それでデカルトはそういう中で「じゃー何が正しいのだ?どうしたら正しく考えることができるのだ?(理性を導く)」と考えました。そこで考え付いたのが数学的な思考、論理的な思考です。ただ、そのためには「これは絶対に間違っていない、というもの、第一原理が必要です。そこからはじめて、すべてを実証してゆこうと考えました。でもそれじゃ何が疑うべくもなく正しいのか?ここで行き詰ってしまいます。だってそれが正しいということを示す根拠はもっと正しいものであるはずでさらにそれが正しいのは・・・と循環論法になってしまうからです。それでどうしたら、と考えているときにひらめいたのが、「今まさに私が考えている、というのは確かなことだ」ということです。
それでどうなったか、以下は「方法序説(叙説、ともいう)」をお読みください。
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