
庶民は燃料の節約もあって一日分の飯を一度に炊いたそうです。
山川出版社『新体系日本史14 生活文化史』によれば
「江戸では朝暖かい飯にみそ汁と漬物と菜、昼夕は冷や飯を食べた。一方、大坂では昼に暖かい飯を汁や煮物を香の物などと食べ、夕食は同様に茶漬けであった。
大阪やその周辺で茶漬け飯が盛んなのはその頃の習慣によるもの」とあります。
そこで質問ですが、江戸では朝、大坂では昼、飯を炊くという習慣ができた背景は何でしょうか。
江戸では、仕事に出かけるときには職人や武士はたいていの場合、昼弁当を持って出たのでしょうか。
大坂では朝炊いた、ということを記した当時の日記、物語、落語などをご存知の方は教えてください。
よろしくお願いします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
お江戸では職人や大工、出仕する武士は弁当持ちだったそうですから朝にご飯を炊くということになったようです。
なんでも「ご飯」と呼べるのは炊きたての銀シャリだけだったそうで、さめると「飯」に格下げ、また具の入った炊き込みなども「ごはん」ではなく「めし」だったと言います。大阪の商家では昼食を炊きたてご飯と野菜や魚を炊いたものと食べて、昼餉が最も重視されたそうです。晩は冷や飯に汁掛けや茶漬け、翌朝は固くなるので茶粥などでいただいたそうです。
商売で朝から忙しいとなると、朝食に時間をかけることができにくいということがあるのかもしれません。
また江戸ではたいていの人が飯を朝に炊くので粥をあまり食べなかったといいます。
そういえば奈良の茶粥は今では名物ですね。
ご回答ありがとうございます。
なるほど! よく分かりました。
このカテでは何を聞いてもすぐに回答をいただけるので驚いています。
>商売で朝から忙しいとなると、朝食に時間をかけることができにくいということがあるのかもしれません。
そうですね。“あきんど”の町ですから。

No.2
- 回答日時:
「杉浦日向子の江戸塾」という本が良いのじゃないでしょうか。
http://nire.fool.jp/dokusyo/dokp/dokgp003/dokp21 …
http://www.glomaconj.com/joho/edojuku1.htm
なぜ江戸は朝炊き、大阪は昼炊きかという決定的な根拠というのはなさそうですが、いつしか習慣化したようです。
江戸の庶民は長屋暮らしで職人が多かった。男性の独り住まいも多かったそうです。
昼は家にいないからご飯は朝に炊く、というふうに自然になったのではないでしょうか。
だから朝には納豆売りや豆腐売りが天秤棒をかついで長屋をまわっていました。
一方で商人の町大阪では、朝が忙しい商売なので手間をかけてご飯を炊いてる暇がない。
一息つける昼にご飯を炊いたのでしょう。
江戸でも大勢の従業員を抱える大店の商店では三度三度ご飯を炊く家もあったようです。
裕福な武家屋敷でもそうだったでしょう。
ですがもともと江戸前期までは日に二食という習慣でしたから、三度炊く家はそうそうなかったようです。
そして江戸では白米、銀シャリを食べるのが特徴的で、脚気(江戸わずらい)が流行ったのは有名ですね。
ご回答ありがとうございます。
なるほど! よく分かりました。
決定的な根拠はないが、江戸では男の独り住まいも多かった、一方商人の町大坂では朝は忙しいということでいつしか習慣化したのだろう、とのご回答に納得しました。
添付URLは大変参考になりました。
「ご飯(はん)」と「飯(めし)」との違い、よく分かりました。
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