
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
卒論の根拠たるような証拠などはありませんが…
江戸時代が、ある種の”社会的成熟・安定の時代”だったから、一般人にも遊ぶ余裕があったのではないでしょうか?
たしか、川勝平太氏の『日本文明と近代西洋』だったと思うのですが、江戸時代に入って日本の米の生産効率は飛躍的に高まっています。
また、人口統計を見ても、当時の日本は成熟社会に特徴的な高齢化社会でした。
また、当時世界最大と言われた江戸100万人都市の存在も、考えてみれば産業革命以前に農業に従事しない100万人を毎日養うだけの食物の流通、それを可能にするだけの貨幣経済が機能していなければ成り立ちません。
そうした要素を考えると、当時の日本は、経済的にも安定、戦争もなく平和が続いた産業革命以前の成熟社会だったと言えるのではないかと思います。
ぶっちゃけて言うと、「遊んで暮らせるほど、それなりに豊かで平和な時代だった。」ということでしょうか。
No.5
- 回答日時:
江戸は田沼意次や水野忠邦などの武家中心の贅沢禁止の時代を経て、町人文化華やかな時代へと入ります。
世界一の人口を誇る大都市・江戸を支えるのが、武家から商人、町人へと替わったのです。
しかし、「火事と喧嘩」は江戸の華と言われるように、火事は頻繁に起き、ひとたび火事になると町の大半は火の海となり、多くの人が家を失い焼け出されます。
しかし町はすぐに復興しまたもとの賑わいを取り戻したといわれています。
それほど金銭的には恵まれていた事と、どうせすぐに火事になるからと、その日稼いだ金はその日のうちに使っても悔いは無い。「宵越しの銭は持たない」という器質も芽生えてきたのです。
金の使い方を工夫するうちに、上手な使い方、上手な遊び方をマスターしていたのではないでしょうか。金を使いたがる人々、その金を何とか貰おうとする商売人、遊びの種類はどんどん増えて行ったとしても何の不思議もありません。
吉原・出会茶屋・水茶屋・料亭・舟遊び・博打など良いも悪いも積み込んで、江戸の文化は膨れ上がって行ったと思われます。
No.4
- 回答日時:
独身男性が多かった(参勤交代で上ってきた武士の数だけでも
プラスでしょ?)また、所謂賃仕事が火事だの都市の拡張など
で困ることがなかった(長屋の熊さん八つぁんですね)、当然
家賃も安かった、そして国全体の米の生産量が上がってきた。
な訳で、余剰が出てきたとなると、今も昔も遊びに行きますよね?
旅行は今と違って交通機関がありませんので難しい、ですんで、
近場で、手頃なところで散財するわけです。
変な話ですが、歌舞伎がなんで男ばっかりでやるか判りますか?
あれ、女の人が出てきていたころは、セクシーさを強調する訳
で、風紀に良くないってんで、男だけになりましたんで。
また、落語なんかもお開きが10時なんて時代だったんで、まぁ
色々遊ぶところに事欠かったんですね。
江戸ってのは、寄せ集めの人々で、人口密度も高いわけです。
そんな訳で、独自ルールが自然発生して、粋、野暮、鯔背、鉄火
だので、モラルを保って居たんじゃないでしょうか。
そんなところで如何でしょう。
No.1
- 回答日時:
江戸時代と言っても長いので、
それは犬将軍などの初期の頃の
元禄年間の事だと思いますよ。
江戸時代でも飢饉があった時期もあったので、
江戸時代と一つにまとめるのも難しいものです。
遊びでは、へのへのもへじが生まれたのもこの時期です。
参考URL:http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/henoheno.html
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