プロが教えるわが家の防犯対策術!

日々暮らしていると、
個人の力ではどうする事もできない周りの情報や状況の中、皆さん生きているんですが、
いったい本当の自分って、皆さん、なんだと思いますか?
またどんな時の自分が本当の自分だと思いますか?
それは、どの時代、どんな思想、さまざまな状況が変わった場合も、本島の自分と言えますか?
おねがいします。

A 回答 (10件)

よく「自分探し」などと言いますが、私はそういう言葉は個人的に好きではありません、「自分はそこにいる」ことを自覚できない(したくない)単なる逃避だと思うからです。



情けない自分も立派な自分も全部「自分自身」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2005/09/23 09:56

今の自分に満足している人は、ある意味本当の自分でしょう。


妥協している人は、向上心の無い人でしょう。
それすら気づいていない人は、ある意味幸せなのでしょう。

天然では無く、歯の浮くセリフを特別な感情(恥ずかしいとか、こんな事言ったら・・・)
を持たずに言える人も本来の「素」の人でしょう。
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この回答へのお礼

私自身難しい質問をしてしまったと思いました。

お礼日時:2005/09/23 17:02

本当の自分ってなんだ?とか思っている私が本当の自分。



なりたい自分探しを、本当の自分探しと置き換えているんです。
本当の自分はいまここにいる私そのものです。

>それは、どの時代、どんな思想、さまざまな状況が変わった場合も、本島の自分と言えますか?

私、を形成する要素は、容姿や生まれだけで無く、朝起きた時の布団の匂い、直りかけのかさぶたのざらざら、駅ですれ違った女性の赤い服、など、意識するものしないもの、膨大な料の情報から成り立っていると思うので、たとえ1分起きる時間が遅くても、朝食の御飯がパンになっても、同じ自分であるとは思えない。見たもの聞いたもの経験したもの、統べて自分の一部である、と考えます。
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この回答へのお礼

なるほど~。

お礼日時:2005/09/23 17:04

「自分探し」という言葉が流行り出してずいぶん経ちますが、実は「本当の自分」なんてものは存在しないのです。



人間の性格は90%以上後天的な「経験」で形成されます。
生まれた時は誰でももっている本能以外まっ白なのですから、これは当たり前ですね。(前世の魂とかいうものを信じる場合は別ですが)
もちろん持って生まれた体が病弱だったりゴツくて怖い印象だったり、という違いはあるのですがねこれはあくまで「器」です。
で、この真っ白な器の中に、怖い目楽しい思いなど経験によって色々なことを記憶として蓄積した【全体】が『自分』です。だから双子のように同じ器でも、だんだんに互いと違う体験をするようになれば性格が違ってきたりしますよね。もちろん時代が違えば体験する事も全然違いますから、今の『自分』が形成されることはありません。
ヒットラーのクローンを今のドイツで作ってもあのヒットラーにはなるわけがないのです。

ところが、記憶と体(器)で形成された『性格』と、それによってどんな考えと行動をするかという『人格』は違うのです。
人間の社会ではお互いの考えがぶつかったり影響しあうため、その場その場で自分を良く見せたり防御したりする必要が出て来ます。
たくさんの経験と知識(これを全部ひっくるめたものが『自分』だという事は言いましたね)の中から、「こういう行動をする人は好かれると思う」などの『自分の一部』を無意識に引っ張り出して、「場にふさわしい人格」を演じるのです。
人間は誰でもこういう『人格』をいくつも内面に抱えていて対象に応じて被り替える。それを『ペルソナ』といいます。(多重人格とは違います。「無意識の内心」とでもいうものです)
たとえ「本当は善人じゃないのに良い人を演じている」と感じているとしても、その「善人」の定義が自分の中に蓄積された知識に過ぎないんですから、結局はそれも「自分がもし良い人だったらこう」という『ペルソナ』の一つにすぎないわけです。

しかし、どれもが本当の自分だと認める事ができないでいると、押し込められて出られないペルソナがいくつも暴れ始めます。「そんなのは偽善だ」「縛られたくない」「破壊したい」…別の一面が「俺も『自分』なんだ」と無意識の海から激しく主張してくるので、そっちの方が『本当の』自分のような気がしてくるのです。
これを解決するには、時々はふさわしい場を作って『色々な自分』を開放してやることです。
破壊的な自分のために存分に破壊できるオモチャや遊びをしてやり、なまけたい自分のためにはムリヤリ休暇をとってみる。欲望が単純でたわいない子供のころに開放が充分できないと、押し込められたものが余計なペルソナをたくさん生むといわれています。
もちろん女に異常なコトをしてみたいなどという反社会的な自分を実際に解放するのは困りものですが、幸い精神には『代償』というもので少しは満足できる機能があるので、イヤだという女の人に迷惑かけずに処理する事も可能でしょう。

どうでしょう、『本当の自分』など無いのがちょっとお解りいただけたでしょうか。
探したり悶々とするくらいなら、気が進まなくても色んなことを体験した方が思わぬ自分を発散できるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

retorosさん。説得力がありますね。
>人間の性格は90%以上後天的な「経験」で形成されます。
生まれた時は誰でももっている本能以外まっ白なのです
>『本当の自分』など無い
なるほど~。
そういえばそうだなー。と思いました。
新しい発見でした。

お礼日時:2005/09/23 17:12

本当の自分もウソッコの自分も、丸ごと自分だと思うのですよー。


鏡に映ってるのが全部自分。
いつの時も、自分は自分だと思うのですー。

>どの時代、どんな思想、さまざまな状況が変わった場合
それはいろいろ変化するかな、って。
ほら、人に会ったら、その時々でいろんな仮面を使い分けるでしょう。
例えば、祖母に会った時の会話と近所のおばあちゃんとの会話はちょっとずつ違うのと同じように。
けど、変化はしてても、自分は自分だと思うのですよ。

なんかねー、人間って一年立ったら細胞組織も新規状態なんですってさ。
言ってみれば新しいロボットにバックアップしておいた記憶情報を入力してるのと、大して変わらないなーと。
でも、それでも自分は自分で。
少なくとも、他人じゃないですよぅ。
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この回答へのお礼

みなさん、解決されてるのがすごい!

お礼日時:2005/09/23 17:14

 本当の自分を探す事自体が逃避行動ですので。


そんな時はむしろ旅行に行った方が良いと思いますよ。
自分の違った面を発見することもありますし、短期間の逃避であれば悪いむしろ効果的です。
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この回答へのお礼

いろいろな意見がありますね~。

お礼日時:2005/09/23 17:15

汝はそれである。

神なり。
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この回答へのお礼

ヨガをされているのですね。

いい言葉、すばらしい感覚ですね。

お礼日時:2005/09/23 17:29

本当の自分に与えられた時間は、誕生から死迄です。


本当の自分は、自分一人だけでは見えないものです。
本当の自分は、多くの人々の中で切磋琢磨する時間の経過が、それとなく教えてくれるものです。何も急ぐ事はありません。いまに判る日が来ます。
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この回答へのお礼

なるほど。
chironeroさんは、その日に到達しましたか。

お礼日時:2005/09/24 09:40

本当の自分というのは、自分の中のわからない部分のことではないでしょうか。

そんなものはないと思うのは、自分のことはすべてわかっていると思っている人ですが、わからないところがあるから、自分は存在できるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>本当の自分というのは、自分の中のわからない部分のことではないでしょうか。
私もそんな気がします。

お礼日時:2005/09/24 17:50

自由になるところが本当の自分ではないでしょうか?



地震が起こりますが、あれを自由に止めたり起こしたりすることはできません。だから、地震は本当の自分ではありません。また、怒りも湧き上がってくるとき、それを鎮めることはできません。自由ではありません。だから、怒りは本当の自分ではありません。

車を自由に運転できたとします。そのとき、自由に右へ行ったり前へ進むことができます。だから、車は本当の自分です。しかし、スムーズに運転できるようになって何も考えないでもよくなったら、自然に動いてしまっているようになってしまい、自由でなくなります。だから、そのときは車の運転は本当の自分ではなくなります。車の運転に限らず、無意識に歩くこともそうです。勝手に動いているだけだからです。それは本当の自分ではありません。

もし、自由なことが一切ないとしたら、本当の自分も存在しないでしょう。自由な感じもそれは、何かに操られてそういう感じを起こさせられているだけかもしれません。そうだとしたら、その自由な感じは本当の自分ではありません。あるのは本当の自分感です。

よって本当の自分は、本当の自分感という形でしか存在しません。それも、ほんのわずかでしょう。
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この回答へのお礼

>もし、自由なことが一切ないとしたら、本当の自分も存在しないでしょう。自由な感じもそれは、何かに操られてそういう感じを起こさせられているだけかもしれません。そうだとしたら、その自由な感じは本当の自分ではありません。あるのは本当の自分感です。よって本当の自分は、本当の自分感という形でしか存在しません。それも、ほんのわずかでしょう。

そうですね。子供のころなどは、何でもあんまりうまくいかないけど、物事に対する自由度は細かな対応や発想ができます。大人は、もうすでに子供のころから培った、体得したうまくいくやり方を行いますが、それはすでに自動思考になってしまっていたりすることが多く。先ほど申しました、物事に対する自由度や細かな対応や発想にはリアルに回帰できにくい状態となってしまっていることが、多々感じられることがありますよね。

お礼日時:2005/09/24 17:59

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