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無差別殺人は即死刑で良いと思いませんか?( `Д´)/

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    皆さんいつも回答ありがとう(*^-゜)vThanks!

      補足日時:2025/04/20 00:10
  • プンプン

    (情報)岡山県警警部補、酒気帯び運転で停職3カ月→依願退職(笑)(笑)(笑)いつものアマアマ処分!( `Д´)/警察が酒気帯び運転したら懲戒免職!にせんかい!( `Д´)/それぐらいの重い処分にしないと市民の信頼は得られないぞ!( `Д´)/ふざけるな!

      補足日時:2025/04/20 12:13
  • HAPPY

    皆さんいつも回答(*^-゜)vThanks!

      補足日時:2025/04/23 17:08

A 回答 (14件中1~10件)

自分の犯した罪を恐怖でじっくり味合わせてから死刑にすべきです(怒)



即だと楽すぎ!

まずは被害者遺族に抵抗できない状態で顔を晒して、憎しみを浴びせる!
精神的に限界が来たら刑に処す

でどうでしょう(^ー^)
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この回答へのお礼

Thank you

なるほど!なぶり殺しも良い思う!何の罪もない少女が見ず知らずのアホに何回も刺されて殺されるなんて怒り以外の何ものでもない!( `Д´)/だいたい日本で最近殺人事件が多発しているのは、罪が軽いからだと思えてならない!回答(*^-゜)vThanks!

お礼日時:2025/04/20 12:05

超頭悪い人同士で盛り上がってる笑


ここは、いい質問・回答も多いけれど、こういう小学生から精神年齢が変わっていない方々同士のアホなやり取りがなくなることを考えたら、早く潰れて正解な気がしました
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15歳の高1の女子高生が殺された事件も、無差別殺人のようで、質問者さまの怒りもわかります。


しかしながら、このような事件が起きた時に、政府が、遺族と善良な国民の復讐感情を満たすだけで片づけるというのは、あまりに原始的というか、西部劇並みです。
加害者を死刑にしたところで、被害者の命は戻っては来ないのですから、現代では、このような悲惨な被害者が出ないようにする、どうしたら出ないような社会にできるかを考え、対処することのほうが重要でしょう。
そうであれば、犯人の犯行動機、置かれた環境、生育環境、精神状態、犯人を取り巻くネット環境、交友環境、住環境、労働環境などの社会環境、沢山のことを詳しく分析して対策を立てることが必要です。
犯人を守ると言っているのではありません。こんな人間がどうしてできるのかの原因を探るという意味です。
そのためには、すぐに死刑にするのではなくて、本人の心がほぐれて本音を吐くまで、時間をかけてでも、何十回もの面接、聞き取りを繰り返す時間も必要だと思います。
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思いません。



死刑囚は、看守の足跡を耳にする都度
俺の番か
と恐怖するそうです。

じっくりと、恐怖を味わせてから
死刑にすべきです。
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中国やロシア、北朝鮮が理想ですか?

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この回答へのお礼

Thank you

は?論点が違うだろう?((ヾ(≧皿≦メ)ノ))えん罪のない無差別殺人者限定だよ!( `Д´)/回答ありがとう

お礼日時:2025/04/20 01:20

人道的観点に立てばその通りですが、罰として考えると「楽に死なせない」という思想もあります。

これはハンムラビ法典が出来上がった「復讐をする」と言う観点にそったものです。現代社会でも変わらず受け継がれており、国と言うのが冷酷で残忍であるという事を忘れてはいけないでしょう。決して侮っては行けません。

以下は、長いですが、誤解している人が多いのでお読みください。

●苛めと比較してみる

子供たちが行う苛めは「自殺を誘う」程度のものです。しかし、大人たちが死刑囚に対して実践する精神的な拷問は「殺すことを予告して悩ませ続ける」ものです。先に殺す許可を国に仰ぎ、その事実をもって「お前は助からない」と宣告し、すぐに殺さずに苦しめ続けるのです。裁判制度の殆どは「助かりたい」と言う気持ちを犯罪者に思い起こさせ、希望を与えたのちに絶望させる儀式です。この過程で心を折るという罰を与えます。そのため「死刑で良い」と本人が訴えても、弁護側は「助かるかもしれない」と誘惑をし続ける必要があるんです。

●精神的な拷問が何年続くのか?

「明日、殺されるかもしれない」

この様な不安を抱かせて、本人が発狂するまで続けます。犯罪者の多くは強い思想を持っています。自分の正義を抱いたまま殺されたいのです。しかし、その狙いは国家にバレています。そのため「自分は間違っていたので助けてください」と何度もお願いするようになるまで死刑は実行しないのです。「自分は格好悪い」と本人が痛感するまで殺さないんですよ。オウム真理教の主幹の殆どは死刑になりましたが、執行前の状態は可なり悲惨だったそうです。TV番組にて「生意気な態度」を取り続けたものですが、その姿の片りんもありません。そこまで追い詰めてからじゃないと罰に成らないと考えるのが国家の思想なんです。

●猟奇殺人者と比較してみる

私たちが猟奇殺人者に拉致され、密室に監禁されたところを想像してください。この時には「殺さないでくれと泣きながら何度もお願いする」はずです。また、相手に精神的に負けまいとして心を強く持ち、助けを信じるかもしれません。しかし、もしも、殺人者がチームを作っており、組織的に自分を監視しているとしたらどうでしょう? 一人を説得しても無駄ですし、好きを見て脱出するという話も不可能に見えるでしょう。

「死刑囚にとっては同じ環境なのだ。捕まって閉じ込められ、
 殺すと脅かされ、誰も自分に同情しない」

●助けもない、同情もされない、自分の苦しみは誰にも知られない

その上で、誰かが助けてくれるなんてことは無いんです。多くの善良な市民が「自分を今すぐ殺すべき」と主張しているのですから。

「猟奇殺人者に監禁されて、いつ殺されるか分からない恐怖
 以上にきつい状況となる」

この精神的な拷問を10年以上続けるのです。如何に国家が冷酷であり、凶悪な殺人者を上回る悪徳を行っているのか? 分かりましたでしょうか?

上には上がいるのです。非人道的と言う批判が集まるのは当然です。死刑をする事ではなく、心を折って発狂させるまで苦しめる行為に残忍さがあるんですよ。直ぐに死刑を実施することを国が嫌がるのは、それでは十分に苦しめることが出来ないからです。

●どうせ死刑だから何人殺しても同じ・・・とはならないのだ

多くの殺人者が考える事を先取りし、「単なる死以上に苦しい拷問」を考え出したというのが極刑の在り方です。なので死刑執行時の苦痛を和らげることはします。いつ殺されるか分からないという恐怖が罰の本質だからです。また、どうせ死刑にするのですから、本人が発狂しても気にしません。発狂の先の苦痛を味わせてから、殺すのです。死刑囚にとっては死が救いとなるのですが、自殺も防がれます。本人が自分を殺してくれと嘆願してもなかなか許さないんですよ。

「死刑執行の日を曖昧にする事で極刑が成立する。本人が覚悟
 をし、希望を持ち、絶望する、という過程を観察し、心が壊
 れるまで続ける。また罪を自覚して心が安定してしまった場
 合は、それ以上の効果が無いため、他の死刑囚を脅かすため
 に執行をする」

●現代的な拷問の実態

極刑の本質は、国家が組織的に個人の尊厳を奪い、人としてあっては成らない醜態をさらすように仕向け、その上で殺されるというストーリーを実践することです。オウム真理教の首謀者と幹部は、おもらしが収まらず、大人としての尊厳を維持できないまま殺されたようです。この様な刑罰は過去の歴史から安定したプログラムとして実行されており、効率的且つ効果的に、機械的且つ定常的に実践されてきたんです。この冷酷なシステムを前にして、個人の凶悪犯罪者の想像力程度では、これ(国家の残忍さ)を超えることなどできません。

●国家が実践する極刑以上の復讐は現存しない

「国にどつきまわされて、辱められ、発狂させられて、殺され
 る。昔からその道のプロが存在し、プロフェッショナリズム
 から犯罪者を懲らしめる試行錯誤が為されてきたのだ。一般
 の人たちを怯えさせない様に、やり方がエレガントになって
 いるだけで、その本質は変わらない。そのため犯罪者が自殺
 をしない様に捕まえ、この拷問のベルトコンベアに載せる事
 がし皆がなせる最も効果的な復讐となるのだ」

人間としても最も苦しい死に方をする。その様に考えつくされたのが極刑です。この仕組みに載せることが、私たちが思いつく最大の復讐となるわけです。私たち一般人程度の想像力と精神力では実践できません。凶悪犯罪者の方が上をいくでしょう。ですので、その道のプロに頼み、犯罪者が自分を上回る悪意にされされて怯えて死ぬのを期待するんです。死刑囚本人にとっては「国が自分を上回る狂気の実践者」であると分かるはずです。それでいいんです。刑罰ですから。

●私たちが想像できる復讐を遥かに超えているのが死刑制度

「簡単には執行しない。実施時期は未定にする」

たったこれだけで、死刑囚は必ず発狂します。または、悔い改める事で精神の崩壊を防ごうとします。この二通りしかないという事です。そうなることが経験値として国家に蓄積されているという事です。国家は死刑と言う刑罰に絶大な自信を持っており、この仕組みに載せる事で、死刑囚が罪を意識して謝り続けるか、怯えすぎて発狂するかの二通りに収束すると分かっているという事です。どんなに生意気な態度をとっている死刑囚も必ず、そうなりますし、そうなるまで絶対に殺さないんですよ。

●極刑の根幹をなす考え方

「犯罪者が自分を美化して死ぬことを防ぐ」

糞尿を垂れ流させ、自分の理想や思想が全く意味が無かった後悔させる。その懺悔すら誰も聞き届けず、本人が何をしても無駄なのだと悟り、自分と言う存在の意味が限りなくチッポケであると悟る。自分が、生まれたことには全く意味が無かったと痛感させる。「そういう状態になっているかどうか?」を専門家が確認し、そこまで到達したとなった時、死刑を実施するんです。そうなるまでは殺してはいけないんです。

●国家の残忍さを侮らない事

「直ぐに殺さないので日本は甘い」とか言う人は、国家を侮っていると感じます。私たち「大人社会」がどれだけ残忍であるか?まずはこの認識をあらためるべきでしょう。私たちは大人は感情的にならないだけであり、報復に対しては逆に変質的で執拗です。「懲らしめるという行為」に関しては熱心なんですよ。国家は冷静に拷問について研究します。どれだけキツイ拷問を与えられるかを長年研究し、効率的に実践するために工夫を凝らしてきているんです。

●人道的な観点であるならどうなのかな?

人道的な観点では、すぐに執行したほうが良いと思います。しかし刑罰として、「罪にそうとする罰を与える」という観点では、すぐに死刑を執行したら全く意味がありません。それくらいだったら死刑制度を廃止すると思いますよ。苦しませ続けて精神を崩壊させ、人間の尊厳を奪うことが目的でもあるのです。

●凶悪犯の心理を考えるとご褒美になってしまう

また「死ぬことが救いになる」と考えている凶悪犯は多いです。自分の命を犠牲にして英雄になる死に方をしたいのです。その意図を完遂させては間抜けでしょう? そうしませんと「国家に殺してほしい」という自殺願望の人が喜んで凶悪犯罪をするでしょう。こうした(凶悪な)犯罪者の心理に沿って考えれば、犯罪者が「死ぬより嫌だ」と感じる事を実施する方が刑罰になるわけです。

●思惑を挫くことも国家の義務である

「糞尿を垂れ流し、許しを請い、泣きながら命乞いをさせる」。自分を英雄視するという願望を満たさせない。その上で「ザマアミロ」と殺す。それがこの刑罰の要なんですよ。その苛烈さを現場で見ている人は、同情的になるそうです。なので、その現場を隠蔽するんです。


●まとめ

「生意気な凶悪犯が、まだ楽しく生きている」

という演出をして国民に伝えるのです。そうしませんと、善良な市民が(その苛烈さに)驚いて助けようとするでしょう。そういう邪魔をされるくらいなら「大あまな国家である」と侮られる方が執行者にとっては都合が良いんですよ。死が最も辛いと感じるのは子供の発想であり、生きている意味が無くなるくらい、宣言を傷つけ続け、希望もなく、本当に殺すというのが最大の罰であるという事です。

「泣いて頼んでも許してくれず、本当に殺される」

この恐怖が10年続く状況を想像してください。

以上、ご参考になれば。
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刑罰なんて与える必要ないです。


その場で射殺で良い。
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この回答へのお礼

Thank you

ですよね!私刑でも良いかも?回答(*^-゜)vThanks!

お礼日時:2025/04/20 01:21

思いません。

あなたに冤罪で死刑判決あったら、受け入れるのですか?
無差別とその他をどう区別するのかな?
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冤罪の可能性があるので、即は難しいのではないでしょうか


質問者が小学生でしたら、これから「公民」の授業で勉強するので、しっかり学びましょう
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生きる苦しみを与えてからの方が良いと思います。


即死では、罪が軽すぎます。
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