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溺愛というのは、必要以上に可愛がるという意味ですよね?
「娘を溺愛する」「ペットを溺愛する」など。
そこで思ったのですが、男女の恋愛の表現に、「溺愛」という言葉
を使うのは不自然なのでしょうか?
たとえば、「僕は君に溺愛している」など。

A 回答 (4件)

まず質問者の方がたとえばで書き始めている「僕は君に溺愛している」は正しくありません。


これを書くとしたら「僕は君を溺愛している」となります。
一人称に使用しても構わない言葉だとは思います。
自分で自分の愛が「溺愛だ」と認識しているということですから。
ただ、上記の例文も、
「あの頃の僕は君を溺愛していたということだな~」とでもなれば耳障りではなくなると思います。
「いま、俺は君を溺愛している」という表現は、一人称が二人称に対して直接言っていることになりますので、使えない事は無いというだけで、非常に違和感のある心理描写ではないでしょうか。

しかし、「僕は猫を溺愛している」や、「僕は娘を溺愛している」という表現は、一人称が第三者の人間に対して話していることになりますので、十分使用できる表現だと考えます。

ご質問の「男女の恋愛の表現に使えるか」とい点に関しては、「男女間の恋愛にこそ溺愛という表現が必要になる場合が存在する」とお答えいたします。
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この回答へのお礼

非常に参考になりました。
回答してくださったみなさま、ありがとうございました。
ここでまとめてお礼させていただきます。

お礼日時:2006/02/13 01:46

こんばんは。



取り急ぎ、みたいな回答ですみません。

★「溺愛」ってのは一人称では使わないのじゃないかな・・・。
(使ってはいけない、という意味ではないです)
「私は(自分のペット猫の)タマを溺愛している」じゃなくて「彼はタマを溺愛している」じゃないかしら・・・。

参考になるといいのですが。
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自分自身に向けて使用するのは、状況的にあまりないと思います。

「僕」つまり自分が溺愛している認識があるなら、まだ溺愛ではないでしょう。下記の方が書いているように、客観的に見て過度にかわいがっている状態なので、自分自身の行為について「溺愛」は不自然な表現です。第三者が使うべき言葉でしょう。

「あの男は彼女に溺愛している」
というように使用する方が自然でしょう。

ただ、個人的には、男女間の愛については、あまり溺愛という言葉を使わないので、少し違和感を覚えました。辞書の編纂者も感じているのかは分かりませんが、「かわいがる、目下への一方的な愛」という認識を私はしています。でも客観的な視点で男女間の一方的な愛を表現する言葉として使用するのは別に誤りではないでしょう。
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相手を客観的に見る目を失い、むやみにかわいがること。

盲愛。
「孫を―する」

なんかへんな日本語に聞こえるけど大丈夫ではないでしょうか?
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