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最近思ったことです。
皆さんでも胸が痛くなった経験ってありますよね?

例えば、
好きな人を想ったり、
緊張したり、
びっくりしたり・・・etc

それは、体にどのような現象が起きて
痛みを感じるのでしょうか。
心理学的・医学的(?)にどう説明がつくのでしょうか。

つまらない質問かもしれませんが、
ご回答、よろしく御願いいたします。

A 回答 (4件)

こんにちは。


心臓は自律神経の働きによって動いていますから、我々は普段それを意識することはありません。ですから、心臓の動きが意識されるということは、何らかの原因によって心拍数が通常よりも上がったということですよね。
このような生理的変化は「内臓感覚」として知覚されますので、当たり前のことですが、それが急激な反応であったり、実際に心臓が痛いのであれば、当然、それは「痛覚」として受け取られるはずです。ですが、そうでなくとも、我々は「心臓の高鳴り」を「胸の痛み」として感じることがあるわけですよね。このような場合は、実際の痛覚として捉えているのではなく、我々はそれを「強い情動反応」として知覚しているということになるのではないかと思います。

心拍数が上がるというのは生理反応(自律反応)であり、「反射」に属します。反射というのは与えられた「刺激」に対して無意識に発生する生体反応であり、以下のような経路で行なわれます。

感覚器官-感覚神経-中継中枢-運動神経もしくは自律神経-標的器官

生得的に定められた「反射弓」というルートを辿って発生する反応を「無条件反射」というのに対し、中継中枢の保持する「生後の学習記憶」を介して行なわれるものは「条件反射」となります(但し、大脳皮質を介したものは反射とはいいません)。
学習記憶を保持し、条件反射を介在する中継中枢のうち、「偏桃体」は情動を発生させる機能を持っています。ですから、これによって行なわれる反応には全て情動が発生しています。「偏桃体」は刺激に対して「価値判断」を行ない、それに伴って「情動」を発生させる「感情」の出発点です(但し、ここで発生する情動は「快・不快」の二種類しかありません、感情への分岐に就いては説明を省かせて頂きます)。ここから運動神経系に信号が出力されますと「情動行動」が発生し、それが自律神経系であるならば「情動性自律反応」ということになります。

刺激に伴って情動が発生し、それが身体反応として表れ出ることを「情動表出」といいます。これによって、我々は初めて自分に何らかの情動が発生したことを知ることができます。
情動が発生し、心臓がどきどきし始めますと、それは内臓感覚として大脳皮質に知覚されます。これが「情動反応の知覚」です。我々はこれにより、それが「喜怒哀楽」、どのようなタイプに分岐した情動であるのかと共に、自分がいったい何に対してその情動を発生させているのかといったことに関する認識が可能になります。これを「情動の原因帰結」といいます。
原因の帰結というのは、例えば、「自分は今、恋人のことを考えて胸をどきどきさせていたんだ」といったことです。刺激に対する情動が発生してから大脳皮質がそれに気付くまで、ほんの0.何秒か、長くても数秒の間ですが、それまでは全てが無意識行動です。ですから、気付いたときには既に心臓はどきどきしていますし、顔が赤くなっている場合もあります。そして、胸が痛いと感じるのはこのときです。

胸がどきどきするというのは、単なる生理反応でしかありません。では、普通の生理反応と情動性自律反応というのは、いったい何処が違うのでしょうか。
異性に興味を持つのは本能的な「無条件反射」ですが、好みのタイプに心惹かれるというのは「条件反射」による学習行動です。異性の姿を見ただけでも、我々の胸はどきどきします。ですが、それが恋人や思いを寄せるひとでなければ胸が痛むということは、まずありません。これは、異性に対する本能的な無条件反射だけではなく、生後の学習記憶に基づいて本人だけに発生する条件反射が加わり、そこに情動が介在しているからです。
もちろん、無条件反射と条件反射がダブルで発生したからといって、心拍数がいきなり2倍になるというわけではありません。ですが、偏桃体は特定の異性に関する記憶を元に価値判断を下し、情動を発生させているわけですから、既にこの時点で、大なり小なり、それが恋人に対する胸の痛みであることに間違いはありません。そして我々は、どうしてもそれを「情動反応」として知覚することになります。
その結果、
「自分は今、恋人に対して欲情を覚え、胸をどきどきさせた」
という原因に帰結します。このときに、大脳皮質に収納されている具体的な記憶が恋人への思いとして一気に想起され、情動が「感情」として本決まりになるわけですね。

このように、情動反応は発生から認知に至るまで、終始一貫して個人の体験に基づく学習記憶に支配されています。そして、それは強い反応であると共に、本人にとっては他の選択肢も存在しない状態になっています。選択肢が存在しないということは、本能的な欲求が満たされても問題は解決しないということですね。
また、このような学習記憶は本能と同じ無意識の領域に埋め込まれており、自分の意思によってコントロールすることができないだけではなく、学習が刳り返されることによってどんどんと強化されてゆきます。恋が盲目であるのはこのためですね。このような状況下において、例え全く同じ心拍数であったとしても、情動によって修飾されることによってより強い反応として感じられ、我々はそれを「胸の痛み」として受け取ることになるのではないでしょうか。
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「胸が痛む」


「本当に臓器としての胸部が痛む」場合と「胸の辺りが痛むような気がするほど心をいためる」場合とがあります。

心配したり、思いつめたりして、心臓の動悸が普段よりも数倍も早くなったりすることが続くと、確かに胸部、心臓が痛くなる場合もあるでしょう。

しかし、このような表現で表される「胸が痛む」は、精神的に苦しくなったり、普段とは異なった感情で息苦しくなったりして、「胸が痛むような気がする」現象ではないでしょうか。

好きな人のことを思うと、胸がカーッと熱くなるのが、なんか痛くなった感じで捉えたり、心配のあまり胸が塞がれたようになるのが、なんか胸が痛いと感じたり、自分の感情の動きが体の中に渦巻いてきたとき、いつもとは異なった感覚が襲ってきて、それが痛いと感じてしまうのではないでしょうか。

事実、その痛みは、心配事が去ったり、好きな人に思いが通じたときには雲散霧消、何事も無かったかのようになるものです。

それでも治らない心臓の痛みは「病院」に行くことが必要になります。
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頭だけでは処理しきれないので同じくらいの効果がある解決法として心臓が痛いように感じたり息が苦しくなったりするのではないでしょうか。

号泣するのはものすごい効果があります。このような反応を抑えるともっと悪いことが起きると思います。
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胸部にある臓器は「心臓」と「肺」



血流と呼吸が乱れれば、苦しくなったり痛くなるのは当然です。
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