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マルコスとかスハルトは、なんで独裁体制を強化したんでしょうか?なんで、穏健な民主主義でやって行こう、とは思えなかったんでしょうか?

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A 回答 (4件)

No.1、No.2の回答、またNo.3の回答を読んで、どう思われましたか。


今のトランプは穏健な民主主義でやっていこうと思っていると想像できますか。
kgat0769さんは、「独裁者の思考や行動原理が体制を作り上げる」かのように思われているのかもしれませんが、20世紀以降の独裁政治についてみれば、選挙などでカリスマ的に選ばれ、強い支持や熱烈フォロアーが増えることで、ドンドンと独裁体制の強化に進んでいることは明らかです。

ということは、選挙民・有権者・国民や大衆が、「強いカリスマであること、明確でズバっとした施策の短時間徹底実行を求め、強くイイネを叫んだ」ので、カリスマはその要求に応え、一層邁進しているということです。
中国でも、韓国でも、ロシアでも、インドでも、イスラエルでも、アメリカと同じです。 兵庫県でもそうした傾向は見えています。 ヨーロッパでも同じです。 東南アジアなどよりは、南米の方がその傾向は強いです。

選挙民・有権者・国民や大衆が、強いリーダーをカリスマ化して、イイネの声を挙げ、強い施策を求める背景の一つは、「展望の効かない今の状態をつくっているのが学者エリートが大事にする民主制であるという気が起きる」からでしょう。現状打破・理屈屋を叩きのめせ的な気分が、社会に横溢しているからでしょう。 

そうした状況に対し、自由平等・機会均等・能力主義・実績や成果に応じての思想を言うだけで、他に示す政策と言えば、減税・福祉・最低保証・国防重視くらいしか言わないのであれば、独裁に向かうのもなるべくしてのことのように思います。
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民主主義は国民の民度の高さが必要なのです。


フイリピンはスペインとアメリカ、インドネシアはオランダの
植民地でした、植民地で宗主国は搾取するのみで、民度を挙げる様な
教育の為の投資はしません。

短期間で有りましたが大日本帝国により、植民地支配から解放されました。
大東亜共栄を掲げる大日本帝国は搾取するなどの政策はしないのです、
台湾の様に現地に合った施策を考えて、これからと云う時に、敗戦
しました。
大東亜共栄にて東南アジアの国々は欧米からの植民地支配の脱却に
目覚めて、それぞれ独立を果たしました。

文字が読めない民度の低い国民を率いるのには、独裁に依る強権が
必要だったと推測します。
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grokの回答を見ましたが、本質的なことが書いてありません。



マルコスやスハルトが民主主義体制にしなかったのは「したくてもできなかった」からです。
なぜなら「民主主義体制」を作るには《国民相互の信頼関係、対立する利権の信頼関係、国家と対立できる組織との信頼関係》が必要だからです。

なにを言っているか分かりにくいと思いますので、二つ例をあげます。
・内戦後のカンボジアの例
・戦国時代の日本

ポルポト派が独裁を行い、他の軍閥と壮絶な内戦を繰り広げていたカンボジアはポルポト失脚後、国連も介入して内戦を終わらせ、国連指導で民主主義体制(共和国化)に移行しようと計画していました。

しかし、各軍閥は「また裏切られて誰かが独裁するかもしれない」と疑心暗鬼になり、武装解除に応じてくれませんでした。この状態で選挙をやっても、選挙自体はできますが、当選しても軍閥は大統領を信頼せず、大統領と敵対して内戦になる可能性もあったのです。
 つまり「選挙で選ばれた大統領が、自分達を含めて国家のために仕事をするか疑問がぬぐえない」という信頼関係ができていなかった、ということです。

そこでカンボジアは亡命していた元国王のシアヌーク氏を復帰させます。元々各地の軍閥はカンボジア王国時代の軍人で元々は「国王に忠誠を誓っていた」人たちなので「シアヌーク氏が国王に復帰するなら、忠誠を誓う」と約束したからです。

その結果、まずシアヌーク氏が君主に復帰し、彼が声明を出して各軍閥は武装解除に応じ《君主の承認のもとに選挙を行って民主的な内閣と国会を再興する》という形で再出発しました。つまり「武器をもった大きな集団と国家権力は相互に信頼できる」状態じゃないと民主主義は機能しないのです。

で、「武器を持った集団同士が内戦状態だけど、君主の一言で内戦が収まる」という事をやった国があります。それが戦国時代の日本です。

そもそも諸外国から見れば「天下統一」というのはちょっとおかしくて、結局それは「天皇から征夷大将軍に任命してもらう」ということであり、しかも「天皇が将軍を任命したら、みんな戦争を止めて将軍に従う」という約束を理解していたのですから、内戦と言えども《国内の信頼関係がちゃんとある》国はほかにないわけです。

で、マルコスとかスハルトが誕生したフィリピンやインドネシアには、そういう国内の信頼関係がまったくありませんでした。

 フィリピンはアメリカの統治の後で独立しましたが、実態は格島々に住む武装した実力組織がそれぞれに利権を主張して内乱状態(日本の戦国時代にかなり近い)

インドネシアも植民地政策で伝統的で民族的な政治体制が完全に壊れ、しかもイギリス・フランス・オランダなどが独立した後も利権を残そうとして、内乱状態だったのです。

この状態では「武力で抑えつける」しかありません。だから独裁的にならざるを得なかったのです。もちろん「力で抑えつける」ことを独裁者たちが選んだとも言えますが、少なくとも「国家として維持し、他国に付け入らせないようにする」には武力しか手段がなかった、ともいえます。

インドネシアは、スカルノ、スハルノという独裁時代を経て、その間に経済力が高まったことで「みんな生きていける」程度には発展したので「国家権力に対する信頼」を作ることができ、今では他民族国家として経済的に発展しつつあります。

フィリピンは一応民主主義国家にはなったものの、経済発展が思わしくなく、実力者たちが財閥として群雄割拠しているような状態で、最近独裁者だったマルコス大統領の息子が大統領に就任できたのは、母親であるイメルダ夫人の実家が相当な実力者だったこと、前大統領のドゥテルテ家と協調して選挙活動を行ったからだと言われています。

フィリピンはまだまだ民主主義化は途上なのです。
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