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 昔の人が言ったのは、どういう思いからだったのでしょうか。

 どこの糧に質問すればいいか迷ったのですが、虐待やいじめの解決、内的悩みがきっかけで心理を学びたい人が多いと聴いたので。

 この言葉の持つ危険性や、救いについても私自身今考えていますが、ご助言お願いします。

A 回答 (8件)

だめっていうことは、


手がかかって、
その分一緒にいる時間が長くなって
コミュニケーションをとる時間も長いから、
愛着がわくってことです。

いじめとか、虐待とは本来関係ない言葉のように思いますが?
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この回答へのお礼

 早速の回答ありがとうございます。
 手がかかることで、愛着がわくということですか。

 本来はそういうことなのですね。

 虐待というと大げさかもしれませんが、育てにくい事で(たとえば夜泣きつづく、アレルギー、軽い発達障害などで)疲れてしまいかわいく感じられないということは、現実にあると思ったので。
 いじめに関しては、(こどものクラスにお父さんだけの家庭のお子さんがいるのだけれど)先生が、明らかに差別していると。

 手間がかかるけど、あきらめたり見放しとりしないで育てていきましょうという意味が含まれているのかと思っていました。

 それでも、親が手がかかることから過保護になったりしすぎると何かが足りない子供になるのかと考えていました。

お礼日時:2006/02/05 15:33

んーと、ちょっと違います。


「駄目な子」ではなく、「手間の掛かる子」です。

「手間の掛かる子」というのは、あまり裕福ではなかった時代の、未発達であったり病気がちな子供を指します。
後には悪戯っ子などのやんちゃな意味も含まれるようになり、それが転じて「駄目な子」とも言われるようになりました。
手間が掛かると言うことは、自然に接する時間が長く、愛着が湧いてきて、知らず知らずのうちに可愛く思えてしまうと言うことです。
ですから、危険性も何もありませんよ。

この回答への補足

 スミマセン。
 糧、カテゴリー
 泣く、ありませんでした。の間違えでした。

補足日時:2006/02/05 15:51
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この回答へのお礼

 現代の子育てには、あまり当てはまらない感覚でしょうか。

 実は、近頃必ず泣ける本とお墨付きの、母と息子の本を読みましたが私には、ちっとも泣けるところは泣くこの言葉が浮かびました。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/05 15:50

私には2人子供がいるのですが、一人は素直で明るく、一人はひねくれて扱いにくい性格です。



素直で明るい性格の子は、外に言っても他の人に可愛がられてうまくやっていくだろう、と思えるし、安心していられます。

ひねくれて扱いにくい性格の子は、自分以外に可愛がってくれる人はいないかもしれないし、そういう性格ゆえに他人とうまく折り合っていけるかどうか、いつも気になります。

結果、親というものは、そういう「欠点のある子」ほうに多く心を砕くものなんだと思います。
自分がこどもを持つようになってから、「ダメな子ほど可愛い」というのは、そういう切ない思いのことを言うのだろうか、と思うようになりました。
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この回答へのお礼

 経験からの回答ありがとうございました。気持ちに染み入るものがありました。

 私の配偶者は、義母の年を取ってからの子供ですので(そして昔の手間の掛かる子供だったようで)
同居してから、その密着観というか、親子の絆なのですが気持ちの悪さまで感じるものでした。

 親を大切にしてなぜいけない?
 なぜ、気持ち悪いといわれるのだろう。 
 といわれれば、私がそのように育てられていないことと他人だからなのですが。
 私自身、反抗期の子供に手をやいていますが、
 そうねー、どうしようかしらね。
 と、鷹揚に構えられるようになるには修行がいりそうです。

お礼日時:2006/02/05 16:53

「だめな子ほどかわいい」には、「残酷さ」と「優しさ」が共存していると思います。


もちろん、「優しさ」は手のかかる子を持った親の心情を言い表しています。
この点は回答者の皆様のご回答にあるとおりだと思います。

もう一つの「残酷さ」を表す方は、非情に問題のある発言だと思います。
これはほんとに悪いことをしたり、手のかかる子を持っている親の行動、また本当は悪くないのに悪い事をしたと思われている子、問題ある行動をしたと思われている子とその親を見た第三者が発した時の場合です。

そして、その問題のある行動などをしている子供を庇ったり、世間の冷たい目から守ろうとする親に対して、彼らを馬鹿にしたり、責めたりする言葉となるのです。

「ダメな子ほど可愛いって言うじゃない!」と、捨て台詞のように言われた時は、その親をも子をも愚弄し、必要以上に責め苛む言葉に変身します。人の弱みに付け込む典型的な言葉になるのです。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

「残酷」といえる言葉かもしれませんね。ラべリングされることは、子供にもその親にもつらいことかもしれません。

 子育てのカテなどをみていると、子供の体格の比較、やんちゃなことでの周りとのいざこざ、病気への無理解などで、子供より親が苦しんでいる姿がみえます。言葉は、発せられた人の人柄や、人格で、同じ事を言われても、受け止められ方は違いますね。愚弄しているのか、その人のことを少しでも思っていっているのか、、、弱みに付け込んでいるのかな。
少なくても心理を勉強した人に話すときには、ほかの人には言えないこともいっているぐらいの気持ちで、
受けとめてほしいし、そこまで話されたことは、誇りに思ってもいいのではないでしょうか。でも、他人の事であり、結局どうすることもできないことのほうが多いでしょうが。重いですかね。話されても。

お礼日時:2006/02/06 19:38

 無意識にではあるでしょうが、



「こんなにダメな子供に手をかけているのだから、かわいいと思わなければやってられない」

ということがあるのかもしれません。

 本人が意識してしまっては効果がないので、本当にかわいいと思っているのは間違いないのですが。
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この回答へのお礼

 私は正直、かわいいと思えない人が増えているから虐待や、子殺しっておきるとおもうのですが。

 親ばかは、しあわせなことかもしれませんね。

 いぬこ(子供がもともといければ)には泣かされないというような言葉もあった気がするのですが

 マスコミの切り口だけでは、子供が欲しいと思えなくても当然じゃないでしょうか?
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/06 19:44

ダメな子ってのは、母親である自分を必要としてくれる子、でもあります。

母親は、その、
ダメな子から必要とされることによって、自分の存在価値を手っ取り早く確認することが
でき、「こんなに手をかけてやっている」と、ある意味、自己満足、自己陶酔に浸ることが
できます。それを母親が自覚しないまま、「かわいい」なんて言ってるのはキレイな気もし
ます。危険なところは、「母親に依存する子ども」と「自分に依存する子どもを必要とする
母親」の間に「共依存」関係が生まれることがある、ということでしょうか。
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この回答へのお礼

 お礼遅くなって申し訳ありませんでした。
 共依存の危険性を指摘している言葉にもとれますね。ここでの母親もまた、しあわせでしょうか?

 共依存の是非は、今の私にはわかりません。
 それでも、レールに乗った子は、本音はどこかわかりませんが親を大切にする子、親への感謝をくちにしてますよね。

 私は、精一杯ゆずりつづけて、壊れるほどでも、
溶けたあめのような甘い親に育てられた配偶者は、もっと優しくなってよといいます。吐き気です。

お礼日時:2006/02/10 21:25

#4のshigure136 です。


私は質問者の方が単に「昔から言い古されているこの言葉の持つ意味とその意識がもたらす危険性」などを質問しているものと思って回答致しました。

しかし、各回答者の方へのお礼欄を読んで、質問者の方の状況が見えてきました。
特に#3の方へのお礼を読んでご主人のこと、現在のお子様のことなどが微妙に絡んでのご質問である事が判りました。

「ダメな子ほど可愛い」は、読んで字の通り「親にとっては手のかかる子、ダメな子ほど結果として可愛がる事になる」わけです。
そのような結果として、可愛がられて育てられたご主人とそのお母様の現状、ご自分のお子さん(反抗期で手を焼いている)に対する感情があってのご質問である事が判明いたしました。

「この言葉のもつ危険性」は大いにあると思います。
手がかかることからの愛情が、甘やかしになり、行き過ぎた愛情、溺愛にまで発展しかねない危険性を孕んでいます。

逆に作用すれば折かんなどの虐待に向かうわけですから、その反作用としての方向性は自ずと分かると思います。

しかし、ご質問者さんは「この手を焼くお子さん」を前にして、極めて冷静にこの言葉の持つ危険性に目を向けておられます。少なくとも危険性を排除する最初の関門はクリアされたという事です。

問題は人間というものが、放っておけば止め処なく「ダメな子ほど可愛い」という方向に行ってしまうということであり、また逆に「ダメな子だから憎らしい」という方向にどこまでも進んでしまうということです。そこに歯止めさえかかれば「この言葉のもつ危険性」を排除できるものと思います。

「飴と鞭」「厳しさと寛容さ」非情に難しい使い分けですが、「手のかかる子」には自分の感情に節度を持たせることが必要なのあり、そのことを踏まえていれば「ダメな子だからこそ可愛がっても良いのではではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございいました。
 「手のかかる子」には自分の感情に節度を持たせることが必要。そのとおりだと思います。
 本来はこのことは、配偶者とはなしあい、私たちなりの節度を持ちたいところですが、、、それができないのです。
 私の絶望はいつもそこにあります。子供を取り巻く環境に期待をかけていますが、まずは家庭ですよね。
経済的にも、精神的にも余裕がない人は生まないのが正解では悲しいですが。何の不安もなく子供ができたことを喜ばれている皇族は庶民とは、かけ離れすぎているように感じます。
 

お礼日時:2006/02/09 19:09

shigure136 です。


お礼有難うございます。
「絶望は愚か者の結論」という言葉があります。
絶望は最後の最後です。
絶望からは何も生まれません。
それより、あなたには「手のかかる子を育てた先輩」がいらっしゃるではないですか。
家庭の環境を作るためにお母様と連携プレイをお考えになっては如何ですか?
ご主人との関り、お母様との関りを見つめなおす時期なのかもしれません。
お子様が与えてくださった絶好のチャンスなのかもしれません。
あなたの心を変えてみることが一番大切なことです。
自分だけが犠牲者だと考えてはいけません。
家族のみんなにとって「手のかかる子」なのですから。
みんなが「ダメな子ほど可愛い」という心境にある事を忘れてはなりません。
一緒に・・・です。

そして、皇族は皇族で大きな悩みを抱えているのかもしれません。隣の芝生はいつも青々と見えるものです。
いまのご家庭を大切にして下さい。絶望だけはしないように。
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この回答へのお礼

 今の私はしあわせです。犠牲者だとは思っていません。あんな親を持ってかわいそうなのは、配偶者だし
配偶者の母親役にまでなる余裕がない私の力不足でしょう。

 結婚前に何度もの堕胎をうわさされてるプリンセスが、勝ち誇ったような笑顔を見せるのが不快なだけです。(失礼)男の子を産まなければだめ。女の子じゃだめ。
私にとって最初のトラウマに近いものを見せ付けられているようで、変わらない日本の跡取り意識が(実はマスコミの煽るものと、同世代の意識はかなりかけ離れているのではないかと)義母の時代錯誤と重なっていやなだけです。誰かが何とかしてくれる、その誰かがいない人は、すべてのことはできない。
 何度もの回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/10 21:48

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