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こんにちは。こころ、を読んだのですが疑問点が消えません。もしよければお力貸してください。

お嬢さん、についてです。彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
本文中に書いてあること、つまり根拠と一緒に教えてくださると助かります。よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?


:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に先生の(恐らく)心配そうな顔を見て笑うという対応を何度かしたはずです。
これは、先生の嫉妬を茶化したということが言えると思います。
自分が先生に対して好意を持っていたからこそ、先生の好意も理解できたのでしょう。
仮に「自分が好意を持っていない人」の「自分に対する好意」を感じて笑ったのだとすれば、これは嘲笑になるわけで、作品中のお嬢さんがそこまで性悪な女性として描かれているとは思えません。
【根拠3】
kと2人でいるところを見てぎこちない対応よりできない先生を、「変な人だ」と皆の前で言います。
これは、「何の感情も持っていなければ普通に対応できるのに変な人だ。」という意味でしょう。
自分が好意を持っている相手の本音を確かめようとする(無意識の)常套手段であり、仮にkの方をすきだった場合にはこのような言い方はしないように思います。

2、なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
:先に述べたようにお嬢さんが先生を好きなことは奥さんが良く知っていたからでしょう。
また、本人との話し合いも無しにという意味であれば、昔は親が一方的に決めることが不自然ではありませんでした。
中には見合い写真だけで結婚式の日まで相手の顔を見たことがない、などという極端な場合もあったようです。

3、なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
:特にこそこそしていたわけではないと思います。
先生に嫉妬させるための策略という穿った見方もできますが、そこまで歪んだ性格の女性としては捉えられていないと思います。
元々は、kの気持ちがほぐれるように対応してくれと、先生から頼まれていたことでもありますし、多少興味はあったとしても恋心を持ったわけではないでしょう。
kの自殺に関して殆んど無頓着な感想しか持っていないことからみても、それは明らかなように思います。

4、もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
:述べてきたように、個人的には元々先生の方が好きだったので先生と結婚したと思っています。
しかし、先生がもう少し消極的だったら、あるいはkがもっと積極的だったらどうなっていたか、神のみぞ知るといったところかもしれません。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/04 18:54

1:どちらが好きだったか。


先生だと思います。先生が結婚話をしたときに奥さんは、本人が不承知のところへあの子をやるはずがない、と言っています。仲のよさそうな親子ですから、母の心=娘の心でしょうし・・・(好みが同じというだけじゃなく、娘が母親に感化されると言うか)
何よりも、先生ら3人で買い物に行ったあと、同級生にからかわれた話をされたお嬢さんが、戸棚から取り出した(先生に見立ててもらった)着物をじっと見つめています。女心ですね。
旅行から帰ったときも、Kを後回しにして、先生の世話を焼いてくれたようですし。

2:なぜ母親が決断したのか。
そういう時代だったからです。本文中でも先生は、恋愛結婚は嫌だ、日本の習慣として許されていないと悩んでいます。しかしこの母親の場合、ちゃんとお嬢さんの心を汲んでいたはずです。

3:なぜKと2人きりで会っていたか。
お嬢さんは作品中で一番、心の中が見通せない人です。ある意味不気味ですね。だからお好みで解釈できると思います。
・自分が好きな先生の友達であるKと、仲良くしたかった(先生の持つ、自分への評価を上げるため)
・Kから先生の話を聞き出したかった。
・ただ気が合うから。
・先生に嫉妬させるため。

先生に嫉妬させるためだとしたら、先生はKが下宿するようになってからお嬢さんの態度の妙なところが目に付くようになるのですから、作戦は成功しています。
Kとお嬢さんが一緒に話しているのを見て黙り込んでしまったシーンでも、お嬢さんは先生の戸惑いを引き出せた(=嫉妬させることができた)ので、奥さんに睨まれたのでしょう。
また、怪しいのは『先生と私』で、お嬢さん(「私」から見た「奥さん」ですね;)が、「私」にKのことを話すときです。Kが変死したとまで言っているのに、全部言うと叱られてしまうとも言っている。しかしKの自殺の理由は彼女には分からない。
これから考えられるのは、彼女は先生の嫉妬をあおるためにKを使ったけれど、Kが恋心を抱いていたことに気付いていなかった、でしょうか。でも彼女の知っている「全部」から「自殺」を引き算すると、何が残るのか?・・・深く考えると、怖いですね。
ただ、Kと話すことが先生を嫉妬させるための作戦であったとしても、お嬢さんに悪気はなかったと思います。

4:もしKが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのか。
私は上記の通り、先生のことが好きだったという意見ですが・・・
もしKのことが好きだったとしても、お嬢さんは先生と結婚したと思います。そのほうが母親が安心しますし、Kの性格は一途過ぎて、一緒になったら苦労しそうですからね;
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この回答へのお礼

すごく参考になりました。
もう一度こころ読んでみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/04 18:54

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Q夏目漱石の「こころ」。「私」はなぜ「先生」に惹かれたのか。

今夏目漱石の「こころ」にはまっているんですけれども、
なぜ「私」が「先生」に惹かれたのかがいまいちよくわかりません。
考えられる可能性としては、「私」が「先生」の奥さんに一目ぼれしてしまった、ってことなんですけど・・・。

おしえてください、よろしくおねがいします

Aベストアンサー

 こんにちは。私もNo.1さんと同様に、人生の師と仰ぐべき「先生」としての、また一人の人間としての「尊敬」の気持ちと、「先生」のなぞめいた雰囲気に、惹かれたのだと思います。
 先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っていたのではないかと思うのです。そうした私の目の前に現れた「西洋人」を連れた一人の日本人は、時代の最先端を行くとても魅力的な人物として見えたのではないでしょうか。この時「私」は意図的に「先生」の目につくような行動をしています。「私」は、「先生」を大学の講義とは違う「生きた教材」として「先生」に近づいていくうちに、「先生」の人柄、「先生」のなぞめいた行動、若い「私」には理解しがたい「先生」の言葉に、どんどん引きつけられていったのだと思います。「先生」の遺書を受け取った「私」は、実の父親が、重病であるのにもかかわらず、東京に向かってしまうほどにまでなっていました。

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Q夏目漱石「こころ」で「K」が自殺した理由

夏目漱石の「こころ」で友人「K」が自殺した理由について、詳しく教えてください。いろいろ考えましたが、いまひとつ腑に落ちない部分もありますので。
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Aベストアンサー

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そして「先生」の裏切り。友人の裏切りにあってまず自分以外の人間に対して絶望した。つまり人間不信ですね。

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Q夏目漱石「こころ」名前のある登場人物について

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これは一体何を表していると考えられますか。
みなさんのご意見が聞きたいです。

私はジェンダー論と絡めて考察したいと考えています。
(ジェンダー論に関してほとんど無知なので、これから勉強していくつもりです。)

Aベストアンサー

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、

「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

「こころ」の場合、主人公の《語り手》は帝大を卒業して間もない理想主義者で、人間的にも真面目で誠実だが、まだ人生や社会の裏表を十分には理解できていない、良くも悪くも観念先行型、頭デッカチの田舎青年というキャラクターを与えられていますよね。
その点では、テーマは違いますが、やはり熊本出身の三四郞が良くも悪くも文明開化の光と影を具象化し、自我意識に目覚めた、男勝りの超美人の美禰子に翻弄されつつ自己形成していくのと通底するところがありますよね。

この三四郞が「先生」という人物とたまたま鎌倉の海水浴場で出遭い、持ち前の愚直さで先生の人柄に惚れ込み、最終的に「先生」の「遺書」の差し宛人として遇されるだけの信頼を勝ち取った結果、「明治の精神に殉死」した先生によって自分の後継者として、新しい時代《=大正》を生きていくことを託され、そのための《宿題》としての「遺書」を委ねられたと解することができます。

このような「こころ」の《語り手》としては、あくまでも「先生の遺書」を受取り、それを読んで驚愕した時点から時間を遡るようにして先生と自分との関係を反性的に捉え直す必要性に迫られたはずですから、それ以外のこと、登場人物等のプライバシー等が《語り手》の興味・関心の対象外だったとしても何ら不思議ではないですよね。
だから、「登場人物は、ほとんどが代名詞」であっても全然構わなかったと言えるのではないでしょうか。
彼の興味・関心はひとえに先生の「明治の精神に殉死」する必然性を自分自身の人生の課題として受け止め、その真相を明らかにすることに向けられていたはずでして、これを一種の手記の形にまとめ上げ、読者に披瀝することで、問題意識の共有を求めようとしたとは考えられないでしょうか。

ということで、「こころ」では「登場人物は、ほとんどが代名詞で表されています」ことだけに限らず、彼らのプライベートな側面を描くにしても、実は物語を展開していく上での必要最小限の範囲内に限られていると言えるはずです。
だから、「静」にせよ、「お光」にせよ、地の文の中ではなく、会話文の中でしか使用されていませんよね。
やはり、《語り手=主人公》の興味・関心があくまでも、自分の人生の師である「先生」の自殺の動機、必然性だけに向けられていたからと説明するしかないような気がします。

ただし、以上のように考えれば考えるほど引っ掛からざるを得ないのは、冒頭の以下の一節でして、これをどう解釈するかについては、質問者さんご自身に委ねたいと思います。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」

なお、「こころ」を「ジェンダー論と絡めて考察」なさるのも結構ですが、漱石が生涯を通じて凝視していたのは、「ジェンダー論」のはるか彼方でチラチラする、より困難な課題であったことだけは忘れてはいけないと思います。
もし、「ジェンダー論」的な視点からということなら、「こころ」よりも「虞美人草」、「道草」、「明暗」等の方が恰好な材料を提供してくれるかもしれません。
「こころ」は「三四郞」と並んで、一種の教養小説(Bildungsroman自己形成小説)と評した方がより適切であるような気がします。

>この作品の登場人物は、ほとんどが代名詞で表されていますが、

「こころ」は、漱石の長篇小説の中では、唯一一人称による語り(回想)によって物語が展開されていくという形式を採用していますよね。
こういう場合、これはあくまでも一般論、原則論でしかないのですが、《語り手》と《語り》の対象との間に、時間的・空間的な一種のパースペクティブ(遠近法)な《距離》がありますから、これが《語り手》に作用して、語る対象としての素材・題材をより抽象化や類型化させやすいと言えるかもしれません。

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Q夏目漱石の『こころ』  先生の責任について

夏目漱石の『こころ』についてなのですが、Kが自殺した理由として、
先生がKより先にお嬢さんに告白したために、Kが自殺してしまったのでは
ないかと思います。よって先生にはKの自殺に対する責任があると思いますか?
もしくは、「私」は自分に責任があると『思い込んでいる』だけで本当は責任はないのでしょうか?

Aベストアンサー

結果がすべて、というならば責任は「ある」と思います。しかし、それにいたる「経過」を考えると、親しい身内以外は、必ずしも断罪できるものではないでしょう。

つまり、Kが自殺する以前にも「私」は重苦しい責任を感じていたわけですが、自殺した後の責任と比べると、明らかに異なる要素が入っていると思います。表現しにくいですが、前者は「卑怯」な手を使って友人を出し抜いた(あるいは裏切った)責任、後者は友人を「死」に追い込んだ責任というふうに分けることができると思います。もちろん、両者はつながっているわけですが、それはあくまで「結果」であって、Kの自殺は予想外のことだったことは見落としてはならないと思います。

「結果的に死に追い込んだ」と言えばそれまでですが、この小説のミソはそこではないように思います。やっぱり、いろいろ考えるべきところはあるんです。

Kはお嬢さんが好きでした。「私」はそれを知っていました。でも、「私」も好きでした。客観的には、ここにおいて「男の勝負」が始まったのではないか、とすれば、「私」は正々堂々と勝負しなかった、つまり闘わなかったわけですね。闘わずして、「謀略」でものにしたことになる。ところで、これは「卑怯」の二文字で片付けられるでしょうか。

ずいぶん前になりますが、私がこの小説を読んだときは、何ともいえない罪悪感で胃が痛くなりました。客観的に見ると、やっぱり卑怯なんですよね。でも、本気で人を好きになった経験のある自分としては、自分を先生に置き換えてみると、その気持ち、理解できなくもなかった。胃が痛くなったのは、読み手の私の中でも葛藤が出てきたからです。

それと、Kの態度が煮え切らぬものだったので、「私」は明らかにイライラしていました。なおさら、こんな半端な男にお嬢さんを渡したくない、という気持ちも出てきたのかもしれません。この気持ちもよくわかります。

だから、結局、客観的には、「私」の行動は「良くない」ことだったのは明らかです。「私」にもその自覚はあった。だからこそ何度もKに自分の心を打ち明けようとしましたよね。どうせ明らかになることですし。

ところがKが自殺してしまった。もう、詫びることもできません。これによって先生は生涯その苦悩を背負って生きていくことになります。私は、この先生の「生きざま」と、それを「解き明かしていく」構成がこの小説の魅力だと考えていますが、いずれにしても、この苦悩を「責任」と考えるか、「結果」と考えについては、どちらとも言いにくい、その辺もこの小説の考えさせられるところだと思います。

結果がすべて、というならば責任は「ある」と思います。しかし、それにいたる「経過」を考えると、親しい身内以外は、必ずしも断罪できるものではないでしょう。

つまり、Kが自殺する以前にも「私」は重苦しい責任を感じていたわけですが、自殺した後の責任と比べると、明らかに異なる要素が入っていると思います。表現しにくいですが、前者は「卑怯」な手を使って友人を出し抜いた(あるいは裏切った)責任、後者は友人を「死」に追い込んだ責任というふうに分けることができると思います。もちろん、両者はつ...続きを読む

Q「こころ」の静について

タイトルについていくつか質問をしたいと思います。回答のほうをお願い致します。
(1)、十一月の寒い雨の降る日、Kと二人で歩いているとき、髪型がいつもと違って庇が出ていなかった、と書かれていますが、ここにはどういった意味が込められているのでしょうか?
(2)、静の性格はどういう性格なのでしょうか?
(3)、静はKの自殺について、本当はどこまで知っていたのでしょうか?
(4)、静の、唯一の頼るべき相手、先生が自殺をしてしまった後、静はどうなってしまうと思いますか?

Aベストアンサー

(1)束髪というのにも色々あったようですが、ともかくそれまでの日本古来の髪の結い方とは違う洋風の髪型だったよです。
後に庇型になるようですが、最初の頃は形容されるような髪型だったようで、下記URLのどちらかのような感じではなかったのでしょうか。
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/seiage.html
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/igirisu.html

ただ、ここではその髪型を珍しく思ったとか、どうであったとかいう意味は含んでないと思います。
本当に気が動転している時は、全く無意味なことに注意を集中してしまうもので(火事の時にまくらを持って逃げる、など)、その時の「先生」の場合は、お嬢さんの髪型がぐるぐる蛇のように巻きつけてあることに注意がいっていたということの説明でしょう。
呆然としていた心境を表わすために使われただけだと思います。

(2)ごくごく普通の性格だと思います。
若い時は、一応は先生を好いていたのでしょうが、人並みに男性に無邪気な興味を持ち、一方で賢母の律儀な教育を受け入れて純真な心を失わず、先生に嫁いでからは良妻として穏やかな生活を築こうと努力している。
といったところでしょう。

(3)全く知らなかったと思います。
もし少しでも知っていたとすれば、「私」との会話の中で、何かもう少し異なった表現がされていなければ不自然です。

(4)ごく普通に生き抜いていくでしょう。
「私」は時折訪ねることはあるでしょうが、手紙の内容を明かすことはないと思います。
『先生の墓はKの墓の近くに建てられ、命日には「私」もお参りに訪れます。
静は事あるごとにお墓に通うでしょう。
そして、ある秋の日の昼下がり、いつものように枯葉の溜まった墓を掃除していると、晴れた空を流れる雲の影が先生の墓をよぎるのに気付きます。
一旦途切れたかと思った雲の影はまた、そして何度も何度も、静の掃除する目の前の先生の墓に影を落としながら通り過ぎていきます。
その流れていく先に目を移すと、少し離れたところにあるKの墓の上にも次々と同じ雲の影が映っては消え映っては消えしているのです。
上空を見上げた静の目に、秋にしては濃すぎるような白い雲と共に、午後の陽射しをふんだんに吸い取った光輝く青空が眩しく飛び込んできます。
再び墓に目を戻した時、静は軽い眩暈を覚えて思わずしゃがみこんでしまいます。
そのうずくまった足先をかすめるように雲の影は流れ続けています。
その影がKの墓に向かっていることは見ないでも静にはわかりました。
その時、全く唐突に頭の芯から体全体を貫くような感慨を覚えます。
そして、同時に気づくのです。
「すべて私のせいだったのだ。」と。
しばらく呆然としていた静ですが、誰に確かめようとも思う必要のないほどその事を確信します。
どこかで、掃き集めた落ち葉を燃しているらしい芳しい香が漂ってきて、静は自らを失うことを恐れるかのように、その匂いを深く吸いこむべく毅然と胸を反らそうとするのでした。』

といったような日が来るような気もします。

(1)束髪というのにも色々あったようですが、ともかくそれまでの日本古来の髪の結い方とは違う洋風の髪型だったよです。
後に庇型になるようですが、最初の頃は形容されるような髪型だったようで、下記URLのどちらかのような感じではなかったのでしょうか。
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/seiage.html
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/igirisu.html

ただ、ここではその髪型を珍しく思ったとか、どうであったとかいう意味は含んでないと思います。
本当に気が動転している時は、全く無意味なことに注意...続きを読む

Q夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?

夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?
昔、「こころ」をドキドキしながら読んだ記憶があります。
あんなに小説に引き込まれたのは初めてですが、結論に納得出来ないものを感じます。
結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?
将来に対する明るいメッセージはないのでしょうか?

Aベストアンサー

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説には、質問者さんがおっしゃるように、まさに「将来に対する明るいメッセージ」に満ちていることが浮き彫りになってくるはず、と私には思われてなりません。

思うに、この小説の最大の謎は、先生が、妻にも明かせない、自分の最重要な内奥の秘密を綴った《遺書》を、ほかでもなく、田舎出の、世間知らずで、勝手に先生に魅了され、勝手に先生宅に押しかけ、勝手に先生を師と仰ぐ、やや青臭さく、思慮の浅い、しかし理想家肌の一青年に託そうとしたのはなぜか?という点にあるのではないでしょうか。

で、その前に「「先生」が自殺する原因は?」となると、先生がKを出し抜く形でお嬢さんと婚約したことは、大正以降の日本人の常識的な倫理規範に照らして、特に恥ずべき行為ではないにせよ、「明治の精神」(封建道徳)に照らす限り、許すべからざる行為であったが故に、乃木将軍が明治天皇に殉死したことに触発され、「明治の精神」に殉ずる形で自殺することを選んだと解しうるのではないでしょうか。

ただし、漱石自身となると、「明治の精神」を単純に賛美していたわけでも、時代遅れの旧道徳と蔑んでいたわけでもないことは、「現代日本の開化」からして明らかでしょうね。
「明治の精神」には、封建道徳だけではなく、文明開化と同時に流入してきた個人主義思想も含まれていたはずですが、かつて信頼していた叔父によって父親の遺産を横領され、その後自分を信頼してくれていたKを裏切るという経験をした先生としては、西洋近代思想である個人主義をとても手放しでは容認できなかったはずです。
となると、この自らのエゴイズムを罰するには、やはり「明治の精神」に殉じるという方法しかなかったのではないでしょうか。

その上で、先生が自殺に至るまでの生き様や経緯を告白した遺書を、主人公の「私」に宛てた動機や理由を考えてみますと、主人公がまだ思慮が浅くとも、理想家肌の青年であることからして、先生はこの青年に、自分の精神上の息子として、自分に代わって新しい時代を生きてくれることを期待したのではないでしょうか。
その意味では、先生の遺書には、大正という新時代を生きる青年の指針、成長の糧となって欲しい、という先生の切なる祈念が込められていると言えるのではないでしょうか。

また、「こころ」という小説を、より主人公中心の視点、観点から眺めてみると、主人公が来るべき新時代を自立(自律)して生きていくための、一種の父親殺し(旧思想切り捨て)に通じるモチーフが潜在していると評することもできるかもしれませんね。
さらには、同じような意味で、「こころ」は「三四郎」と同様、主人公の人間的成長過程をテーマにした、一種のBildungsroman(教養小説)に通底する基本性格を持っていると評することもできます。

もし、「こころ」に以上のような解釈の可能性が内在しているとすれば、やはり、漱石の「将来に対する明るいメッセージ」が潜んでいると解してもあながち間違いではないと思います。

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説...続きを読む

Q夏目漱石の『こころ』の問題です。

これは高校時代、期末テストに出た問題なのですが、
答え合わせの時ちょうど病気で入院してて、未だに正解がわからないままなんですよ。(笑)
それで半分は諦めて忘れていたのですが、このことを思い出し、ネットの時代でみなさんに聞ける時代になったので質問してみます!。

場面は、Kが「覚悟」という言葉を発したあたりからです。
問題:「新しい光りで覚悟の二字を眺め返してみた私は・・・」
この“覚悟”の、以前と以後の解釈は、どういうものか?
という問題でした。
その時に回答したのは、
◆<以前>
Kがお嬢さんに対して進んでいくという事。
◆<以後>
Kが、お嬢さんへの恋をあきらめ、今まで通りの道へ進んで行くということ。
この2つです。
もちろん、2つともはずれてしまったのですが笑(^_^;)・・・
10数年ぶりに解決出来ると思うので!笑、どうぞよろしくお願いします!。

Aベストアンサー

こんばんは。
わたしの思うところを書きますと、
質問者さんの書かれた解答は、
ちょうど逆だったのではないかなあと思います。

先生の
「君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。
一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
という言葉に対して
Kは
「覚悟ならない事もない」
と答えています。

そしてあとになって「新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた」先生は
「Kがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。
果断に富んだ彼の性格が、
恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと
一図に思い込んでしまったのです。」
とあります。
そして先生はあせって「奥さん、お嬢さんを私に下さい」
の行動に出ました。

ですから、質問者さんの答えはちょうど逆だったのではないかなあ
と思います。

でもその時Kが言った「覚悟」の意味は
そのどちらでもなかったわけですよね・・・・・

Q夏目漱石の【こころ】について。。。

今、こころお内容で討論しています。
「静は策略家である」とういう題にたいして賛成意見と反対意見を教えてください。。

Aベストアンサー

「策略家」反対意見が出ているようですので、肯定意見を一つ。

漱石の作品に登場する女性には、「無意識の罪を犯す存在としての女」というテーゼがしばしば投影されています。
「三四郎」などは「アンコンシアス・ヒポクリシー(無意識の偽善)」という言葉でそれを明確なテーマにした小説です。
こういった事を考える時、漱石が「策略家」としての静の側面に無意識的であったとは僕には思えません。
むしろ、静の「策略家」としての無邪気さが、この小説に欠かせない部分をなしていると思われます。

作品全体に流れるテーマであり、晩年の先生を苦しめているのが「罪」の意識であるのは、間違いないと思います。
しかし、その「罪」とは、一人先生のみが負うべきものだったのでしょうか?

客観的に見れば、Kを殺した原因を作ったのは、先生と、奥さん(静)の「二人」である事は明かです。
しかし、奥さんにはおそらく「罪」の意識はなく、その為に先生の苦しみも理解できません。

-----
「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」
「あの人は駄目(だめ)ですよ。そういう事が嫌いなんですから」
「つまり下(くだ)らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」
「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」
「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」
「丈夫ですとも。何にも持病はありません」
「それでなぜ活動ができないんでしょう」
「それが解(わか)らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」
-------

恋愛の駆け引きは、取り立てて珍しいものではありません。
「策略を意図したかどうか」と言えば、静は、常識的な恋愛の駆け引きの範囲内で、半ば意図的に、半ば無意識に行ったに過ぎません。本来はそこに何も罪はないはずです。
しかし、その「意図せぬ策略」が、潔癖なKを苦しめ、結果的に死に至らしめた。

その時、「意図せぬ策略家」としての「静」の罪が浮かび上がって来ます。
しかも、その罪を意識しているのは、当の静本人ではなく、先生のみなのです。

できるならば、愛する妻に自分の罪を告白してしまいたい。
しかし、告白は、「自分の罪」の暴露であると同時に、「静の罪」の糾弾にもなってしまう。
どうすればいいのか。
奥さんの事を考えれば、言わないがいいに決まっている。しかし、先生の自我(エゴ)は、はっきりと「罪」を糾弾する。
そんなジレンマが、小説の前半に描かれた穏やかな場面に時折顔をだすのです。

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「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅(うるさ)いもののように考えていた。
「一人貰(もら)ってやろうか」と先生がいった。
「貰(もらい)ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。
「子供はいつまで経(た)ったってできっこないよ」と先生がいった。
 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。
------

苦しみに満ちた穏やかな日々・・・
それは、先生の死という形で終わりを向かえます。

「こころ」という小説を、単に「先生の罪」だけでなく、「奥さんの罪」にも焦点を当てて読むことで、言い換えれば、「意図せぬ策略家」としての「静」に意識して読むとき、先生の苦しみの深さがより理解できると思いますがいかがでしょうか。

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私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描(えが)き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨(みじめ)なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。
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※引用はすべて青空文庫です。
※「作者の意図」を明確に断定する事は、現代の批評の世界ではやや消極的に捉えられています。(全く否定されていた時代もありました。)

「策略家」反対意見が出ているようですので、肯定意見を一つ。

漱石の作品に登場する女性には、「無意識の罪を犯す存在としての女」というテーゼがしばしば投影されています。
「三四郎」などは「アンコンシアス・ヒポクリシー(無意識の偽善)」という言葉でそれを明確なテーマにした小説です。
こういった事を考える時、漱石が「策略家」としての静の側面に無意識的であったとは僕には思えません。
むしろ、静の「策略家」としての無邪気さが、この小説に欠かせない部分をなしていると思われます。

作...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Qこころにおける先生にとっての私、Kの存在

「こころ」における先生にとっての私とKの存在はどういったものなのでしょうか?

あと、先生と私の社会的階層についても教えてくださると助かります;

Aベストアンサー

「先生」にとっての「K」は、「良心」「倫理」「道徳」といったものから離れそうになる自分をそれらに結び続けておく存在です。「先生」は「K」の死という事実から、常に自分自身に「良心」「倫理」「道徳」の定規を当て続けざるをえなかったわけです。

「先生」とっての「私」は、「良心」「倫理」「道徳」から離れそうになる自分を留める煩悶と苦悩の継承者となる存在です。「先生と遺書」の第2章の最後の部分に「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」とあります。「先生」は「私」に継承者になる資格を見出し、自分の過去を打ち明けてその煩悶と苦悩を「私」に引き渡したのでしょう。

漱石に関するある解説に「漱石の後半期の諸作品においては、知識階級人というものは、道徳の実践者としても、またその違反者とても、道徳や正義を意識する鋭さや強さにおいて人間社会の代表的存在として描かれている」とあります。「私」と「先生」は道徳や正義を意識する鋭さや強さを備えた知識階級に属する人たちで、しかも、道徳の実践者としても違反者としてもその意識を実施に移すことができるだけの意志と余裕のある人たちです。

「先生」にとっての「K」は、「良心」「倫理」「道徳」といったものから離れそうになる自分をそれらに結び続けておく存在です。「先生」は「K」の死という事実から、常に自分自身に「良心」「倫理」「道徳」の定規を当て続けざるをえなかったわけです。

「先生」とっての「私」は、「良心」「倫理」「道徳」から離れそうになる自分を留める煩悶と苦悩の継承者となる存在です。「先生と遺書」の第2章の最後の部分に「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」とあります。「先...続きを読む


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