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広汎性発達障害、社交不安障害、自傷癖を持つ者です。
以前も書きましたが昔から不器用なところがあり幼稚園では中々皆の輪に入れず苛められ、小学校では先生に図画工作の時間等急かされたり何回も忘れ物をしてしまい、中学では中一の時はまだ活発だったのですが、中三の先輩の卒業式の午後に東日本大震災に遭遇してから私の心の中で毎日流れる津波の映像に心を病んだのか「人はこうも簡単に亡くなってしまうのかと」無気力な感じになり中ニになる前の一度だけのクラス替えで仲の良い子達と一緒に慣れず新しいクラスの周囲の子達が仲良く遊んでるのを見て私は「どうして大震災で人が亡くなったのに笑っていられるのだろう」と個人的に思いほぼ死んだような孤立状態で中学時代を過ごしました……。
工業高校に進学したのですが機械の実習の火花や音が怖くて上手くできなかったり、何度も同じミスを繰り返したりもしました。
(これが原因で先生に「お前なんでこの高校来たんだ辞めちまえ」と罵声を浴びせられたりもしました)
それに加え引っ込み思案で心因性頻尿やら過敏性腸症候群やらで学生時代集会の時にトイレに行ってしまった事を誂われたり碌でもない人生でした。
また学習障害もあるのか何度勉強しても覚えられなかった分野もあります。
社会人歴は5年半程ありますがもう生きていたくありません。
どうすればよいでしょう?。
もう疲れました。
今の子はすぐ発達障害と診断され支援されるのに産まれる年代がちょっと違うだけでこんな悲惨な人生になるんですからね。
日本の教育制度は異常です。

A 回答 (4件)

あなたの住む地域では、教師を含め発達障害への理解が遅れていること、あと行政も障害者への支援制度が遅れているのだと思いますね



私の息子も同じ年齢ですが、小学校入学時に発達障害に対する行政の支援制度はできたところでしたよ
でも他地域に比べて数年遅れていましたね

学校の教師も理解がなければ、対応は難しいと思います
あと教師も、教育大学でさらっとしか障害のことは教えられていない可能性もありますから、興味ある人は深い知識を持っているかもしれません
ただ、何歳の時に診断されたのですかね?
親御さんは、学校に配慮をお願いしていなかったのかなと思いますね

診断あるということは、毎月?受診している主治医がいますよね?
医師に、津波の映像等のことは話してありますか?
話していないなら、とても大切なことなので話したほうが良いですよ

あと
おっしゃる通り…
住む地域で、学校によって、障害者への理解と知識の差があることは間違いないですね
息子が進学する時は、理解ある学校を調べましたから。
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この回答へのお礼

あなたに会えてよかった

chika‐chm様回答していただき大変ありがたく存じ上げます。
そうなんです田舎で発達障害含めその他障害への理解が異常な程遅れておりました。
小中高共に支援学級もなく、高校では何か私が実習や学業で分からない事があり教師に質問された際に戸惑っていると他の生徒が「あいつ障害だろ」と聞こえるような声で言ってきたり別の時には教師が他の教師に「あいつは何やっても駄目なんですよ」とこれまたわざと聞こえるような形で言ったりともうめちゃくちゃでした。
未だに許せません。
その教師は聞いてもないのにいきなり学生時代の悪さ自慢をしたりする痛い教師でしたが仮に今も教師をしているのだとしたら反吐が出ます。
診断されたのはかなり遅い20歳の時と大人になってからで今の医師に会えたのは大変嬉しいと同時に他の同年代に比べ悲惨な学生時代を過ごしたショックが私の心に残っております。
行政、ひいては国に人生を潰され怒りが止まりませんが的確な回答していただき本当にありがとうございます。

お礼日時:2025/04/29 00:37

>寄り添って話しを聞いてもらうどころか真っ向から非難された思い出があります。


>親からは「甘えるな」と罵倒もされましたし、この辛さは本人にしか分かり得ません。

先に書きますが、かなり長い文になってしまいました。
もしその気があれば、時間のある時にでも読んで下さい。

ここ数年、自分の意志ではどうにもならないことを「○ガチャ」と言うようになりました。特に「親ガチャ」が多く、親ばかりは選べないので致し方ないと思わざるを得ないこと、一番の理解者であってほしい親から否定される言い様ほど辛いことはないですね。

私にも経験があります。
生まれつきの左利きで、親からは直されず6歳まで過ごしました。
小学校入学後、当時はまだ左利きは右に矯正するのが当たり前だった時代。
1年次の担任だった中年の女性教師に「あなた、ぎっちょなの?」と頭ごなしに全否定され、鉛筆も給食のスプーンも左で持つことを許されませんでした。
それまで右手を使ってきたことなどありませんから、字は書けないわ、ご飯は食べられないわ、まぁ大変なものでした。
連絡帳にいろいろ書かれて親も呼ばれ、結構きつく言われたようです。
そのため、右手できちんと書けるようにと近所の書道教室に通うことになりました。それでもそこの師範がいい人でしっかり指導してくれたおかげで、今でも両手を使えます。それは有難いことでした。
そんな教師に当たったことこそが、最悪だった訳です。
こればかりは経験した者しか分からないとは、まさにその通り。
2年生になる際に転任していったのでそこで終わり、幸いにも助かりました。
これは「教師ガチャ」ですね。

それと私は生まれた時から右耳に難聴があり、殆んど聞こえない状態でした。
なので右側から人に話しかけられても聞こえず無視されたと思われ、いくら耳が悪いと説明しても目に見えないことだと「ウソだ、シカトだ」と言われ、仲間外れにされたことも多々ありました。
それも辛かったのですが、耳鼻科に治療に行かされて、当時は何か細い管のようなものを耳に差し込まれて空気を送り込むようなことをされ、それがめちゃくちゃ痛くて怖くてたまらず、いつも大泣きしながら治療を受けてました。しかし、全くよくなることはありませんでした。

それがずっとトラウマに残っていたため、どんな場面でも人の左側に位置するようになったのですが、そうすると今度は左利きの自分の腕が相手の右腕に当たることになり、場所を変えるよう言われ困った状況に陥ったものです。

後から分かったことですが、当時の技術では回復は無理だったようです。
それから30年近くが経過し、当時は耳鼻科の最高権威と呼ばれる医師に紹介に紹介を重ねて、難聴回復手術を受けさせてもらいました。
ところが、術後、いくら検査しても聞こえず、医師からは聞こえるはずだと何度も念を押されましたが、もはや耳の神経が退化してしまい聞こえる状態にはならなかったのです。
その医師は自分の成果だけを求めたかった医師のようでした。
随分と無駄な出費をしてしまい、かなり高額な勉強代なったものだと思わざるを得ませんでした。
これこそは「医者ガチャ」と言えますね。

あなたが通われたた精神科医も酷いものです。
それも「医者ガチャ」でしょう。
患者に寄り添わない医師は、最低な医師としか言えません。
医者は自分で選べますが、合う医者を見つけるのは相当に大変です。
そこまでして根気強く見つけられるか、私のように失敗することもあり、時間や費用に折り合いが付かないと出来ないことです。

あなたには、あなたの辛さに寄り添ってくれる人が一人でもいたらいいですね。
なかなか人と慣れ合えない感じだと難しいかもしれません。
しかし、私もたくさん経験してきて、諦めたらそこでおしまいってことはあります。
少しでも前を向いてほしいですね。いろんな境遇を抱えていても、前向きでいることをやめないで下さい。
誰か一人でもいいから味方を探してほしい。
少しでも先が見えるか、明るくなるか、でも後ろ向きでいるよりかはいいだろうと考えてほしい。
ここのサイトはまもなく終了しますが、私はずっとあなたを味方でいます。
何か辛い時が続いた時は、こう言う者がいたことを思い出して下さい。
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この回答へのお礼

ありがとう

暖かい言葉ありがとうございます。
今後の人生の励みにします。

お礼日時:2025/04/29 05:54

本文を読む限りではそこまで悲惨な境遇ではないですね。



例えば図工で時間を急かされてどうなったのですか?
作品が出来ずに評価されなかった?怒られた?
いずれにしろ致命的なことでもありません。
忘れ物についてはチェックリストを作ったり、確認を何度も行うなどして十分減らせます。そこらへんの意識が薄いか、怠ったためとしか思えません。

大きな災害やテロなどはいつ起こるか分からず、誰にでもあり得ることです。

あなたが生まれる前の1985年、日航ジャンボ機の墜落事故があり、500人以上が亡くなりました。私の知り合いの1人に亡くなった人の身内がいました。

また、1995年の地下鉄サリン事件では、私は毎朝通勤で丸ノ内線を使っていましたが、当日は翌日が春分の日の飛び石連休で、たまたま私は休暇を取っており難を逃れました。
しかし、職場では千代田線や日比谷線で運悪く事件に遭ってしまい、入院先から連絡が来た同僚もいました。

昨年の能登半島地震では私の従兄弟が奥さんの実家の石川県に帰省していましたが、元日の午後から初詣ででみんな家を出払っており、半壊以上だった家屋に誰もおらず助かりました。
遭遇する人はするし、逃れる人は紙一重ですり抜けるものでそれは運命と言える面もあります。

阪神大震災や東日本大震災等も自分なり周囲なり、多くの人間が関わりを持っていて、少なからず影響を受けています。
ただ、どんな境遇であっても、人に起こった不幸と自分への影響を一緒くたにする必要はありません。
中高時代の多感な時期だったこともありますが、トラウマを相談出来る場所はなかったものか。後からカウンセリングを受けることも出来たのではなかったかとの思いもあります。
そこらへんはきちんとけじめを付けて考えるべきところです。

そんなあなたにも何かに対して自信の持てるものはあるのではないですか?
人間は自信の持てるものがあれば、それを糧にして成長出来ると言うことがあります。
何か1つ、これだけは人に負けないと言うものを持つことで、大きな自信に繋がります。
そう言うものを自分で探してみる、作ってみることをして下さい。
いろいろな面で変われることがあります。
それで前向きに考えられることもあります。
まだ27歳ですから、人生はこれからだと肝に銘じることです。
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この回答へのお礼

当時私は高一の頃流石にこの状態はまずいと思い心療内科に掛かりましたがそこの先生に「それしきの事で心療内科に来るな」と言われ「考えすぎだ」、「ここは人生相談の場所じゃない」等と寄り添って話しを聞いてもらうどころか真っ向から非難された思い出があります。
勿論私もそんな過去を忘れたいですがあまりにも理不尽な事が続いた為、精神的な傷が取れないのです。
親からは「甘えるな」と罵倒もされましたし、この辛さは本人にしか分かり得ません。
ですが得意分野はおおよそ自分でも分かるのでそれを伸ばせる仕事に付ければいいなと考えています。

お礼日時:2025/04/29 00:21

今の子はというけどあなたも今の子ですよ。

27歳でしょ?
思春期の頃には発達障害は既に認知されてましたよ。
これからまだ結婚やら何やら、人生のイベント期待できるから頑張って下さい。
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この回答へのお礼

今の子は自分が幼少期の時代よりも発達障害と診断される基準が明確化されており幼い頃からそれに見合うカリキュラムが受けられますよね?。
自分の時代にはそれはありませんでしたよ。
何故か当時の保健師は自分を健常者と診断したのですから。
保健師が人生を狂わしたようなもんです。

お礼日時:2025/04/28 22:04

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