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1年中の中は「じゅう」と読み、旅行中の中は「ちゅう」になります。いつ「じゅう」と読み、いつ「ちゅう」になるのか、発音の違いはどうしてか知りたいです。

A 回答 (5件)

連濁になるかならないかは、慣習によるもので、特に規則性はないとされています。

例えば、「平仮名」は「ひらがな」で「片仮名」は「かたかな」、「架け橋」は「かけはし」で「吊り橋」は「つりばし」であるように。

「世界中」「旅行中」も同様に考えていいと思いますが、ただ、ここで問題となるのが、現代仮名遣いでは、二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」は「ぢ」「づ」を用いて書く(「鼻血」「悪知恵」「湯飲み茶碗」は現代仮名遣いでも「はなぢ」「わるぢえ」「ゆのみぢゃわん」)とされているため、「世界中」の場合は漢字が「ちゅう」だから「ぢゅう」ではないかという疑問が出ます。
これに関しては、現代仮名遣いの公文中に「次のような語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいものとし、「じ」「ず」を用いて書く」として(「ぢ」「づ」も許容はされているが)「せかいじゅう」「いなずま」「うなずく」「ひざまずく」等の語例が挙げてあります。
さらに、昭和31年の国語審議会の報告「正書法について」によると、「家中」「一日中」の「~中」は、「いっぱい」の意味を添える接尾辞に転じて、語原とは離れているから、語原によらず「じゅう」と書いても差し支えない、とされており、この考えによれば、「家中」「一日中」「世界中」等の場合は、すべて「中(ちゅう)」の連濁とは見ないで、接尾語であると認められるわけで、現在では、これらの「~じゅう」という言葉の表記に漢字の「中」を用いるのは適切でない、と主張する向きもあります。

なお余談ですが、「布地」「路地」などの仮名表記は、「地球」「本拠地」などの読みの連想や「鼻血(はなぢ)」の例などから「ぬのぢ」「ろぢ」ではないかと考えがちですが、漢字の「地」は、漢音が「チ」で呉音が「ジ」であり、「地面」「地震」などはいずれも「地」を呉音「ジ」で読む言葉であって「チ」が変化したものではありません。「布地」「路地」などは「地」が下にありますが、これは二語の複合による連濁ではなく(「鼻血」とは違い)呉音なので「ぬのじ」「ろじ」が正しい書き方で、これは「世界じゅう」とは違う理由で「じ」と書く例です。

御質問本来の趣旨とずれた回答になってしまいましたがご参考までに。
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  これは恐らく慣用的な発音で、特に決まった規則はないというのが妥当でしょう。あるとすれば、発音上で、発音しにくい場合に、「ちゅう」が「ぢゅう」になるということでしょう。例えば、「一日中(いちにちぢゅう)」は、「いちにちちゅう」では、少し「ち」の連鎖になるので、濁るのだという可能性がありますが、「いちにちちゅう」と云っている人がいる可能性もあります。(時間ではありませんが、「地中(ちちゅう)」は濁っていません。「ちぢゅう」とは読まないでしょう。「地中海」は「ちちゅうかい」で、「ちぢゅうかい」ではないとまず思います。……「空中」「海中」と濁っていませんが、「世界中」は「せかいぢゅう」です。「宇宙中」は、「うちゅうちゅう」ではなく、多分「うちゅうぢゅう」でしょう。広いところが濁るのかと云うと、「町中(まちぢゅう)」「村中(むらぢゅう)」「家中(いえぢゅう)」で、濁っています。「部屋中(へやぢゅう)」「箪笥中(たんすぢゅう)」も濁っていますから、広い場合、濁るのでもないです。……「家中」は「かちゅう」と読むと、濁りません)。
 
  「年中(ねんぢゅう)」で、「年がら年中(ねんがらねんぢゅう)」とも云いますし、「一年中(いちねんぢゅう)」とも云います。しかし、古語で、「年中行事(ねんぢゅうぎょうじ」を引くと、「ねんちゅうぎゃうじ」となっています。濁音が清音です。行事の方は「ぎょうじ」ですから、これは、「年中」は「ねんちゅう」と「ねんぢゅう」の二つ読みがあるということになります。「旧年中(きゅうねんちゅう)」も濁っていないと思います。「きゅうねんぢゅう」と読む人も、あるいはいるのかも知れませんが。
 
  「n中」は、発音上、「んぢゅう」かとも思ったのですが、上では違いますし、「禁中(きんちゅう)」も、濁っていません。「今世紀中(こんせいきちゅう)」とも云いますし、「こんせいきぢゅう」とも云います。「戦中戦後(せんちゅうせんご)」、「戦時中(せんじちゅう)」を見ると、「n中」は「んぢゅう」ではなく「んちゅう」もあるということになります。「戦争中(せんそうちゅう)」「戦闘中(せんとうちゅう)」「運転中(うんてんちゅう)」「航海中(こうかいちゅう)」「しょっちゅう」。
 
  nabayosh さんのいうような規則があるとして、確かに「一年中(いちねんぢゅう)」「一日中(いちにちぢゅう)」ですが、「十二月中働いていた」は、「じゅうにがつぢゅう」のようにも、「じゅうにがつちゅう」のようにも思えます。「明日中(あすぢゅう)に仕上げる」「昨日中(きのうぢゅう?/さくじつちゅう)に仕上げた」……これは、「一日中(いちにちぢゅう)」や「一年中(いちねんぢゅ)」に引きずられて、こういう表現になっている可能性があります。
 
  結局、慣用的に決まっているようで、特に規則性はないようだというのが、感想です(nabayosh氏の「通じての行為」は濁るというのは、説得力があるのですが、これは、二つの表現に引きずられている可能性が大きいと思います。……ただし、「空間一杯」の場合、「世界中」が典型的にそうであるように濁ります。「国中」「町中」「村中」「宇宙中」みな濁ります。「広がり一杯」は濁るとすると、この規則は適用できそうです。時間にも適用されたのが、「年中」だとも言えます。何故濁るのかは、「一杯」を強調するため、強く言って濁るのだとも思えます。「町中(まちぢゅう)、興奮に包まれていた」は、「町一杯」で、「町中(まちなか)には、人影が見られた」は、「町の中」で、町全体・一杯ではないのでしょう。……これも例外があるかも知れませんが。「年中行事」は、「年のなかの行事」で、昔は濁らなかったのが、「一年中(いちねんぢゅう)」に引きずられて、濁るようになったのでしょう。「時間期間一杯」が濁るとすると、「年中(ねんぢゅう)行事」は、一年を通じて、或る行事が連続して続いていることになりますが、そういう意味ではないからです)。
 
  大分、用例を考えて結論を出したので、「自信あり」にします。反例を出してください。
 
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日中・・・にっちゅう


1日中・・・いちにちじゅう
近日中・・・きんじつちゅう

発音の違いは、もともと「じゅう」は「ヂウ」だったからだと思います(チウがヂウになるのは納得できると思います。他にも法則がありますからね)が、こうして上のように見てみると、僕はある法則を思い浮かべます。
・何かを通して行動している場合に、「じゅう」になる。

まあ、間違っている(反例が出る)かもしれませんが、僕の見出した法則ということで。
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 参考URLにあるように、どちらでも良いとなっているようです。



参考URL:http://www.okweb.ne.jp/qa/question_37164.html
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いろんな言い方を書き出し,グループ分けをしてみるとわかりやすいと思いますよ。



時間的に長い期間を指す場合は「じゅう」となり,狭い期間を指す場合に「ちゅう」となると思います。
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