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創価学会の方々は題目を唱えていったい何を目指しているのでしょうか?あんまり詳しくはないですけど、仏教のように仏陀になって輪廻から解脱するとかそんな感じなんでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

学会員ではありませんので、聞きかじった知識で申し訳ないのですが、その範囲で記します(学会に悪意はありませんし、シンパでもありません。

念の為)
法華経(妙法蓮華経)は釈迦以後に成立した経文ですから、仏教と言うより(勿論仏教なのですが)日蓮の宗教と言ったほうがより近いのではと思います(創価学会は日蓮正宗です)。
法華経では法華経を信じ、世の中に広めることによって現世で救われる(この世が浄土になる)と云われています。
つまり創価学会の方々は「お題目」を唱え、違った教えを信じている人を「折伏(説得し考えを変えさせ日蓮正宗の信者にする)」することにより皆が現世で救われると信じているのです。
来世(彼岸)より現世(此岸)での救済を重要視する宗教です。
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池田大作の天下統一です。

(もちろん世界の人民を支配下に置くという意味です)
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「広宣流布」です。

即ち日蓮の教えを“学会を通じて”世界に広めることです。この教えを国教にするべく公明党を政治に世界に送り込みましたが「国教」に対して非難が大きかったため、現在は大分トーンダウンしています。
公明党の創設は元々の役割は政治を通して広宣流布を目指すことにあります。
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この回答へのお礼

yamikuro3さん、ipa222さん、localtombiさん、ありがとうございました。
ところで、現世での救済って言うのはこの世界が、ばぁ~って浄土になるってことなんですかね?
あと、localtombiさんの言うように学会を広めること自体が学会の目的だって言う論調がありますけど、広めた先にあるのが現世での救済ってことでよろしいんでしょうか。

お礼日時:2005/08/29 16:14

大元の日蓮の教義に、「王仏妙合」「国立戒壇」があり、日蓮宗と政治が合体した国家運営をめざしています。


ですので、創価学会の本来の目的は、公明党の単独政権をつくり憲法改正により日蓮正宗を国教にすることです。

現在、与党に組するのは、元々檀徒団体として結成されたものであり、宗教法人の資格に問題があるので、この点を追求されるのを防ぐためです。
さらに、破門により宗教から乖離した団体になりますね。
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補足します。


創価学会は「日蓮の教えを継承している唯一の団体である」という認識ですので、学会が広まれば即ち日蓮の教えも広まる、ということです。“学会を通じて”というのはそのためで、他の団体・宗派による日蓮の教えは、極端にいうと学会は正当なものと認めていません。そこが衝突の原因です。
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この回答へのお礼

非常に分かりやすい回答をありがとうございました。

それと、この後に回答してくださったmn214様、「組織名や人物を特定した上での、名誉毀損や誹謗中傷と取られる恐れのある記述」とのことでgoo側に削除してされてしまいましたが、読ませては頂いていたのでお礼させて頂きます。
それにしてもそんなひどい内容でしたかね?

お礼日時:2005/09/03 00:29

学会員です。


そんな難しい内容はありません。
まずは「幸福」になるためです。
学会に限らずどの宗派もおなじでしょう?
ただその実現手段が宗派によって異なるだけの話です。
宗教はすべてその教義を「弘める」ことを目的の1つとしています。別に学会に限った話でもありません。
それに「学会という組織」が政治に介入することはありません。政治と宗教は別次元であると認識しています。

>仏教のように・・・
創価学会は仏教系の宗教団体です。


他には色々ありますが、ここでは詳細な説明を控えさせていただきます。創価学会のHPを参考にしてください。

参考URL:http://www.sokagakkai.or.jp
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうなんですよね~。学会のHPを見ても、「みんな幸せな社会に」って感じですよね。でも、それと仏壇買ったり題目あげたりってのが結びつかないんですよね。仏壇買って題目あげることが幸せになるのか、それともみんなに広めることが幸せになるのか…。やっぱりみんなに仏壇買わせていっしょに題目唱えるのがみんな幸せってことなんですかね?

あと、「創価は仏教系」って確かにそうですけど、仏教とはだいぶズレてますよね?それとも仏教こそが、真の仏教=創価とズレてるってことなのかな?

お礼日時:2005/09/05 16:56

再度#6です。


ちょっと突っ込んだ事を書かせていただきますね。
(専門家ではないので、うまく説明できないかも・・・そのときはごめんなさい。)
かなり長文になるかも・・・。


>それと仏壇買ったり題目あげたりってのが結びつかないんですよね。・・・
仏教(仏の教え)では、万人の生命の中に「仏」を有すると説いています。また、宗教を端的に言うと「生命のトレーニング」のようなものです。
これを私流に説明すると「生命」は「筋肉」に例えるとピンとくるのでは?と思っています。
そうすると、
・仏壇→ダンベル
・題目→筋トレ
と捉えられます。
要は生命を鍛えるための道具・手段です。
(道具なんて事言ったら怒られるかな・・・。)
体を鍛えたいと思っている人はかかさず筋トレしていますよね?
確かに道具とかがなくても筋トレはできます。でも道具があるとより効率よく鍛える事ができますよね?

すると、次に「生命を鍛える」と「幸福」にどんな因果関係があるかという疑問が出てくると思います。
幸福には2種類(相対的、絶対的)あります。
相対的幸福とは何か?
「宝くじが当たった」「目標に達成した」といったものが該当します。
宝くじが当たっても、お金を使い果たせばはいおしまい。目標に達成したらそこでおしまいです。
確かにそのときは幸せですが、そう長くは続かない、刹那な幸せが「相対的幸福」です。
では絶対的幸福とは何か?
どんな障害・苦難があってもそれを「難」と捉えない、生きてる事自体が幸せと感じることです。
(いい言葉が見つからなかったのでちょっと分かりにくいかも・・・)
つまり「生命のトレーニング」を日々行う事で「絶対的幸福」を得る、決してゆれる事のない強靭な生命力を持つ事が目的なのです。


>あと、「創価は仏教系」って確かにそうですけど、仏教とはだいぶズレてますよね?それとも仏教こそが、真の仏教=創価とズレてるってことなのかな?
専門家でないので、個人的な考え(思想)を書きます。

質問者さんにとって「仏教」とは何ですか?
私のなかでは、仏教とは釈迦が説いた教えを示しているものだと思っています。
仏教(法華経?)では、釈迦入滅後2千年後は「末法」という釈迦の教えが効力を失い混沌とした世界になるとあります。(ちょうど日本で言う平安・鎌倉時代かな??)
そこで日蓮が「我、末法の法華経の行者なり!」と立ち上がったのです。そして法華経の文底秘沈「南無妙法蓮華経」を提唱(?)したのです。
創価学会は、その日蓮の協議に基づいた宗教団体です。
まぁ「真の仏教=創価」なのかについてのコメントは当事者でもありますので控えさせていただきますが、少なくとも私はそう捉えています。

だいぶ長文になってしまいましたが、イメージわきました?
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この回答へのお礼

わかりやすい回答ありがとうございます。

なるほど。相対的幸福と絶対的幸福ですか。僕は価値相対主義者ですから、「みなさん幸せに!」なんて聞くと冷めちゃうわけですが、確かに絶対的幸福というものを相対的幸福と別定義すれば、それは信じるに足るというか宗教になりえますね。ただ、この「絶対的幸福」についてですけど、僕の「仏教」観とも絡んできますが、確かに仏教では現世を苦と捉えていますが、苦を苦と思わないことが幸せという概念では無かったと思います。ただ単純に現世は苦であり、したがってダルマを理解し輪廻から解脱するという、ある意味「逃げ」こそが仏教の真理ではないかなと考えております。
 そんなわけで創価学会の目指す幸福が理解できないかったわけですが、僕の考える仏教も小乗仏教という一派でしょうし、大乗仏教の流れを汲む創価学会を「それって仏教?」と批判するのはおかしかったですね。

 で、そもそもの疑問に戻るわけですが、個人の幸せを目指すことと人類の幸せを願うことが創価学会であることはわかりました。しかし、お話を聞く限りはそこに連続性は無く、創価学会とはその2つを「2本柱」としてそれぞれ別個目指しているように思うのですが、そういうことでいいんでしょうかね?

お礼日時:2005/09/06 21:10

私は学会員です。

こうした素朴な質問にちゃんと答えられるかどうか、自分なりに試す意味でも書かせていただきます。

たぶん日本人の持つ宗教観、もしくは仏教のイメージがしっくりこないのではないかと思われます。
仏教と言えばお葬式かお盆ぐらいに出てくるぐらいですもんね。
あえて言うと死者の為の儀式に用いられる宗教といった尺度が適当ではないと思います。

釈尊が開いた仏教はもちろん始めはそうではありませんでした。生きた生身の人間を救済するための宗教だった訳です。

しかし仏教は形骸化・形式化し「死者を祭る」セレモニーになってしまう。何故そうなったかを語ると長くなってしまいますし、質問の内容から離れてしまいますので、省略します。

仏教には沢山の経典がありますが、その中での最高峰は「法華経」です。法華経ももちろん形骸化していたのですが、これを現代に蘇らせたのが創価学会だと思って下さい。

つまり死せる形骸化した仏教が、釈尊在世当時の様に生き生きとした形になって蘇った形です。

死せる仏教しか知らない殆どの人たちには創価学会の姿を理解するには土台無理があります。

法華経は本来ダイナミックに人類救済を叫んでいる経典です。凄いですよ。宇宙をたなごころに置きながら経典は書かれている感じです。
人間(個人)と環境と宇宙は本来、究極のつながりを持って存在していると法華経は説きます。
その生命哲学は個人の幸福の留まるだけではなく、その教えを世界中に広めよ!と法華経では言っている訳です。

学会の目指すものは「個人の幸福」と「世界平和」です。
その力の根本がお題目にあります。

質問者さまのおっしゃる、「仏教のように仏陀になって輪廻から解脱するとかそんな感じなんでしょうか?」姿を成仏と言います。
別の言い方をすると「永遠の生命を悟る」でしょうか。

人間の心のはそうした不可思議な大きな力があって(これを仏界と言います)その力は特別な人が持つものじゃなくて誰でも持っている。
人間の本来持つ宇宙と一体となる生命を実感して、生命尊厳の哲学を人類の根幹に浸透させようとしているのが学会の姿です。

人類が抱える悲惨な現状を叩き壊すには、生命尊厳の哲学が絶対に必要です。現実は生命軽視の流れが本流であって、そこに必死になって戦いを挑んでいるのが創価学会です。

この活動を広宣流布と言います。

学会員はこの広宣流布という世界平和への大きなうねりを起そうとしならが、個人の問題をお題目を上げなら祈り戦っていると思って下さい。

個人の幸福が直接世界の平和活動に結びつく、究極的な活動をしています。

具体的にはNo6さんの言われる通り、HPをごらんになって下さい。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。学会員の方々からこうしてお話を聞けてうれしい限りです。やっぱり本なんかの間接情報だけではアレですし、学会員の友達に直接聞くのもアレですしね。

 僕個人として宗教に興味があって何冊か本を読んだのですが、学会員の方にとっての仏教と、本なんかで読み取れる仏教にはけっこう差があるみたいですね。例えば「生きた生身の人間を救済する」とありますけど、仏教の目指すところが成仏であればそれは救済とは異なると思いますし。当時のカースト制という奴隷社会の中で、そもそもインド圏の土着思想である輪廻という概念に対する不安感が成仏という思想を生んだのですから、仏教とは幸せに生きるというより、もう生まれ変わることはないんだという安心感こそが本質だと思うんですよね。まぁ専門家でないからわかりませんけど。それに「宗教」ですから正しいもクソもないんですけどね。。
 でもとにかく生の声が聞けてうれしかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/06 21:21

学会員の目指すところはNo.6 7 8の方が回答してますが、創価学会が何を目指すのかは会員では回答できません。

北の将軍様の目指すことは同志には判りません。北の同志はチュチェ思想の実現のために将軍様マンセイです。
学会員の同志は広宣流布実現のために名誉会長マンセイです。
どちらも実現への方法はトップダウンなので方法論・手段に意義を挟む余地は有り得ません。意義を唱えれば方や収容所送り方や反逆者扱い。
セイキョウ新聞に候補者選びで創価学会は候補者の人物人格で決めると書かれていましたが、前回で仏敵といった人物を今回は推薦してます。M県のK候補、N県のT候補ほかにもありますが、会員の人物を見る目などはあってはならないのです。会の見る目が会員の目であり、会の考えが会員の考えなのです。北の将軍様は同志を収容所の外か中かの力があり、学会は同志の成仏か不成仏かの決定権を持っているのでどちらの同志も逆らってはいけないのです。
結論は創価学会が何を目指すのかは会員には判らないでしょう。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

例えば創価学会と公明党を同列視すればその目指すところというのは確かに外部から見ることでより理解しやすいと思います。しかし、個々人の学会員が何を思ってこの宗教団体に属しているのかというのが質問の趣旨ですので、おっしゃる結論は少しズレてしまうように思います。

お礼日時:2005/09/09 01:34

私は学会員ですが、活動していません。


というより、もうしません。
なぜかというと、学会の間違いに気付いたからです。
元々、私は2または3世の学会員なので題目も本当に時々しかしていませんでした。でも、衛星中継などには行っていました(ほとんど寝ていましたけど…)。
その中で、池田氏が話していたことは、他の宗教の人や、哲学者の話でした。私は、そんな人たちの名前を聞いても誰なのかわからなかったけど、一応聞いていました。ただ、私にはその姿がNo.9の方がおっしゃっているように”北の将軍様”とダブって見えていました。
ただ、その頃は親が学会を信じているので面倒くさいと思うぐらいでした。
しかし、今は環境が変わり、他の場所で題目を唱えています。
そんな状況の中で、学会が目指しているものを考えると、まず、公明党が自民との連立を組んでいることにより、自民は公明党(創価学会)が離れると政権交代が起きてしまうというを利用して、自分たちの地位や名誉を上げようとしているように見えます。
また、公明党自体は、たとえ自民との連立で過半数を取れなくとも、自分たちはどこか違う政党とまた連立を組めば、野党転落を免れられる議員数を立候補させているように見えます。それが、今日の公約達成率につながっていると思います。
これ以上増えない学会員数を最大限に利用し、今、池田氏は日本最大の権力者になっているといえるでしょう。しかし、そんな綱渡りのようなことがいつまでもつづくわけがないでしょう。だから、私にはわかりませんが、きっと何かが起きて創価学会滅亡の日がいずれ来ると思います。
まだまだ言いたい事はありますが、長くなるのでここで終わります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今まで漠然と親が創価学会なら子もそうだと思っていたのですが、ifguma様のような方もいるのですね。
お話を聞く限り、漠然と題目をあげていたようですが、やはりそういった人も多いのでしょうか。無宗教家としては、「難しいことを考えずに・・・」なんて聞くと、何だかな~と心配になってしまうのですがね。

公明党のあり方については、これまでの回答者の方々のご意見を参考にすると、政策云々よりもとりあえず第一党となって創価学会"的"考えを世に広めることが創価学会"的"には世界のためになって最良だというロジックなのでしょう。学会員の方々も、哲学や政治をもっと知れば学会員云々を抜きにして支持政党を選択できるんじゃないかと希望を持っておりますが。あくまで希望ですけど。

お礼日時:2005/09/11 00:12

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