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西遊記で、三蔵法師が孫悟空と沙悟浄と猪八戒を弟子に選んだ理由は何でしょうか。3人とも優等生タイプではなさそうですが。

質問者からの補足コメント

  • 想像や独自の解釈など、色々な意見を聞いてみたいです。

      補足日時:2025/03/22 14:22

A 回答 (7件)

想像でもいいんですね?


三蔵法師は精神的魅力の象徴、
沙悟浄、孫悟空、猪八戒は文武芸という能力的魅力の象徴、
ということで
一人の人物の多様な側面だったという解釈もありうると思います。
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この回答へのお礼

素敵な解釈だと思います!

お礼日時:2025/03/23 09:25

>三蔵法師が孫悟空と沙悟浄と猪八戒を弟子に選んだ理由は何でしょうか。



玄奘法師(三蔵と呼ばれるようになったのは天竺で“3つの蔵”に収められていた経文を受け取ってからの事であり、天竺に着く前は三蔵法師とは呼ばれていません)が弟子を選んだわけではありません。
 玄奘法師が孫行者こと孫悟空、猪八戒こと猪悟能、沙和尚こと沙悟浄の3人を弟子にしたのは、その3人が「取経の旅に出た者の弟子になるように観世音菩薩の言いつけられていたので、弟子にして欲しい」と玄奘法師に願い出たからです。
 天竺に居る釈迦如来や菩薩達は、東方の地に善を広めるため、3つの蔵に収められている経文を取りに来る人間を求めていましたが、その取経の旅には大変な困難があると考えられたため、経文を取りに来る人物を守り、取経者を手助けする従者も必要になると考えました。
 そこで東方の地で「取経の旅に出る人物」を探すために観世音菩薩が天竺から唐に向かって出かけて行き、その往路の途中で沙悟浄、猪悟能、孫悟空ら(出会った時点では、孫悟空以外の2人はまだ沙悟浄や猪悟能とは名付けられていませんでした)と各々1人ずつと出会い、「過去に犯していた罪で罰を受けていた3人のそれぞれ」に対して、「後で東の地より取経の旅をする者(←この時点ではまだ玄奘法師とは決まっていない)がやって来るので、その者の弟子となりなさい。その者が取経の旅を無事に成功させる事が出来たあかつきには罰から解放される事になるでしょう」と言いつけたわけです。
 彼ら3人の各々が、「観世音菩薩の命なので弟子にして下さい」と言って来たので、玄奘法師は「罪を犯した者が心を改めて仏門に帰依する事は喜ばしい事だ」と考えて3人の弟子入りを許したわけです。




>3人とも優等生タイプではなさそうですが。

 孫悟空は「自分を天界の高い地位に就かせろ」と天界に押しかけ、与えられた地位が低いものだったと知ると乱暴狼藉を働いた上に、天界の軍勢を相手に大暴れをした身の程知らずの乱暴者で、3人の中では一番の問題児です。
 猪悟能は食い意地が張っていて、女癖も悪い人物で、元々は天界の川の水軍を指揮する将軍のような役目を持つ天蓬元帥という地位に就いていた人物でしたが、西王母の宮殿で開かれた蟠桃会という西王母の聖誕祭で、酔っぱらって嫦娥という(中国では重要な神様扱いもされている)高位の仙女を口説き落とそうとした罪で地上に堕とされ、その際、間違って雌豚の腹の中に入ってしまったため豚の化け物に生まれ変わってしまいました。
 西遊記には様々なアレンジが加えられたバージョンが幾つも伝わっており、それらの中には地上に堕ちた猪悟能が人間を喰ったとするものもあれば、人間を喰ったという記述が無いものもあります。
 どちらのバージョンでも玄奘法師と出会う少し前の時点では、地上に堕ちた猪悟能は入り婿として人間の娘と結婚していて、結婚してから暫くの間は家のために真面目に働いていたのですが、だんだんと怠け癖が出て来たり、変化の術が徐々に解けて行って豚顔の正体を現したため、家の主などから「世間体が悪いので追い出したい」と嫌われたりはしたものの、先述の人間を食べた可能性以外は悪行と呼べる程の事はしていません。
 沙悟浄は作中における人物描写が乏しいため、性格等はあまり明確ではありませんが、逆に言えばそれだけ癖の無い人物であるとも言う事が出来、3人のなかでは一番真面目な人物であるように思えます。
 元々は天帝の玉座の傍らで天帝の護衛の任を勤めたり、玉座の御簾の上げ下げをしたりする捲簾大将の地位に就いていた人物でしたが、やはり蟠桃会の時にうっかり手を滑らせて天帝の宝である玻璃製の玉杯を落として割ってしまうという失敗をした罪で地上に堕とされました。
 堕とされた場所が「きめの細かい砂が大河のように流れている流沙河」という砂漠地帯だったため食べる物が無く、飢えに耐えかねて仕方なしに旅人を襲って食い殺すという罪を重ねていましたが、それは必ずしも本意ではなく、そんな境遇から抜け出て救われたいと欲している一方で、観世音菩薩に「取経の旅に来る人物の弟子としてその人物を助け、取経の旅を成功させれば罪は許される」と伝えられた時にも「人を食い殺した自分が許されるものなのでしょうか」と疑問を発したりしていました。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。

お礼日時:2025/03/23 09:23

君島久子さんの


西遊記が判りやすいかもです。
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます、お名前を頭に入れておきたいと思います。

お礼日時:2025/03/22 14:34

三蔵法師が彼らを弟子にしたのは、それぞれの能力や個性を活かすことで、過酷な旅を乗り越え、それぞれが自らの弱点を克服し、最終的に成長していく姿を描いています。

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この回答へのお礼

深いです。再度物語を読み返したくなりました。

お礼日時:2025/03/22 14:30

出来が悪いから物語が面白い。

超優秀ならつまらないでしょう。
世間には癖があるがある面には能力を発揮する人がいます。そのような人も役に立ちますよという教えを含んでいるのでしょう。

仏教の宣伝するための物語です。今でいえば宣伝ドラマ。仏教の考え方がちりばめられています。
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この回答へのお礼

なるほどです。さすが心が広い!

お礼日時:2025/03/22 14:28

元々三蔵法師の敵というか、人間に悪さしてた妖怪達なので優等生タイプはあまりいないかと思います。

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この回答へのお礼

沢山の弟子の中から選ばれたのではなく?

お礼日時:2025/03/22 14:25

何かの役には立つだろう、、、という思い。

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この回答へのお礼

役に立つ。なるほどです。

お礼日時:2025/03/22 14:25

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