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日本経済に対し、世間では悲観論と楽観論が飛び交っています。
しかし何故、同じデータを参考にして、ここまで極端に違う結果が導き出されるのだろう?と思ってしまいます。

この差は一体、何が原因なのでしょうか?

それと、予想を外してばかりの経済学者が、以後も飯の食い扶持にありつけるというのも大きな疑問点です。

A 回答 (4件)

 前の方(#3)がおっしゃっていることは気持ちとしては全く同感です。

多少の蛇足を付け加えますと・・・

 私たちほとんどすべての社会的行動の動機は利潤の介在にあります。マスコミも同じことです。TVに登場する評論家の方々がいろんなことをしゃべって、それに多くの人が魅力を感じ番組ででまたそれをみたい、聞きたいとと感じれば、視聴率があがってスポンサーはその番組に大金を払うかもしれません。ここに有効需要が発生し、お金の回る歯車が回り出すわけです。マスコミの商品はセンセーションです。それが正しいかどうかは別として売れる物なら何でも売ろうとするでしょうね。

 私は、こういうことの積み重ねで経済現象は成り立っているの思うのですがどうでしょう。悲観論であれ楽観論であれこの原則からはずれて存在するわけではありませんので、こういう騒ぎがマスコミをにぎわせているうちは、経済も、まぁ、心配ないかなと考えることにしています。
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まず経済評論家を名乗る連中は、銀行や官僚の出身者や大学教授がほとんどです。

彼らは経済理論には長けているのでしょうが、ともすれば経済指標のみで物事を捉えがちですから、頭でっかちで的外れのことしか言えません。
また実際に企業戦士として活動したことなどなく、取材活動と言っても企業トップの話を聞いて鵜呑みにするだけで、営業現場や製造現場で実際にどんなことが行なわれているかなど関心がないのでしょう。
ですから、当然、個人の主観をどう反映させるかによって、楽観論も構築できるし、悲観論もしかりです。自分が売れたいと思えばセンセーショナルな論理が展開できますので、そうすればテレビ出演や後援の仕事が舞いこんでウハウハなわけです。でキャラクターがウケれば、以後の食い扶持にもありつけるというわけです。

今のに日本経済を立て直すには、評論家など一切必要ありません。経済評論家が何を語ろうが、日本のGDPに対して1円足りとも貢献してはいない。彼らの言葉は何の付加価値も生むことの決してない、無駄な言葉を垂れ流すだけなのです。
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わたしも、予想をする人個々人の感覚的なものだと思います。

テレビ番組での討論などを見ていても、そうとしか思えません。
何故なら、ご質問にもあるように、

>予想を外してばかりの経済学者が、以後も飯の食い扶持にありつけるというのも大きな疑問点

と、わたしも思うからです。
要は、気象庁の天気予報と同じで、予想がはずれても、彼らには責任がないんですね。だから、評論家とか学者といった人々の「意見」を自分というフィルターにかけて分析するしかないのだと思います。彼らの意見を鵜呑みにできないです。
わたしの経済に詳しい友人は、そうしています。そしていつもありとあらゆる経済に関する本や雑誌を読み漁っています。
日本の企業の経営者は、こういう事をしている人が非常に少ないと、彼はいつも嘆いています。
角度を変えて見れば、そういう経営者達が動かしている日本経済だから、予想を外してばかりの経済学者でも、こちらが恥ずかしくなる「学者」を名乗ったままで、のうのうと生きて行けるのではないでしょうか?
(・・・ちょっと、厳しすぎ?)
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これはもう感覚的なものではないかと思うのですが。


例えば年度末に翌年度の経済成長率の予測が各シンクタンクより発表されますが、これもかなりばらつきのあるものとなっています。
見方の違いといったらいいのでしょうか?
エコノミストによっても楽観的に判断する人と悲観的にみる傾向にある人と分かれますし。
いい回答ができなくて申し訳ないです。
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