
はい、とりあえず先に1つ言っておきますが。
たぶんあなたは今この質問のタイトルを見て、僕のことを「命は大切であるということに疑問や反感を持っている」という印象を受けたと思いますが、そんなことはありませんよ。
自分の命も大切ですし、家族や友達などなどの命も失ってほしくないです。
命に限らずなんでも大切です。
ただ、なぜ大切なのかを具体的な言葉・文章にすることがいまいちうまくできないだけでして、それが知りたいのです。
と言ってもこれ!と言った答えを出す事はできるできないは置いておいてひとまず難しいことであると思うので、皆さんなりの説明を聞いてみたいんです。
どうぞ回答よろしくお願いします。
もう1度誤解されないように言っておきますが、僕は命が大切でないとか、命を軽率に思ったりは決してしてませんので。

No.10
- 回答日時:
いろいろな環境を自らの意思で作り変えた人間でさえ、大自然の調和の中で暮らしていることに代わりは無く、自らか他者かに関わり無く命を自分勝手な理由で粗末にすることは調和の精神に反するからです。
神様を信じる人ならこのくらいの説明で納得してもらえると思います。
もともと人を含め生物というのは命を粗末にしてきたものです。
殺したい時に殺す。ただそれだけで生きてきました。
命を粗末にするのがいけないなどと言い始めたのは、頭の良くなった人間が自己防衛のためにそういうことを言い出しただけで、命を助け合おうなんていう考え方は本来自然の調和に思いっきり反しています。
ですからあなたの理論は全く逆ですね。
自分勝手な理由で命を粗末にしなければ地球は滅びますよ。
No.9
- 回答日時:
「命を大切だ。
」と思っている人が多いからですよ。例えば、お金。
お金は、多くのモノが買えるで大切に扱われます。
でも、お金という価値がない地域や世界に言った時は、お金は大切ではありません。
で、なんでみんなが「命が大切だ。」と思うのかというと、大前提として人も生き物なので、遺伝子を続けていくという仕組みを内包していると思うのですよ。
では、子孫ができれば死んでもいいのか?と言うとそういう種族もいます。
昆虫や魚の中には、親の犠牲が前提の生き物がいます。
おそらくは、彼らの命の重さは、子供を生む・遺伝子を残すより低いはずです。
所が、人間や多くの生き物はそうではありません。
なんで大切かっていうと、結局はみんな死にたくないからじゃないですかねー。
おそらくですが、この手の質問は自分で便秘のうんこをひりだすように、自分でうんうん考えないと、本当の答えはたぶんでませんよ。
あくまで、参考程度に。
ですからなぜ命が大切なのかを聞いてるんですよね。
命が大切だと多くの人が思われてるから命が大切って・・・。
1+1=2になるから1+1=2になるんだ。と言ってるようなものではないでしょうか。
最後の方の行に対してですが、自分で考えなくても答えが出ることはあると思いますよ。
No.8
- 回答日時:
命の大切さなんて誰にもはかれないものですが、これだけはいえます。
誰かがなくなってしまったとき、悲しんでくれる人がいるからでしょう
回答ありがとうございます。
事実上悲しんでくれる人は誰にでもいるかもしれませんが、理論上というか形式上というか・・・よくわかりませんが「悲しんでくれる人がいる」とは限りませんよ。
いやむしろ事実上誰にでもいると言いましたが、この社会では死んでも誰も悲しんでくれない人も存在してるかもしれません。
あるいは過去に存在していたが死んでしまった、というのもありますしね。
No.7
- 回答日時:
なぜ命は大切か?
それは、すべて(ここで言うすべてとはまさに”すべて”です)の前提だから。
生きていなくては、なにものも認知できず、命が大切がどうかの判断さえできない。
この世の原理や法則などが科学によって解明されているが、命無しではそんなことさえ認知できない。
結局すべての前提であり根源であるのが命だから、大切なんですよね。
命があるからこの世に”参加”できている。
No.3
- 回答日時:
一つの発想方法に過ぎませんので、他にも有効なご回答は多いと存じますが、とりあえず。
一般の「物」へ転嫁して考えると、「代えの効く使い捨ての物」は、普通は大切にされません。
理由は簡単ですが、同じような物がごろごろあって、1つや2つ無くなっても誰も何も困らないようであれば、大切にする意味など最初から無いからでしょう。
命の場合は、現段階の科学技術では、「代え」が効きません。
故に、大切にすべきであると論ずることが可能です。
ただし、この場合の問題点は、「何を以て代えが効く」と定義するか? というところでしょう。
ここの部分について、自分の命の独自性を信じられなくなってしまい、「どうせ自分など居なくとも誰も困りはしない」という方向へ思考が行ってしまうと、自殺もやむなしという結果になるかもしれません。
また、個人的な自殺という考え方よりも、「種族として生物の存在意義など最初から無いのではないか?」という方向へ敷衍されてしまうと、残るのは虚無だけです。
人間というのは弱い存在で、そこまで虚無的な思考には、普通は耐えられないものです。
そのため、物事に何らかの意味を見つけ出したいという衝動があり、そのことが原因となって、最終的に「自分の命には意味がある。」また「ゆえに、他人の命にも意味がある。」と、「思いたい」のだと思います。
で、「絶対の真実」として、本当に大切であるかどうか? ということになると、それは人間にはわからないのではないでしょうか。
また、この論法を援用すると、「技術が発達し、脳内のシステムやデータを全て「セーブ」出来るようになり、いつでも複数のバックアップを用意出来るような時代になった暁には、命というものはさほど大切な物ではなくなるかも知れない。」という結論にもなります。
実際、完膚無きまでに破壊されて消滅させられても、簡単に同じ物を再起動出来るのであれば、「死ぬ」のと「眠る」のと、いったい何が違うのかわかりませんから。
(ちなみに、うちのマシンのシステムディスクは、あまり大切じゃない扱いを受けても平気です。バックアップから15分で復旧出来ますので。
何らかの致命的な障害が発生した場合に人間でもそのような方法が使えるようになれば、個人的には賞賛すべきだと思います。
キリスト教徒の考え方は違うでしょうが、とりあえず無宗教の人間にとっては大した問題ではありません。)
No.1
- 回答日時:
難しいですね。
と共に、問題も複雑かと思います。質問の頭に「自分の」と付けるか「他人の」と付けるかでも回答が異なるかと思います。
あるいは、「大切」も、誰にとって大切なのか、あるいは、何に優先して大切なのかでも、異なるのではと、
感じてます。
導入部が、かなりウダウダ的になりましたが、
「自分の」命は、「なによりも」大切か?
とすると、
命がなければ、存在しないわけで、大切かどうか思考することのスタートにも立てないのでは?
というのが私の個人的な意見です。
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