一二の目のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六の采

宴の詩人といわれる、長忌寸意吉麻呂の歌ですが、意味が解りません。
宴席で詠われたものらしいので、きっと、くだけた感じのもの
と思いますが・・・・
どなたか解説お願い致します。

A 回答 (1件)

双六の采(さいころ)は,目が一二だけでなく,五六,三四と出る面白いものだ


という意味で,さいころの目と人間の目(2つしかない)を引っ掛けた軽い歌のようです.
当時は親父ギャグも「歌」として発表されたんですね.
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Aベストアンサー

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世の中を詠むことでもあった。
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Q「かなしい」と書かないで「かなしみを書き」「かなしみを詠う」には?

ものの本で「かなしい」と書かないで「かなしみを書け」とか「かなしみを詠え」ということを教えているのをよく目にするのですが、そのアドヴァイスを受けて、即、書けてたり、歌ができたり、それに成功する人は既に然るべき才のある人か訓練を積んでいる人で、普通は無理だと思うのです。
私は人材育成の場で、必ず新鮮な実例を大量にレジュメで見せることを心掛けて参りました。で、《「かなしい」と書かないで「かなしみを書け」「かなしみを詠え」》と説くより、そういう作品例や改作例・添削例を数多く集めて見せた方が文学の場でも効果があるのではないか、と思います。それで、そのような事例がございましたら、お教えいただければ幸甚であります。

Aベストアンサー

駄流コピーライターの意見なんで、あまりアテにはならないかもしれませんが。

「かなしい」を直接「かなしい」と書かないように努力するのは、表現力を高める上でもいい勉強になりますよね。
では、「かなしい」という表現のあり方について考えてみたいと思います。これには大まかに考えて2通りあると言えます。1つは、客観的なかなしさ。もう1つは主観的なかなしさです。簡単に例を挙げてみましょう。

<客観的なかなしさ>
・今はもうその時計は動かない。

<主観的なかなしさ>
・大事にしていたクラリネットを壊してしまった。

客観的なかなしさというのは、事象に対して被害であるとか喪失感を感じることはないのに、なぜかしんみりしてしまうもの。主観的なかなしさというのは、事象によって被害や喪失感を感じる人物に対して感情移入することによって、その人物とかなしみを共有するもの、です。主観的な方は、笑いの要素になることも多々あります。感情移入しないで、被害者に対して優越感を抱く形で笑うというケースです。「クラリネットをこわしちゃった」は有名な歌ですが、これが長調で楽しげに歌っていることで、こわしてしまった本人の感情などを無視し、それを客観的な価値観で見直して、笑いのフォルムに持っていったものと考えられます。
ついでですから、童謡からいくつか拾ってみましょうか。

・誰かさんが小さい秋を見つけた。

これは<客観的なかなしさ>ですね。ここでは、「誰かさん」という無主語性がかなしさを醸し出す潤滑油となっています。これが「田中君が小さい秋を見つけた」とやると、情緒が出ません(「誰かさんと誰かさんが麦畑で」もそう)。そしてもう1点。適さない形容詞の使用です。「秋」に「小さい」という形容詞は普通は使いません。もともと「秋」という季節名には形容詞の飾りは似合わないものです(「まっかな秋」などもそう)。そこをあえて使うことで非日常感を出すことができます。しかも「小さい」という形容詞はかなしさの方向に持っていきやすいものです。ちなみに「小さい」があるならば「大きい」もあるという類推ができますが、「大きい秋」というものは想像力をたくましくすることができないのが不思議なところです。

・さっちゃんは小さいからバナナを半分しか食べられない。

これは「かわいそう」に分類されるものですが、これのかなしさは<主観的なかなしさ>です。ここにも出てきた「小さい」という形容詞、そして「半分」という欠落感を表す語、さらに「しか」という限界を示す語、「食べられない」という不可能を表す語。これらによってかなしさが表現されています。ちなみに、これを「かわいそう」と思うのはなぜかというと、普通の人は小さくもないからバナナの半分くらい軽く食べられるという前提があってのことです。さっちゃんの心理を考えれば、自分はもっと食べたいのだけれども物理的に食べられないというもどかしさ、はがゆさ、くやしさがあって、それがかなしさにつながっているのだと言えるでしょう。かわいそう、という言葉は全く客観的に見た場合はそう言えるということです。

このようにして見てみると、そのかなしさが主観的なものか客観的なものかがわかってきます。どちらのかなしさを描出することも難しいのですが、客観的な方が割と簡単なようです。「いつもここから」というお笑いの2人組がいますが、彼らが「かなしい時」として表現しているのは、たいてい客観的な悲しさです。主観的なものと言えば大抵最後に来る「かなしい時、夕日が沈んだ時」というものだけではないかと思います。しかし、彼らの表現には納得させられることが多々ありますから、一見の価値はあると言えます。

今までのものは、表現するためのかなしさですが、表現しても仕方のないかなしさというものもありますので、参考として書いておきます。例えば、茶柱が立っているのを見て、かなしく感じる人もいるでしょう。茶柱にまつわる思い出で亡父のことをふと考えてしまったり、茶柱が浮いていることから連想して、湖に浮子を投げたはいいが何時間待っても魚がかからなかった自分の体験談を連想してしまったりとかいうケースがあります。こうしたものは、相手に背景から説明しないといけないので、表現するには適さないと言えるでしょう。

こんなものでよければ。

駄流コピーライターの意見なんで、あまりアテにはならないかもしれませんが。

「かなしい」を直接「かなしい」と書かないように努力するのは、表現力を高める上でもいい勉強になりますよね。
では、「かなしい」という表現のあり方について考えてみたいと思います。これには大まかに考えて2通りあると言えます。1つは、客観的なかなしさ。もう1つは主観的なかなしさです。簡単に例を挙げてみましょう。

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先日祖父の年忌法要を営みました。その折、ご住職から「三回忌の事を我々は『大祥忌』と呼ぶこともある云々」と聞きました。後でそれ以降の年回忌の呼び名を伺ったところ、十三回忌までと三十三回忌の呼び名は聞かせて頂きましたが、十七、二十三、二十七回忌については教えて頂けませんでした。ご存知の方、ご教授ください。

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三七日 洒水忌
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六七日 檀弘忌
七七日 大錬忌
百ヶ日 卒哭忌
一周忌 小祥忌
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後少しですが、どう接してれば良いものでしょうか?

Aベストアンサー

経験上、不安で気持ちがコロコロ変わるのは相当数の受験生がそうです。もう嵐のようです。
でも、言ったら心配させるとか、うるさく言われるとか、それどこじゃないとかで周りには言わないというのが学生時代の本音だったと思います。

いい年した大人として、大学入試を受ける前の自分に教えておいてあげたかったなぁと思うのは、
・採用する側からすると1年の浪人はほぼデメリットになりません。(学生の時、自分も相当なデメリットになると思ってたのですが(^^;)
・逆に、大学を5年かけて卒業すると採用側にはかなり心象悪いです。(留学や長期入院などやむをえない理由の場合はあまり問題になりません)

親御さんとしては、大変ご心配だと思いますし、じれったいと思うと思いますが
人に言われて流された事は、後々ずーーーーっと「後悔」という形で引きずります。
結果として自分の思い通りに行かなかったとき、「親や先生のいう事に従わなければ良かった」とか、人のせいにしたくなってしまうんですね。

なので、最後は本人に決めさせましょう。
どうころんでも、自分で決めた事の方が後々良ければ自信に、うまくいかなければいつかは笑い話にできますから。

ここまできたら、
「今できる万事を尽くして天命を待つ。どうするかは、今自分で最大限に考えて考えうる最善を考えて、自分で選べ。」
しかないと思います。
学生の頃の自分にそういってやりたかったなぁ~同じく嵐のように悩んでましたもん(恥)
悩みながら決めることはすごいストレスがかかりますし、そうそう簡単に結論もでないでしょう。でも、リミットまでに決めなければいけない。
当時はそんな風にはとても思えませんけど、大人への最初の練習ですね。これから、自分が行っていく選択の1つ1つが自分の人生を作っていくんですから。

今振り返れば、ほぼ人生で最大ストレスだったと思います(苦笑)それぐらいストレスのかかることなのです。
就職活動なんかも大変ですけど、色々受けられてそれなりに慣れますし、期間が長いですからある意味大学受験ほどではなかったなぁと思います。
そんな人生最高ストレスなんじゃないの状態真っ只中な息子さん。親御さんもとってもストレスがかかっていると思いますが
どうか、お子さんを応援してあげたいという気持ちを忘れずに、あたたかく見守って、息子さんの一番力強い応援団になってあげてください^^

自分の身内ならある程度性格がわかるので、「本当にあともうちょっとだから、ま、とにかくいっちょ本領発揮してぶちかましてこい!」
ぐらいの事を言ってあげたいぐらいですがw
まぁどんな言葉をかけたらいいかは相手の性格によりますけどね。私の身内は自爆型で自信を無くすタイプなのでこう言わないと上がりません(^^;
家族の力を合わせてがんばってくださいね!

経験上、不安で気持ちがコロコロ変わるのは相当数の受験生がそうです。もう嵐のようです。
でも、言ったら心配させるとか、うるさく言われるとか、それどこじゃないとかで周りには言わないというのが学生時代の本音だったと思います。

いい年した大人として、大学入試を受ける前の自分に教えておいてあげたかったなぁと思うのは、
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Aベストアンサー

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通常の文字としては「吉」の字が正当です。

ですが昔、戸籍は手書きで作成されていましたので誤字が氾濫していたのです。

本来であればそのような誤字は正すのが筋であるのでしょうが、誤字の中でも特に事例が多くて一般に通用しているものは「俗字」としての扱いをしており、(現段階では)正当に戸籍に使用できる文字として定められております。

結論
ある人のいうことはおそらく正しいです、戸籍でもそのように記載されているのでしょう。
国語的には誤りです。一般社会では(人名以外では)使用しないようにしてください。


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