
質問です。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった、代表的な三つの一神教における、宗教的正しさとは何でしょうか?
※とりわけ神への信仰が絶対視されていた古代中世において。
多神教であれば、
「どんな宗教の神様でも皆ウェルカム。皆違って皆良いよね」といった感じで、他の宗教を認めていますが、一神教はそうはいきませんよね。
古代中世において、一神教の信者たちは皆、何を原動力として、あそこまで自分の神を「正しい」と信じ、「神は唯一なり。それ以外は認めん」といった感じで、他の宗教を邪教扱いして潰したり、改宗させたりして布教したのでしょうか?
「神がそう言ってるんだから、そうに決まってる!」
「神を信じた者は全員救われるんだ! だからお前も信じろ!」
「俺たちは神に選ばれた民だから、国を追われても信仰心を捨てないぞ、ウオオオオ!」
やはり、十戒・聖書・コーランの存在が大きいからでしょうか?
よろしくお願いします。
A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
「唯一神教」とは、「他信仰を否定する宗教」とも言える。
ユダヤ、キリスト教、イスラム教が、いい加減である証拠は、
「共存している現状」だ。
結局、この宗教の起源は、「厳しい自然」、「厳しい社会制度」
の中で、生まれたと言う事だと思う。
戒律を守らなければ、砂漠で、部族が生き残れなかった。
だから、「排他」であり、「戒律」が生じた。
どだい、そう言う「地方宗教」が、広い世界に出る事が、
誤りなのだ。
厳しい自然、狭い環境の中で、殺しあうべき宗教だ。
それが、温暖な地域に広がってしまったので、自己矛盾に
陥っている。
多神教とは、温暖な地域の宗教だ。他者と共存が可能な
宗教だ。
相手を滅亡させなくとも、食に困らない、温暖がある。
宗教を語る時、その起源を誰も語らない。
「何故、排他なのか?」、それを考えると、
日本に、馴染まない「唯一神教」の矛盾が解る。
No.8
- 回答日時:
絶対的正義はない。
正義とは言い換えれば「自分あるいは社会の利益」であり、つねに相対的な概念である。
一神教の神は単なる守護者や象徴でなく、生き方まで示し指導する存在である。
神の言うことを信じていればよいのだから、自分で道を選ばなければならない不安はないし結果責任の重さもない。
この安心感は絶大で、多くの人間はこの安心感になびく。
あたかも日本人が「普通」という幻影に寄りかかろうとするように。
自分だけでなく他人も賛同するなら、この安心感は絶対的な信頼感となる。
その賛同する他人は多ければ多いほど信頼感も大いなるものとなり、だから多くの宗教は拡大志向を持つ。
拡大志向を持たなかったのはユダヤ教だが、これは選民思想に基づくゆえのことである。
バラモン教も選ばれた支配者階級に許された宗教であるゆえ拡大志向は持たなかった。
もし異なる志向の人間がいると、前述の信頼感を揺るがすもととなる。
それは信頼感のみならず安心感も破壊するものであり、多くの人間は安心と生活を守るために彼を排除しようとする。
宗教とは「こういう生き方をすれば人間は幸せになる」というものであり、それは社会の在り方にも密接に結びついて行く。
だから宗教を語るうえでは、教義だけでなく人間社会とも合わせて考察しなければならない。
No.7
- 回答日時:
> 多神教であれば、
「どんな宗教の神様でも皆ウェルカム。皆違って皆良いよね」といった感じで、他の宗教を認めていますが
そうでしょうか。 多神教というものについて、私は違うイメージを持ってます。 焦点を一つに合わせにくいだけで、「これはこう、あれはあれ、それはそう」というようにむやみとたくさんのルールがあちこちにあるのではないですか。
この泉では、この樹では、あの磐では、このときには、あのときには、そのようなルールが、まとまった体系的な形をとらないままに、集団共通のルールになっていて、そこに疑念や根拠探しをしてはならない状態があったのでしょう。
ルール違反、無視、黙殺は、許されない、「ここではこうしなさい」が生活全般にわたっていたのに近い状況だと思います。
「生まれも育ちも○○で」なので、言葉を覚え、マナーを習得するように、「当たり前」化したのを、別文化で育った他人がみたら、「なんだあいつら」と感じるでしょう。 むしろ、創唱宗教の禁則や信条の方が単純で分かり易いでしょう。
とにかく、「あいつは(私は)*+*+を信じてる」という認識もせずに、ひたすら当然視して、守らない輩を罰しかねないのが、多神教の特徴でしょう。
No.6
- 回答日時:
そういうのは全部、浮気者の言い訳に過ぎません。
あなたはただ単に自分の不信仰を正当化しようとしているだけです。
「どんな神でも良い」と言う人は結局、どんな神をも信じていません。
ただ自分の思いどおりに動かせる神、何でもこちらの言うことを聞いて願いを叶えてくれる便利な神、すなわち偶像を拝んでいるのです。
いくら屁理屈を重ねてもあなたが真の神を知らないという事実は変わりません。
残念でした。
No.5
- 回答日時:
ユダヤ教:全方向ではいけない。
キリスト教:横暴のターゲットにされた人にだけ戦わせていてはいけない。
イスラム教:横暴に対して協調体制をとることが大切だ。
ということで
時代の臨界点の中での最善とその積み重ねという
時代の進歩そのものが浮き彫りになっていると思います。
No.3
- 回答日時:
>信仰が絶対視されていた
これがすべてです。信者同士が殺し合っても、異教徒を大量虐殺しても、神はそれを罰したりしないという事実。神を信じている人々の間にも不幸や不公平、憎しみや哀しみが存在するけど、教会の教えはそれを助長している。
或いは、科学が進歩するにつれて、天動説や神の天地創造が揺らいで否定されている。
そんな根本的な都合の悪い事実からひたすら目を背ける事が、教典に記載された神を信じるための正しい姿勢ですね。
No.2
- 回答日時:
元々「宗教」というのは《彼我の差》を見極めるものだったのです。
つまり宗教が生まれた要因は「自分達と違う価値観の集団を見つけること」にあったからです。たとえば、米を作っている民族と川の魚を取っている民族と山で狩りをする民族が隣同士で住んでいるとします。
米を作る民族にとって、収穫のために重要な太陽は神、雨も神です。しかし川魚を取る民族にとって雨はそれなりに重要ですが太陽はそれほど重要ではないので神にはなりえません。山で狩りをする民族にとっては太陽も雨も重要ではなく、それよりも人を殺す熊などへの恐れなどのほうが神聖でしょう。
上記のようなことが「宗教」になると、太陽神を崇める民族・水神を祀る民族・動物の霊魂を貴ぶ民族になり、それぞれの「違い」が信じる神様の違いになって現れるわけです。
しかし、さらに時代が進み、これらの民族が小さな集落から、一定の範囲の川も山も平地も含む社会になると「それぞれの神々を認め合う」多神教になります。
日本の天皇が朝廷を作った時にやったのがまさにこれで「この島国に住むいろんな豪族・部族の神々を天皇は全部認めて祈りをささげて敬うから、みんな協力して日本という国を作って行こう」としたわけです。
これで日本は多神教国家として「国家」の枠組みができたわけです。
で、同じことをやったのがキリスト教前のローマで、ローマは征服した土地の神々を受け入れ、ローマの《神々の丘》にそれぞれの神様の神殿を作りました。つまり占領して征服したら「お前達の神もローマの丘に祀るから、お前たちもローマ人にならないか?」とやったわけです。
これが古代なのにローマが広大な版図を維持できた理由の一つです。
しかし、もちろん「ローマなんか嫌いだ、ぜってーローマ人にはならねー」という民族(部族)もいて、そうなるとローマも徹底的に滅ぼすしかなかったわけです。
このように古代では「お前たちの神を認める」というのは「お前たちの民族を尊重して協力(同盟)しよう」という意味だったのです。
しかし、さらに時代が下ると「お前の神・私の神、みんな違うけどみんないい」という状況ではなくなっていきます。一つには2世紀から始まる寒冷化とそれによるゲルマン人の大移動でローマが崩壊したことによります。その結果「ものすごく強い神を信じる人たちだけ救う」という大同団結が始まったのです。
これがキリスト教が強力な一神教になった理由です。
また、一神教の元祖はユダヤ教の神(もちろんキリスト教・イスラム教の神でもあります)ですが、これは民族的にチリジリバラバラになりやすい不運の民族だったユダヤ人が「民族の団結を忘れない」ようにするために「いくら生活が苦しくても他の神様は崇めない」という戒律を作ったことに由来するのです。
その「強力な神」のやり方、つまり「一神教の信仰の強さ」が、地球環境悪化の時代に強大な権力を作り出すことに成功したのです。
だから「他の神を認めない」というのは「キリストを信じれば仲間にしてやる。食い物もあるぞ、暖かい家もあるぞ、キリスト教の集団がお前たちも守ってやるぞ」という誘いと一体だったのです。
その結果、キリスト教は7世紀8世紀までにヨーロッパからアジア周辺まで浸透していきます。そして同じ時期、キリスト教に圧迫されたアラブ人は「キリスト教に改宗したら、俺たちの生活スタイルが無くなる」と危機感をもつわけです。
キリスト教はどちらかという農業生活を基準にした価値観を持っていたからです。
なのでアラブ人は砂漠や放牧地に住む自分達の生活スタイルに合わせた宗教、イスラム教を開発しキリスト教に対抗するために一神教のやり方を採り入れたのです。
その結果、世界はキリスト教に改宗するか?イスラム教に改宗するか?で二分されるようになります。南蛮人が日本やペルーなどで改宗を迫ったのは「同じ宗教なら、一応人間として扱う」という方針だったからです。
もし改宗しないなら、それは「人間の形をした動物」なので皆殺しにしてよかったわけです。(多神教同士なら認め合うことも出来ましたが、一神教は信じるか信じないか、民族の判断しだいで皆殺し)
ということで
>一神教における宗教的正しさとは?
は、日本人からみれば「なんの根拠もない」です。
正しいかどうかは「これを正しいと受け入れれば、貴方は生き延びられる(受け入れなければ殺される)」という基準でしかなかったのです。
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