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浄土真宗の僧侶が読経などで着座するときに、立ったままの姿勢で「中啓:扇」を座布団の前のほうに落とします。普通なら座ってから自分の前に「置く」のが作法に適っていると思うのですが・・・。中には放ってるように見える僧侶もいます。これには何か謂れがあるのでしょうか?

A 回答 (1件)

浄土真宗の寺の者です。


立ったまま、バチンと音がするように腰の位置から落とすのが正式な作法です。
一般の葬儀では僧侶は一人ないしせいぜい2~3人の場合が多いですが、大きな葬儀や法要になると、僧侶が10人を超えるような場合も多々あります。そのときに居並ぶ僧侶がいっせいに着座するのですが、僧侶は横一列に並んでいるため、端にいる者などは周りの僧侶の様子を見ることができませんし、コソコソおしゃべりしたり首を伸ばしたりして様子を伺うわけにはいきません。そのため「これから着座しますよ」という合図が必要になるわけですが、それが中啓を落とす音にあたります。端や後方にいる僧侶までしっかりと音が聞こえるように、わざと音を立てるように落とすものです。

この作法はやはり誤解されることが多く、うちの寺でも葬儀を終えた後日、「いくらなんでもあれはひどすぎる」と門徒の方から抗議のお手紙を頂戴したことも・・・。別に怒っているわけではなく、あれがあれが正式な作法ですので、何卒ご理解くださいませ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。「浄土真宗の作法」と「社会一般での作法」の受け取り方の違いの差が大きいですね・・・。一般家庭では「立ったまま何ですか?」って小言を言われるパターンですよね、これって・・。何とかなりませんか、着座の「合図」なら何か別の方法があるようにも思えますし、宗派として再考されてはいかがですか?私の感想も「あれは酷い」です。

お礼日時:2006/01/13 07:48

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