電子書籍の厳選無料作品が豊富!

日本の陸海軍や政府が、先の戦争で、「あ、これもう詰んだな。100%負けるわ」と思ったのっていつの段階でしょうか?ミッドウェイ敗戦時点ではまだどうにかなれたのではないかと思うのですが皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (16件中11~16件)

ハルノート

    • good
    • 0

No.3です。

 先の回答に書き忘れましたが、そういうことで、陸軍が「あ、これもう詰んだな。100%負けるわ」と思ったのは、1945年8月8日夜にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に対し宣戦布告し、翌日9日未明に満洲への侵攻作戦を開始して、関東軍を日本に戻すことが不可能となった時点ですね。
    • good
    • 0

軍部の頭のある利口な人は、真珠湾攻撃以前に日本の


叶う相手では無いと思った人は少数いたでしょうね
負けて当然と?
    • good
    • 2

言うまでもなく、日本の陸海軍や政府関係者全員が同時期に「あ、これもう詰んだな。

100%負けるわ」と思ったということはありえません。 特に、陸軍は真剣に本土決戦で、上陸してきた連合国軍に大打撃を与えて、日本に出来るだけ有利な条件で戦争終結に持っていこうとしていました。 その理由は、中国大陸の関東軍約70万人がほぼ無傷で残っていたからです。 陸軍は、関東軍を日本に戻し、本土決戦に臨もうとしていました。 

一方海軍は、1943年4月18日に、連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が乗る一式陸攻がブーゲンビル島上空でアメリカの戦闘機に撃墜された頃には、「あ、これもう詰んだな。100%負けるわ」と思ったかもしれません。
    • good
    • 0

司令官の山本五十六が、ラバウル航空隊に激励に行った時でしょう


司令官自身も米軍から狙われているのにも関わらず行ったんですから
    • good
    • 0

山本五十六 元帥海軍大将が下記の事を近衛文麿首相に言った事から


会戦当初から勝てるとは思っていなかった。
「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」

最終的には、ミッドウェー海戦の敗北で暴れることも出来なかったが・・
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!