邪馬台国や、ニギハヤヒ、出雲、蘇我、中臣、物部等
朝廷を支えた豪族たちを扱った書籍を
教えてください。

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A 回答 (2件)

 


  蘇我とか、物部とか、または中臣とかだけなら、本がありそうですが、そんな広い範囲のことを言えば、一冊の本では無理です。以下に、Amazo.co.jp で検索した、「大和朝廷」と付く本のリストを記しますから、アマゾンで詳細を見に行くなり、書店で本を探して内容を確認するなりしてください。
 
  >2. 「大和朝廷―古代王権の成立」 講談社学術文庫
  >上田 正昭 (著) 文庫 (1995/08/01) 講談社
  >通常4~14日以内に発送
  >価格: ¥860
 
  この上の本は、講談社学術文庫ですから、学問的に水準が高いでしょう。
  
  >7. 「古代大和朝廷」 ちくま学芸文庫
  >宮崎 市定 (著) 文庫 (1995/09/01) 筑摩書房
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,068
 
  上のこの本もなかなかいい内容ではないかと思います。
  以下は、玉石混交です。3,4などは、割といい本ではないかとも思います。
 
  >3. 「神々と天皇の間―大和朝廷成立の前夜」 朝日文庫
  >鳥越 憲三郎 (著) 文庫 (1987/11/01) 朝日新聞社
  >通常4~14日以内に発送
  >価格: ¥460
 
  >4. 「邪馬台国と大和朝廷」
  >久保田 穣 (著) 単行本 (1999/01/01) 日本図書刊行会
  >お取り寄せ
  >価格: ¥1,500
 
  >5. 「日本誕生史〈PART3〉大和朝廷形成の軌跡」
  >青木 一参 (著) 単行本 (1997/03/01) 近代文芸社
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,650
 
  >6. 「邪馬台国の真実―卑弥呼の死と大和朝廷の成立前夜」
  >安本 美典 (著) 単行本 (1997/03/01) PHP研究所
  >在庫切れ
  >価格: ¥3,204
 
  >8. 「天皇家の大秘密政策―日本史転覆のシナリオ 大和朝廷の出自隠し」
  >1300年の密謀 超知ライブラリー
  >大杉 博 (著) 単行本 (1995/06/01) 徳間書店
  >お取り寄せ
  >価格: ¥1,359
 
  >9. 「謎の天孫降臨と大和朝廷の秘密―ヤマト・プロブレム」
  >ムックセレクト〈507〉―真説日本誕生シリーズ
  >加治木 義博 (著) 新書 (1995/02/01) ロングセラーズ
  >お取り寄せ
  >価格: ¥874
 
  >10. 「大和朝廷と東アジア」
  >鬼頭 清明 (著) 単行本 (1994/05/01) 吉川弘文館
  >お取り寄せ
  >価格: ¥2,233
 
  >11. 「テラスで読む大和朝廷の謎」
  >武光 誠 (著) 単行本 (1993/12/01) 日本経済新聞社
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,456
 
  >12. 「日本史の謎と真説―大和朝廷から明治維新まで」銀河セレクション

  >南条 範夫 (著) 単行本 (1993/02/01) 銀河出版
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,456
 
  >13. 「大和朝廷は古代の水軍がつくった!」
  >武光 誠 (著) 単行本 (1992/03/01) JICC出版局
  >在庫切れ
  >価格: ¥437
 
  >14. 「大倭国通史―大陸側から眺めた古代大和朝廷」
  >井伊 章 (著)
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,165
 
  >15. 「古代大和朝廷」 筑摩叢書〈327〉
  >宮崎 市定 (著) 単行本 (1988/09/01) 筑摩書房
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,900
 
  >16. 「吉備王国の崩壊―大和朝廷の謀略」
  >井上 高太郎 (著) 単行本 (1987/01/01) 新人物往来社
  >お取り寄せ
  >価格: ¥1,748
 
  >17. 「原日本統一政権の成立―出雲朝廷と大和朝廷」
  >安達 巌 (著) 単行本 (1986/12/01) 新泉社
  >在庫切れ
  >価格: ¥1,600
 
  >18. 「大和朝廷成立期の研究」
  >坂本 弘道 (著) 単行本 (1985/10/01) 雄山閣
  >在庫切れ
  >価格: ¥18,000
 
==============================================
 
  蘇我・物部だと次の本ぐらいがいいでしょう:
 
  >5. 「物部・蘇我氏と古代王権」
  >黛 弘道 (著) 単行本 (1995/08/01) 吉川弘文館
  >通常2~3日以内に発送
  >価格: ¥2,500
 
  >8. 「蘇我氏の実像と葛城氏」
  >平林 章仁 (著) 単行本 (1996/01/01) 白水社
  >通常2~3日以内に発送
  >価格: ¥2,136
 
  以下にアマゾン・ジャパンのURLを記しますから、そこで「出雲」だとか「邪馬台国」だとかで検索して調べてください。
 

参考URL:http://www.amazon.co.jp/
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「邪馬台国の秘密」 高木彬光 角川文庫
「白鳥伝説」上・下 谷川健一 小学館ライブラリー
「物部氏の伝承」 畑井弘 吉川弘文館
「天皇と鍛冶王の伝承」 畑井弘 現代思潮舎
「古代倭王朝論」 畑井弘 三一書房

 学問的水準は不明。
 在庫切れの可能性大です。図書館で借りるか、古書店での購入をおすすめします。「物部氏の伝承」は一番のおすすめです。何年か前に復刻版が出たようです。 
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Q大和朝廷。

古墳の分布状況からなぜ4世紀後半に大和朝廷がほぼ全国統一をなしとげたとわかるんですか????

参考URLも教えて頂けると嬉しいです。

Aベストアンサー

圧倒的に巨大な古墳が畿内に集中しているからでしょう
世界中で権力の象徴で巨大な墓を作っていましたよね
日本の場合、ちょうどその時期が最高の大きさでした
そして、仏教が伝わり、巨大墳墓の造営から
寺院の造営に変わっていったようです

http://village.infoweb.ne.jp/~fwht5110/H22.htm

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~fwht5110/H22.htm

Q千葉県にある蘇我という地名は蘇我氏と関係ありますか

近くにある鎌取を鎌足と関係ありますかという程度の質問でしょうか。

Aベストアンサー

沿革 [編集]

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、曽我野村、今井村、宮崎村、大森村、赤井村、小花輪村、生実郷が合併し千葉郡蘇我野村が発足。
1890年(明治23年)5月23日 - 町制を施行し蘇我町と改称。
1937年(昭和12年)2月11日 - 千葉市が蘇我町、都村、都賀村、検見川町を編入。同日蘇我町廃止。
1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市は政令指定都市に移行し、旧蘇我町域は中央区になる。

Qヤマト政権は大和朝廷の母体・・・?

 失礼致します。

ヤマト政権は大和朝廷の母体と学びましたが、
それがどういう説明からそうなのでしょうか?

また、ヤマトとという言葉はどこからとったものなのでしょうか?
出土したものからの命名だと思いますが、教えて下さい。

Aベストアンサー

 こんばんは。大学で歴史学研究と教育に携わる者です。
現在の歴史学界では「大和朝廷」との歴史用語は既に使用されていません。この理由として「朝廷」にはシステムとして構築するための「政治システム」が必要だからです。
 現在の歴史学の到達点を示す専門用語の一つに「王権」がありますが、この「王」には「権力者」としての側面と「司祭者」としての側面があります。
 日本で初めて「システムとしての法に基づく統治機構」が登場するのは奈良時代を待たねばならず、それ以前の飛鳥時代や古墳時代では大和平野だけをみても幾つかの王と王権(豪族とそれらの連合体的組織)が並存し、また瀬戸内海の吉備地方にも吉備氏などの豪族が統治していた形跡もみられ形となっていて必ずしも「統一政権」の体をなしていたとはいえません。
 こうしたことを書きますと、右の方からは必ず学術的に根拠の薄い反撃がなされますので詳細には書きませんが、現在の天皇家も元々は飛鳥地方から三輪地方にいたとされる豪族の一つだったとされています。質問者様のニュアンスからは「ヤマト政権」が「大和朝廷」へと進化したものとのご理解がうかがえますが、実際の時系列として整理するならば、「ヤマト政権」>「律令体制」の順番で進化したととらえることが現在の歴史学ではスタンダードな理解です。
 また「ヤマト」の呼称ですが、これは例の邪馬台国の問題とも関連し、畿内説(近畿地方の大和平野)と九州説(九州北部から関門海峡を挟んだ長門国あたり)でそれぞれに「大和」「山門」などの呼称があり何れとも結論は出ていないこともあります。別に出土遺物や遺跡の名称ではありません。

 こんばんは。大学で歴史学研究と教育に携わる者です。
現在の歴史学界では「大和朝廷」との歴史用語は既に使用されていません。この理由として「朝廷」にはシステムとして構築するための「政治システム」が必要だからです。
 現在の歴史学の到達点を示す専門用語の一つに「王権」がありますが、この「王」には「権力者」としての側面と「司祭者」としての側面があります。
 日本で初めて「システムとしての法に基づく統治機構」が登場するのは奈良時代を待たねばならず、それ以前の飛鳥時代や古墳時代では大和...続きを読む

Q日本の朝廷制度の改革について。 日本の朝廷の歴史に詳しい人に聞きたいのですが、戦国時代、安土桃山時

日本の朝廷制度の改革について。

日本の朝廷の歴史に詳しい人に聞きたいのですが、戦国時代、安土桃山時代でも時の大名の天下人が朝廷制度の改革は出来ますか?

例えば、大政大臣というポストは今でいう
最高栄誉職みたい?だと自分では思ってます。

もしこの時代でもそういう認識なら、権力、権威なども持たせることは出来ますか?

やはり朝廷や王朝は儀礼、伝統、前例などを重視する為、織田信長、豊臣秀吉などでも無理ですか?

Aベストアンサー

権威は自分から唱えてもだめです。万人がそれを認めなければ。武家政権は力で国家権力を握りました。されどその正当性を認識させるためには、天皇から征夷大将軍の任命を受ける必要があったのです。織田信長は統一半ばで没してしまったので、権威などは無視したとも思われていますが、京に上るに際しては足利将軍の権威を利用しましたし、戦の和解にはたびたび天皇の綸旨をも利用しています。
日本の朝廷制度は大和政権の成立から、その利用の便宜性に支えられて存続してきました。天下人といえども利用できる権威の存続は望ましかったと思われるのです。そしてそれに手を付けることが、権威の低下、失墜に及ぶことを危惧したのではないでしょうか?

Q関東地方が日本(大和朝廷)の統治下に入ったのはいつ頃でしょうか

日本史において、天皇(大和朝廷)ははるか昔から北海道・沖縄を除く全域のトップとして統治・君臨していたというふうに習うことが多いです。統治の定義ですが、例えば律令制が施行されていた地域は日本の統治下にあったと言えるでしょうし、中央から国司が派遣されていた地域も同様でしょう。
でも実際は大和朝廷も奈良・京都を中心にだんだんと勢力を拡大してきたはずであり、歴史を見る限り、東北地方が統治下に入ったのは平安時代後期のようですが、それでは関東地方が統治下に入ったのはいつ頃だと考えられるでしょうか。
奈良時代、もしくはそれよりも前でしょうか。

Aベストアンサー

東京都の西側に府中市と国分寺市があります。

府中市はヤマト朝廷の国府が置かれたところであり、国分寺市はそのための国分寺がおかれたところから由来しています。
本質的には701年の大宝律令後には府中に国府が置かれたはずですが、741年に国分寺令が発せられる前にはまちがいなく国府は存在していたでしょう。

また千葉県の市川市にも国府台という地名があり、ここは下総の国の国府が置かれていましたので、同様に8世紀まで遡ることができるといえます。

同様に神奈川の大磯にも国府という地名が残っていますし、茨城県には常陸国府跡があります。

ですから、ヤマト朝廷は8世紀には関東を支配していたといえるでしょう。

しかし、支配の規律は緩かった、というかあまりちゃんと管理されていなかったのでしょう。だから東国武士は力をつけつつ朝廷に不満をもって鎌倉に幕府を開いた、と言うことだと思います。

Q日本史の人物名の表記の仕方についてです。 先日行われた模試で、「出雲阿国」が出ていたのですが、「出雲

日本史の人物名の表記の仕方についてです。
先日行われた模試で、「出雲阿国」が出ていたのですが、「出雲のお国」と表記してしまいました。この場合、不正解となるのでしょうか?

Aベストアンサー

教科書には一般に流布した表記の「出雲阿国」しか出てないのかもしれませんが、「出雲のお国」と表記している書籍や論文なども多数ありますし、そもそも江戸初期の史料に「阿国」と表記したものはなく、「於国」とか「くに」と表記されてますから、むしろ「出雲のお国」としたほうがより正しい表記ともいえます。ただ、出題者がそういったことを考慮して「お国」なども正解とするよう注記していれば良いのですが、そうでない場合、不正解と判定されるかもしれません。

Q大和朝廷が国内統一するまでの過程

古代、国内には数多くのクニが存在しその中のひとつが卑弥呼を長とするクニであり
また天皇を長としたクニであり中でも天皇を長としたクニが最も勢力が強く
他のクニを制圧していきやがては大和朝廷として国内を統一していく
という流れでいいでしょうか?

だとすれば邪馬台国も天皇勢力によって制圧された可能性もあるでしょうか?

Aベストアンサー

お初です
卑弥呼を長とするクニは「倭国」で邪馬台国一国の王ではないと思われます。一方、大和朝廷(近畿天皇家)は群雄割拠の後に近畿天皇家が一歩抜け出し、葛城氏など諸豪族を屈服させて徐々に大きくしていったものと思います。
質問者様の
>天皇を長としたクニであり中でも天皇を長としたクニが最も勢力が強く
他のクニを制圧していきやがては大和朝廷として国内を統一していく
という流れでいいでしょうか?
で宜しいと思いますよ
ただ、私見では統一状態になったのは7世紀以降だと考えています。新旧唐書に倭国と日本国の記載があること、聖徳太子らの制定した冠位十二階で授けているのが近畿圏内の豪族に限っている事(遠方の豪族へは大化改新以降)などから邪馬台国がどこに存在していたかにも拠りますが私は九州説を採用していますので統一は遅かったと考えています。

Q朝廷に勝った人たち

筑紫国造磐井親子
藤原純友
アテルイ
平将門
北条政子と鎌倉幕府軍
薩摩・長州軍

などなど
歴史上朝廷に楯突いた逆賊は数多居ますが
朝廷に勝った人たちを教えて下さい

Aベストアンサー

皇室、朝廷内の権力闘争に乗ったものは多々有りますが、これは、朝廷に勝ったとは言えないでしょう。

となると、無血ですが、
禁中並公家諸法度
が、歴史上唯一の勝利ではないでしょうか。

(それを言うなら、現行憲法制定もだろ?とか、突っ込まれそうですが、
 今上陛下をこよなく敬う自分としては、カウントしたくないですね。)

Q農民の心得を記した木簡(大和朝廷})

うろ覚えで、ネットでいくら検索しても見つけられない
のですが、以前、大和朝廷の時代だと思うのですが、
農民の心得のようなものを記した木簡が発見されたと
思うのです。

要点は、「早朝から暗くなるまで働け」
「みだりに集会をしてはいけない」
「なるべく働く以外の余計なことはするな」

といったような内容だったと思うのですが、
この木簡に関する正確な情報がほしいのです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

大和朝廷ではなく、律令国家の時代、9世紀のぼう示札木簡のことではないでしょうか。
石川県加茂遺跡の2000年度発掘で、嘉祥二年(849)の加賀国加賀郡のぼう示札が出土していますが、
8か条にわたって観農のための百姓心得・禁令が記されています。
ホームページや報告書をご覧になれば、詳しいことがわかるでしょう。

参考URL:http://www.ishikawa-maibun.or.jp/boujisatu_page/

Q邪馬台国、三重県説について

邪馬台国、三重県説について

直井裕さんが書かれた、『邪馬台国は三重県にあった』を読んだのですが…三重県にある!ということを決めつけて、強引に三重に辿りつかせたという印象を受けたのですが…(特に最終ページ付近の、にわかに信じがたいタイムスリップ体験の話)
三重県説は、どのくらい世間に認められているのでしょうか?また、もし詳しい方がいましたら、三重県説についてどう思われているのか教えてください!

Aベストアンサー

ある事はあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A7%AB%E5%91%BD


伊勢神宮から考えれば、神風と常世です。

三重県の弥生遺跡は少ないです。
http://www.db.pref.mie.jp/db/user_upload_file/k405700/14/H16murat.pdf

古墳を考えると地方豪族と言う感じです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%97%97%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

卓上では悪くは無い。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/bunpu.png

古事記や日本書紀の読みは、大和朝廷の勢力が後々ここを勢力下に置いた為。
となります。

しかし、後々まで放置していた事が地方豪族の証にもなります。(東端)


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