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自分も無傷ではすまない事が分かっていながらやるスポーツ,例えばボクシングなどをする人は自傷,自虐の欲求が有るのではないかという事です。ボクシングを見て楽しむ人,共感する人にも同じ自傷,自虐の欲求が有ると思います。

人類が何万年も生きていく上で自傷,自虐の欲求は必要だったのではないでしょうか?自己保存の欲求ばかり強くて危険から逃げてばかりいては獲物は得られません。時には「虎穴に入らずんば虎児を得ず」といった勇気も必要でしょう。人間には自分の身を危険にさらした時に,快感を感じる本能が有ると思うのです。

私自身はボクシングなどしません。むしろ痛い競技は嫌いです。ただ,少し危険な状況には快感を感じます。病気なのでしょうか?今思えば,今まで生きて来られた事は幸運でした。この幸運を大事にしたいと思っております。

参考)
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1848083

A 回答 (5件)

本能的に自傷、自虐の欲求があるという考え方には私は賛成しかねます。



人間が危険に向かって闘うのは、あくまでも生物界での弱肉強食の法則にしたがっているだけです。
獲物を獲って食べなければ自分が死んでしまう。
だから危険であっても闘う。自己保存の欲求なのです。
人間は危険が迫るとノルアドレナリンの作用によって
緊張し、戦闘体制に入ります。
ボクシングなどの競技は、その闘争本能、つまり自己保存の欲求を利用した遊びなのです。

ちなみに自虐、自傷、自殺願望なども元をたどれば自己保存欲求です。
生きることへの執着の強い人が自殺や自傷行為をするのです。
もし生への執着がなければ、死への恐れもないですし、死のうとも思わないですし、自傷行為に快感など感じないでしょう。
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たとえば戦争等が起きるのは、天が自然に人口を抑制しているとは考えられないでしょうか?


自然の摂理とは、本当に上手く出来ているのです。

いまの日本は、戦争など起きてはいませんが、昔は戦国時代もあったでしょう。
人の手が加わらなかったら、きっとどんな動物も、本能と自然の摂理で生きて行ったでしょう。

いま生きていられる事に、毎日感謝をしてくださいね。
きっと貴方の思いは、天に届くでしょう。
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人間には、死を恐れる本能があります。


これがないと嫌なことがあると、すぐ死んでしまうでしょう。
ただそれだけではリスクを恐れ、閉じこもってしまいます。
だから「退屈」を嫌う本能もあります。
当然刺激を求めると、リスクが生じます。
ボクシングなどの格闘技も、「自傷」を求めるというより、「刺激」を求めているのでしょう。
ただ観ているほうには「嗜虐」を好む人がいるのも事実でしょう。
でも割合は少数と思います。
安易に混同しないほうがいいと思います。
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単純に、近親者から殺害されそうになる経験なんかがないある意味ラッキーな日常を送っておられるからではないかなあ・・・と思います。


ある程度、危機感や緊張感、緊迫感があってこそ、人は真剣に生活出来るんではないかと。病気じゃなくて暇なのかな?
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人はなぜ山に登るのか?



未踏ルートの制覇ならいざしらず、制覇されたルートなら尚更それまで以上に登りたがる人は後を絶ちません。

登山もボクシングも求道者も人間であるために、自分にとっての「高み」に到達しようとします。

そうしたチャレンジ精神が旺盛であったから、人類は他の種にはない文明と文化を得ることができたのだと思います。

危険な状況だけ、痛いだけがすきな人はどこか病気かと思いますが、危険な状況に身をおかなければ得られない充足感が損得勘定を抜きにして自分にとって必要だと感ずれば、それはそれで人間らしい価値観だと思います。

プロのレーサーやクライマー、パイロット、従軍記者や戦場カメラマンなども、危険と引き換えに他の職業より収入が良いからという理由よりも、それが好きでそれで生きて行きたいと思うからだと思います。
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