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有名な詩人や過去の詩人あるいは
表現の素晴らしい作家などは、なぜ
あのような素晴らしい文や詩が作れるのでしょうか?

例えば歌手の井上陽水さんや私の好きな椎名林檎さん
などは語呂合わせで思いつた詩を繋げてるだけと
言っていましたが作家の人たちも深く考えないで語呂
合わせの様に思いついた言葉を繋げてるだけなので
しょうか??

A 回答 (4件)

興味深い質問ですね。


世間には歌がうまい人、絵がうまい人、楽器を
演奏するのがうまい人などそれぞれ得意なものが
あると思うのですが、私は得意なもの=
自分を表現するものだと考えます。

簡単なことに置き換えれば、ステキな笑顔を作ること
も1つの才能だと思います。もちろん笑うことは
誰にでもできますが、人の心を動かすくらいの
笑顔を作るのは簡単なことではありません。
心から溢れる感情が笑顔になり、それが人の心に
響いたとき、笑顔もまた1つの才能になるのでは
ないでしょうか。

過去に名作を残した作家や、現代の作家も
まずは文章を書くこと、言葉を紡ぎだすことが
その人にとって一番自然な自分の感情を表す
方法だったのだと思います。また、その人たちに
とっての「言葉」とは、笑顔と同じように何も考えず
とも溢れてくるものだったのでしょう。

しかしながら、その素晴らしいと言われる才能も
必ずしも万人に受けるとは限らないと思います。
椎名林檎さんの歌詞はとても深いものだと感じます
が、理解できるかと言えばできないし、私にとっては
ただ難しい言葉を繋ぎ合わせているだけとも
取れてしまいます。それでも林檎さんにとっては
それが自己表現の手段なので、理解されるか
されないかは別の次元なのだと思います。
分かってもらえる人だけに分かってもらえれば
良いのではないでしょうか。

つまり究極の自己表現が才能なのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、そうですね。
林檎さんも語呂合わせで作った詩だけども
結果的には自分の言いたい事が言えている。
と言ってましたし林檎さんと同様に
著名な作家や詩人の方も考えずとも自然に言葉
が思いつくのかもしれないですね。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/26 17:55

詩人と作家は違うと思いますが(違う、とフランソワーズ・サガンさんは語っています)、作家ですと、私が対談記事などで読んだことがあるのは、


だいぶ前の話なので最近は知りませんが、

山田詠美さん
⇒あまり推敲はしない。ただし遅筆。

よしもとばななさん
⇒お父さんの吉本隆明さんによると相当文章を練っている。これが分からない人はよほど不慣れな人だ、と。
私は軽く書いてるのかと思ってましたよ(笑)、私は「不慣れな人」なんですね(笑)。

村上春樹さん
⇒何度か書き直します。
 書き終えたものは奥様の陽子さんがまず読みます。
 奥様の意見によってラストが変わった作品もあるらしい。


というわけで、すんなり書く人と、推敲を重ねる人といるようです。
なんとなく、推敲する人のほうが多そうな気がしますが。
特に長編なんかになったら、全体のバランスも見ないといけないのだろうし、直しを入れるでしょう。

細かく見れば違いがあるにせよ、詩人や作家は言葉を使うのが得意な人たちでしょう。
足が速いとか、歌が上手い、いい声とかと同じように。

でも技術というのもあるようですよ。
ばななさんは「あの頃の私にはそれを書ききる技術がなかった。今ならもう少しなんとかなると思うんだけど」みたいなことを語っていました。
そのへんは、書いていくうちに発達するものなのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
遅れて申し訳ありません。

そうですね、長編小説の場合かなり練る必要が
あるでしょうね。
色々場面を想像したりしてると面白いですし。
夏目漱石や芥川龍之介は、やはり天才的な作家
だと思いますね。

お礼日時:2006/03/04 22:30

 わたしは、数年前から、つぎのように考えています。


 Aさんに理解できて、Bさんに理解できないような文章ではなくて、
誰にも同じイメージが伝わることが大切ではないでしょうか。
 
 われわれは、誰でも知っている言葉で、他人に伝えようとしています。
 わざわざ知らない言葉を探しだして、語ろうとはしません。
 それには、つぎのようなルールが存在するはずです。
 
 朝食は、ありあわせの材料を、思いつくままに並べたように見えても、
牛乳を温めるかどうか、卵を茹でるか焼くか掻きまぜるか、さまざまの
組合せを、さりげなく選んでいるはずです。
 
 いつもの朝食は、さわやかな詩のようなものだと思います。
 昼食を短歌だとすれば、三時のおやつは俳句ですね。
 もりだくさんの晩餐は、長編小説ではないでしょうか。
 
 そこで、わたしの風変わりな体験をご紹介しましょう。
 かつて、ポスターのヘッド・コピー(十字)に迷ったとき、すべての
キーワードは、辞書のどこかに載っているはずだ、と思いつきました。
 
 そして《広辞苑》の見出しに、すべて目を通してみたのです。
 一分間一ページあたり、一時間に六〇ページ、一日八時間で480頁、
ついに全2400ページを五日間で読破(!?)しました。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1989545
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この回答へのお礼

遅れて申し訳ありません。
回答ありがとうございます。

確かに誰にも分かるような詩も大切だと思いますね。
しかし、それでは文学的には色々想像出来なくてダメ
だとは言いませんが奥の深い詩よりかは下の評価に
なるのではないのでしょうか??
とは言っても確かに難しいだけじゃなく分かりやす
い詩なども大切だとは私も思います。

お礼日時:2006/03/04 22:27

幼少の頃の養われた感受性によるんでしょうね。


親がどう育てたかとか、環境(良かれ悪かれ)によるんじゃないでしょうか

>語呂合わせで思いつた詩を繋げてるだけと

↑なるほど、言われてみればそんな気も。

有名だけど、自分的には全然良いと思えない詩人もいますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2006/02/26 17:47

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