在宅ワークのリアルをベテランとビギナーにインタビュー>>

「権利を主張するためには義務を果たさなければならない」といわれます。
この理由がわかりません。
権利だけ主張していたら社会が壊れることはわかりますが、そこに「義務」が必要とされることがよくわかりません。
また、「権利」にたいして「義務」という言葉は不明確な気がして、そのこともわからない原因のようなきがしています...

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A 回答 (36件中1~10件)

訂正。


ニーチェの掲げた、と文中に記してしまいましたが正しくはデカルトでした。(汗、<大汗
御許しください。

ついでの一言。
最初の御質問『権利だけ主張していたら社会が壊れることはわかりますが、そこに「義務」が必要とされることがよくわかりません。』

権利だけ主張していたら社会が壊れることはわかるんですよね?
では、壊れてもいいじゃないかと御考えになりますか?
だから義務が必要でないのでは?と仰るのなら話の流れは大いに変わってきますが
壊れていいとは決して思われないのであれば詰る所、義務とは「壊さないための」諸々の事どもなのです。

もっとも私は壊れていいじゃないかと内心思ってるほうですが取りあえず壊れないのであれば他人に権利の妨害や侵害されて不快になるのがイヤだから一応の義務も果たしておこう…という程度の志低いやつです。
では(とケツをまくり直し)失礼しますよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
ボケか本当に間違えたのか、突っ込むべきか悩みました…汗

壊れてはいいと思ってませんよ。
ただ単に、もっと積極的に意味づけがしたかっただけです。

それは、壊れていけないと思っているのではないでしょうか。壊したくないと思っている?
わけわからなくなってきました…

補足日時:2005/11/26 02:53
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この回答へのお礼

----ご回答してくださったみなさんへ----
この質問は勝手ながらココで締め切らせていただきます。
理由は、議論を整理する必要性を感じたのと、ここ数日このことばかり考えて、日常生活に支障をきたしているからです。

私の言葉尻を捉えただけの反論に、怒らずに付き合っていただいてありがとうございました。

ポイントは甲乙付けがたいので誰か一人選ぶことはできませんでした…汗

お礼日時:2005/11/26 04:45

『カミュ…セインカミュの曾爺さんですね』


ハハッ大叔父さん、だそうですね母方の。ま、それはさて置き。

『そうだとすると、寝たきりの人にとって生きることは重荷以外の何者でもないような気がします…』

ほら、ここらがもう「気がする」という御自分の想像の域から出られない。つまり結論する資格はないということです。資格がないのであれば、どうするのがベターなのでしょうか?どうすることしかできないのでしょうか?

『でも「肩代わり」される人は何もしていないのでしょうか?
何もしていないとすると「関係・無関係」といった利害関係で考えた場合、お荷物以外の何者でもなくなってしまう』

やはり御自身の疑問が、どこに立脚しているかということ自体まだ、あやふやなようですね。
何もしていないようだけれど何かをしているらしい人を例に挙げたいのですか?
それなら他の御回答者たちが、その辺を巡って丁寧なエピソードと考察を提示してくださっていますよ。

それとも本当に何もしていない、できない―考えることも思うことすらもできない、そういう人を想定しているのか、どっちなんですか?

思うこと考えることすらできない人には、しかも生まれつきなら尚更のこと「何が義務か重荷か」そんな概念すらないでしょう。
ずっとずっと以前、こうした状態にある人を巡ってニーチェの掲げた「我思うゆえに我あり」が通用するものかどうかを問うような質問がありました。

『「関係・無関係」といった利害関係で考えた場合』

何故、狭義の利害関係で考えなければならないんですか?関係がない、という保証は誰にもない、と申し上げたことを理解しておられませんね。

権利と義務にそんなに差異をつけて考える必要はないといった御意見もあるようですが、これも、ご尤もだと思います。
私が先に申し上げた「無関係でない」ということにも繋がってくることです。

栄養素と同じことなんですよ。
自分の体内で作り出せない栄養素は食物から補給する。しかし一つの栄養素は、それ自体だけでは働くことができず必ず他の栄養素の補助や媒介、連動作用があってはじめて、その要を満たすことが可能になる。―この世界の本質が表れていると思います。

哲学は本質の追究が目的です。だが人間に最終の解答は出せないことも分かっている哀しい学問です。追究の手綱を緩めないことは基本的姿勢ですが、くだらないソフィストにだけはならないよう用心してください。ソフィストは誰も救いません。混乱させるだけです。

『それとも生きること自体で何かしているのでしょうか。そう考えるとカントが気になります…』

「人間は手段ではなく目的自体である」

そうカントが言ったてんでしょ?
「人間が目的自体である」と。そうすると貴方が「関係が無関係が利害関係が」と仰るのは「手段」に拘ってるに過ぎない、ということ、まだお気づきになりませんか?

もっとも私が、これまで申し上げたことはカントのレベルからすれば或る意味、身もフタもない、それこそ殺伐とした説明です。少しでも分かり易く現実的に明快に、と思ったのでね。でも御質問者は、このレベルの説明では気が済まないようですな。私は人間の価値に懐疑的ですが御質問者はそうではないようです。

ワシはかんと読んでねえでげすよ。すまんの。
(ケツまくって走り去る)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>ほら、ここらがもう「気がする」という御自分の想像の域から出られない。つまり結論する資格はないということです。資格がないのであれば、どうするのがベターなのでしょうか?
黙っとくということですか?
うーん、そうするべきだと思います…
以前はそうだったのですが、知っている知らないを吟味していると言葉を呑んでしまうのと、知らないことをさらして指摘されるのも成長だと思っていたのドンドン言うようにしていました。
しかし、ココは会話の場でないのでご指摘の通りです。

>やはり御自身の疑問が、どこに立脚しているかということ自体まだ、あやふやなようですね。
寝たきりで意識はあって、まぶたしか動かせない人を想定します。

>ニーチェの掲げた「我思うゆえに我あり」
デカルトでは……大汗

>何故、狭義の利害関係で考えなければならないんですか?関係がない、という保証は誰にもない、と申し上げたことを理解しておられませんね。
うーん、理解できません…
前の回答で、「将来にかけて」とありましたが将来の利益を考えている点で、利益を考えているとして利害関係としました。
一方通行なので利「害」とは言うのはおかしいですね。
そういうことでしょうか。

>ソフィストは誰も救いません。混乱させるだけです。
片足突っ込んでいます。
反省しています。

>「人間が目的自体である」と。そうすると貴方が「関係が無関係が利害関係が」と仰るのは「手段」に拘ってるに過ぎない、ということ、まだお気づきになりませんか?
恥ずかしいのですが、サッパリわからないんですよ…
人間が目的?????手段??????くらいわかりません…

>私は人間の価値に懐疑的ですが御質問者はそうではないようです。
そうなんですよ。
固定観念なので捨てます。

補足日時:2005/11/26 02:50
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あなたの真摯な姿勢に打たれ、またお邪魔します。


折角の哲学カテですから、少し穿った論点からの話をしてみたいと思います。

どのような目的があって「権利を主張するためには義務を果たさなければならない」と言われているのか?
という視点でちょっと思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
【言われている理由】を考えようとすると、天秤にかけた【損得】が論点になってしまいやすいのですが、【言われている目的】についてです。

そうすると「あらゆる決まりごとは人間の幸せのためという目的」の為に作られた筈だ、という自明のことを思い出しやすくなります。(いくつかの例外はあるのでしょうが)
ということで、私は「権利と義務」どちらも人間にとって幸せをもたらす行為に違いないと一見短絡的に見える結論に到ります。

権利だけの行使では、「かけがえのない一個の人間として本来得られる筈の充足感(幸せ)」を獲得することはできないのです。
勘違いしている人々もいるでしょうが、それは事実でしょう。
「権利を主張するためには義務を果たさなければならない」とは、そういう勘違いをしている人々が誤って不幸にならないように(どなたかは知りませんが)言った言葉なのだろうと思います。

他人から言われると、当然のことでも強制されたように感じてしまうのが人の常。
権利は無論、義務でさえも実は人間に与えられた、というより生まれながらにして持っている【権利そのもの】です。

納税の義務?
ではなくて「納税の権利」です。
ちょっと考えればわかることですが、納税しないということは、例えば家の前の道路を舗装するのに隣の家の人にお金を出してもらうようなものです。
それを心から望む人がいるでしょうか?
収めた税金を、○鹿な政治家や頭でっかちの役人たちが適切に使いこなせないために国民の不満と不信をかい、まるで自らの住む環境を整えるために労働するのが強制であるかのように感じてしまうだけなのです。

ことほど左様に「義務」とは、「強制されなければ実行することを忘れ、その為に本当の幸せを得る機会を失う可能性が高い権利」なのです。
権利ですから、基本的には行使するもしないも本人の自由です。
義務そのものに不満を持つ人は実は少ない筈だと私は考えます。
自らが果たした義務の結果が有効に生かされていない事を知った時、不平・不満が出るのだと。
そして「義務」のイメージがさらに下がるという悪循環を繰返してきたのではないかと。

寝たきりの方が生きるのは義務と申し上げたのは、このような意味です。
「権利」と言っても実は同じです。
死にたいという権利も確かにあるでしょう。個人的には否定しません。
しかし、どのような角度から考えても他者の存在、他社の影響、他者の対応などによって「その権利の行使を強制される」ようなことがあってはなりません。
無意識であったとしても、それは広義で他者の犯罪と言えるほど重い意味を持っています。
それに気付くためには、人類がもう少し想像力を働かせなくてはなりません。
どなたかもおっしゃっていましたが、それが自分自身の為でもあることは間違いないでしょう。
別のどなたかは確か『能力の問題』とおっしゃっていたように思いますが、それに倣い私は『可能性の問題』ではないかと申し上げておきます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。
よくわかりました!

ただ、最後の行がよく理解できませんでした。
ゆっくり考えたいと思います。

補足日時:2005/11/26 03:19
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もうちょっと補足しますね。



>、「権利」にたいして「義務」という言葉は不明確な気がして

義務とは、まもらければいけないルールや約束を守る責任ということです。
多分責任という概念も説明が必要でしょう。
責任という言葉ほど日本人にとって曖昧な言葉はないですから。
女の子を孕ませたら結婚するのが「責任」のとりかたではありますが
実は結婚して不幸にさせたらこれは責任をとったとはいいきれません。
また、人を殺してしまった人はどうやって「責任」を取ったらいいか
というのも結構難しい問題です。
責任とは、多くは損害賠償とか金銭的な解決策が多く用いられます。
ですから、まず責任とは金を稼いでいる人間でないとうかつに口にして
はいけない言葉だというのがなんとなく想像できます。
高校生の娘が同級生に妊娠させられてそのガキが「ぼくが責任とります」
なんていわれても不安がますばかりです。
じゃ、成人していて稼ぎがあればヤクザでもいいのかというのは、それも
困ります。
事ほど左様に責任というのはなかなか取るのが難しい。
人間生きていく間に過失や勘違いや出来心で失敗をしでかすことがよく
あるわけで、必ずそこで責任を問われるのです。
日本人はそういうところで自己犠牲で代価をはらおうとする。
指をつめたり腹を切ったり。
でも、そんなことで相手の損害は回復しないわけです。

さて、そうそう、責任でなく義務ですね。
ととえば、夫婦や恋人どうしなら、セックスする権利がある。あるいは
抱かれるのは女の義務だ・・などということを言ったとします。
実は、義務で抱かれてくれるなら抱かれてくれなくてもいい・・そういう
ふうに言いたくなりますよね。
義務という言葉、生来このように極めて「角が立つことば」なのです。
義務教育といったら、受けなくちゃいけない・・って話になりますけど
実は教育を受けるのは権利であり学習は喜びであるはずです。これは
厳密には親が受けさせなくてはいけない義務という意味です。
また、契約でよく「守秘義務」ということがあります。これは秘密をもらして
はいけない決まりのことです。
でもなぜこういう義務があるというかというと秘密を漏らす人が多いから
なんですね。大体普通は喋るなといわれたら喋りたくなるのが人情。

納税の義務というのもそういう類で、とにかく世の中には節税指南は
もとより、脱税の犯罪には枚挙にいとまがないほど。税務署の職員が
全国に何万人と必要になるゆえんです。
つまり、税金を納める義務など、なるべく回避したいというのが本音です。

ですから人は罰則を課すことではじめて義務を果たさないとまずいなぁと
思わせるようにするのです。
さきほどの守秘義務に違反したら相応のペナルティが課せられるわけです。

それから、結婚も立派な契約行為なのですが、そこでは妻子を養う
義務やセックスをする義務などが民法で決められています。
これに違反すると、離婚という話になって、慰謝料という名の損害賠償を
払えといわれます。誤解を避けるために申しますと私は払っておりませんので
お間違えないようにお願いします。
さて離婚協議が整えば、養育費の支払い義務が生じます。
もともと子供を生ませた以上、育てる義務が父親にもあるからで、相応の
金を送金せよという話になります。
さて、養育費を払わない父親というのもなかにはいますが、そういう義務の
違反には実は罰則がないです。厳密にいえば裁判所が給料を差押さえますが
給料がない父親は養育費をはらえません。
でも養育費の支払い義務がなくなるわけではなく、一生借金としてついてまわる
のです。
もちろん時効というのはあって5年しらんぷりしていたらチャラという抜け道も
あったりします。

さてこれだけ書けば「義務」というのがいかに「厳しい」ものかおわかりでしょう。

さてくだんの「権利を主張するためには義務を果たさなければならない」
についてですが、たとえば私が養育費を払いわすれた(義務を果たしていない)から
今月の給料をもらう権利がない・・・というのは一見無関係のようにも
思えます。
実は逆で、給料をもらう権利を行使しないと、養育費の支払い義務が果たせない
という順序だと言いたくなります。
でも、実際は、まさにその通りになりうるのです。
私が、養育費の支払い義務を怠ると、私の権利である賃金をうけとる権利(法律的に
には賃金受け取り債権といいます)を差し押さえて、権利を拘束できるのです。

実は刑法というのは、すべてやってはいけない守るべきルールを規定してます。
人を殺したり傷つけたりしてはいけない。そのルールを守るのは我々の義務です。
でも義務を果たさない・・・つまり犯罪を犯したら、市民としての自由がたちまち
拘束されます。権利を剥奪される。これはわかりやすいでしょう。

交通違反や駐車違反。ルールを守る義務をままおらなかったらキップ切られて
罰金はらいます。免許という「運転する権利」まで剥奪されたりします。

このように、法も倫理も同じく、義務と権利の相殺関係でバランスを維持している
のです。
もういいかな?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
よくわかりました!

あと、一つ前の補足で、私が勘違いしていると思われるところがありました。
お詫びします。

補足日時:2005/11/26 02:10
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はい。


おそらく、ひとりの人のなかで、義務と権利がの総和がバランスしなくては
いけないと思い込んでいませんか?

実は世の中そこまで、公平ではないです。
権利・義務の概念が出来てきたのは、市民革命以降の話で
なにも寝たきりの人を出さなくても、ブルボン王朝やキリスト教社会では
権利のみを享受して義務がほとんどない人々もいたのです。

でも、ベンサムが最大多数の最大幸福とかを求めるのが立法の基本だと
いったあたりから、なるべく皆で均等に義務を負って、権利も平等にしようね
という話になったわけです。

フランス革命が18世紀末ですから、そんなに古い話ではないのです。
私が権利の数だけ義務があると申し上げたのは、ひとつのコミュニティ
(社会)の中の話であって、個人の人生で権利義務のバランスが取れる
と申し上げたつもりはありません。
ですから、
(1)果たせない義務もある
(2)行使できないままに終わる権利もある
のです。
自分の義務を果たせない場合は、質問者さまの御賢察のように、誰かが
かぶることになります。
ですから、なるべく自分の負った義務は、自分で果たすのが「人に迷惑を
かけない生き方」ということになろうかと思います。

>「権利を主張するためには義務を果たさなければならない」といわれます。
>この理由がわかりません

とのお話ですが、これは「権利を行使する」条件として「義務を果たす」ことが
必要という「因果関係」を示しているのではないのです。
皆が約束を守らないと、この世の中は成り立たなくなるよ。
という程度の警告にすぎません。
金を使ってばかりいたら貧乏になるよ。すこしは金を稼いだほうがいいよ。
という理屈ですが、懸命な質問者さまは「富豪の御曹司など例外だ」と
すかさず反論しそうですね。
世の中には、貨幣が流通していますが、貨幣と物やサービスなどの財が
バランスを欠くとインフレやデフレになるのは御存知の通りです。

では、世の中で義務と責任のバランスを欠くとどうなるかというと、信用不安や
詐欺などの犯罪、さらには紛争、係争、裁判、喧嘩、大きくは戦争などが
起こるということになります。
夫婦喧嘩も中東紛争も根底は同じことです。約束事をきちんと果たしてきていた
ら相互の信頼関係は強固なものになるはずです。

女にモテるためには身奇麗にしていなければならない
というのも、同じ言い方で、身奇麗にしたからといって必ずしも女にモテルわけ
ではないです。同様に、義務を果たしていたからといって、全ての権利が行使
できるわけではないです。
義務を果たしてない人が権利を主張すると社会から白い目でみられますよ。
という意味です。
ここで、寝たきりさんを出すのはルール違反です。この義務は誰かに代行して
もらってもOKです。
そりゃ身内のだれかに「負い目」が増えるだけの話です。
少なくとも、自分がまっとうな人で「自立した大人」でありたいなら、身内に
義務を代行してもらわずに、自前で義務を果たしておいたら、後ろ指さされずに
済むよ。という話です。

別に、義務を果たしていなくても権利は主張してもいいです。
ただ、そういう人はかなり恥ずかしい。
姉歯さんは、自分が一級建築士として果たすべき義務を怠ったことを忘れて
施工会社やマンションデベに要求された。生きる権利としてやむをえずに生活の
ため構造計算をごまかした。
などと主張するから、人間として最低の奴だと思われるのです。
ことほど左様に、人間は自分がやるべきことをきちんとやっていたら、何も
怖れることはないということです。
そういうふうに世の中に仕組みは作ってあるから心配するな。
そういうことを
「権利を主張するためには義務を果たさなければならない」
という言葉は言っているだけです。

だって、権利ばっかりで義務果たしていない人間がいるじゃんかよ
というのは、働かなくても食っていける金持ちがいるから、おいらも働かないよ
というのと同じです。
そういう立場の人が世の中に3割いたら、それは確かに「不公平」だと反論の
余地もあるでしょうが、1000人にひとりのねたきりさんの例をだしても
何の証明にもならない気がします。
それがうらやましいなら自分もそういう境遇にうまれたらいいです。
生活保護の子が給食費持ってこないからぼくも忘れていいんだ。みたいな
幼稚な議論はこの辺で終わりにしませんか?

それとも何か正当化したいものがあるのでしょうか。

それと、ひとつ重要なことをお話します。
人間はものごとを考える場合、自分の立場で考えるということが極めて重要です。
極端な話、他人がどう考えていようとそれは他人の考え方生き方であって、質問者さまが頭で想像してみても理解が及ぶものではないということです。

義務と権利は、18世紀の市民革命以降の市民社会の倫理の基本であって
それ以上のものでもそれ以下のものでもないです。

社会のしくみやバランスを支えるというだけで
ねたきりさんの生きがい論を語る材料にはなりません。

根底にあるのは個人の自立という考え方です。
教会や家族やそして神にさえも依存しないで
個の自立をめざすことが民主主義の根底にあって
自由平等博愛といった価値観を支えるものだという
市民社会のパラダイムを説明しているだけなのです。

生きることは、義務ではないのは自明です。
誰のために生きているかは、おのれのためです。
人のために生きているのならそれは義務といえるかも
しれませんが、奴隷社会でさえも、人々は救済を
求めて生きてきたみたいですから

それから、選挙権というくらいで、投票は権利ですよ。

というか、権利と義務の区別があいまいなうちはあまり余計なこと考えずに人の果たしてくれている義務に感謝していたらいいと思います。

権利と義務が対語であることについては高校の倫理社会で学ぶはずです。

私も52歳ですが決してモラリストではないです。
どとらかといえば、他人が義務を果たさないことを
追求してばかりです。
たとえば、納税の義務なんてありがたくない義務が
ありますが、いちおうサラリーマンですから勝手に
とられてますよ。源泉徴収っていうんですけどね。

別れて暮らす子供に養育費送ってますが、義務という
より責任意識ですよね。
建築基準法が「最低の基準」であるように、権利・義務は実はまもらなくてはいけない、あるいは保障され
なくてはいけない最低の基準なのかもしれません。

いやー。権利と義務
社会人として最低の理解すべき概念なのに

質問者さまが理解されてないというのは
学校教育の荒廃ぶりがうかがえて
私は とっても残念でなりません(;;)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
ちょっと気持ちがなえているんですけど補足します。

>義務と権利がの総和がバランスしなくてはいけないと思い込んでいませんか
思ってないつもりなんですけど、思いがちです…

>皆が約束を守らないと、この世の中は成り立たなくなるよ。という程度の警告にすぎません
そうおもうからこそ質問しました。
現象はわかるのですが、本質がわからない限り新しい社会問題に対しては対処できないと思っています。
また、現象だけ見ていたら、勘違いも起こります。

>女にモテるためには身奇麗にしていなければならないというのも、同じ言い方で、身奇麗にしたからといって必ずしも女にモテルわけではないです。
まったく同感です。でも、モテるためには何らかの変革が必要です。そうだとすると、内面をすぐに変えることは難しいので、内面をかえる切り口としてすぐにできる身奇麗にする方法から入るのもアリだと思います。
「義務」とは何か?という意味を積極的に組み立てる方法として、「ねたきりの」の人は「義務」の範囲が少ないと思ってしまったのでこの例を出したに過ぎません。
少ない分だけそこにあるものが本質的に思えたからです。
途中で、寝たきりの人が読んだらどう思うかなとチュウチョしたのですが、哲学なのであえて例に出し続けています。

>別に、義務を果たしていなくても権利は主張してもいいです。ただ、そういう人はかなり恥ずかしい。
まったく同感です。

>幼稚な議論はこの辺で終わりにしませんか?
たしかに、お山の大将状態になっているので、一度終わりにしたほうがいいかもしれません。
回答にあった本を読んで、もう少し勉強したほうがよさそうです。
でも、それでもわからなかったらもう一度質問するつもりです。

>それとも何か正当化したいものがあるのでしょうか
はじめはぜんぜん考えていなかったのですが、ねたきりの人や障がい者問題を考えるにあたって、この質問を考えることでその構造がすこしでも見えるような気がしています。
それで、ますます「寝たきりの人」にこだわっています。

>人間はものごとを考える場合、自分の立場で考えるということが極めて重要です。
そうでしょうか?
客観的に見ることこそ重要ではないでしょうか?
人の気持ちは想像がつかないとしてしまうのでは、固定観念に流されてしまいます。
もちろん、他人の立場は想像でしかないので、想像がつかないのは重々承知ですが、それでもいろいろな面から考える必要があると思います。
私が他人の立場に立って考えた場合の、他人の立場は正しいとはまったく思っていません。
あくまで、論を進めるための前提です。
いろんな立場で考える必要がありますが、一つの立場に絞ることで、不都合な点を洗い出して本質に近づこうとしました。

>権利と義務が対語であることについては高校の倫理社会で学ぶはずです。
習っていません(たぶん)…汗
私が高校のとき理系は地理を勉強しただけで卒業できました。
なので、歴史や倫理は中卒です。
以前は、政治も社会問題もはっきりいってどうでも良かったのですが、それではイカンとおもいなおして勉強しなおしています。
やはり、地道に高校の参考書から勉強するべきとうすうす感じています。

>というか、権利と義務の区別があいまいなうちはあまり余計なこと考えずに人の果たしてくれている義務に感謝していたらいいと思います。
でも試行錯誤して理解しなければ、都合のいいフレーズに簡単にだまされる気がしています…

>それから、選挙権というくらいで、投票は権利ですよ。
そうでしょうか。
選挙に行くのは国民の義務だと以前テレビで言っていました。プロパガンダですかね。
惑わされるのでここ数年テレビは見ていません。

>権利と義務 社会人として最低の理解すべき概念なのに
本当に理解している人が何人いるのでしょうか?
わかったつもりの人が、社会人にはたくさんいるのではないでしょうか。

と思うんですけど…

補足日時:2005/11/25 20:38
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#3および、憲法のところで回答したです。

う~ん、すごいことになっていますねぇ。あの憲法の話からここまで(汗)。(半分俺のせいか!?)
なんか、皆さん似たようなご回答なので、少し違った回答をします。かえってこんがらかるかもしれませんが。
権利と義務は、反対のようなものに見えて、実はそんなに違わない。義務も見方を変えれば権利になる。その逆もありえます。(似たようなことを書いていた方がいましたが)
簡単に説明するために、OKwaveを例にあげると、質問や回答をする権利を得るためには、サイトのルールを守る義務が生じます。また、質問を答えてもらう権利を得るためには、わかることがあれば答えるという義務が生じているはずです。しかし、答えるという義務は、見方を変えれば、自由に回答できる権利も行使しています。また、質問者側もいやな意見も読まなければならない義務も生じています。もちろん無視する権利もありますが、あまり好ましくは無いでしょう。(憲法の選挙権や勉学の権利はこれにあたると思います。)

また、他の権利と義務の説明の例とするなら、
回答をするという義務を果たせば、ポイントをもらえる権利は発生しますが、必ずもらえるものとは限りません。質問者が、まったく発行しなかったり、他の人が持っていったり。ここから、義務を果たしたからといって権利が有益になると限らない場合があることがわかります。(人によっては、権利とすら思わないかも)

質問者というのは、権利を行使している方たちになりますが、サイト側から見れば必要な存在となります。質問者がいなければサイト自体成り立たないわけですから。また、質問者がいないと回答も出来ませんので。このように、いるだけで必要とされる存在もあります。herbie1さんが良く書かれている、一生寝たきりの方はこのような存在になります。国にとって、または特定の個人にとって、ある見方をすれば、必要不可欠な場合が存在するわけです。生きる権利とともに、存在する義務が生じているわけです。(数というのは、それ自体がどうであれ、有効になることがある。)また、もしかしたら、回復するかもしれないので、権利の先払いの可能性もあります。
回答できることがあまり無く、質問ばかりすることも同様のことです。

そして、権利ばかりを行使していたり、義務を守らなかった場合、権利の行使はできますが、何らかのペナルティが生じます。削除されたり、肩身が狭くなったり。大部分は気持ちの問題になってきます。質問ばかりしていても後で必ず回答する気があれば、気にならないでしょうし、まったく気にしない人もいます。
また、権利と義務をどれだけ行うかは、人それぞれになります。回答ばかりの人もいますし。(それはそれで楽しいのですが・・)

ちょっと、支離滅裂なわかりにくい文章になってしまいましたが、これらの例から、かなりの量の権利と義務についての解答が得られるのではないかと
思います。(半分ぐらい期待ですが^^)

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。
よくわかりました!

補足日時:2005/11/26 01:51
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>テイクしかできない人についてどう説明しますか。


>例として、生まれつき寝たきりの人をあげます。

こういう風に考えたらいいのではないですか?
生まれつき障がいを持った方は、本来もっとさまざまな「権利」を持って
いるはずの多くが果たせない訳です。
自由に野山を走り回る権利は誰にもある。公園の運動場で野球を楽しむ
権利や、公共施設を利用する権利もあるはずなのに行使できない。
だから、権利が普通のひとより少ないです。
でも、障がい者だからって、住民税も所得税も払っています。
障がい者だって、市民社会の義務を果たしている部分はすくなからず
あります。


>そういう人は、例外として「義務」を親や国が引き受けていると考えられそうです。
そうではないです。本来得られるはずの権利が、得られない分だけ、義務が免除されて
いると考えるべきではないですか?
障がい者のほうが、義務を国や親に肩代わりしてもらって、権利だけを人並みに享受でいて
いるとしたら、そりゃ皆が羨むはずですけど、誰もうらやんだりしないのは
もっているはずの権利を行使する機会を失っていると思えるからです。

>そうすると、その人自身は義務を何もはたしていないように思えます。
果たしていますよ。果たすことが「人としての自立」であるから、権利を行使できなくても
うけている権利に対して義務を果たしたいという意思は持っている。それが人間の
矜持というものです。
だれでも、誰かに依存して生きていくことを好ましいと思っていないでしょう。
自分も何かの形で社会に役立ちたい。そう思う気持ちが、障がいを持った人々に生きる
勇気と希望を与えているのではないでしょうか。
障がいを克服して、何か出来ることを少しでも増やしていきたい。そう思うのがまっとうな
気持ちだと思います。

>でも、どうしてもその人自身何らかの義務を果たしているように思うんですが
>・・・まず「生きる」ことが考えられます。

生きることは、義務ではないです。生きることは、自分の生命を維持することではありますが
自主的に生きていると思うのは間違いで、社会と生命の力のおかげで生かしていただいて
いるということです。
カップめん一個食べるにも、「社会」がなければ得られないです。息を一息吸うにも、身体に
生命力がみなぎっていなければできません。

>でも、「生きる」のは自発的なのに、義務かなー?とも思ってしまいます。
生きるのは、自発的でなくて与えられたものです。自分の意思で生まれてきたのでなく
父母の行為を必要とします。誰にも生んでくれた母親がいますし、孕ませた父親がいます。
ですから生まれてきた限り、生きる権利があります。

>とすると、テイクしかできない人も何らかの「義務」を担っているのかな?とも考えれそうです。
テイクしかできない人・・・というのは、仮に生まれたばかりの赤ん坊を例に考えると
赤ん坊は、生きる権利ばかりを主張しているようで、ちゃんと子供として親に、喜びを与えています。
赤ん坊が、健康でにこやかに微笑んでいる様子をみて、父母や祖父母はこの上ない幸福感を
感じます。子宝などいう言葉があります。
生きる喜びや希望を子供は親に与えるのです。もちろん、子供は、喜びを与えるのが自分の義務
だとは自覚していません。
しかし、子供が物心つけば、自分が成長して、権利を拡大し義務を果たせるようになることが、
親に対して社会に対して「おおいなる義務」であるという自覚はあります。

>それとも、例外として義務を持たないのでしょうか。
義務を持たない人間はいません。ただ、果たせない義務というのはあります。
果たそうとする意思や義務の存在というのが人を生長させると考えてはどうでしょうか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>権利が普通のひとより少ないです。
納得です!

>でも、障がい者だからって、住民税も所得税も払っています。障がい者だって、市民社会の義務を果たしている部分はすくなからずあります。

そうでしょうか。(すみません汗)
その税金は自分で稼いだお金でないので、親に肩代わりしてもらっているのではないでしょうか。
そうすると、市民社会の義務は何もしていないとおもいます。
いや、投票はできると考えてみました。
投票は義務といわれています。
でも、個人的には果たしても果たさなくてもいい義務だとおもっています(ここは人によって違うので後の論に影響します…)。
そうすると、政治に関心がなければますます何もしていないことになります。
寝たきりの人が、例えばテレビゲームに生きがいを見出したとすると何もしていないことになるのでしょうか。
そうとも思えません…

>生きるのは、自発的でなくて与えられたものです。
納得です。
以前の回答者の生きるのは「義務」であるとされていたのは再考の余地ありですね。

>子供が物心つけば、自分が成長して、権利を拡大し義務を果たせるようになることが、親に対して社会に対して「おおいなる義務」であるという自覚はあります。
生まれつき寝たきりの人はどうでしょうか。
将来自立できる見込みのない人は、権利を拡大できず、義務もあんまり果たせないと思うのが自然ではないでしょうか。
いや、そうだからこそできる範囲での最大限「義務」を果たそうと考えるのだ。
義務の大きさは個人によって違うので、どれだけ果たしたかも、個人ごとに考えるべきだと考えまてみました。
その場合、最小限の義務とは何かを考えると、生きること??と思ってしまいます。
そうすると、生きることが義務になります…
いや、それは義務ではない。
生きること以外で最小限の義務を考えるべきだ。
そういう状態として寝たきりの人を例として考えてみても、よくわかりません…

>生きる喜びや希望を子供は親に与えるのです。
同様に、寝たきりの人は悲しみと絶望も与えるのではないでしょうか。
そして両者の戦いが続く気がします(テレビドラマの影響なのでそんなことまったくない可能性があります)。
だとすると、喜びと希望だけを強調するのはどうでしょうか?
いや、喜びと希望は、悲しみと絶望に打ち勝つのだ。
でも、看護疲れで殺人を犯す人がいる以上そうともいえない気がします。

>義務を持たない人間はいません。ただ、果たせない義務というのはあります。
ということは、義務をまったく果たせない状態が仮定できるということでしょうか。
そうだとすると、義務をもっているのに果たせない状況を肯定することになります。
なので、寝たきりの人は何もしていないと肯定することもできます。

>果たそうとする意思や義務の存在というのが人を生長させると考えてはどうでしょうか
同感です!

だんだん難しくなってきました。
自分で議論をかき回しているだけの気がします…汗

補足日時:2005/11/25 16:51
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この回答へのお礼

自分の都合のいいところだけ引用して反論しているかもしれません。
山田のかかしさんの言いたいことが、あんまり理解できないまま反論している可能性がおおありです。
ごめんなさい。

お礼日時:2005/11/25 17:10

詰まらん補足に、丁寧にお答えいただき有難うございました。


だんだん汗の量が増えてきて、たいへんですね…タオルタオル。
『”真実探求のためには手綱を緩めることは潔しとしない”という姿勢が窺えて個人的に共感しています。』
私も同感です。哲学だからね。怒る人だっているけどね。

『死んで苦痛からの開放を実現すると考えます。
何となく死にたい人もいます。
つまらなさ(むなしさ)から開放されたいかもしれません。
死ぬことで「開放」されることではないでしょうか。』
ふむ。つまり苦痛、むなしさ、つまらなさが前提なんですね。だったら『自己実現』じゃなくて『敗北宣言』じゃないかってカミュあたりが言いそうだなあ。

権利って、生まれる前の赤ん坊の権利なんかはあるのか?とか考えると頭痛くなってきますが
寝たきりの人のそれを考えるなら…要するに病人であり障害者ですね、やっぱり自分の身に降りかかってみないと分からないんだろうな…
「あすは我が身」
ということばを思い起こされたらいいと思いますよ。自分自身じゃなくても自分の子どもがそうだったら、とかね。
誰だって、いつ何時そういう状態になるのか分からないんだから結局は自分の問題として受け止めるべきなんです。皆一人ひとりが、ね。
貴方がいまから寝たきりになって、言うところの義務の履行100%ゼロ状況に陥ったとして、それと同時進行で「ああー義務の履行能力がゼロになった、死にたい。痛い辛い、死にたい」と心底思うかどうか保証の限りじゃないでしょ?
また、どんな姿になっても生きててもらいたい、と思うのも親しい人が思う自然な感情でもあるでしょ。

赤ちゃんや幼児にしたってそう。皆最初は義務履行能力ゼロの赤ん坊から出発した。でも育ててもらった。何でか?出世払いというか未来時間を見越してです。つまり可能性―どうなるか分からん、けど、いいほうに考えようということです。だって自分も無関係じゃないもの。
無関係じゃないという点では寝たっきりもしくは障害者だって同じことです。
「人を殺して何故悪い」という問題と、ここでの議題は底通してると思います。

権利と義務をごくシンプルに解釈しようとするなら他の御回答者が挙げられた「買物」を例にとったら、よく分かると思いますが。
「これが必要」手に入れるのが権利なら
「へい、まいど!」お金払ってもらうのは義務。
金払わずに手に入れたがるのは幼児だし手に入れるオトナがいたらパラサイトかドロボー。

ワケあって両方とも自分でスムーズに実行できない人のは皆で肩代わりする。何故って無関係じゃないからです。少なくとも無関係の保証はない。

蛇足ですが動物でも食糧貯蔵するやつ、いるね。忘れてしまうことが多いみたいだけどね。
あ、うちのオカンもそうだった。冷蔵庫入れたまま腐らせたり…バチあたり。

この回答への補足

カミュ…セインカミュの曾爺さんですね…汗

ご回答ありがとうございます。
グースカさんのおっしゃるとおりです。私もそう思います。

でも、「肩代わり」される人は何もしていないのでしょうか?
何もしていないとすると、「関係・無関係」といった利害関係で考えた場合、お荷物以外の何者でもなくなってしまうとおもいます。

それとも「生きててもらいたい」という家族の感情を支えていることをしているのでしょうか。
そうだとすると、寝たきりの人にとって生きることは重荷以外の何者でもないような気がします…

それとも生きること自体で何かしているのでしょうか。
そう考えるとカントが気になります…

補足日時:2005/11/25 04:56
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スーパーギブの人、スーパーマン役を演じた、故クリストファーリーヴさんが落馬事故で頚椎損傷で首から下の自由が奪われて、スーパーテイクの人になってしまった直後の話です。



事故直後3歳の息子が「パパの手はもう動かないの?」と奥さんに尋ねる。仕方なく「…そうね」。また息子が「パパ、もう走れないの?」「…そうね」と答える。しばらくしてから息子は「でもお父さんは笑うことができるよね!」奥さんは「そうね!それができるのよね」と嬉しくなりました。

リーヴが運命を知った時、奥さんに「死なせてくれ」と言った。「あなたはあなたのまま」と奥さんは言った。そして2年後わずかに全身に感覚が戻り指先を動かせるようになった。奇跡が起きた!!

「スーパーマンを演じた男が、本当にスーパーマンになったってよく言われるけど、そうじゃないです」「人間、みな持っている力なんだ。歩いたり、走ったり、物を持ったり、笑ったり、食べたり、みんなが持っている力を、愛と忍耐力と継続することによって取り戻しただけで、誰もスーパーマンである必要はないんだよ」

りーヴがわずかに回復したことは奇跡に近いのですが、それ以上に彼には価値がありました。

不自由な体でも次の時代を用意しつつ、無心のままで満足してる子供、任せっきりでいて満足して奥さん。それは与えられていたのではなくリーブ自身が既に持っていたもの「価値」だと思います。

経歴や資産や資格があるからといって、喜怒哀楽を分かち合う人となるのではないように、「人間は手段ではなく目的自体である」(カントの「尊厳」より)道徳以上に、完なる本能“美”があるのではないだろうか?と思う。

美とは?必然的に快である。
快とは?必ずしも美ではない。
善とは?必ずしも美ではない。

「心」とは先天的な資質、本能ではないかもしれないけれど、人が人間社会で生きるうえで必ず獲得するものならば本能と確定してもいいと思う。

でも「理性」は学習や努力と不完全さからの逃避、執着という自由からの逃避というイメージが湧くのです。

でも心地よさ=美意識から来るものは、考えたからではない本能から、否、本能よりもっと大きなものから与えられている?超自然な感覚ではないかとも思う。

道徳は記憶に所有された私を支配している。
美醜は記憶に干渉される以前に感じさせられている。

ヒーローが弱者になろうとヒーローのまま憧れ続けるし、無関心な人が死んでも無関心である。霊魂が生きていてもやっぱり死んだ人である?よって、弱者になろうと死んでも、その人の価値を知る人は価値を見出し権利を与えるのはないか。

生きてる内に宣伝活動(義務の執行)をしなくても価値を認めてくれる人を得ているなら、次の時代がちゃんと価値を与えてくれます。

要は価値のある人間でいたか? 尊厳を持って生きていたか? 

色んな人間が寄って少ない食料を分け合わなければいけない状況になったとして、強い人が子供や弱者の分まで摂ることが、その人の権威的理想なのだろうか? 

弱肉強食、差別が資本主義の理想。けれど、そういう社会をぶっ壊そうと可能な限り考えるのも、美意識を感じるのも、笑うことが出来るのも人間だけである。

スラムを増やし、なるべく肥満しましょうという人はまず居ないが、(いや居るかも?)資本主義的にスラムを強制撤去するのは急場の後手戦略で、スラムが出来にくい社会を用意するというのが大場なんですけれど。決して共産主義の賛美ではなく可能性として言ってみただけで…。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

あるべき人間の姿とは、価値ある存在であること。
なぜなら、価値を認めることは美意識からきており、それは超自然な感覚だからである。

義務も価値を与えるための手段でしかない。
また、権利も価値を与えるための手段でしかない。

そして、価値は超自然に認められるのだから、今与えられなくても後で与えられる。

ということでしょうか?

道徳が超自然的な概念かと思ってしまっていました。
がんばって考えましたが私の限界を越えた部分でのご回答なのでよく理解できませんでした…汗
また、明日読んでみます。
カントが気になります。
ありがとうございました。

補足日時:2005/11/25 04:26
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たびたびNo.6です。


血も涙もない殺伐とした世界へようこそ・・・(苦笑

「義務を果たそうとしても果たせない人(寝たきりの人など)」に直接見返りを要求するのではありません。
だからNo.25の回答に「その家族や周囲の人を含む」と記載したんです。

そう、いわゆる世間一般に対する「ポーズ」なんですよ。
質問者さんが寝たきりのおじいちゃんと二人で暮らしていたとします。
ぶっちゃけ貧乏で、日々の生活が苦しい状況だとします(ごめんね)。
見ず知らずの人から、「これでじいちゃんにうまいものでも食わしてやりなよ!」って、10万円もらいました。
数ヵ月後、その人が署名活動をしていました。
なんでも「働きたくても働けない人たちのための社会保障制度を作れ!」と、お国に訴えるそうです。

あなた、署名しますよね?
あるいはそれが募金活動なら、とりあえず財布と相談ぐらいはしてみますよね(実際出せる状況なら少しは出しますよね)?
それは、じいちゃんじゃなくて、あなたが「見返り」を支払っているんじゃないですか?
自分自身は「見返り」と思っていなくても、現象としてはそういうことです。
たぶん家に帰ってじいちゃんに報告したら、「ワシの名前も書いてきとくれ!」って言うんじゃないかな?
これが狙いなんですよ。「周囲へのポーズ」のね。
一人に対して行なった「余剰のエサの配分」が周囲の人も巻き込んで「見返り」になって返ってくる。
そしてその人は国を動かすだけの権力を握ります。

そしてさらに、「余剰」を「配分」するのは、一種の「効率的な投資」なんです。
自分が必要な分だけは手元に残しても、まだ「余剰」を持っている人がいたとします。
将来のことを考えて「余剰のエサ」を保存しても、利息なんてたかが知れてます。
もっと効率的に「エサ」を増やすためには、「権力・名声・名誉」への「投資」が一番手っ取り早いんです。
「道徳」でうまいこと「正当化」しながら、「権力」を握れば、もっと多くの「エサ」が手に入る。
「余剰のエサ」と「正当化できる理屈」さえあれば、けっこうローリスク・ハイリターンな投資なんじゃないかな?
たぶん昔の権力者が成り上がっていく過程には、こんなことがあったんじゃないですかねぇ・・

人間って欲深い動物ですから、どんなに「余剰」があっても、もっとほしくなるんですねぇ・・・
いやぁ・・・ホンっト殺伐・・・

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。
寝たきり=社会に発信できない
という固定観念がありました。おっしゃるように、他人を介しても十分できますね。納得です。

でも、「余剰」の「配分」では説明できないのではないでしょうか。
効率的な投資というなら、リターンを得る可能性が最大の場所に投資するはずです。
寝たきりよりも、会社で働いている人に投資するほうが効率的投資です。
寝たきりの人には一切投資せず、すべて会社で働いている人に投資するのではないでしょうか。

補足日時:2005/11/25 03:00
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>ほぼ義務果たさない人ですよね?
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参考アドレスも掲載しておきます。

参考URL:http://www.city.miura.kanagawa.jp/index/download/007385;000001.pdf

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