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中学生の子供の社会の教科書に、
「東京のだしがかつお、大阪のだしがこんぶなのは、なぜなのか、
しらべてみよう。」と書いてありました。
丁度江戸時代の単元で、『五街道と航路』のところで、
東回り航路/西廻り航路に関係しているのだろうと思われます。

大阪の昆布は「こんぶロード」などと言う言葉もあるので、
容易に想像できるのですが、
どうして東京が鰹なのかがわかりません。
調べると鰹節は、
『薩摩や土佐、阿波、紀伊、志摩、伊勢、伊豆など太平洋沿岸の
カツオ主産地で多く生産され、江戸期には国内での海運が盛んになり、
九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになった。』
とありました。

大阪には鰹は入らなかった?
 なので大阪は昆布だし・・・?
東京には昆布は入らなかった?
 なので東京は鰹だし・・・・・・????
なのでしょうか??

教科書には「大阪と江戸を結ぶ太平洋沿岸の航路が開かれました。」と書いてあったので、
昆布も鰹も両方の都市に流通していたのではないかと思うのですが・・・
・・・・・分かりません・・・・・

A 回答 (4件)

教科書とは違うかもしれませんが


水の質が違うから、という説があります
水に最も合う選択をした結果です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
いろいろ探していたら、そのような事を書いてあるサイトを見つけました。
でも、わざわざ教科書の『五街道と航路』のところで聞くくらいなのだから、もっと違う答えがあるのかな・・・?と思いました。
でも、実は単純な事で、味の好みの問題だったりするのかもしれない・・・とも思ったりします。
当時鰹節が大阪に入らなかったとか、昆布が江戸に無かったとか、そんな事はないだろう・・・と思うのです。

お礼日時:2008/04/26 04:39

江戸の鰹だしにかんしては


http://www.ninben.co.jp/004katuo/10rekishi/index …
土佐余市
この方が、江戸近辺の伊豆や安房に製法を漏らしたのが大きいと思われます。

江戸期の海運のメインは 西回り回路です。現代のイメージでは東回り回路や江戸=大坂がメインにように思われてしまいますが、日本海側の米を堂島の米相場に持って行くことがメインです。ここで米を金に換えるので、各藩は大坂に屋敷を持っていました。江戸の米は主に伊達藩から利根川経由で現在の野田市の運河経由で送られていました。つまり、東回りは江戸市民の消費用がメインだったわけです。

で、昆布でございますが、これは正徳の時代に新井白石が対中国貿易として 俵物 を交易品に勧めたのが原因となります。安定した航路として西回りが利用されたので、日本海沿いに下関までは大坂に流れる米といっしょであります。

京都のそばの名物が にしんそばなのは、やはりこの俵物の影響。
また 沖縄のだしが昆布なのは 薩摩藩が 琉球経由で 中語と密貿易をしていたからです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教えて頂いたページに行ってみました。
>江戸時代に由緒ある製品として知られたのは、熊野節・土佐節・薩摩節です。
>土佐から大坂さらに江戸までの、長い輸送にも耐える改良土佐節が完成しました。
・・・と言う事は、鰹節も大阪に入っていたはずなのに、大阪では定着しなかった・・・のでしょうか。
単にお口に合わなかったのか・・・? 最初に頂いた回答の「水の質が違うから」の説が浮上してきますが、
実は値段が高かった・・・などの単純な理由だったりするかも・・・?などと考えてしまいました。
中学生の歴史の教科書の
『商品によって結びつく全国*五街道と航路*三都の発展』のところでわざわざ聞くぐらいだから、
何か1+1=2みたいな答えがあるのかな・・・と思ったのですが。。
実のところ、西廻り航路で昆布が大阪に入ったので大阪は昆布だし。
東廻り航路で鰹節が江戸に入ったので、東京がかつおだし。
のような答えになるのかな・・・と思ったのですが、東廻り航路で鰹節が江戸に入って来るとは思えません。

この質問のすぐ前に「北海道でとれたこんぶが運ばれた主な航路を上の地図でたどってみよう」と書いてあるので、
『だし』の違いは航路に関係していると思ったのですが、実は切り離して考えなくてはならないのかも知れません・・・が、
中学生でそこまで裏読みできるのかな?とも思います。
きっと頭は五街道か航路に向かうはずです。

昆布だしと鰹だし・・・夏休みの自由研究のレポートになりそうなくらいです(笑)

お礼日時:2008/04/26 05:29

もと蕎麦屋です。

以前ダシの歴史について調べたことがあります。

江戸にこんぶが入ってこなかったとか、大阪に鰹節が入ってこなかったとかということはありません。大阪で全く鰹節を使わなかった訳ではありませんし、江戸で昆布を使わなかったわけではありません。

ですから、東京のだしがかつお、大阪のだしがこんぶと言い切っていいものか疑問ですが、大坂のうどんダシと江戸のそばダシのように好みの差はあったとおもいます。大阪のうどんは昆布と鰹両方使いますが、江戸のそばは鰹節しか使いません。

18世紀中頃、江戸で書かれた『蕎麦全書』という本には「近頃の蕎麦屋はダシに鰹を使うようになってけしからん」みたいなことを書いていますから、江戸でも鰹節が普及したのは18世紀からだと思います。

江戸っ子が昆布ダシを好まなかったのは、気が短かったからではないかと想像しています。

実際にダシをとり比べて見れば、昆布は火加減に気を配りながらじっくり時間をかけないと良いダシがとれないのに、鰹の方はグラグラ煮立てればダシがとれます。

昆布ダシのとり方は短気な人間には結構苦痛です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

面白いですね。
確かに地域による性格の違いはあるようで、江戸っ子はチャキチャキって感じですよね。
私も大阪で昆布が使われたのは、お得感があって買い物上手な奥さん達に気に入られたのでは?・・・などという想像をしました。

お礼日時:2008/04/27 01:08

東京出身の者です。

小学生の頃、大阪は昆布の産地ではないのに、なぜ大阪の親戚が昆布を送ってくるのか不思議に思っていたときがあります。その後、北海道の日高昆布の80%以上が大阪に出荷されると聞いて納得しました。

関西と関東の違いが興味深く書かれています。
「こんぶ」と「かつお」
http://tomhana090.exblog.jp/6486073/

江戸っ子が今の時期喜ぶものに、「初かつお」があります。
かつおは江戸でも作られていたそうです。
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no13.html

我が家では昆布だしは冠婚葬祭時のお吸い物やハマグリのお吸い物くらいにしか使いませんでした。こぶだしは関東の濃い口醤油より薄口醤油の方に合うと思います。家でお吸い物を作るときだけは醤油も薄口を使ってました。
佃煮やニシンの昆布巻き、松前漬けなどはよく食卓に登りましたが、出し汁はかつおだしがほとんどでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

紹介して頂いた「こんぶ」と「かつお」のページは、探していた時に開いていました。
ですが、流し読みして最後まで読まなかったので、肝心のところを見過ごしていました。
教えていただきありがとうございました。
『勝男武士』面白いです!
なるほど~と思いました。
これなのかな・・・? これが正解に近いような気がします。
ですが、東京の鰹は語呂合わせで「東回り航路/西廻り航路」には全く関係ないですね。
子供を呼んでしっかりノートに書かせました。
果たして先生の解答はいかに・・・?
頼まれて調べていた訳ではないのですが、面白かったです。
こういうのが勉強なんですよね~。

お礼日時:2008/04/27 01:27

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