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以下の例文Aと例文Bは、ある小説の書き出しの部分と考えてください。[は]と[が]の使い方として、例文Aは問題ないと思いますが、例文Bはおかしいと思います。しかし、何故おかしいのかうまく説明できず、気持ち悪いです。うまい説明があったら教えてください。

<例文A>
吉田太郎[は]、佐賀県に生まれた。
6歳まで何不自由なく子供時代を楽しんだ。
状況が一変したのは、太郎[が]中学に入ってからだ。

<例文B>
吉田太郎[が]佐賀県に生まれた。
6歳まで何不自由なく子供時代を楽しんだ。
状況が一変したのは、太郎[は]中学に入ってからだ。

A 回答 (31件中11~20件)

ご返事ありがとうございます。

一時天気が良かったのですが、今は雨を予感させる雲です。

[質問A] 
告白しますが、「文法」というものの定義はわかりません。
「文法は実際の日本語の使用事例から組み立てるものある」という方に共感します。
しかし、多様な解釈の一元化には至っておらす、体系化が完成しているようには感じません。

[質問B]
全くその通りですが、ニュアンスとして、
「文面に主格のない文は成立可能で、その場合は、単に主格が省略されているだけだ。」
の方が感覚的にはなじみます。

[質問C] 
[回答2]について、おっしゃる通り書き忘れです。失礼しました。
遅ればせながら、以下に述べます。
>その理由は、「は」は主題を示すだけであり、「が」は主格を示すからです。
:この文の「[は]は主題を示すだけ」というのが納得しづらいのです。(と書くつもりでした。)

[回答A]
「>この文を例に挙げたのかとても不思議に思っています」
おっしゃる通りで、お恥ずかしいです。
下記のように、修正させてください。
「そのケーキは、上にイチゴが載っており、太郎の好物だったが、非常に値段が高かった。」という文において、
「非常に値段が高かった」ということが最も重要な骨子であり、
「そのケーキ」は、その主格としての機能をまず求められている。
さらに「上にイチゴが載っており」「太郎の好物だった」ことを言うための主題としても機能している。

[回答B]
何となくわかります。(違ってたら、その旨指摘してください。)

『「海は広い」においての主格は、当然想定されるはずの「それ」という代名詞である』
ということでしょうか?
であれば、なぜあえて代名詞でなければならないのかが疑問です。
つまり、主格を代名詞にしてまで主題を設定する必要性があるのか?
という新たな疑問が湧きました。

[回答C]

「>「は」に主格提示機能を持たせても一貫性を失わないような文法体系」
現体系に対する理解が薄いので、こう言われると反論できません。
この事実は認めます。


<一貫性とは、~そのプロセスを対象(「が」や「は」など文の要素)によって恣意的に変更しないことを意味します。>
という点は興味深く拝見しました。

しかし、ここで「一貫性」の定義を適用するのは多少疑問を感じます。
一貫性ゆえに複雑になり本質を見えにくくするのでは、と懸念するからです。

「が」の対格機能や、
「は」の対格・補格・与格機能が全く無いと言っているわけではありません。

「が」と「は」の区別を主眼にする場合、
「格による分類」よりも、「効果による分類」
の方がわかりやすいのではないか、と思っているわけです。

<例2>
・水が飲みたい。
・英語が話せる。
は述部を「特定する機能」。

<例3>
接続助詞については、幅が広がり過ぎるような気がします。
「明日は良いが、今日は困る。」は、[が]は無くてもまた他の語(けど、ですが)でも全く同じ意味が通じますから、除外してはまずいでしょうか?
説明できないのでこのように言う、というのが事実なのは白状します。
しかし、上の例は逆接ですが、
「あなたの車ですが、何人乗りですか?」という順接においては、
「あなたの車は、何人乗りですか?」という意味ですから、この場合の[が]は主題提示機能ではないか、などのように広がっていくように思います。

このへんが、私の限界なんでしょうかね?
意欲だけは失ってないんですが・・・。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。9月も半ばになりましたが、今日は、かなり蒸し暑いです。

ご回答いただいた内容を読ませていただきました。[質問A、B,C]、[回答A、B]はよくわかりました。しかし、[回答C]については、私がお話ししたかったことは、ほとんど伝わっていないことがわかりました。私の説明の至らなさを痛感しました。それで、今回は少しアプローチを変えて対話形式にしてみました。以下の[対話1-3]は、日本語がある程度わかる留学生が、助詞の働きについて、先生に聞いているところです。私は先生代わりで答えてみたのですが、[対話3]の最後で、うまく返事ができなくなりました。それで、「次回話そう」と言って逃げて来ました。hakobuluさん、この後を引き継いでいただけませんか? [対話1-3]での受け答えが悪ければ、前に遡って、前の先生はウソを教えたと言って訂正していただいて結構ですので、よろしくお願いします。

[対話1]
生徒: 先生、主格って何ですか?
先生: 主格とは、「述語が表す動作・特徴・状態などの主体のこと」です。
生徒: では、「犬が吠えた」の場合、「吠えた」という動作の主体は「犬」ですから、犬が「主格」と考えていいですか?
先生: その通りです。
生徒: 助詞についてあまり良く理解していないのですが、「犬が吠えた」の場合、助詞「が」には、「犬」が主格であることを示す働きがあると考えていいのでしょうか?
先生: そうです。
生徒: でも、ちょっと疑問があります。「犬、吠えた」でも、「吠えた」という動作の主体は「犬」であることがわかると思うのですが。「が」が、主格を示しているのではなく、文脈で「主格」だと判断しているのではないでしょうか?
先生: では、例えば、「犬、猿、食った」の場合はどう考えますか?
生徒: うーん、文脈だけで判断しようとすると、「犬が猿を食った」「犬を猿が食った」「犬と猿が食った」など色々な可能性が出てきますね。わかりました、助詞「が」を入れることで、その前の名詞が主格であることがはっきりするわけですね。
先生: そのとおりです。

生徒: では、別の例文ですが「海は青い」の場合、「青い」という特徴の主体は「海」ですから、海が主格と考えていいですね。
先生: その通りです。
生徒: また、「彼は病気だ」の場合は、「病気だ」という状態の主体は「彼」ですから、彼が主格と考えていいわけですね。
先生: そうです。
生徒: そうすると、助詞「は」も、主格を示す機能があるわけですね。
先生: その通りです。

生徒: ここで、ちょっと気になることがあるのですが、助詞「が」が主格を示し、助詞「は」も主格を示すとすると、「が」と「は」は一体どう違うのでしょうか?
先生: それは、「は」は単純に主格を示すだけですが、「が」には主格を示すと同時にそれを強調する働きもあるところが違います。例えば、「海は広い」の場合は、単純に事実を言っているだけだけれども、「海が広い」の場合は、「広い」のが「海」であることを強調しているわけですね。
生徒: なるほど大変よくわかりました。ありがとうございました。

[対話2]
生徒: 先生、前回は、主格の「は」と「が」について教えていただいたので、今回は対格について教えてください。
先生: はい、どうぞ、何でも聞いてください。
生徒: 対格というのは、何ですか?
先生: 対格とは、「述語が表す動作・作用の対象のこと」です。ただ、対格ということばは、英語などの直接目的語から来た考え方で、日本語文法では、必ずしも一般に使用されているわけではありません。そのため、日本語文法では、「ヲ格」とか、もう少し広い意味で「連用格」とか呼ぶ場合もあります。
生徒: わかりました。では、「リンゴを食べた」の場合は、「食べた」の動作の対象は「リンゴ」ですから、リンゴが「対格」と考えていいですね。
先生: その通りです。
生徒: この場合、「を」は対格を示す助詞と考えていいわけですね。
先生: その通りです。
生徒: では、「リンゴが食べたい」の場合はどうですか? この場合も、「食べたい」の対象はやはり「リンゴ」ですから、「リンゴ」が対格と考えていいですか?
先生: そうです。
生徒: ということは、この場合の助詞「が」には、助詞「を」と同じように、対格を示す働きがあると考えていいですね。
先生: その通りです。

補足日時:2005/09/11 12:47
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この回答へのお礼

生徒: ちょっと頭がこんがらかって来たので、前回の内容も含めて整理させてください。以下の感じでいいでしょうか?
    ☆助詞「は」には、主格を示す働きがある。
    ☆助詞「が」には、主格と対格を示す働きがある。
    ☆助詞「を」には、対格を示す働きがある。
先生: そうです。今までのところ、これで問題ありません。
生徒: ありがとうございました。

[対話3]
生徒: 先生、これまで、主格と対格について教えていただいたのですが、ちょっと復習させてください。
    主格とは、「述語が表す動作・特徴・状態などの主体のこと」です。
    対格とは、「述語が表す動作・作用の対象のこと」です。 これで間違いありませんか?
先生: それで間違いありません。
生徒: では、いくつか新しい例についてお聞きしたいと思います。「税金を納めた」では、「納めた」という動作の対象は「税金」ですから、「税金」が対格ですね。
先生: そうです。
生徒: 念のための確認ですが、この場合の「を」には、対格を示す働きがあるんですよね。
先生: そのとおりですよ。
生徒: わかりました。そうすると、似たような文で「税金は納めた」というのがありますが、これも「納めた」という動作の対象は「税金」なので、「税金」が対格と考えていいのですね。
先生: そうです。
生徒: わかりました。そうすると、助詞「を」と同じように、助詞「は」にも、対格を示す働きがあると考えていいですね。
先生: そうです。
生徒: ということは、助詞「は」には主格を示す働きの他に、対格を示す働きもあるということですね。
先生: そのとおりです。
生徒: わかりました。では、覚えたことを整理するため、前回まとめた内容に今日覚えたことを付け加えておきます。以下のような感じで問題ないでしょうか?
    ☆助詞「は」には、主格と対格を示す働きがある。
    ☆助詞「が」には、主格と対格を示す働きがある。
    ☆助詞「を」には、対格を示す働きがある。
先生: うーん。ちょっと問題があるかもしれないなー。
生徒: と言うと?
先生: 実は、「は」には、もっと重要な働きがあるんだ。話が長くなるからこれについては、次回話そう。

[対話4](hakobuluさん、次回の授業をよろしくお願いします。)

お礼日時:2005/09/11 12:53

>吉田太郎くん[が]割りました。



これは「主格特定」ですね。私もこれには「強調」はないと思います。

>彼がこのクラスで一番の人気者です。

これも「主格特定」で問題ないと思います。

「このクラスで一番の人気者は彼です。」

という文章があって、これを

「彼がこのクラスで一番の人気者です。」

と書き換えると、「彼」を強調することになるのでは、ということで、補足の意味で入れましたが、

「彼は、腕[は]細い。」

も強調と感じますので、確かに強調は「が」と「は」を区別する要素ではないようですね。

>(1)「彼[が]このクラスでいつものように勉強していたとき、山田耕作は、パリで大変な目に合っていました。」

この[が]は、(2-2)「状況説明」に入ると思いますので、おっしゃるとおりと思います。

この回答への補足

こんにちは、ご回答ありがとうございました。

「彼は、腕[は]細い。」については、私も以前から不思議に思っていましたので、あらためて考えてみました。

<例1>の(1)では、彼の腕の細いことを単純な事実として伝えているだけなのに対して、(2)は、腕以外のものに対する配慮が感じられます。例えば、「彼は、(足は太いけど)腕[は]細い。」のように、暗に腕を他の何かと比べて述べているように感じます。同様なことを別な例で考えると、<例2>Bは、やはり、単純事実を述べているのに対し、<例3>Bでは、頭が痛くないという事実を述べていると同時に、頭以外に痛いところがあることを暗示していると思います。そのため、<例3>3行目のAの疑問が出るのが自然だと思います。

<例1>
 (1)「彼は、腕[が]細い。」
 (2)「彼は、腕[は]細い。」

<例2>
 A:「どうしたの、頭が痛いの?」
 B:「うん、頭[が]割れるように痛いんだ。」

<例3>
 A:「どうしたの、頭が痛いの?」
 B:「いや、頭[は]痛くない。」
 A:「”頭は”って言うところをみると、どこか他のところが痛いの?」
 B:「実は、胃が少し痛むんだ。」

もともと、「は」が持つ「主題の提示」機能は、主題として取り上げられる無限の可能性の中から、ある一つの話題を「選び取った」結果なので、「Aは」と言った段階で、「A以外は別として」ということを暗に感じさせるのだと思います。特に、「Aは」と言ったときに、Aと同列の比較対象が想像しやすい文脈では、暗示的に、それらの比較対象との対比がなされるのだと思います。例えば、果物の話をしていたとき、「リンゴは好きだよ」と言うと、暗に「リンゴ以外の果物は嫌いだよ」と言っているのだと思います。このように、同列比較を想像しやすい文脈上で、「腕は」と言うと、「腕以外の足とか、胴とか、首とか」から「腕」だけが選択されるので、「腕」が強調されるように感じるのではないでしょうか。

以下の<例5>は、よくわからないところもあるので、もし、お考えがあれば、お知らせください。Aの質問に対して、可能な答え方は、BとCだけのような気がします(もし、違っていたら教えてください)。「誰が」と聞かれているにも関わらず、DやEのように、「私が」と答えるのは、この場合何かしっくり来ないような気がします。その理由を考えると、予想される出席者が複数であるためではないかと考えました。複数だから、「私」が出席するかどうかの他に、別の人が出席するかどうかの情報があるはずで、それらと比較する中で、「私」を選択して述べる必要があるので、BやCのように「は」を使った方が自然なのだと思います。もし、「私が」と答えると、他の出席者を無視したような印象を与えるのではないでしょうか? ただ、唯一例外として、懇親会の出席人数が制限されいて、自分たちの仲間からは、一人しか出席できないというような条件がある場合は、Dの答え方が適当かと思います。

<例5>
 A:今度の懇親会には、誰が出席しますか?
 B:私は出席します。
 C:私は出席しません。
 D:私が出席します。
 E:私が出席しません。

<追伸>
 #17で言っておられた「状況説明」という意味が今頃になってようやくわかりました。「主部+述部」で、「主部」だけに焦点を当てるのではなく、また、「述部」だけに焦点をあてるのでもなく、「主部」と「述部」の両方を含む全体を伝えたい場合という意味ですね。確かにそういうことは多いと思います。あるいは、むしろ、常に両方を伝えたいのであって、その上で、文脈によっては、主部が強調されたり、述部が強調されたりするのだと見ることもできるような気がします。

補足日時:2005/09/18 14:05
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この回答へのお礼

たびたび、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/22 22:35

ご返事ありがとうございます。


今日はまだしぶとい夏を感じた一日でした。といっても夏は好きなので、もう少し続いてくれてもいいのですが。

[回答2] について
>その理由は、「は」は主題を示すだけであり、「が」は主格を示すからです。

[質問1]
<統一理論C>
1、「は」は、
a.主題のみ示す機能がある。
b.(強調を伴わない)主格のみを示す機能がある。
c.a.b.両方の機能を同時に示す場合もある。
2、「が」は主格を示すと同時に、主格を強調するか、対格を特定する。(一部訂正)

[質問2]
(1)「そのケーキは、太郎の好物だったが、花子が食べてしまった。」
:「そのケーキ」は文における主題提示。「太郎の好物」の主格でもある。
文の骨子は「花子が食べてしまった」であるから、「食べてしまった対象」は、主題として提示された「そのケーキ」ということになる。
という考えです。
(2)「そのケーキは、太郎の好物だった。」
:私としては「そのケーキ」は主格として考えます。
しかし、[は]によって、次に続く文がケーキに関連するものであることはあきらかなので、単なる主格としての「そのケーキはおいしい。」という場合の[は]とは違って、主題としての機能も暗示的に示している。という考えです。

「>何故、(1)の「は」は主題と共に「主格」と「対格」の両方を示すと考えないのでしょうか?」
:対格と意味づけをしなくても、「主題提示」の範囲内で「花子が食べてしまった。」という文が記述されていることは明らかだからです。

[質問3]
「~について言えば」という「主題提示」の意味するところだけで、対格であることが明らかだからです。

[質問4]
<統一理論D>
「は」は主題を示し、「が」は主格を示す。
:そうですね。色々考えた結果を、一応述べてみますので、違う箇所を指摘してください。

1、
「そのケーキは、太郎の好物で、上にイチゴが載っていたが、非常に値段が高かったのでなかなか買ってもらえなかった。」
という文で『一番言いたい事』は「そのケーキはなかなか買ってもらえなかった」ということだと思います。
その意味で「そのケーキ」はまず「主格」であるはずです。
なぜなら、主題は無くても主格が無ければ文は成立しないからです。
「主題提示」の機能を持つ意味は、「そのケーキ」は「なかなか買ってもらえなかった」だけでなく、「太郎の好物」でもあり「上にイチゴが載っていて」「非常に高く」てという、「状態・行為の主役」でもあるという事を宣言するためだと思うのです。


2、
「海は広い。」という単独文で、[は]が主格であることは間違いないと思います。次に続く文が無い以上「主題提示」=「主格」となってしまうと思うので。
この場合、「海」よりも「広い」が強調されている、というか焦点が当たっているわけです。

【ゆえに、「が」を使用すると「海」を強調してしまうことになるから、別の意味になってしまう。】

この【】内のことを<統一理論D>だけでは説明しきれないと思うのです。

 ----------

ここでkobareroさんに逆質問してみます。
1、[は]に主格提示機能があると考えることで何か問題が生じるか?
(生じるのであれば実例で。無ければ2へ)
2、生じないのであれば、[は]には主格を強調する機能があると思うか?
(あると思えば、実例を。無ければ3へ)
3、[は]に主格を強調する機能が無ければ、「主題提示機能」は無くて「主格提示機能」だけが単独で発揮される事はあるか?
(無ければ「海は広い」の「海」が主題でない場合の不都合の説明をお願いします。)
4、[は]に主格提示機能が単独であるのならば、[が]の主格提示機能との違いは、何を以って説明できるか?
という4点について、よろしくお願いいたします。

しかし、kobareroさんに「主題提示機能」を教えてもらってから、かなり判断しやすくなっています。
ありがたく思っています。
では、また。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。私も夏が大好きですが、前半は梅雨、後半は台風に攻められ、真の夏がとても短いので残念です。

話が佳境に入って来た為、熱が入り、補足がどうしても3000文字に収まらないので、「#19補足」「#19お礼」「#14お礼」の3分割とさせていただきました。大変申し訳ございませんがよろしく、お願いします。

今回の回答を読ませていただいて、[質問2][質問3]については、質問と回答がすれ違っているのではないかと感じました。それで、改めて考えてみたのですが、もしかすると、hakobuluさんと私とでは、「文法」に対する基本的な認識が異なっているのではないかと思いました。そこで、[質問A]では、そのことを質問させていただきました。

[質問A] 自然言語、人工言語、文法
文法とは何でしょう?例えば、日本語の文法であれば、私は以下のように理解しています。

「実際に使用されている日本語の事例を大量に集め、それを分析し、そこに働いている言語的ルールを抽出し、それを体系化したもの」

日本語は自然言語ですから、文法が先にあったわけではなく、まず、実際に使用されている日本語があり、後から文法を考えたのだと思います。それに対し、コンピュータのプログラム言語は、人工言語ですから、最初に文法を作り、それに合わせて実際のプログラムをコーディングするのだと思います。

ここで質問ですが、hakobuluさんも、日本語文法について、「初めに文法ありき」ではなく、「文法は実際の日本語の使用事例から組み立てるものある」と考えておられますか? それとも、「先ず文法ありき」と考えておられますか? (ちなみに、[回答C]では、初めに文法ありきではなく、初めに日本語事例ありを前提にしています。)


[質問B] 主格がなければ文は成立しない
「主格がなければ文は成立しない」についてですが、例えば、「荷物を大阪に送った」のように、文面に「主格」が書かれていない文はいくらでもありますから、正確に言うとおかしいように思います。これは、以下のように変更した方がより正確な表現になるかと思いますが、hakobuluさんは、どのように考えられますか?

「文面に主格のない文は成立可能だが、その場合でも、意味上の主格は想定されるはずだ。」


[質問C] [回答2]について
今回hakobuluさんに書いていただいた<[回答2]について>の項では、hakobuluさんご自身の回答を書き忘れていませんか?


[回答A] 「そのケーキは、~~~~」
[質問4]-1で、以下の(1)の文を例に挙げておられるので、これについて回答いたします。
(1)の文は、意味的に(2)になり、「は」は「主題」を示す機能のみを持っています。

(1)「そのケーキは、太郎の好物で、上にイチゴが載っていたが、非常に値段が高かったのでなかなか買ってもらえなかった。」
(2)「そのケーキ(について)は、(それが)太郎の好物で、(その)上にイチゴが載っていたが、(それが)非常に値段が高かったので(それを)なかなか買ってもらえなかった。」

(注)私は何故hakobuluさんがこの文を例に挙げたのかとても不思議に思っています。何故ならば、この文例こそ、「は」=「主題提示only」を示す格好の文例だと私は思うからです。やはり、hakobuluさんと私の考えの前提のどこかに、まだ見えていない大きな違いがあるのかも知れないと感じます。それをはっきりさせたいなぁと思っています。上述の[質問A][質問B]の回答をいただければ、あるいは、それが見えてくるかもしれませんので、是非よろしくお願いします。特に(1)に関するhakobuluさんのお考えは、[質問B]と直結していると思います。 


[回答B] 「海は広い」
[質問4]-2でhakobuluさんが挙げられている文例ですが、私は、(1)を(2)のように解釈し、やはり、「は」の機能は「主題提示only」です。

(1)「海は広い」
(2)「海(について言うと)は(それが)広い」

hakobuluさんは、<「海は広い。」という単独文で、[は]が主格であることは間違いないと思います。>と書かれていますので、その考えは、<主格がなければ文は成立しない>から出てきたのではないかと思います。従って、やはり、hakobuluさんの[質問B]への回答を待ちたいと思います。

補足日時:2005/09/10 14:11
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この回答へのお礼

[回答C] 逆質問1に対する回答
>[は]に主格提示機能があると考えることで何か問題が生じるか?
一言で言うと、「問題は一貫性がないから」ということになります。もう少し正確にいうと、以下のように言えます。

もし、「は」に主格提示機能を持たせても一貫性を失わないような文法体系を新たに構築し、それが、現文法体系よりも煩雑性が低いのであれば、「は」に主格提示機能を持たせても問題はないと思います。ただ、現段階では、まだ、一貫性を失わないような新しい文法体系ができていないので問題である考えます。

一貫性とは、文法的機能を確定するプロセスの一貫性であり、そのプロセスを対象(「が」や「は」など文の要素)によって恣意的に変更しないことを意味します。もし、恣意的に変更すると、実際に文例を説明する段階で、その説明に一貫性を欠くことになり、矛盾が生じます。以下に「が」の文法機能確定プロセスを説明し、その同じプロセスを、[一貫性を持たせて]、「は」についても適応させる例を示します。

(1)「が」の文法的機能を確定するプロセス
「が」の文法的機能を確定するプロセスは、以下のようになると思います。

1.「が」を含む日本語文例をできるだけたくさん集める。
2.集めた文例を、「が」の意味が同じと思われるものごとに分類する(例1、例2、例3などのように)。
3.分類された各グループ毎に、「が」の機能が何であるかを考える。
4.その結果、その機能に一貫性があると考えられる場合は、「が」の機能として確定する。例えば、例1のグループは「主格機能」、例2のグループは、「対格機能」、例3のグループは、「接続機能」などのように。

(注)例1の主格機能はみとめるけれど、例2の対格機能や、例3の接続機能は認めないというようなやり方は、一貫性がないことになります。

<例1>
・電車が来た。
・太郎が笑った。
<例2>
・水が飲みたい。
・英語が話せる。
<例3>
・明日は良いが、今日は困る。
・怖い顔だが、良い人だ。

========================================================================================
済みません、続きは、#14のお礼を見てください。
========================================================================================

お礼日時:2005/09/10 14:15

ご返事ありがとうございました。


確かに、秋っぽい雰囲気が近付いているようです。海はまだ少しうねりが強く濁っていました。

[疑問A]
「暗示的な主格も含めての意味」です。

[疑問B]
(2)です。
[は]の主部に関する機能は次の2つと考えています。
というか「2つしか無い」と。
【1】「主題提示」のみ
それについて[は]私が悪かった。
(主格=「私」)
【2】「主題提示」+「主格」
・状況が一変したの[は]、太郎が中学校に入学してからだ。
(述部=「入学してからだ」)
・荷物[は]倉庫にある。
明示・暗示を問わず、文に主格は不可欠という観点から、「主題・主格」機能が混在した場合は、「主題提示機能」より「主格提示機能」を優先させるべきではありますが、このような場合、「主題提示機能」は無くなったわけではなく、暗示的に発揮されている、と思います。

すなわち、[は]が「主格」であるなら、必ず「主題提示」も兼ねている。
という考えです。

[疑問C]
上で述べた内容に基づいて、(1)には【1】を、(3)には【2】を適用します。
それぞれ別の文章なので、その内容によって機能が変化するのは矛盾しないと思います。

[疑問D]
主題より主格を優先すべきと思うので、解釈は次のようになります。
(1)この男は、私が殴った。
→この男について言えば、私が「彼を」殴った。
後半部の私[が]という主格の存在によって初めて、[は]が主題の提示であるとわかる。
(2)この男は、私を殴った。
この男について言えば「彼が」私を殴った。
同じく、後半部の私[を]という対格の存在によって初めて[は]が主格であるとわかる。
(この場合は主題提示の暗示もしていることになる。)

[疑問E]
>主格か対格を暗示させるのは、「は」や「について言うと」ではなく、「この男」自身であることに気づきました。
:「この男」自身ではなく、「述部の内容」または「述部の助詞?」によってのように思います。

kobareroさんのご返事に適確に対応した内容になっているかどうか不安ですが、
正否は別にして、言いたいことは伝わったでしょうか?
うまく言えなくて申し訳ないです。

以上の見解に基づいて、
<「は」も「が」も本来、主格を示す。>事を前提にして、
1、[は]は「主題」のみの提示も可能。
2、[が]は「強調機能」を持つ。
となってしまうのですが・・・。

kobareroさんの
「統一理論: 「は」は主題を示し、「が」は主格を示す。」だと、
「ここは[は]にすべきか、[が]にすべきか?」
と迷った時の判断の基準にならないように思わざるを得ないのが、気になるのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。今日は、雨が降りそうもないしっかりした曇天で、ひさしぶりに落ち着いた感じでした。

hakobuluさんの回答を読ませていただき、私なりに理解できたと思う内容を<統一理論C>として[質問1]の中にまとめました。この理解で間違っていないかご確認ください。また、私の考えは、<統一理論D>として併記しました。hakobuluさんの説明を読むと、うん、なるほなるほどと納得できることも少なくありませんが、なお、一部疑問が残ります。それについては、[質問2][質問3]で書かせていただきました。一方、私の考え(統一理論D)も再度検証してみましたが、自分自身では、問題点が見つけられませんでした。それで、お願いなのですが、<統一理論D>で考えると問題が出てくるような具体例をいくつか挙げていただけないでしょうか([質問4]です)?その前にhakobuluさんの疑問に対して下記[回答1] [回答2]で回答させていただきました。

[回答1] 格を案じさせるものについて
>「この男」自身ではなく、「述部の内容」または「述部の助詞?」によってのように思います。

おっしゃる通りですね。私の勘違いでした。以下のように訂正します。

「この男は、私が殴った」「この男は、私を殴った」において、「この男」が主格か、対格かは、述部の内容や格助詞で決まるのであり、「は」の機能により決まるわけではない。

[回答2] 統一理論について
>「ここは[は]にすべきか、[が]にすべきか?」と迷った時の判断の基準にならないように思わざるを得ないのが、気になるのです。

例えば、「私が行く」と「私は行く」のどちらにすべきかの問いに対しては、「私が行く」の場合は、「他の人ではない、この私が」行くことが強調され、「私は行く」では、「行かないのではなく、行く」ことが強調されるという説明になります。その理由は、「は」は主題を示すだけであり、「が」は主格を示すからです。

[質問1]統一理論について(その1)
hakobuluさんの考えを<統一理論C>として、以下にまとめさせて頂きましたが、このような理解でよいかどうかお知らせください。<統一理論D>は私の考えです。

<統一理論C>
1.「は」は、主題のみ示す場合と、主題と主格の両方を同時に示す場合とがある。どちらになるかは文脈で決まる。
2.「が」は主格を示すと同時に主格を強調する。

<統一理論D>
「は」は主題を示し、「が」は主格を示す。

[質問2]主格と対格の両方を含む文について
下記例文の文脈から、(1)では、「ケーキ」が「太郎の好物だった」の意味上の主格であり、「同時に」、「花子が食べてしまった」の意味上の対格であることが明らかです。一方、(2)では、「ケーキ」が「太郎の好物だった」の意味上の主格であることが明らかです。もし、hakobuluさんのお考えのように(2)の「は」が主題と共に主格をも示すのであれば、何故、(1)の「は」は主題と共に「主格」と「対格」の両方を示すと考えないのでしょうか?

(1)「そのケーキは、太郎の好物だったが、花子が食べてしまった。」
(2)「そのケーキは、太郎の好物だった。」

[質問3]主格文と対格文の差異について
下記の<例1>の「は」は主格を暗示し、<例2>の「は」は対格を暗示しますが、「は」の機能として、「主格」を示す機能は認めるのに、「対格」を示す機能を同様に認めない理由はなんでしょうか?

<例1>
(1)その人形は大変高価です。
(2)洗濯物は乾きました。
(3)ほうれん草は栄養があります。

<例2>
(1)その人形は妹が作りました。
(2)洗濯物は畳んでしまいました。
(3)ほうれん草はゆでてあく抜きします。

[質問4]<統一理論D>の問題点につていて
初めに書きましたように、今のところ、私自身では、<統一理論D>の問題点を見つけることができません。それで、<統一理論D>で考えると、説明がうまくいかないような文例があれば、是非教えてください。

よろしくお願いします。

補足日時:2005/09/09 19:59
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#9です。



議論が白熱していますね。横槍を入れて申し訳ないですが、ちょっと気付いたことがありましたので。

> 統一理論A
> (1)「は」は、主題の提供機能と共に、文脈に応じて主格特定機能を併せ持つ場合が多々ある。
> (2)「が」は、主格特定機能と強調機能を併せ持つ。
> (3)「は」が、主格特定機能を持つ場合は、「が」の主格特定機能との違いは、「が」には強調機能があるが、「は」には強調機能がないということである。

について、「が」が必ず強調機能を表すかどうか考えたのですが、例えば「雨が降っている」という文は、特に「雨」を特定・強調しているのではなく、単に「雨が降っている」という状況を説明したいのではないでしょうか。桃太郎の出だしも実は状況の説明で、「初出の『が』」はこれに含まれるような気がしています。

というわけで、まとめるとこんな感じですが、どうでしょうか。

(1)「主部」[は]「述部」
 (1-1)主題提供
  主題は「主部」であり、「述部」が伝えたい内容
   例)吉田太郎[は]、19xx年に佐賀県で生まれました。
(2)「主部」[が]「述部」
 (2-1)特定・強調
  主題は「述部」であり、「主部」が伝えたい内容
   例)(窓を割ったのは誰ですか?)吉田太郎くん[が]割りました。
     彼[が]このクラスで一番の人気者です。
 (2-2)状況説明
  主題はなし、「主部+述部」が伝えたい内容
   例)佐賀県に、吉田太郎という男[が]いました。
     星[が]きれいだね。

(2-1)と(2-2)の区別は微妙なものがありそうです。「状況」という言葉は余り適切でないかもしれません。
なお、話しを整理するために、ここでは「主部」「述部」の中にある「は」「が」、「が」以外の格助詞を暗に示す「は」、目的格の「が」等については含めていません。それを入れると、もっと複雑になりそうです。

この回答への補足

12nojigoroさん、こんばんは。ご回答ありがとうございます。

(1)については、私も同じ考えです。
(2)については、疑問があります。

(2)の<「主部」[が]「述部」>については、単に<「述部」の主格が「主部」である>と考えているのですが、そう考えるとどのような問題があるのか、今ひとつはっきりしません。もう少し具体例を挙げていただければ、考えてみたいと思います。

例えば、既に提示していただいた(2-1)の「特定・強調」機能に関する例文ですが、これについては、以下のように考えています。

例1:「(窓を割ったのは誰ですか?)吉田太郎くん[が]割りました。」
ここで、(括弧)の中があるという条件下で、初めて[が]に強調の意味があると感じられるのではないでしょうか? もし、そうだとすると、それは、[が]に強調機能があるのではなく、文脈が「吉田太郎くん」を強調している(正確には、期待させている)のだと思うのですが。

また、別な例では、「何を食べる?」「焼肉を食べる。」と「誰が行く?」「山田が行く」の2つの対話で、「を」は対格を強調してい[ない]けど、「が」は主格を強調していると感じられますか? 私は、どちらも、単純に対格と主格を特定しているだけだと感じます。

例2:「彼[が]このクラスで一番の人気者です。」
については、例えば、以下の(1)と比較するとどうでしょうか? (1)の[が]は特に彼を強調しているわけではないと感じますが、どうでしょうか? もし、そうだとすると、なぜ上記例文では、「彼が」強調されているように感じるのでしょうか?それは、「一番の人気者」という「誰が」を期待させる語句が入っているせいだと私は思います。

(1)「彼[が]このクラスでいつものように勉強していたとき、山田耕作は、パリで大変な目に合っていました。」

このような議論を続けて来て、感じるのは、新しい文例が出て来ると、新しいアイデアが生まれたり、それまでの考えを変更したりできるということです。今までの考えでは、うまく説明できない文例や、また、お考えがありましたら、是非、また、お知らせください。

よろしくお願いいたします。

補足日時:2005/09/09 21:00
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ご返事ありがとうございます。

台風は勢力が弱まり雨も予想以下です。
時折、突風が思い出したように断続的に吹きます。

[疑問1]
:主格のみがあると考えるわけではありません。
文には必ず主格が存在すると思います。主題と主格が別に混在する場合もあります。

主題と主格が別に混在する場合([例文1]の(1)(4))、
「[は]によって示される主題≠主格」となります。この場合、[は]は主題提供としての役割しか果たしていませんから、この「主題」に対して[が]を代替して別の文を作る事はできません。
しかし、「[は]=主格」の場合([例文1]の(2)(3))は、
[が]を替わりに使用する事が可能(意味は微妙に違ってくるが)。という事を言いたかったのです。

[疑問2]
:「荷物は、(それ[を])梱包して送ります。」と説明していただいたので、わかりやすかったです。
今までは、
「荷物[を]梱包して送ります。」だと思い込んでいたため、暗示といっても違う意味になってしまうので、理解できなかったのです。

「東京[は]多くの人が住んでいます。」は、
「東京[に]多くの人が住んでいます」ではなくて、
「東京は、そこ[に]多くの人が住んでいます。」と
解釈すればいいのですね。

いや、すっきりしました。ありがとうございます。
しかし、(2)と(3)は「荷物」が、主題のみではなく、主格として明示されていると思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。今日は、久しぶりに青空いっぱいで、気温も高くなりましたが、間違い
なく秋の空でした。

[疑問A]明示的と暗示的の違いについて(確認です)
hakobuluさんの「文には必ず主格が存在すると思います。」を見て、何故、暗示的・明示的という言葉が
うまく説明できなかったがわかったような気がしました。hakobukuさんと私では暗示的・明示的の定義が違っているように思います。私の定義では、文章上に主格が表記されている場合を【 明示的】、表記されておらず補足する必要がある場合を【 暗示的】と考えます。以下の例で説明します。[例1]では、主格が明示的に表現されていますが、[例2]では、主格が【明示的】には表現されていないと私は考えます。すなわち、[例2]では、主格は暗示的にのみ表現されていると考えます。その理由は、[例2]の文の中には主格が書かれておらず、[例3]のように主格を補う(括弧内)ことにより、初めて主格を認めることができるからです。

[例1]明示的な主格がある場合
(1)山田がリンゴを食べた。
(2)アメリカでは、ハリケーンが猛威を振るった。

[例2]明示的な主格がない場合
(1)荷物を梱包して送ります。
(2)「何を食べますか?」「チャーハンがいい。」

[例3]暗示的な主格を補った場合(括弧内)
(1)(私が)荷物を梱包して送ります。
(2)「(あなたは)何を食べますか?」「(私は)チャーハンがいい。」

hakobuluさんの「文には必ず主格が存在すると思います。」は、[例3]のように暗示的な主格も含めての意味と思いますが、それでよろしいですか? 暗示的・明示的の言葉の使い方も含めて、ご意見がありましたらお知らせください。

[疑問B]「は」は主格明示機能があるか(その1)
「は」の機能に関する考え方で、hakobuluさんと私が異なる点は、主格明示機能があるかないかです。私も、hakobuluさんの考え方に「気持ち」としては賛同するところもあるのですが、「論理的」には、どう
しても矛盾を生じてしまうので、[気持ちが悪い]のです。[疑問B][疑問C][疑問D]で、その矛盾点を挙げますので、何とか納得させる説明を考えていただけないでしょうか? 

先ず、1点目です。「荷物は倉庫にある。」の解釈として、以下の2通りが考えられます。hakobuluさんは、どちらの解釈をとりますか? もし、(1)だとすると、(それが)を補う必要がありますから、明示的はではなく、暗示的になると思います。従って、もし、主格明示機能があるということを優先的に考えるの
であれば、(2)の解釈が必要です。そうすると、今度は、「は」本来の「主題提示機能」が消滅することになります。この矛盾をうまく説明できなくて困っています。

(1)「荷物について言うと、(それが)倉庫にある。」
(2)「荷物は倉庫にある」

[疑問C]「は」は主格明示機能があるか(その2)
2点目は、以下のような場合です。(1)の文を解釈すると、(2)のようになると思います。ここでは、主格暗示機能と対格暗示機能が働いていると考えられますが、主格明示機能はないと思われます。ところが、(3)のように「太郎の好物だった」で、文章を終わりにすると、再び、主格明示機能が現れることになりますが、何故(2)は暗示的で、(3)は明示的かの説明ができないとともに、いづれにしても、暗示的と明示的の両方の存在を仮定してしまうことになり、やはり、矛盾があるような気がします。

(1)「そのケーキは、太郎の好物だったが、花子が食べてしまった。」
(2)「そのケーキについて言うと、(それが)太郎の好物だったが、(それを)花子が食べてしまった。」
(3)「そのケーキは、太郎の好物だった。」

[疑問D]「は」は主格明示機能があるか(その3)
3点目は、以下のような場合です。<例1>の(1)、(2)の文は、それぞれ、2つの文(前文・後文)で構成されています。前文の「この男」は、後文の述部に対して主格に相当するか、あるいは、対格に相当するか、一切示唆していません。後文を読んで初めて、前文の「この男」が、(1)では主格であり、(2)では対格であることがわかります。次に、<例2>は、前文・後文を[、]で繋いだものですが、基本的に状況は変わらない、すなわち、「この男」が主格か対格かは、明示的に示唆するものは何もない。あるのは、文の後半を読んだときに、意味的(暗示的)に主格、対格であることがわかるだけだと思います。このことは、<例3>でも全く同じように考えられるのではないでしょうか?すなわち、<例3>において、「は」は、「この男」が主格か対格かについては、何も言っていないと思うのですが、hakobuluさんはどうお考えでしょうか?

補足日時:2005/09/08 19:14
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この回答へのお礼

<例1>
(1)この男について話します。私が彼を殴りました。
(2)この男について話します。私を彼が殴りました。

<例2>
(1)この男はですね、私が殴ったんですよ。
(2)この男はですね、私を殴ったんですよ。

<例3>
(1)この男は、私が殴った。
(2)この男は、私を殴った。

[疑問E]統一理論について
最後に統一理論ですが、今回の考察で改めて考え直してみたのですが、自分自身で矛盾が出てきてしまいました。それは、[疑問D]の<例3>です。もし、<例3>で、「この男」の格が主格か対格かを暗示するのが「は」の役割だとすると、同様に、下記<例4>でも、「この男」の格が主格か対格かを暗示するのは、「について言うと」になってしまいます。これは、明らかにおかしいと思います。それで、考え込んでしまったのですが、よくよく考えてみると、主格か対格を暗示させるのは、「は」や「について言うと」ではなく、「この男」自身であることに気づきました。と言うのは、もともと、明示的でない「格」を暗示的に示すのは、「文脈の意味」であり、「文法」ではないことに気づいたからです。すなわち、「この男」は、名詞であるが故に、意味的に、主格、対格、与格、補格になり得るということに過ぎないと考えるに至りました。

<例4>
(1)この男について言うと、私が殴った。
(2)この男について言うと、私を殴った。

そのように考えた結果、統一理論を見直すと、何と、以下のようにあまりにも単純な惨めなものになってしまいました。情けないのですが、これが、今の私の結論です。

統一理論: 「は」は主題を示し、「が」は主格を示す。

hakobuluさんのお考えをお聞かせください。

お礼日時:2005/09/08 19:16

ご返事ありがとうございます。

少し雨風が強まってきました。

他の格助詞との関連づけが、私の中でもうひとつはっきりしていないのかもしれません。

【1】
(5)以外、[は]の前はどれも「主題提供」で「主格特定」の意味を持っていない。
よって、[が]で代替することはできない。
意味は、「主題提供」の基本的意味がそのまま適用される。

(1)荷物[は]梱包して送ります。
主格は隠れているが「私(または当方)」。
荷物については、(私が)梱包して送ります。
○「荷物[を]梱包して送ります」という事実に変わりは無いが、言いたいこと本来の意味が異なってくる。
「(間違いなく)梱包して送ります。」という、
本来あった「従属格を強調するニュアンス」が消えるように思う。

(2)東京[は]多くの人が住んでいます。
主格は「多くの人」。
東京に関しては、多くの人が住んでいます。
○「東京[に]多くの人が住んでいます。」であれば単なる事実の羅列になり、
やはり本来持っていた「(本当に)多くの人が住んでいます。」というニュアンスは薄れる。

(3)日本[は]人口が多い。
主格は「人口」。
日本について言えば、人口が多い。
○「日本[の]人口が多い。」も同じく、事実の羅列に留まってしまい、
本来持っていた「(本当に)多い」というニュアンスが伝わらないように感じます。

(4)あの映画[は]皆感動した。
主格は「皆」。
あの映画に関しては、皆感動した。
○「あの映画[に]皆感動した。」とすれば、
本来強調したかった「皆感動したこと」ではなく、「あの映画」が強調されてしまう。
○次の2例で比較して見ます。
A.「あの映画[は]感動した。本も読みたい。」は、
「感動したので本も読みたい。」というニュアンス。
B.「あの映画[に]感動した。本も読みたい。」は、
「あの映画の本も読みたい。」というニュアンス。
微妙な違いを感じます。

A.「あの映画は感動した。もう一度見たい。」は、「感動したのでもう一度見たい。」
B.「あの映画に感動した。もう一度見たい。」は、「あの映画をもう一度見たい。」
の差があるように感じます。

(5)「何を食べますか?」「私[は]カツどんです。」
主格は隠されているが、質問によって明らかに期待されている「食べたいもの」。
「私(の食べたいもの)はカツどんです。」のように省略されている。
「私」と[は]の因果関係は無い。主題の提供であってやはり[が]で代替はできない。
また、この場合「私は」は無くても会話が成立する。
「私の食べたいものについて言えば、カツどんです。」の意。

【2】
単なる主題提供としてではなく「強調した主格」として使いたい時や、
対象を特定する時などに[が]を使うが、使えるのは、
荷物が大きい。
日本が発展する。
あの映画が良かった。
など「直接係る語句が存在する」場合。

【3】
[は]には「主題提供機能」があるが、同時に「主格特定」として機能している場合も多いので、
意味は違ってくるが、[が]を替わりに使用できる場合もある。

・引越しの運搬を依頼した人に対して、
「荷物は大きい。」という場合。
「時間はかからないと思う。でも車の手配もあるだろうから、
一応荷物についての『情報を提供しておく』けど、大きいよ。」などのニュアンスが籠る。
「荷物が大きい。」は、『強調』することで、「大変だと思う。」
「車に入るだろうか?」など、心配するニュアンスを示す事ができる。

・「日本は発展する。」は、
単純に日本という「主題を提供」して、感想を述べている。
「日本が発展する」は、
「他の国よりも」というニュアンスで「日本」を「強調」できる。

・「あの映画は良かった。」は、
「あの映画」と、「主題を提示」してから、それに関することを述べている。
「あの映画が良かった。」は、
他のどれでもなく「あの映画」、と「強調したい時」に使う。

 ----------

留学生は納得してくれるでしょうか?

いつもまとめていただき、ありがとうございます。
こちらこそよろしくお願い致します。

この回答への補足

ていねいなご回答をいただきありがとうございました。今日は、夕焼けと細い月がきれいでした。

格助詞の件ですが、まず、「あの映画は感動した」と「あの映画に感動した」の間にニュアンスの違いがあるのは、全くおっしゃるとおりだと思います。ニュアンスの違いがあるからこそ、わざわざ「あの映画は」という表現が別にあるのだと思います。格助詞について、注目する必要があるのは、その事ではなく、格助詞の本来の機能である「主体」と「述部」との関係がどうなっているかだと思っています。

まず、「AはBだ」の意味は、「Aについて言うと、Bだ」という関係ですから、「B」の述部は、必ず主題Aに関係があるはずです。その関係如何によって、意味上の格助詞が、<主格「が」、対格「を」、与格「に」、補格「の」>のどれであるかが決まるのだと思います。

[例文1]は、全て「荷物は」で始まる短文です。すなわち、全て「荷物」に関する話題です。ここで、「荷物」とその後に続く「述部」との関係が、どの格助詞に対応するかは、どうやって判断するのでしょうか?

[例文1]
(1)荷物は梱包して送ります。
(2)荷物は梱包して送られます。
(3)荷物は梱包によって壊れる場合があります。
(4)荷物は梱包してラベルを貼ります。

「荷物は梱包」までは、全て同じですから、ここまで読んだ段階では、格助詞が主格、対格、与格、補格のいづれであるかは決まりませんね。決まるのは、文を最後まで読んで意味を考えないと結論がでないと思います。このような状況を考えると、以下のような2つの疑問が出てきます。

疑問1: 主題Aと述部Bの関係には、主格の関係だけではなく、対格、与格、補格などの関係もあるのに、何故、主格のみがあると考えるのか?

疑問2: 主題Aと述部Bの関係を決めるためには、文面上には書かれていない主題と述部の関係を補う語句(下記[主題と述部との関係])が必要なわけですが、そうであるなら、「は」が持っている格特定機能は、暗示的なものに過ぎないのではないでしょうか?

[主題と述部との関係]
(1)荷物は、(それ[を])梱包して送ります。
(2)荷物は、(それ[が])梱包して送られます。
(3)荷物は、(そ[の])梱包によって壊れる場合があります。
(4)荷物は、 梱包して(その上[に])ラベルを貼ります。

済みません、また、わかりにくかったかも知れませんね。もし、良いお考えがありましたら、お知らせください。

補足日時:2005/09/07 21:38
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ご返事ありがとうございます。



◎[課題5]
統一理論Aの(1)と(2)は、綺麗にまとめていただきありがとうございます。
しかし、これは98%ほどはkobareroさんのご教示があったからこそ辿り着けた認識です。
(3)は補完説明なので、不要と思います。

『統一理論B』は理論らしくすっきりしていますよね。

「統一理論A」との違いは、

★「は」は主題の提供が眼目であって、主格特定機能が弱く、主格強調機能も無い。
故に、「が」の強調機能を明文化する必要は無い。
ということですよね。
また、「は」は、主題の提供である以上常に「主格」となり得るわけだから、
あえて主格特定機能を明文化する必要は無い。★

ということになるんですよね?
kobareroさんは「理論的」。私は「心配性」といったところでしょうか。

◎[課題6]
「は」に主格強調機能が無いのは、「は」が主題を提供することによって、
主題を文の動かざる前提として固定してしまい、安心して従属節について語る
(即ち従属節を強調する)目的があるからだろうかなどとも考えました。。

<[は]が格助詞を暗示する例>は非常に興味深く拝見しましたが、
「暗示する意図」がもうひとつ良くわかりません。
暗示された格助詞によって解釈した文は、元の文と意味が違ってくる
(言いたかった事の要点が微妙に違ってしまう)という点に固執してしまって、
フリーズした感じです。

◎[課題7]
(1)
私は「主格を明示」する以上に強調している、と思います。
説明し易いように「君」を「僕」に変更します。
【海が僕を呼んでいる】は、
「僕を呼んでいるのは山じゃないんだよ」という意味で「海」を強調。
【海は僕を呼んでいる】は、
「海じゃなくて川が僕を呼んでいるのかもしれない。」とすぐ言い換えたり、
「そういえば、山も僕を呼んでいるような気がする。」などという文をつなぐ事が可能(自然にできる)だったり、
「海」をないがしろにしかねない要素が含まれている。
海は、たまたま[は]によって「主題」として提供されたに過ぎないから。
という印象が強いのです。

確かに相対比較ですが、私は相対比較して[が]の強調機能を明らかにすることに意味があると思うわけです。
実際に教えているわけではありませんが、
「夏休みはどこに行きたい?海?山?愛知万博?」と聞かれた外国人が、
「海はいい」と答えたと仮定して、[は]ではなく[が]を使うべきという事を説明するために必要だからです。
[は]に主格特定機能も与えている以上、「[は]か[が]か」という選択を迫られる時はあるので、
明確に説明できる根拠が必要だと思うわけです。

(2)
確かにそうですが、
「山田[は]行く。」と比較すると、明らかに強調だと思いますし、意味も違ってくるでしょう。

(3)
[が]の「特定・強調」と書く時、「特定」または「強調」という意味で使用していました。
Aは一応「強調」の部類に入りそうですが、なんか自信ありません。
Bは、前半が従属節なので「手をつないでいる対象」の「特定」。
Cも、前半が従属節なので「降るもの」の「特定」。
「特定」ではなく、「従属節における主格」と考えたほうが良いのでしょうか。

「複数の主格」には何か違和感を覚えてしまうんです。
頭が「頑固」なんでしょうかね?

(4)
面白い考えですね。留意してみます。
ただ、[課題7]で触れたように、相対比較の必要性は捨てきれないので、
やはり[は]と比べると強調だという印象を受けます。

「検証・添削」ありがとうございました。大変勉強になりました。

今の段階では、
『[が]と[は]はどのように使い分けますか?』という質問には、
1、特定または強調したければ、無条件で[が]。
2、それ以外は「主題」の提供も含めて[は]。
と答えてしまいそうです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

どうやら、私の格助詞暗示機能の説明がまずかったみたいです。済みません。
それで、どう説明しようか考えたのですが、私が説明するより、むしろ、hakobuluさんがどうお考えかを先にお聞きしたほうが、その後説明しやすいと思いましたので、もし、よろしければ、以下の質問にお答えいただけますか?

[質問]
「は」は「が」と共に主格特定機能があると教えられた留学生に、以下の3つの文で、「は」を「が」に置き換えても良いかどうか質問されたとします。どのように答えますか? また、もし、[は]の前の部分が主格ではないと説明されるのであれば、そのときは、それぞれの文の意味がどうなるのか、それも合わせて答えてみてください。

(1)荷物[は]梱包して送ります。
(2)東京[は]多くの人が住んでいます。
(3)日本[は]人口が多い。
(4)あの映画[は]皆感動した。
(5)「何を食べますか?」「私[は]カツどんです。」

よろしくお願いします。

補足日時:2005/09/07 08:40
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この回答へのお礼

========================================================================================
済みません、#19のお礼からの続きです。
========================================================================================
(2)「は」の文法的機能を確定するプロセス
「は」の文法的機能確定プロセスは、上述の「が」の文法的機能確定プロセスと全く同じである必要があります。それを一貫性と言います。そこで、(1)のプロセスと同じように、「は」についても、それを含む文例を集め、同じ意味単位でグループ分けします。例えば、以下の例1-5のようになります。グループ毎に機能を検証すると、例1は「主格機能」、例2は「対格機能」、例3は「補格機能」、例4は「与格機能」、例5は「主題機能」となります。

<例1>
・海は広い。
・私は吉田です。
<例2>
・荷物は送った。
・新聞は見終わった。
<例3>
・彼は背が高い。
・彼は健康を害した。
<例4>
・大阪は通天閣がある。
・東京は多くの人が住んでいる。
<例5>
・私はコーヒーです。
・荷物はラベルを貼って送りました。

そこで、結論として、「は」の文法的機能としては、「主格機能」「対格機能」「補格機能」「与格機能」「主題機能」があるということが出来ます。これであれば、「が」の文法的機能を確定したのと全く同じプロセスを踏んでますから、一貫性があると言えます。しかし、もし、「は」の文法的機能は、「主格機能」と「主題機能」だけだと言うと、一貫性が欠けることになります。

最後に、逆質問2,3,4についてですが、これは、上述(2)のような新しい文法体系を考えたときの質問になりますので、まずは、上述の考え方にはついてのhakobuluさんの疑問や異論などをお聞きかせいただいてから、改めて考えてみたいと思います。

以上ですが、よろしくお願いします。

お礼日時:2005/09/10 14:17

ご返事ありがとうございます。


大変緻密な整頓をしていただきありがとうございます。
おかげさまで、kobareroさんとどういう食い違いがあるのか理解できた「ように」思います。
それで、最初に、kobareroさんから教えていただいた事も含めて、私の考え方を整理して述べてみますので、ご検討お願いします。

【現段階での私の考え方】
1、「海はとても青い。」
「は」は「主題」を提供している。「特定」もしているが、それは「主題」であるからであって[「は」には特定機能がある]と主張するには及ばない。
主題の「強調」はしていない。強調しているのは「とても青い」ことである。

2、「海がとても青い。」
「が」は主格を提供している。「が」は常に「特定」または「強調」機能全般を持っているが、ここでは「主格」であるがゆえの特定・強調と考えることもできる。どちらからのアプローチでも良い。
[ここは異論がでそうですが、後でまとめて述べます。]

◎[課題1]
「>「が」の機能として、「主格の提供」と「特定・強調機能」の2つを考えているのでしょうか?」
:その通りです。

「>「主格を提供する」ことイコール「主格を特定すること」なので、あらためて「特定」と言う必要がないという意味です。」
:おっしゃる通りです。

「>、「強調機能」については、「ない」と思っています。」
:[課題2]で一緒に異論を述べます。

「>、「は」の機能として、「主題の提供」と「主格特定」の2つを考えられているのでしょうか、」
:そうです。最初は「主格」という認識しか知らなかったのですが、前回「主題の提供」を教えていただきました。しかし「主題の提供」よりも「主格特定」として機能する場合も往々にしてあるという考えです。
この場合、「主格特定の[が]」との違いは「強調機能」という展開になります。

◎[課題2] 
>「強調機能」とは何でしょう?
:単なる主題の提供で済ませたくない場合、などを想定していました。

>(「は」について)「主格」は提供しているのではなく、意味の上で、たまたま、「主題」が「主格」になる場合が多い。
>「は」が弱いので、「が」は普通なのに、比較すると強く見えるだけだと思います。
:興味深く読ませていただいた部分です。非常に納得しました。
ただ、どうやらこの辺に食い違いの一端があるようにも感じました。

「[が]の強調機能」をどう扱うかという事になりそうですが、私は「海○君を呼んでいる」という設問に対して、どう答えるべきかを日本語を全く知らない人に教えている状況を仮定しています。

ですから、「なぜ[は](あるいは[が])を○の中に使用するのか?」という事を説明できなければなりません。
その為には、「が」の「強調機能」を意識的に明確にしておく必要があるように思うわけです。
(統一理論として明記すべきという意味です。)

◎[課題3]
非常に興味深く拝見しました。良くここまで掘り下げられますね。感心しました。

◎[課題4]
(1)太郎[は]クリスマス[に]大阪[で]本[を]買った。
であれば、先頭であっても強調には感じないので、やはり「が」の効果のように思います。
(2)でも「太郎」が強調されていると思います。
(3)は文章として不適当では?

◎[回答1][回答2]
私が、「主題」「主語」「主格」の整頓が、まだはっきりできていないんでしょうね。
そして、これが「食い違い」の2点目かもしれません。

「状況が一変したのは、太郎[が]中学に入ってからだ。」
に関する私の見解は次の通りです。検証・添削いただくとありがたいです。

*「状況が一変した」は、
「状況が一変したことについて言うと」という意味で
以下の文節全てに対して「主題の提供」である。
同時に、
「中学に入ってからだ」という「従属節」に掛かる「主格の提供」でもある。
「太郎」は、この「従属節」を「特定」している。

どちらにお住まいか存じませんが、台風お気をつけください。

この回答への補足

早速のご回答ありがとうございます。お蔭様で一段と問題の焦点が絞られて来た様に思います。

[課題5] 統一理論の再考
私なりに理解したところでは、hakobuluさんの考えは以下の「統一理論A」に集約できると思いますが、もし間違っていたら教えてください(できれば、文面自体を編集して訂正してください)。hakobuluさんの考えの方が、「我々の日常的日本語感覚」に近く、日本語教師として、主格の「は」と主格の「が」の選択基準を説明するのにわかりやすく実用的だと思いました。一方、私の考えは、どうも「理屈っぽい」という感じがします。ただ、私の場合は、矛盾が出てくると、どうしても気持ち悪くなるため、もうちょっと考えてみました。その結果は、下記の統一理論Bになりました。[課題6]で、「は」の機能の見直し、[課題7]で、「が」の強調機能の説明をしますが、だんだん、くどくなってきますので、どうそいつでも、放棄してください。

統一理論A
(1)「は」は、主題の提供機能と共に、文脈に応じて主格特定機能を併せ持つ場合が多々ある。
(2)「が」は、主格特定機能と強調機能を併せ持つ。
(3)「は」が、主格特定機能を持つ場合は、「が」の主格特定機能との違いは、「が」には強調機能があるが、「は」には強調機能がないということである。

統一理論B
(1)「は」は、主題を明示的に示し、「が」「を」「に」「の」などの格助詞を暗示的に示す。
(2)「が」は、主格を明示的に示す。

[課題6]「は」の役割の再考
まず、明示的な機能と暗示的な機能に分けて考える必要があると思います。明示的機能とは、文中に実際に現れている語句に働く機能をいい、暗示的機能とは、文中に実際には現れていない語句を補って初めて働く機能をいいます。「主題」の場合、「は」の直前に実際に現れている語句に働きますから、明示的機能ですが、「が」「を」「に」「の」などの格助詞の機能は、文面に現れていない語句に働くので暗示的機能です。以下の例文は、「が」「を」「に」「の」などの格助詞がどのように暗示的に働いているかを示したものです。( )内は、「は」以降の文が暗示的に示す内容を補ったものです。また、「は」は常に主題を明示する機能を持ちますから、(5)のように暗示する格助詞が存在しない場合もあります。

<[は]が格助詞を暗示する例>
(1)「が」を暗示:「彼[は]夕飯を食べていた。」--->(彼[が])夕飯を食べていた。
(2)「を」を暗示:「お金[は]銀行に預けた。」--->(お金[を])銀行に預けた。
(3)「に」を暗示:「その本[は]大変感動した。」--->(その本[に])大変感動した。
(4)「の」を暗示:「日本[は]人口が減少する」--->(日本[の])人口が減少する。
(5) 暗示なし: 「僕[は]コーヒーだ」--->(注文したいのは)コーヒーだ。 


[課題7]「が」に(積極的な)強調機能がないと思われる理由
(1)「は」と「が」の比較
 常に明示的に主格を示す機能は、格助詞「が」だけが持っています。「は」は、文脈に応じて暗示的に主格を示すことができるだけです。
 従って、主格を明示したい場合は「が」を使用する必要があります。この結果、「は」と「が」が直接比較される【海が君を呼んでいる】と【海は君が呼んでいる】のような場合、【海が】は、海が主格であることを明示する一方、【海は】は、海が主格であることを暗示しているすぎませんから、相対比較としては、【海が】が【海は】より主格が強調されているように感じます。しかし、「主格を明示」する以上に強調しているわけではないと思いますがいかがでしょうか?

(2)他の格助詞との比較
 以下の例文は、5W1H情報を提供するため、格助詞が使用されている例です。ここで、格助詞「へ」「が」「に」「を」「で」の中で、「が」だけが「情報」を特に強調しているとは思えないのですが、いかがでしょうか?
 
 A.「どこへ行くの?」「大阪[へ]行く。」 (where)
 B.「誰が行くの?」「山田[が]行く。」 (who)
 C.「いつ行くの?」「10月[に]行く。」 (when)
 D.「何をするの?」「観光[を]する。」 (what)
 E.「何故行くの?」「息抜き[に]行く。」 (why)
 F.「どうやって行くの?」「新幹線[で]行く。」(how)

補足日時:2005/09/06 23:09
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この回答へのお礼

(3)文脈による無意識的強調
文脈の影響で「が」が強調されていうように感じることはないですか? 例えば、Aの「が」は強調されていますか? また、BとCの2個ずつある最初の「が」も強調されていますか?

 A.「セミは、仲間の群れの中へと移動する癖があるので、決まった場所に集まってしまうのです。」
 B.「二人が手を繋いで歩いていると、向こうから大男がふらふらしながら歩いてきました。」
 C.「雨が降る中を裸足で血相を変えて走って来る男がいました。」

(4)強調の「が」の存在
「が」には、2種類の発音があります。「学校」の「が」と「朝顔」の「が」です。人は、格助詞「が」の発音として、普段は「朝顔」の「が」を使いますが、強調したいときは、「学校」の「が」に近くなります。Aの「が」は、「学校」の「が」に近く、Bの「が」は、「朝顔」の「が」に近いのではないでしょうか? 発音によって「強調」する場合があるとすると、「が」そのものには、「強調」の機能がないのではないかと思うのですが、ダメですか?

 A.「困ったわねぇ、誰も行ってくれる人はいないの!?」「私が行きます。」
 B.「カトリーナの直撃で被害を受けた米メキシコ湾岸も石油関連施設が徐々に機能を回復し始めた。」

[回答1]「状況が一変したのは、太郎[が]中学に入ってからだ。」について
私は、以下のように考えていますが、自信はありません。

(1)「状況が一変したの」が主題で、「は」は、「だ」まで係る。「状況が一変したのは」の「は」は、主格の提供ではない。
(2)「太郎が中学に入ってから」が話の内容(主題の中身)で、「太郎が」と「中学に」は共に「入ってから」に係る。
(3)「太郎が」の「が」は「入って」に対する主格を明示し、「中学に」の「に」は「入って」の行き先を明示する。

なんだかわかりにくい説明をだらだら書いてしまい申し訳ありません。ご親切に議論にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。私としては、大変良い勉強になり感謝しております。

お礼日時:2005/09/06 23:12

ご返事ありがとうございます。



◎[質問1]
私は「主題」と「主語」の区別も良くわかっていませんでしたね。

>「主題」とみた場合の「は」、その機能は「~~について言うと」の意味と考えられます。

:「は」については、これが全てのように感じられますね。
(例外がまだ出てくる可能性はどうでしょうか?)
しかし、かなりインパクトのある解説ではありました。
おっしゃる通り、
【「は」は「主題」の提供】という捉え方が良いようですね。

ただ、自信はありませんが、
「例A: あの車は吉田太郎に貸したよ。」の「は」は主題の提供というよりは、
強調の「は」のように思います・・。
「それはそうだが・・・」などと言う場合のように。
「私は(私が)」という隠れ主語があるのではないでしょうか。

 ----------

◎[質問2]
【「が」の役割として、主語の提供であれば、「特定・強調」の意味は自明なので、あえて言う必要はなく、主語の提供でない場合は、「特定・強調」の意味になる】という意味ですか?

:そういうつもりではありませんでした。
#9さんへの補足
>「主格か従属格か」、「特定対象か不特定対象か」
という部分を受けたつもりでした。
{「が」を使う場合は「主格・従属格」に拘わらず「特定対象」と判断できる。}あるいは、
{「特定対象」であれば、「主格・従属格」の判断を待たずに「が」を使用できる。}、
と言いたかったのですが、読み返してみると確かに不明確な記述だったと思います。
内容を確認しながら、2,3質問させていただきたいので、よろしくお願いします。

1、「状況が一変したのは、太郎[が]中学に入ってからだ。」→
「主語の提供ではない」が「中学に入った」という事柄に関して、
「太郎を特定(強調)」している。

この場合の「が」の「太郎」に対する働きは、「特定・強調」以外で何かあることになりますか?
すみませんが教えてください。

また、「主語」は「状況が一変した」という事実だと思っていたのですが、
勘違いでしょうか?

2、「海が君を呼んでいる」→「海は君を呼んでいる」と比べて、
明らかに「海を強調(特定)している」ので、
「主語の提供」であると共に「特定・強調」の意を含んでいる。
という判断で良かったでしょうか?

 ----------

◎[質問3]
確かに「書き出し」としては、おかしい場合が多いとは思います。
ただ、ひねくれ者かもしれませんが、下記のような場合は、おかしくはないように思います。
【例Bに関して】
1、
「太郎がいました。次郎がいました。三郎もいました。
皆、わざわざこの私を迎えに来てくれたのです。私は目頭が熱くなりました。」
(前回と同じパターンですが、酔狂で作文しているわけではありません。
「目頭が熱くなった」ことの感動を効果的にするために、
「太郎が」と強調しておく必然性を伝えたいのです。)

2、
この課題で、
文中で「が」を使う場合まで検証するのは、不適切(別の解釈が存在する)なのでしょうか。
それとも、私の感覚が?なだけ・・なんでしょうか?。

{その時の私は、小学校の同級生が誰一人思い出せませんでした。
「相当昔だからな・・。」と、諦めて寝ようと思った時、急に思い出したのです。
吉田太郎がいました。
太郎は大声で歌を歌うのが好きでした。}

どちらも「知らない人の名前などを言われても困らない」場合で、
「知らない人などの名前を求められている」時にも「が」が対応できる事にならないでしょうか。
どちらも「主格を提供」しながら「特定・強調」をしている、
に該当しているように思います。

【例Cに関して】
おっしゃる通り「いることが自明」だから不自然なのでしょう。
「メロスはいた。」という書き出しは、通常ではおかしいですが、
同じ述語でも「メロスは走った。」であれば自然です。

【例Eに関して】
後半を省略されると不自然になります。
・「佐賀県に吉田太郎という男[が]いました。」という文を読んだ人は、
「ふむ、そうか。[が]と言っているのだから、当然何か強調したいのだろう。
それは何だ?」と、「強調する事がある」ことを自明の事として次の文に目を移すでしょう。

・「佐賀県に吉田太郎という男[は]いました。」は
「吉田太郎という男[は]佐賀県にいました。」とした方が読み易いと思います。
この文の読者は「単なる主格の提供で[は]が使われている筈がない。
もったいぶってないで、早く教えろよ。」という気持ちになると思います。
(んなこたあ無いだろ、ともう1人の自分の声も聞こえないこともないのですが・・)
(kobareroさんはいかがでしょう?違和感だけでしょうか?)

『後半は、勿体をつけただけの値打ちがある内容でなければならない
(それゆえ[は]を使用した意味がある)事を納得してもらう為の作文です。』

◎<仮統一理論>
(1)「は」は、主題を提供する。
:これは納得。賛同します。

(2)「が」は、主格を提供する。
  ただし、「が」については「対格の提供」その他の機能もあり。
:これは保留にしたい。

現段階では
「が」は「特定・強調」機能全般。
(1)より優先する。
(特定・強調したければ主題を提供するより「が」を使うべき、という意味。)
の方が理解し易いようです。
ただ、何か確信が持てないのも確かですね。


可能な限り、検証したいと思い好きなことを色々無責任に言うばかりで、すみません。
「質問者・回答者」主格転倒しつつありますね。
よろしくお願いします。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。hakobuluさんに色々問題提起していただいたおかげで、だいぶ理解が深まってきました。色々考えさせられることがありましたので、前半の[課題1-4]と後半の「回答1-6」に分けて述べさせていただきました。

[課題1]「が」と「は」の機能について初めに、質問です。
hakobuluさんは、「が」の機能として、「主格の提供」と「特定・強調機能」の2つを考えているのでしょうか、それとも、「主格の提供」機能はなく、「特定・強調機能」のみを考えているのでしょうか?この点が、どうしても理解できませんでしたので教えてください。私は、「が」の機能としては、「主格の提供」のみだと考えております。また、「特定機能」については、「主格を提供する」ことイコール「主格を特定すること」なので、あらためて「特定」と言う必要がないという意味です。この点を明確にするため、今後は、「主格提供」ではなく、「主格特定」と呼びましょう。一方、「強調機能」については、「ない」と思っています。

また、hakobuluさんは、「は」の機能として、「主題の提供」と「主格特定」の2つを考えられているのでしょうか、それとも、「主題の提供」機能のみを考えているのでしょか?この点は、どうも混乱があるように思えるのですが、いかがですか? 私は、「は」の機能として、「主題の提供」のみを考えています。ただし、「主題の提供」の結果、それが、意味的に主体を意味することが多々あると思います。この辺については、[課題3] で説明します。

[課題2] 何故、「が」に「強調機能がない」と考えるのか?
hakobuluさんにとって「強調機能」とは何でしょう? 私は「強調機能」とは、絶対的なものではなく、何かと比較して「強調する機能」と考えています。もし、別の考えがあったらお知らせください。とりあえず、先に進めます。では、何と比較するのでしょうか?hakobuluさんは、「が」を「は」と比較して、次の例を挙げておられます。(1)の方が、(2)より「海」が強調されているということですね。私もそう感じます。

(1)「海が君を呼んでいる」
(2)「海は君を呼んでいる」

しかし、それにもかかわらず、私は、「が」は「主格」を強調してはいないと考えます。何故でしょうか? それは、「は」が主格を強調する機能が初めから弱いからです(正確に言うと「ない」からです)。なぜかと言うと、「は」の目的は、「主格の提供」ではなく「主題の提供」だからです。「主格」は提供しているのではなく、意味の上で、たまたま、「主題」が「主格」になる場合が多い(決っして全てではない)というだけです。すなわち、「は」が弱いので、「が」は普通なのに、比較すると強く見えるだけだと思います。

[課題3] 何故、「は」は「が」に比べて、「主格特定機能」が弱いのか?
その理由を以下の例文から考えます。以下の例文で、「は」はいずれも「主題提供機能」ですが、意味的には括弧内に書いたように格助詞の「が」「を」「へ」「に」「から」など様々な役割を持っています。しかし、これらは、文の中身から推測されるものであり、文法的に決定されるものではありません。文法的には、あくまで、主題の提供だと考えます。すなわち、「は」は本来「主格特定機能」がないばかりでなく、意味的にも、「主格」以外に多くの格を抱え持つマルチ機能の助詞です。

(1)彼はリンゴを食べた。   (格助詞[が]の意味)
(2)その仕事は彼にやらせよう。(格助詞[を]の意味)
(3)大阪は荷物を後から送ろう。(格助詞[へ]の意味)
(4)学校は生徒が500名いる。(格助詞[に]の意味)
(5)この本は得るものが多い。 (格助詞[から]の意味)

従って、「は」と「が」を比較すると、もともと主格特定機能に特化した「が」が、「は」に比べて相対優位になります。「が」と「は」が勝負するのは、専門家の「プログラマ」とジェネラリストの「社長」がゲーム・ソフトのコーディングで勝負するようなものですから、社長に勝ち目はないです。

[課題4]「が」はその強調機能を何と比較すべきか?
「が」が比較すべき相手は、同じ格助詞仲間の「に」、「で」、「を」などだと思います。例えば、以下の(1)、(2)、(3)で、太郎[が]の[が]が、クリスマス[に]の[に]がクリスマスを強調する以上に、太郎を強調していると言えるでしょうか? (1)が強調しているように感じるとすれば、それは「が」の効果ではなく、文の先頭にあるからではないでしょうか?

(1)太郎[が]クリスマス[に]大阪[で]本[を]買った。
(2)クリスマス[に]太郎[が]大阪[で]本[を]買った。
(3)大阪[で]クリスマス[に]本[を]太郎[が]買った。

すなわち、[が]は、[に]、[で]、[を]などと同様に、「格」を指定しているだけで、「強調」してはいないのではないでしょうか? 

補足日時:2005/09/05 22:35
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この回答へのお礼

[回答1]
>「例A:あの車は吉田太郎に貸したよ。」の「は」は主題の提供というよりは、強調の「は」のように思いますが・・。
何と比較して強調されていると考えますか? 例えば、「吉田太郎にあの車を貸したよ」と比較して、「あの車は吉田太郎に貸したよ」の方が、「あの車」を強調しているということでしたら、正に、おっしゃる通りだと思います。そのために、主題として「あの車」を持ち出したわけですから。ですから、「主題の提供」とは、正に、「主題」の対象を強調することだと思うのですが、いかがでしょうか?

>「私は(私が)という隠れ主語があるのではないでしょうか」
おっしゃる通りだと思います。「あの車は」が「貸したよ」の主語ではないのですから、「貸したよ」という動作の主体(ここでは、私)は、この文面からは隠れているわけです。

[回答2]「特定・強調」以外の「が」の役割?
>「状況が一変したのは、太郎[が]中学に入ってからだ。」 この場合の「が」の「太郎」に対する働きは、「特定・強調」以外で何かあることになりますか?

この場合の「が」は、「特定・強調」と言うより、単純に「主格特定」と考えています。すなわち、「入ってからだ」の動作主が「太郎」であることを特定しているのだと思います。

>また、主語は「状況が一変した」という事実だと思っていたのですが、勘違いでしょうか?

ここでも、私は、一貫して「は」の機能は「主題の提供」と考えます。すなわち、「状況が一変した」は、意味的には「状況が一変したことについて言うと」です。

[回答3]「太郎がいました。次郎がいました。三郎もいました。」について確かに文章としては、違和感がないですね。ということは、文頭に「が」が来てもおかしくないかどうかは、固有名詞か普通名詞かに関係なく、後続文に依存するということですね。一方、強調については、「いました」が感動の中心で、それが、「太郎や、次郎や、三郎」であることは、補足説明だと感じました(この辺は、意見が違ってるようですね)。

★制限文字数2000+1000文字を超えてしまい、[回答4]以降が入力できなくなりました。尻切れトンボで申し訳ございません。

お礼日時:2005/09/05 22:44

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