thankusgiving day とGHQの政教分離について詳しく教えてください。出来るだけ速くお願いします。

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A 回答 (2件)

政教分離といえば、「政治」と「宗教」を一緒に考える


事ですよね。
GHQが行う前(戦前、戦時)は日本は神である天皇陛下が
治める神の国だという考え方でした。
・元寇の時も神国日本を侵そうとしたので神風がふいた。
・明治維新の時も神国が夷荻に屈して開港を行う。
等という表現が行われていた様です。

GHQの政教分離の政策は天皇は人間で(天皇人間宣言)、
日本国は神である天皇を頂点にした国ではなく、
横並びの国民に主権がある国ですよ。
という、民主主義政策の一環だと思います。

従来の、神様(天皇)の為に生活をするのではなく、自分(国民)の為に生活をしなさいという大きな目的があったと思います。

以下、蛇足ですが、
戦時中は上記の政策の為、神様の為に国民の命を平気で犠牲にするような作戦がみられました。
戦後日本は国民の主権国家になり、戦争は一切放棄すると
言う憲法が現在はあります。
今、アフガニスタンにてアメリカを中心とする各国が軍隊を出し争いがおこっています。
それに対して、この国はどうあるべきか、自分はどうするべきかを真剣に考える必要があると思います。
我々の生活は自分(国民)の為にあるのです。
一人の神様の為にあるわけではないのですから。
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 サンクスギビングデー(感謝祭)は毎年11月の第4木曜日に秋の収穫を祝い、神に感謝するお祭りです。

1620年、メイフラワー号に乗ってやって来た清教徒たちは持参の食料が尽きて飢餓に襲われました。その時先住民(インディアン)が
食料をあげて助けました。当時のインディアンはメキシコ高原から伝わったトウモロコシ、カボチャ、豆類を栽培し、七面鳥や鹿などを狩って平和に暮らしていました。白人を新しくやって来た他部族ぐらいの気持ちで援助したのでしょう。白人はインディアンにトウモロコシの栽培方法を学び、最初の収穫を祝い、神に感謝したのが感謝祭の起源だといわれます。インディアンも当然招待された筈です。後に助けた白人にひどい扱いを受けることになるとは想像さえしなかったのでしょう。

政教分離策については他の方の回答を待ってください。





        
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Q政教分離原則と政治

政教分離の国アメリカで、連邦議会は神への祈りから開始され、大統領はその就任にあたって聖書に手を置いて宣誓するのは
何故でしょうか?
日本の総理の靖国神社参拝は政教分離に反するのに行われているのとおなじ理由でしょうか?

Aベストアンサー

#10さま、
>ところで宣誓時の聖書ってどっちでしょう?

モルモンを除いてキリスト教の全ての宗派の原典は聖書ですから、それだけを採って見ると、一見宗派に関係ないと言う主張も成り立つように見えますが、そこに、アメリカ人の宣伝のように、理屈だけて物を言うと落とし穴に落ちてしまいます。#8でも書いておきましたように、1965年以来、全ての大統領就任式の宣誓時の聖職者はいつも同じエバンジェリストと言う、政治的に絶大な影響力を持っている一つの会派から選ばれております。そして、政府はいろいろな名目を付けて、この会派の利益を図っております。

お金の流れとしては、エバンジェリストの一派が、性教育を止めて禁欲教育を公立学校でやろうと主張したら、息子ブッシュ政権がそれに対する特別資金を援助したりしたのが、その具体的な例の一つです。その教育の名目で、その資金を直接教会に援助することも在ると、アメリカのテレビで言っていました。アフリカでのエイズ撲滅運動で出したアメリカの援助金は、たしか、コンドームを配るための購買に使っては行けないことになっていると聞きましたが、その圧力をかけたのもエバンジェリストだとのことです。

また、アメリカの法律では、政治発言や政治活動をした宗教団体には免税権を認めないことになっているのですが、この法律は見事に無視され、政治活動を繰り返すエバンジェリストは相変わらず免税権を認められております。

アメリカが弁護士の国ですから、どんな法律をあっても必ず法律の穴を見付けて、もっともらしい理屈をつけて、自分のやっていることを正当化します。最近の例では、第二次大戦でアメリカ兵を水攻めにした日本兵を、拷問を禁止している国際法違反としてアメリカが処刑しているのに、グアンタナモでアメリカ兵がやった水攻めは拷問ではないという理屈を法務省お抱えの弁護士が正式に政府に提出しております。また、ニュールンベルグ裁判では、本人の意志に反して上官の命令でやった戦争犯罪でも、犯罪は犯罪であるとして多くの下層ドイツ兵が処刑されたのですが、オバマ大統領は、もし今回のイラクとアフガニスタンの戦争で、もしアメリカ兵による戦争犯罪があったとしても、それが上官の命令だったのならば処罰しないと宣言しております。私が、理念や理屈だけで判断するだけではなく、どのように行動しているかを見ておかないと、アメリカを誤解をしてしまいますよと言うのは、政教分離も含めて、まさに上のような幾つもの例のようなことです。

#10さま、
>ところで宣誓時の聖書ってどっちでしょう?

モルモンを除いてキリスト教の全ての宗派の原典は聖書ですから、それだけを採って見ると、一見宗派に関係ないと言う主張も成り立つように見えますが、そこに、アメリカ人の宣伝のように、理屈だけて物を言うと落とし穴に落ちてしまいます。#8でも書いておきましたように、1965年以来、全ての大統領就任式の宣誓時の聖職者はいつも同じエバンジェリストと言う、政治的に絶大な影響力を持っている一つの会派から選ばれております。そして、政府...続きを読む

Q原爆に関する出版は禁止されていた?(GHQ)

戦後数年、おそらく1951ぐらいまで広島、長崎の原爆、被爆者に関する記事はGHQによって統制されていた、という話を聞きましたが、本当でしょうか?
また最初に原爆について書かれた本は何という本で、いつ出版されたのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 たしかに当時の連合軍占領統治下においての、広島長崎における原爆に関する一切の報道は、1945年9月19日のあのプレスコード第3項によって厳しく統制されていきました。

 一般的にはこれは当時のGHQ最高司令官のマッカーサーによって発布されたということが多いようですが、今では米大統領トルーマンの直々の指令であったことが知られています。

 さて原爆について書かれた最初の本ということですが、この「本」と言うのがどのような出版物であるかによって回答がいくつかあるかもしれません。新聞に関しては終戦までは「新型爆弾」という文言を使用するよう大本営より厳しく通達が出されていましたので、実際に「原爆」の文字が新聞紙上に現れたのは、1945年9月3日から9月18日にわたって報じられた「被爆1ヶ月後の広島」(中国新聞)が嚆矢に近いのではないかと考えます。

 しかし「本」という書籍出版物に広げて見れば、個人的な体験談や犠牲者への追悼手記のような少数の部数を印刷し、身近な人たちへ手ずから渡されたようなものから、犠牲になった生徒たちを悼む学校などの追悼書籍、更には本格的な調査研究書、歴史的郷土的観点からの資料、市町村など公共団体の資料、そして原爆を扱った文学芸術的資料、などなど多岐に渡っています。

 ということで、ここではいわゆる出版物全般を「本」として考えてみます。まず終戦の年の1945年ですが、この年には残念ながら記録に残るような出版物はなく、最初の出版物といえるのが1946年2月7日に発刊された「不知火追悼号」(第七高等学校造士館理科二年甲類五組編)ではないかと思われます。これは見ての通り、言ってみれば私的出版物に近いものです。その翌月の1946年3月1日に岩波書店から広島長崎の両被爆地を扱った「世界」第3号が発刊されています。
 
 広島からの出版物は1946年3月10日の「中国文化ー原子爆弾特輯」(中央文化発行所)が一番古い、つまりは原爆投下後一番早く出版されたものといえると思います。

 手元の資料によれば以上のような状況ですが、もしまた何かご質問等がありましたら及ばずながら協力させていただきます。また他の方が更に詳細な資料をお持ちで、私の回答に間違い等があったならばどうかお許しください。

 たしかに当時の連合軍占領統治下においての、広島長崎における原爆に関する一切の報道は、1945年9月19日のあのプレスコード第3項によって厳しく統制されていきました。

 一般的にはこれは当時のGHQ最高司令官のマッカーサーによって発布されたということが多いようですが、今では米大統領トルーマンの直々の指令であったことが知られています。

 さて原爆について書かれた最初の本ということですが、この「本」と言うのがどのような出版物であるかによって回答がいくつかあるかもしれません...続きを読む

QGHQ司令官がマッカーサー元帥でなかったら

日本、終わってましたか?
他のアジア同様、白人達から小馬鹿にされながら生活していくハメになりましたか?

ちょっと余談になりますが、
僕の母(戦後生まれ)が、昭和の陛下様とマッカーサーさまが居らしてくださったから日本は救われたと、小さい時からいつも僕に言ってました。
僕が、”マッカーサーは過去の屈辱から、山下大将を処刑したりしたんだよ? しかも軍人としてじゃなくね・・・ ” って言ったら母は、”マッカーサーだって人間だもの・・・ ” だってwwww
更に、マッカーサー元帥を演じれる「俳優」は絶対に居ない!って言ってますw
凄い惚れ込み様ですねw
(トミーリージョーンズさんのマッカーサー観に行こうかと思います。)

母のこんな姿を見てますと、やっぱりマッカーサーって凄かったんだな・・・と思います。

Aベストアンサー

最初に断っておくが、あなたの母親はとても可哀想な人だ・・・ここまでわが日本人が今でもマッカーサーに洗脳されているのかと思うと、とても腹が立つし、やり切れないが少し教えておこう!マッカーサーが山下大将、松井大将、東條元総理を処刑した東京裁判こそが私怨・怨恨極まりないマッカーサーによる報復裁判だったのである!それは世界中の博士・学者の誰もが認めている、中でも強烈なマッカーサー批判を展開したのが、インドのパール博士でこの人の倫理・正論に勝る者はいなかった、だが槍玉に挙げられた被告人達(俺は山下・松井・東條各氏らを被告人として認めない!)はパール博士のチカラ及ばず処刑されてしまった!・・・チョットGHQの話をすると、全権委任されたマッカーサーから日本国憲法を草案・実施指揮したGHQ民政局次長・チャールズルイスケーディス(大佐)は当時、同じGHQ参謀第二部(G2)部長・チャールズアンドリューウィロビー(少将)、通称・赤狩りのウィロビーと熾烈な主導権争いを展開していた、同時期にはトルーマン大統領とマッカーサーによる対立も激化している、その頃、昭和電工疑獄事件がGHQ・政・官癒着を巻き込んでの事件に発展、そしてケーディスは社長夫人との不倫が暴露されて窮地に追い込まれるが、1949年5月に民政局次長・ケーディスは解任更迭される、更に大問題の怪事件が次々と起こる、1949年7月5日常磐線・北千住~綾瀬間で下山国鉄総裁の轢死体発見!(下山事件)、7月15日中央線・三鷹駅構内で無人列車暴走!死者6名負傷者20名(三鷹事件)、8月17日東北本線・松川~金谷川間で運行貨物列車脱線!運転手含め死者3名(松川事件)、これらの事件全てがGHQ関与の可能性大であり、民政局次長・ケーディス又はG2部長・ウィロビーの命令によるものとされている!下山事件でも日系人将校を使い、松川事件でも日系人将校を使っているのは事実である、赤狩りのウィロビーは当時、松川事件の首謀者を東芝労組と国鉄労組に祭り上げたが後、被告人とされた者は全員無罪、今をもってしても昭和の重大事件はGHQの仕業率、大なのである、少しはお解かりいただけたかな?それと進駐軍の総司令官がマッカーサーだったのはオールバッド!だが、もし米海軍のニミッツ提督だったら少なくとも東京裁判という卑劣な報復裁判は無かっただろうし、日本国憲法の草案にしてもこんなに理不尽でイビツな状態には成らなかったであろう。

最初に断っておくが、あなたの母親はとても可哀想な人だ・・・ここまでわが日本人が今でもマッカーサーに洗脳されているのかと思うと、とても腹が立つし、やり切れないが少し教えておこう!マッカーサーが山下大将、松井大将、東條元総理を処刑した東京裁判こそが私怨・怨恨極まりないマッカーサーによる報復裁判だったのである!それは世界中の博士・学者の誰もが認めている、中でも強烈なマッカーサー批判を展開したのが、インドのパール博士でこの人の倫理・正論に勝る者はいなかった、だが槍玉に挙げられた被...続きを読む

QGHQがチョコレートを配ったのは策略ですか?

戦後進駐軍は、子供たちにガムやチョコレートを配りました。
これは個人の親切心で行われたことでしょうか?
それとも子供たちを見方につけるという戦略的な意味合いがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アメリカ軍の非常食として、チョコやガムが採用されていました。
ガムは眠気防止になりますし、チョコはエネルギー源として優れているという理由から。
戦争が終わり、こうした非常食もそれほど必要ではなくなり、小分けして安く配布できるということで、余った物を日本にばら撒いたということではないでしょうか。
チョコは米兵がやたらに食べないように、市販のものより多少不味く作った(多分甘みを押さえた)という情報も有ります。
私が学校の給食で飲んだ、スキムミルク、当時は大きなやかんに溶いてアルマイトの器に注いでもらいましたが、あれもアメリカ国内でダブツイたものをもってきたという話です。
スキムミルクも現在では健康食品として見直されていますが、今考えると、おいしくは無かったです。

QGHQは日本の地方をどのように占領統治しましたか?

占領期の横浜や東京の様子はよく本でみかけるのですが、それ以外の日本はどのように統治しましたか。各都道府県に米国人が派遣されたのでしょうか。確か、英連邦軍が中国・四国地方を管轄にしたと聞いたことがあるのですが。このあたりの、詳細が書いてある本やURLがございましたら、ご教示下さいませ。

Aベストアンサー

敗戦後でも、日本の場合「行政機構」は健在でした。
東京にあったGHQ総司令部も、日本の行政組織・機能を利用しました。
地方でも同様です。
各都道府県県庁所在地に「GHQ軍政府」を設置、既存の県庁を管理下に収めました。

>英連邦軍が中国・四国地方を管轄にしたと聞いたことがあるのですが

よくご存知ですね。
中国・四国地方は、中国政府が「強力にGHQに支配権要求」を行った地域です。
特に四国地方は、四方を海に囲まれGHQと別の軍政を敷く事が可能だった事が伝わっています。
米英軍は、この企みを分かっていたので拒否したようです。
北海道を求めた旧ソ連にたいしても、同様の理由から拒否しました。

四国の場合ですが、焼け残ったビル(三越前にあった大和生命ビル)を強制接収し高松市に「GHQ四国軍政府」を設置し、県庁を通して統治を行っています。
同時に、中国・ソ連の影響力(共産社会主義活動家)排除を目的として「36特別情報部」を設置、情報収集を行っています。
(中国の場合は広島市に「GHQ中国軍政府」を設置)

>詳細が書いてある本やURLがございましたら、ご教示下さいませ。

地方のGHQ支配は、地方の出版社が本を出しています。
地方の図書館で「戦争」「空襲」「戦後」コーナーで探すしかないでしようね。
時々、古本屋で見かける事もあります。
散策のついでに、古本屋をのぞいてみれば!

敗戦後でも、日本の場合「行政機構」は健在でした。
東京にあったGHQ総司令部も、日本の行政組織・機能を利用しました。
地方でも同様です。
各都道府県県庁所在地に「GHQ軍政府」を設置、既存の県庁を管理下に収めました。

>英連邦軍が中国・四国地方を管轄にしたと聞いたことがあるのですが

よくご存知ですね。
中国・四国地方は、中国政府が「強力にGHQに支配権要求」を行った地域です。
特に四国地方は、四方を海に囲まれGHQと別の軍政を敷く事が可能だった事が伝わっています。
米...続きを読む


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