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「愛」と言う言葉は
元々は仏教用語からきているということらしいのですが、
いつ頃から日本で使われるようになったのでしょうか。
最初から今と同じような意味(いつくしむ、好む、大切に思う、等)で使われていたのでしょうか。
元は違う意味だったとすれば、
今と同じような意味で使われるようになったのは
いつ頃からでしょうか。

A 回答 (7件)

質問者様は誤解されていますが、「愛」はそのものは仏教用語ではありません。

ただし仏教用語として用いられる「愛」という言葉の意味が、現代人のイメージする愛と異なるのです。
愛という文字の成り立ちは「人が体を丸めて思いめぐらす様子」から成り立つ象形文字で、そこから「いつくしむ」などの意味が込められました。
仏教語の「trsna<長音>」は語源は「渇く」。そこから、喉が渇くと水を飲まずにいられなくなる衝動から転じて「根源的なる衝動」という意味になります。そこで「trsna<長音>」を「愛」・「渇愛」と漢訳されました。
 ですから「trsna<長音>」は「愛」の一側面であって、「愛」という言葉全体を指すものではありません。よって、「『愛』と言う言葉は 元々は仏教用語からきている」のではなくて、仏教語としての「愛」は、通常使われる「愛」とは意味が微妙に異なると理解された方がよろしいかと思います。

ちなみに、漢語の「愛す」という他動詞的用語は古典で用いられていますし、日本でも平安末期から広く用いられています。

仏教用語といっても以下のように分けられます。
「それまで支那存在していた概念をインド語に当てはめて翻訳した言葉(これらは漢訳されます)」
 これらはそれまで存在していた概念に、さらに仏教的概念が加えられたと理解すべきでしょう(愛も同様で「いつくしむ・大切にする」という概念に「trsna<長音>」も与えられた)

「まったく新しい概念で、支那の言葉に相当するものが存在しない言葉(これらは音写されます)」
 こちらは新語です。袈裟・南無・仏陀などはインド語の音(おん)を漢字に置き換えたもので、文字そのものには意味がありません。
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この回答へのお礼

>仏教語としての「愛」は、通常使われる「愛」とは意味が微妙に異なると理解された方がよろしいかと思います。

そうなんですか!
昔から使われていた言葉なんですね。
詳しく丁寧な解説ありがとうございます!!

お礼日時:2005/06/21 21:26

 古典にみられる「愛」という表現は、現代で使われる「愛」とそれほど大差はみられません。



1 親子の情愛
・『今昔物語』一-二十一
「母、愛によりて悲しみて〔子ノ出家ヲ〕許さずして」

・『太平記』二十九
「親にも超えてむつましきは同気兄弟の愛なり」

2 人間、生物に対する思いやり
・『続日本紀』養老五年七月二十五日  (注養老五年=721年)
「仁、動植に及び(中略)孔周の風、尤も仁と愛とを先にし、李釈の教、深く殺生を禁ず」

・『保元物語』官軍勢汱に
「その君の(中略)勝つことを求むる時は愛を兵にいたす」

3 愛着、執着、愛執
『菅家文草』四
「愛を移されたる妾(こなみ)の、人前に哭くに似たり」

・『性霊集』一
「愛に纏はるること葛(かづら)の施(はびこ)るが如し」

4 愛欲、色欲
・『今昔物語』二-十五
「〔女の〕形端正なるを見て、たちまちに愛の心をおこして妻(め)とせむと思ひて」

5 気に入って大切にする
・『醒酔笑』八
「慈照院殿愛に思し召さる壷あり」

6 人あしらいのよいこと
・『伊豆日記』
「若君は何時もの愛と思するにや」



 儒教的には「愛」は親子の情、他者へのいたわりと拝呈的に、仏教的には自己中心的な執着を貫こうとする心と否定的な表現がみられます。また概して「愛」には優位にある者が弱者をいとおしむ、もてあそぶの意味合いが見られます。そのためキリスト教の宣教師は通俗的な「愛」との混同を避けるため、「agape<長音>」を「御大切」と訳したと考えられます。

参考『岩波 古語辞典』(岩波書店)
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この回答へのお礼

疑問が解けました。
とても丁寧で専門的な回答をしていただき、恐縮です。
ありがとうございました!!

お礼日時:2005/06/21 21:34

追記 平安末期に「愛す」という用法が使用された例


『今昔物語』31-10
「今夜(こよい)正しく女の彼の許に行きて、二人臥して愛しつる顔よ」
『明恵上人伝』
「我なくて後に愛する人なくは飛びてかへれね高嶋の石」

 また仏教用語としては、前述の「渇き」を意味する「trsna<長音>」意外に、「男女間の性的衝動」を意味する「ka<長音>ma」(注1)。他者の対する「隔てのない慈しみ」を意味する「preman」、「sneha」(注2)も一律に「愛」と漢訳される場合もあるので、仏教用語としての「愛」も、すべてが同一の概念ではありません。
 翻訳語は、自国語の概念と、外来語の概念に共通点が見られるということであって、両者がまったく同じ概念であるというわけではありません。ですからインド語の「trsna<長音>」・「ka<長音>ma」・「preman」、「sneha」と漢語の「愛(ai4)」、やまとことばの「いとし」「めでる」、それに「love」「Eros」なども本来は異なる概念でありながら、共通項が見られるために現在の日本語では一律に「愛」と表記しているのですね。それによって本来の自国語にはなかった新たなる概念が加えられることになります。

注1:「ka<長音>ma」は一般には「淫」と訳される。また密教経典では「愛染」という言葉も登場する。

注2:「preman」「sneha」は通常、「慈悲」という概念が一般的。また、「愛語」という単語での「愛」は、この両者に相当する概念。

参考『岩波 仏教辞典』(岩波書店)
  『佛教辭典』(大東出版社)
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根拠となるものを示すことができないので申しわけないのですが、


現在のような使われ方をしだしたのは明治時代からだと聞いたか読んだ覚えがあります。
明治時代、開国で西洋からの文化が恐ろしい勢いで入ってきました。
基督教の聖書の翻訳など、
西洋の著作を自国の言葉に翻訳しようとする悪戦苦闘が文学の世界にもあって、その過程で「愛」という語彙を異性間の感情を表す時に使ったという話だったと思います。

江戸時代までの戯作などでは「ほれる」とか、そういうやわらかい?言葉で表していました。
だから今でも日本人が「愛している」などと面と向かって発するには、なにかしら違和感が生じるのだという話でした。
ひょっとすると「山本夏彦」さんの著書だったかもしれません。
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この回答へのお礼

確かに「自由」とか「社会」とかのように、
近代的というか、
明治維新時の新訳語っぽい感じがしますねー。
いったいいつ頃から使われてるんでしょう??
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/20 01:12

 すでに述べられているように、仏教ではいい意味で使われる場合は少なく(愛が清らかな愛と汚れた愛に分かれる)、そのために中世に来日した宣教師は「御大切(ごたいせつ)」という語を使ったそうです。


 いつ頃から現在のような使い方がされたかは、様々な文献に当たらなければ、何とも言えませんが、「愛玩すること」の意に使われた例には「醒睡笑」が 、「愛撫すること」の意では「狂言」の使用例が「広辞苑」にはあげてありますね。
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この回答へのお礼

宣教師が来た時代にはまだ「愛」は愛ではなかった、
ということは、
やっぱり安土桃山時代以降のことでしょうか?
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/20 01:04

仏教用語の「愛」は、「欲望にとらわれて執着すること」を指します。

いわゆる「煩悩」の最たるものです。
愛着(あいじゃく)、愛執(あいしゅう)、愛染(あいぜん)、渇愛(かつあい)など、いずれも同様の意味を持っています。

一方、キリスト教では「神の愛」、すなわち慈悲深い神が罪深い人間に与える自己犠牲的な愛を指します(新約聖書)。ギリシャ語の「agape(アガペー)」の訳語です。

それぞれが日本でいつ頃から使われているかは知りませんが、前者は仏教伝来以降のことでしょう。後者は早ければキリスト教伝来のころ、一般にはキリスト教解禁以降ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

安土桃山時代くらいでしょうか?
回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/20 01:02

「愛」の本来の意味は「心が強く打たれて息が詰まるような思いになる」と聞いたことがあります。



「人」への思いはヨーロッパの宗教の影響じゃないかなぁ?

不確かな回答ですいません

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/20 01:00

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