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Nombers(ナンバーズ・数達)の個性と規律についての質問があります。
数にも種類がありますが、とりわけゼロを除いた自然数についてです。それは、1,2,3,・・・と続いていきますが、質問は、
A)
1と2の違いを「個性」という言葉で規定できるのか?また、それ以外の言葉で規定できるのか?
B)
青と赤の違いを「個性」という言葉で規定できるのか?
C)
もし分数や少数を想定した場合、1と、1.1の違いを「個性」という言葉で規定できるのか?1と、3/2の違いを、「個性」という言葉で規定できるのか?
D)
又、1,2,3,・・・と、際限無しに続く自然数を、そのように続くと、定めている規律は、「個性」であるか?
E)
Nombersを考察して、「個性」という概念を導き出せば、それは如何なる概念であるといえるか?また、数学的所動作を施すことにより、そのNO.sの個性が揺らぐとしたら、どのように揺らぐのか。 

あ)
大根とにんじんの違い(二つの集合の差異)と、ある大根と、もう一本の別の大根の違いは、どのように違うか?
 
い)
時という概念を、「個性」という言葉で規定できるか?

職業の違いや、姿形の違いを、大根とにんじんの違いとしたら、一人、二人と数えられる違いが、個性の違いだと私は考えています。で、その「個性」を、「私と他」や「私と集合」と、いったような、「私」にまつわる考えに、適用できるのか?適用できたら、「私」は何者であると言えるのか?
 皆さんは数の個性について、どうお考えなのかと思いまして、質問いたしました。A)~E)、あ)~い)、どれでも、お時間宜しいとき、お好きなようにでも、お答えいただければと思います。あ~、足が寒い。

A 回答 (5件)

続きになりますが、



D)[自然数の集合]は一般者であると考えますので、その規律は個性を現すものとは言えないと考えます。

E)数学的称動作は「他者である我」が施すものである以上、自由の無い限定された個性、と考えます。

ご質問の趣旨から外れるかも知れませんが、我思う我を認識した「我」が「人間」として限定されるならば、その「我」は自己を限定する自由な主体ではなくなると考えます。

以上、勝手な解釈による回答になりました。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
質問や回答の内容について、暫く考えさせていただいておりますので、お礼の方も、時間を置くことになります。今しばらく、お待ちください。よろしくお願いいたします。

補足日時:2005/11/27 22:49
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この回答へのお礼

数学的所動作については、いささか謎多きです。
数字の個性と思っていたものが、単一性であるなら、その単一性は何処から来るのか?操作できるものか?
半分にしたり、倍にしたりできるものか。
√2や、Πのような、いわゆる哲学的な意味での「自然数」と、二分の一、三分の一というのは、随分違うように思います。
数学的諸動作が、量を扱っているように思えることから、私が単一性と思っていたものは、量に還元できるものであるかもしれません。
例えばオレンジ一つ。
その中には、たくさんのぷちぷち、あの、水泡があります。
それは単一性を持ちながらも、量の性質を持つので、「ぷち」ではなく「ぷちぷち」になります。
半分にしたり、○等分にしたりできます。かけることはどうでしょう。
単一性の集まりが集合。集合の分割できる性質を量、かけることのできる性質を単一性?
とてもいい加減な考察になってきたので、ここまでにいたします。

我思う我が、我を人間と限定するなら、その「我」は自己を限定する自由な主体ではなくなると、私も思います。
そして、我思う、故に我を見出すなら、すでに我に囚われた、自由な主体ではなくなると思います。
人間が一人、あなたに差し出されたこの返信の向こう側、パソコンの窓の前に座っている。だけれど、それが我であると、限定する必要はない。と、我は思う?
思うのも我ではない。
思うのを我であるとは言えない。
思うが在るだけで。
その「思う」は、空中を飛んでいる間に、我に引っかかっただけではないのか?
いや、
私が引っ掛けたのか。
もしそうなら、逃がしてあげよう。それでもここに、とどまると言うのなら、とどまってくれよ。私はそこに、居るやもしれぬ、居ないやも知れぬ。

お礼日時:2005/12/15 23:12

ご丁寧なお礼文をいただき誠にありがとうございます。



あ)大根一般とにんじん一般の違いはそれぞれに共通する性質つまり属性の違いであって、大根aと大根bの違いは個物対個物つまり個性の違いということになるかと思います。

い)時と言う概念は正に「個性」という言葉がぴったり当てはまると思います。

いや、これぞ「個性」そのものではないでしょうか。

何故ならば、「時」そのものは概念では捉えきれないからです。
時は明らかに、色や音といった感覚的なものとは違い、
正に一瞬一瞬捉えるしかない観念的なものです。
絶えず流れる意識そのものを再構成することは不可能で、ただ我々は時そのものについて、あれやこれやと述べるだけに留まります。
だからこそ、自由な発想という意味において個性と言えるのではないでしょうか。

すいません、続きはまた後日になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ご回答者様の意見を聴いて、私の考えていた数字の個性は、単一性のことであったと思いなおしました。

それで、色については、青の個性、赤の個性など最初は分からなかったのですが、考えさせていただくと、しだいに、おっしゃるところの意味が、なんとなくですが、分かってきました。
私はこう考えました。
色というのは集合であり、青もまた集合である。しかし、赤の集合とは異なる集合である。よって、色そのものに個性は、ないけれど、それが個物に属性として付与されている場合、その個物に個性を与えるものとなりえる。

 
 時間については、これは優れたお考えだと思いました。時間こそ個性だ。
とても面白い考えだと思います。
>だからこそ、自由な発想という意味において個性と言えるのではないでしょうか。

時は翼と聞きますが(ほんまかい)、時に抱くイメージの中では、自由というのは貴く、空(そら)を感じるようです。
SF物語などでも、時を越える、なんて言うと、自由を感じることができます。
ありがとうございました。
時というものは、解き放たれていることを言う言葉なのかもしれません。

お礼日時:2005/12/15 22:57

いやはや、寝る直前に覗いたら目覚めちゃったじゃないですか。


僕の主張に関しては文句無いです。そのまんまですね。
簡素な問題でしたので、どこまで答えるかで悩みました。
なので、考えの先ではなく、”自分の考えるとこまで”を答えてみました。
ちょっと考え足り無かったようでお手数かけました。

しかし随分単純なところで疑問を見出しましたね。
まさか数字程度にここまで考えるとは…、数学をなめていました。
数字ではなく、違うもので僕は同じ事を考えた事はありましたが……
でも、それでも、僕には違うように見えますからね。
例えば、1が左右に二つ並んでいたとしても、どちらも違うものに見えます。
それは、その数字のある場所が違うからです。屁理屈に思うかもしれませんが。
よって、同じ位置、同じ数字、同じ大きさ、同じ色、同じ強度……と、
狭く指定しない限りは限りなく違いを見つけるでしょう。発生した時間とか。
数字に存在が存在するのかも疑問ですが、一つ言えれば他は考えない節はあります。
1という数字がただ一つしか無いのなら、それはそれしか無いですから個性になり得る。
1という数字が複数あっても、実際に違う位置にあるのだから、言えそうです。
数字の存在をどこにどこまで認知するかも定義でしょうか。
一箇所に複数の同一のものが存在する場合、表記や呼び方を変えるのが普通ですかね。
また、1は偶数に思えるという辺りはとても斬新で、勉強になりました。

羊が野犬に襲われるのはとても可哀想ですし、美味しそうですね。
犬って美味しいのでしょうかね?韓国だか中国にはありそうですが。
で、
例え目を離さずに昼間だとしても、僕には逃げ始めた羊が逃げ始めた自分の羊なのか怪しい。
それが暗闇で、既に逃げて49頭だとすれば、もう同じ羊を飼う事はできないでしょう。
なんとか羊が戻ってきても、誰かの羊か野生の羊かと考え続ける事でしょう。
その羊が無事帰還した理由は考えず、49頭と1頭を育て続けるのでしょうね。
それまでだって、50頭が本当に自分の羊のままなのか怪しいので、
結局50頭の羊って呼びながら育てるに違いないんです。面倒だし、常に残念なら常に面白い。
真面目に夜闇でその羊が逃げた羊なのかを認知する方法を考えても、分からない。
どんな科学も基本的に信用しないし、自分の言動すら信用できない。
何が起こるか分からない世界、いつどんな不確定要素が働くかも分からない。
だから、その羊さんが真実僕の羊かどうかは、僕以外に調べてもらうんです。
時代が進み、何でも叶う魔法でも出来た頃には、確かめられるでしょう。

とかなんとか考えながら、無駄で余計な事ばかり考えます。
だからこういうのには向かないんだと思いますから、参考にして貰う人になってますね(笑
いつもはMMOの中で狩りしてたので、掲示板でこうも楽しめるとは思いませんでした。
また読める日を楽しみにしています、有難う御座いました。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
お二方に、真摯でユニークなご回答をいただけた事を感謝しております。
今、頂いたこれらについて、質問、補足の内容について、考えております。御礼のほうは、暫く時間を置いて書かせていただくことになると思いますが、よろしくお願いいたします。もし、お忘れになった頃に、お礼、となった場合には、、眠りを妨げることもないかと。では。

補足日時:2005/11/27 22:54
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この回答へのお礼

色々考えさせていただきました。
ありがとうございます。
案外、山羊は羊飼いと共生の関係を結び、羊になっているのかもしれません。
羊飼いは社会性の代名詞として使用しましたが、一緒にいても、不自由に感じることもない、達観夫婦のような関係が、社会と個人の間に結ばれる日が在るかもしれません。

もう一つ考えたシナリオは、おもしろいんですよ。
最強羊。と言う考えで、羊と言うのは、フロイトで言う自我、山羊と言うのはイド、羊飼いは超自我にあたるものとして考えたんですが。
山羊は、羊飼いと暮らす間に、羊飼いの良いところに感化されて、とても強い羊になるんです。
最強の羊は羊飼いよりも強くてですね、山羊よりも強く、世界に君臨することになるのですが、最強羊は、二つの道のどちらかを選択することになります。
最早弱い羊飼いを、恩義ある大切なものとし、羊飼いと共に生きるか、野性に還り、最強の山羊、ガラガラドンとして、自然世界に君臨するか。
 
僕が最強羊なら、超越羊飼いを目指します。第三の道です。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/15 22:36

Nombersの個性と規律~!?また難しい事やっていますね……。


答えられそうなものだけ答えておきますよ。

A.同じ数字という中で何か一つでも異なる点があれば、同一のものとは言えない。
  よって、性格があるのかは疑わしいが、個別化は可能であり、
  数字の特性を性格とすれば個性と言えるでしょう。

B.Aと同じようなもので、色という中で人間が感じる異なる点が一つでもあれば
  それはAと同じ回答と言えます。

C.規定だの定義だのややこしいですが、AやBを読んで分からなければ違うのでしょう。

D.これ知って何か晴れるのか激しく疑問ですがwwwwwwww
  「”際限無しに続く自然数”という規律」は、他に同様の規律が存在しないと思います。
  例えば、”際限無しに続かない自然数”という規律を問の規律と同類にみなす人物が、
  規律を定める職についており、それを多くの人間が認めれば個性になり得るもの。
  現時点では人によって異なると同時に、個性とは言えない。知った際の個人達の定め方依存。

E.つーかどーでも良いです。そう思われる事で十分に揺らいでるでしょう。
  例えばそう、世界から数を消滅させ、無になれば良い。
  他には~人々から数字の違いという認識を取り除かれた空間ならば、個性は数に存在しえない。
  あえて言うなら、実際必要としないので「雑念」で。

あ ヒトが見て「違う」と判断するのが一人でも存在すれば違う。
  具体的には計測や科学という人間の神秘で調べれば良い。
  どうせ人間は人間の知る知識でしか判断できない。

い 時間の定義は面白いくらいに認知されていない。某ゲームでもそれを冒頭で語っていましたね。
  そのままでは不可。過去や○年前等と明分化すればAやBの回答引用で可能。

友人にこういうどうでも良い事を駆使して、釣りやってる方がいますが似ていますね。
最近冷えてきましたね……討論とかで熱くならずに体動かすべきか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
 頂いた回答について、D以前のものは、数字の個性が、性格(もしかすれば、怒りっぽいなどの、人を形容するような「性格」という言葉のニュアンスを想定しておられ、あなたが、それを数字にも当てはめられたのかな?とも思いましたが。それは私の偏見だろう思い直しました。)の一種であるという認識の下で、おっしゃっているのだなと、その認識を容認することで、よりよく理解できるのですが、E以下については、容易に理解できませんでした。僕の認識では、数字の個性というものは、堅いからです。人によって違うよ、という事では、余り変らないように思います。
 変るなら、数学的所動作により、「揺らぐ」のではないかと。例えば、2=1+1という正しい数学的動作を行うことで、数字の個性が揺らいでいるように僕には見えます。しかし、1,2,3,4・・・という、順に並ぶものならば、個性は保たれていると思います。逆に、「3」と言うだけなら、個性は見当たりません。
 他に、2,4,6、8・・・と、2ずつ進む型と、1,2,3・・・と、1ずつ進むのでは、十進法を想定しなければ、同じに見えます。
 又、1/2、1、1と1\2、・・・と1/2ずつ進むものを考えれば、1は偶数であるようにも思えます。これは自然数ではないのですが。とても単純な数学的動作により、数字の個性は千変万化します。というより、絡み合っているのでしょうか。
 
 質問のために、私の数字観の雰囲気でも伝わればよいかと思い、補足させていただいております。

 頂いた回答より、「違いが認められるならば、その見受けられる違いの認知を根拠に、個性が存在しうる」という主張である、というようにお見受けいたしました。認知がなければ、個性もないという主張です。
 
 Dの補足をいたします。
 自然数を自然数たら占めている規律は、数字の個性を根拠にしているのか?という質問です。1,2,3であり、1,3,2ではないのは、個性によるところかなあと。数の順序がきまっているでしょう。それを、規律と呼びました。1と2、2と3の「間」は同じです。
1つずつ進んでいる。その「1つずつ」という間は、個性なのか?そして、数学適所動作により、その間は揺らぐのなら、どのように揺らぐのか?
 
 人間の諸問題に比べれば、とても簡単な数字の話だと思っていたのですが、それは、僕の決めることではないようです。難しい事柄にほど、単純さが活きてくるのかなと、少し生きてみて、思うようになりました。今は、この質問のように、単純なものに、難しい事を見ているのかなぁ。
 
 例えば、羊を飼って暮らしているものが居ます。羊は全部で50頭居ましたが、夕方集めてみると、一頭足りません。で、羊飼いはその一頭を探しに行きました。人の顔の見分けどころか、人影さえも見えづらい夜になっても、探し続けたおかげで、羊が一頭見つかりました。羊飼いは、どうやってこの羊を見つけたのか?そして、この見つかった羊は何者なのか?そういう問題が、気になったんです。現実問題、この迷った羊が、野犬に襲われる前に発見され、無事帰還しうるかどうかは、個性にかかっていると思いませんか。山羊ならいいですよ。野犬と闘えるので。
 一頭足りない、という、個の喪失の確実な発見が、数えることによってもたらされているのだとしたら、喪失された個を見つける時に、どうやって見つけるのか。危機感を持って探したはずですです、羊飼いも。
その発見が、いい羊飼いにとっては、容易なことであるのか、困難であるのか、その確かな方法を知らない私には、その発見の確かさを問うだけであり、困難か容易かは問う意味がない。
 数えとは別の、様相の見えない夜闇の中でも働くような、個の認知方法がありえるのか?
居なくなった羊を呼んで、探すような。それは確かか。

 社会生活を建設する中で、自らを主としながらも、自らを家畜化した人間には、いい羊飼いの存在が、幸せを導くのであろうと、私は思います。いい羊飼いは、羊の個性を落としてしまわないことで、羊を幸せにするだろう。そう思います。

 ここにはどんな魚が住んでるんだろう?という安穏な気持ちの程度で、考察していましたが、竿を出さなくても、いい釣りの時間になりますよ。
 
またお気が向けばどうぞ。お願いいたします。ご回答をいただけて、幸せな時間を過ごせました。

補足日時:2005/11/21 01:18
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A)自然数において1は明らかに2とは違うので独立した主体つまり個性と言えるのではないでしょうか。


B)色という集合においては上と同様です。
C)これは自然数、分数、少数という一般者の違いであって個性とはいえないです。
すいません、時間がありませんので続きは後日投稿させていただきます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の方は、精度のたらない回答を提供することもありますので、にもかかわらずご回答いただけるのはとてもうれしく思います。
また、お時間宜しいときに、ぜひご回答ください。
今回頂いたご回答三つ、おっしゃっている事を理解できそうです。特に、Cの説明には、感謝しています。
筋の通ったセンスのようなものを、感じました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/21 04:14

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