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古来、日本のことを「大八島」と言っていたと聞きましたが、今のように「日本」というようになったのはいつ頃からのことでしょうか?また、「日本」というようになった由来は何でしょうか?

A 回答 (5件)

日本というようになった時期は不明ですが、「日本書紀」ができたときにはすでに日本と称していたことはまちがいありません。


また語源は中国、朝鮮からみると日の出る国ということで「ひのもと」からきているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。大和は、山処からやまど~やまととなったと聞いたことがあるのですが・・・。

お礼日時:2005/06/24 20:29

 こういうサイトがあります。


  『語源辞典』・・・ご参考までに。

参考URL:http://www.geocities.jp/honmei00/zasugaku/gogenn …
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございました。早速調べてみます。

お礼日時:2005/06/24 20:30

 私が聞いたのは、もともと都があった場所の地名が「やまとのくに」で、「日本書紀」においてこれに漢字を充てるとき総国としての名前を「日本」、一国の方を「大倭」としたのだそうです。

「日本」という字を充てたのは「ひのもとのやまと」という枕詞が元になっているとのことです。同様に「とぶとりのあすか」から「飛鳥」、「はるのひのかすが」から「春日」という地名が生まれています(「飛鳥」は現在の「明日香」)。
 漢字を充てたのは、唐との交易で文書を交わす必要があったからです。
 平安時代には「日本」という字を「やまと」または「ひのもと」とも呼びました。
 その後、大陸では「日本」を音読するようになり、これが逆に伝わって我が国でも「にっぽん」と呼ぶようになったのだそうです。これが中世の頃で、そのまま現代に至ります。尚、「にほん」という読み方は近代の初頭の頃からのもので、現在ではどちらで読んでもかまわないとなっています。
 又、「大倭」ですが、「倭」という字にあまりいい意味がないので、後に同じ音を持つ「和」の字に変えられ「大和」となります。読み方も「おおやまと」から「やまと」と変化しました。
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この回答へのお礼

分かりやすいご回答有難うございました。特に枕詞が元になっていると言うことは、大変興味深かったです。

お礼日時:2005/06/25 00:14

旧唐書日本伝に「日本国は倭国の別種なり。

其の国、日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。或は曰く・・・」
という一節があって、中国が「日本国」を認識したのが8世紀あたりであることがわかります。旧唐書倭国伝が別にあって、これは邪馬壹国以来の伝統的な倭国伝ですが、このあとに日本伝があるのです。
ただ、この認識のしかたがかなり「こういう説もああいう説もある」みたいな言い方で不審ではあります。(中国との付き合いは昨日今日に始まった訳でもなし、また戦争したあとで、かなり偉いさんの捕虜もあったはずだし、第一阿倍仲麻呂なんていう唐王朝の高官さえいたのだからなんでこのくらいわからんのか)
このため、現在に続く「日本国」と倭国(邪馬壹国以来の)とこれを区別する学説もあります。(九州王朝説など)
日本書紀などの書名や、中国側の記録でもだいたい8世紀初頭(記録上最も古いのが701年)ぐらいがこの名前の国際的に使われたはじめでしょう。
では国内的な上限はどのあたりか?これははっきりしませんが、隋書には国名はたい(ニンベンに妥)ですが、日出る処、といっていてどうもこのあたりから「日本」という名前が作られたような形跡はあります。ただ、国名というのは外交があってはじめて意味があるのではっきりしているのは上記の通り「701年以降」です。
なお旧唐書日本伝の「説」は日本国は倭国の別種で、1.日辺にあるのでそういう名前を付け直した、2.倭というなまえがよくない(雅ならざる)ので改名した、3.小さな国日本が倭国とは別にあって、倭国を征服した、の3つの説。

で、其の国の人がいうことはなんやらあやしい(倭国伝と矛盾する)といっています。

つまるところかつて中国が知っていた倭国となんかちがう国だがしかし其の流れをひいているのも確からしい。そういう国として日本が認識されているようです。

ということで時期は国内的には史料不足で不明だが対中国では701年以降。
由来は諸説あるが不明。というのがはっきりしていることです。
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この回答へのお礼

分かりやすいご回答、有難うございました。 

お礼日時:2005/06/25 00:16

中国の史書に「日本」という国号が出てくるのは、10世紀に編纂された「旧唐書」(くとうじょ)からです。



それによると、(1)もともと自分たちで日本といっていた
       (2)中国で使われている「倭」の字義がよくないのでかえた
       (3)日本はもともと小さな国だったが、倭国を併呑した
とあります。
どの説が正しいかは分かりません。(岩波文庫版による)

正式には701年に制定された「大宝律令」で定められました。

ここに在野の古代史研究家石渡信一郎氏のとなえる説をご紹介します。学会からは黙殺されていますが。

もともと当時の国人は自分たちのことを
「クスカラ」(古代朝鮮語でク→巨ス→東カラ→加羅すなわち大東加羅)と呼称していた。これを古代は日下と表記していた。…(日下をくさかと読むのは今でもそうですが、なぜ日の下と書いたかは説明がありません)…
日下の下を嫌って本と表記しだしたのだという。

石渡氏の説を要約すると、日本は半島から渡来した移住民と動乱を逃れてきた亡命政権の作った国だということです。

参考図書三一書房発行石渡信一郎古代シリーズ
「応神陵の被葬者はだれか」1990
「蘇我馬子は天皇だった」1991
「蘇我王朝と天武天皇」1996
「ワカタケル大王の秘密」1997
「蘇我大王家と飛鳥」2001
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この回答へのお礼

参考図書などもあげて、詳しく教えていただき有難うございました。。

お礼日時:2005/06/25 00:10

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