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どこの稲荷神社にもなぜきつねの像があるのだろうと不思議に思い、
辞書で調べてみると、「きつねは稲荷大明神の使い」とありました。
でも、どうしてきつねが使いなのでしょうか。
由来は何ですか?

A 回答 (3件)

 稲荷信仰は食物神への信仰ですが、キツネはケツネの音韻変化であり、



「ケ」は食べ物を意味する古語
「ツ」は接続詞のノ
「ネ」は根と同意語で、大本や根源の意味

ですから「ケツネ」とは「食の根源」を意味する言葉です。それが動物の狐と意味が混同され、動物の狐が稲荷の神使と同一視されたのではと考えられます。

 稲荷の初見は『山城国風土記』の和銅3年に餅を的にして弓を射ると餅が白鳥になり、現在の伏見の稲荷山に舞い降り、稲がなった(稲生り)ので「イナリ」と命じられました。
 また、東寺建立の際に稲荷山の木を切ったところ、天皇が病となったため、稲荷明神に従三位の位を授けました。稲荷が秦氏の氏神から国家的祭祀を受ける神へと昇格した初見です。このころから東寺や真言宗、さらには仏教とも深いかかわりが生まれました。特に、鎌倉期には弘法大師が稲を担う翁を稲荷として祀ったという伝承が生まれます。

なお、No.1さんのいわれる「空海が稲荷をダキニ天と習合したことから、ダキニ天の乗っている狐がダキニ天自身と同一視され、超人的な力を持つ狐への信仰が起きました」は誤りで、空海自身はダキニ天について別段、述べてはいません。
 記録に残るダキニ天と狐信仰の初見は、平安中期から鎌倉初期の説話集である『古今著聞集』に、栄華を得ようとダキニを祀ったところ、夢の中で女人が現れ目を覚ますと狐の尾をつかんでいたという話です。
 このように、霊獣としての「狐」とダキニ天が平安中期ごろには結びついていたようです。稲荷信仰とダキニ天信仰が本来は別系統の信仰でしたが、この狐を仲介して結びつくようになりました。ただしダキニ信仰は鎌倉中期以降から発展するようになり、稲荷との関係もそこから積極的に述べられるようになります。ですので、空海在世当時は、ダキニと稲荷を結びつけるような信仰はありません。
 なお、ダキニ天が狐に乗っているから稲荷として祭られたという説明も見られますが、ダキニが狐に乗る姿は日本で生み出された図像です。

 ダキニの使いがジャッカルというのも積極的に支持できるものでもありません。これは漢訳経典に登場する「野干(やかん)」という動物の正体が長年不明でした。すると南方熊楠が「ジャッカル説」をたてましたが、それがいつの間にか“ダキニは眷族とする狐は野干=ジャッカルである”と一人歩きしました。しかし前述のとおり狐に乗るダキニは日本で作られた図像であり、インドには存在しないものです。インド学が未発達な時代に生まれた誤解が未だに生き残っているだけです。

 インド本来の儀記に基づく「胎蔵曼荼羅」では、ダキニは人間の手足を食らう鬼女の姿です。
http://homepage3.nifty.com/MandalaExplorer/taizo …

ダキニは人間の心臓を食べる鬼神でしたが、大日如来が大黒天に姿を変えてダキニを丸呑みにしました。ダキニは許しを請い、以後死体の心臓を、また心に付く煩悩を食べるようになったという荒ぶる神です。

※袋と小槌を持つ笑い顔の大黒天は日本独自のものです。インドの大黒天は3面の憤怒相で、死と豊穣をつかさどる神です
http://homepage3.nifty.com/MandalaExplorer/taizo …

ダキニはこのような恐るべき神であったため、その信仰は邪法として忌まれた半面に、天皇が即位する際にダキニ天を祭るなど秘法として崇拝された複雑な信仰です。


 このように稲荷信仰は食物神・来訪神・山神・農耕神や大黒天信仰・星辰信仰・密教・修験道・天皇の即位儀礼などさまざまの要素が入り乱れているので、簡単に解説するのは正直不可能です。ただ言えることは

・言葉としての「ケツネ」は穀物霊信仰の象徴である。

・稲荷明神は食べ物の神である

・動物としての狐とケツネが結びついた。

・稲荷信仰とは関係なく、狐を霊獣とする信仰が存在していた。

・稲荷とダキニは本来別系統の信仰であったが、狐を仲介として平安末期から鎌倉中期ごろには結びついた。

・稲荷社と東寺との関係から、稲荷信仰に仏教的色彩が影響されるようになった。

ということではないでしょうか。

参考『稲荷信仰の研究』(五来重:山陽新聞社)
『稲荷大社由緒記集成 信仰著作編』(伏見稲荷大社)
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 補足で・・・



 ダキニ天(ダーキニ神)の使いは、本来「ジャッカル」だったようなのですが(インドにはいますので)、それが日本に入ってきたときに、日本にはジャッカルがいませんので、似たような感じの「キツネ」を使いにしたという話を聞いたことがあります。
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簡単に


1、稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場した。(「けつ」は狐の意味の古語。今でも狐を「けつね」と呼ぶ地方はありますね)(一番よく聞く説)、昔は音が同じなら漢字の意味は考えずに使用していた節があるので後世の人が意味を汲み取った可能性もある。
2、穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから結び付いた。(実はこうだろう、とよく本に書いてある説) 、いたち類も同じなのでどうかなーと思います、目に付きにくいとは思いますが。
3、伏見の地には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初狼であったのが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合した。(梅原猛説)

色々説がありますが、稲荷神社の祭神は穀物神が多いのはたしかです。
また、空海が稲荷をダキニ天と習合したことから、ダキニ天の乗っている狐がダキニ天自身と同一視され、超人的な力を持つ狐への信仰が起きました。
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