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日本の陸海軍や政府が、先の戦争で、「あ、これもう詰んだな。100%負けるわ」と思ったのっていつの段階でしょうか?ミッドウェイ敗戦時点ではまだどうにかなれたのではないかと思うのですが皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (16件中1~10件)

正確な情報が上がってきても、会議中に一喝して報告を中断させたぐらいですから、「やべぇんじゃね?」とは思っても、いつ「詰んだな」と思ったかは人によって違うでしょうね。

総じて米国の物量には勝てないとは分かっていたものの、どこかで膠着すると思いたい、どこかで挽回すると思いたいものです。

参謀本部の兵站担当課長はインパール作戦に異を唱えて解任されていますが(現地軍の兵站担当将校も)、その立場であれば、こんな作戦が実施されれば大軍を見殺しにすると早い時期に分かっていたはずです。
サイパンの陥落に至る流れで「こりゃ、やばいな」と気づいた人はいたでしょう。
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100%になったのはレイテ沖海戦の後です。

ただ開戦前から7割方は負けることを覚悟してます。
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開戦1年目でほぼ負けは決まっていた。


東条英機に騙されたと言っていた昭和天皇の言葉が正しい。
今の潰れていく企業と同じで成功体験が邪魔して方針転換が出来ない馬鹿指導者のせいです。
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開戦前から、2.3ヶ月の短期なら優勢にすることも可能だが、それ以上続けると兵站が持たないというのが、軍人側の意見。

それを最初の勢いだけ見て、ずるずる続けた政府、外交に切り替えなかった時点で、詰み。
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いや、多くの人は最初から勝てないとわかっていたと思いますよ。

だって、開戦前から、さまざまな戦争回避策を考え、アメリカと討議し、大陸からの撤退なども検討していましたから。

アメリカはそれをすべてスルー、事前に知っていた真珠湾攻撃をわざと受け、アメリカ国民を犠牲にして議会を動かして日本憎しをあおり、どうでもいい戦争に参戦した。

つまり、日本は追い込まれて、勝てないとわかっていたが、やさざるを得ないようにはめられたってことです。たしかにミッドウェイ海戦あたりで、どうにもならなくなったのですが、それは単に時間の問題。最初から、情報、物量、戦略、国際情勢、あらゆる点で負けていたのがあの戦争です。最後はロシアも招き入れて、日本の領土を分け与えたのもアメリカ。勝負が決まって必要のない原爆を、実験のために面白おかしく落としたのもアメリカ。なのに今はアメリカの犬となって、植民地政策に甘んじている。売国奴政党が、日本をアメリカに売ったからに他なりません。

ちょうどロシアが今、数年間のウクライナとのNATO加入交渉などを、すべてスルーし、逆ギレしたところを、西側陣営で袋叩きにするのと全く同じ。日本は、ロシアこそ、あのときの日本と同じなのに、アメリカの犬となって、せっせと金を貢ぎ、大義のない戦争を応援し、ロシア国民も、ウクライナ国民も犠牲にしている。

アメリカや国際金融勢力が、この100年、世界中に紛争を起こし、軍事物資で大儲けしてきた構造と同じです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、湾岸戦争、9.11・・・全部同じ仕掛け。金儲けのゲームですね。
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その考えでほぼ正解です。


指揮官トップの南雲 忠一の判断ミスでミッドウェイ海戦は、大敗となり雲行きが怪しくなりました。
但しミッドウェイ海戦で勝利を収めていても、アメリカの体力には、最終的には敗戦していたでしょう。

南雲 忠一は、頭脳明晰で全て成績トップで学校を卒業してますが、実戦が全くわかっていませんでした。
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ミッドウェイ敗戦時点ではまだどうにかなれたのではないかと思うのですが



その通りだと私も思います。
現実味を感じ始めたのは、マリアナの七面鳥撃ちの1944年6月「マリアナ沖海戦」の敗北からだと思います。
日本航空機の航続距離が長い特徴を活かしたアウトレンジ戦法に対し、待ち構える米艦隊は新型のレーダー搭載、VT信管(センサー)などを科学技術の差で 一方的に日本機を撃墜しました。 小回りの効く零戦も歯が立たないほど米軍機の航空技術の向上が勝因の一つです。
アウトレンジ戦法で敗れた日本海軍は全ての面において劣勢でした。また、当時の日本の航空兵力(特にパイロットの錬度)が、先のミッドウェー海戦の大量喪失から回復していていなかったので本質的には1942年6月のミッドウェー海戦敗北が日本帝国海軍の終焉の始まりでしたが、この時は誰も気付いていない。
「こりゃ駄目だ」と誰もが感じたのがマリアナ沖海戦の敗北だと思います。この海戦で実質的に日本の空母と艦載機、そして生き残っていたベテランパイロットは殆ど失われました。日本海軍の再起不能の始まりでもあります。
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赤城が沈んで半分、大和が沈んでようやく殆んどの軍人が諦めたかな。



実際に詰んだのは沖縄戦でチェックか。
だけど日本軍は詰んだと思ってない。
だって詰むのは国民の本土玉砕だと思ってたから。

…天皇が諦めて投了決めなきゃ、チェックメイトまでマジ玉砕だったんじゃないかな。
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暗号が解読されているとは夢にも考えていず、大本営は大和魂で勝てると


最期まで考えていました。
だから婦人達に竹槍の訓練をして本土決戦に備えました。

流石に、神風が吹くとは考えて居なかったようです。
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マリアナ沖海戦の大敗で、事実上空母機動部隊が戦力を喪失し、サイパン島が陥落したときでしょう。


東條内閣が総辞職したのもこの時です。サイパン島失陥で、帝都東京が米軍のB29重爆撃機の爆撃圏内に入ってしまったからです。

ミッドウェー島の敗戦で一部の人たちは敗戦を意識し始めたと思いますが、その後に新しい空母機動部隊の建設を開始し、マリアナ沖海戦前には数的には開戦時よりもはるかに強力になっていました。

米機動部隊は、開戦時の10倍以上に達していましたが、太平洋上の島々の陸上航空戦力を合わせれば、充分それに対抗でき、サイパン島を奪われることが無いと日本側は構想していました。

しかし、島嶼飛行場の航空戦力は米機動部隊の空襲でひとつひとつ潰され、再建した機動部隊の艦載機パイロットは未熟者が多かっために、充分に訓練を積んだ米軍パイロットに太刀打ちできずにほぼ壊滅してしまいました。

そのために、サイパン島周辺の制海制空権を失ってすべてが終わりました。
その後は、海軍が事実上戦力を失って崩壊状態に陥っては、陸軍がいくら奮戦しても勝ち目のない戦いを繰り返すだけとなりました。
そして日本中が米重爆撃機に爆撃され放題となり、工場など生産設備を失って小銃の生産さえ不自由になり、竹槍で戦うような話にさえなったわけです。
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