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ダヴィデとソロモンの王国はイスラエルとユダに分かれ、前722年にアッシリアはイスラエルを滅ぼしてしまいますが、ユダは前586年にバビロン捕囚されるまで残っていますよね。

そこで疑問に思ったのですが、過酷な統治で有名であったアッシリアは何故ユダを滅ぼさなかったのでしょうか。その気になればすぐにでも滅ぼせた気がするのですが・・・。

やはり宗教絡みの問題でもあったのでしょうか?

A 回答 (1件)

アッシリアという帝国はいまだ資料の散逸が多く謎の多いものなので、いわゆる旧約聖書からさぐることになるのですが・・・



まず、紀元前738年ごろ、アッシリア王ティグラト・ピレセル3世(プル王)はイスラエル王国に侵攻、これを荒らした上周囲を威圧、この時期に王であったアハズはアッシリアに貢納することとなります。実質的な臣下ですね。

紀元前700年、ユダは再びアッシリアから攻め込まれます。このときのアッシリア王はセンナケリブ。領内まで攻め込まれエルサレムの城壁は破壊され、陥落寸前まで追い込まれます。そのときの王であるエゼキアは、神殿の装飾に使われている金銀すらもはがしてアッシリアに献上したとされています。
ただし、これは旧約聖書ではヤハウェの天罰による撤退、アッシリア側の資料では理由が残っていないものなので、おそらくこういったことだろう、という程度です。

おそらく臣従状態が続いていたこと、別にアッシリアも完全に屈しているユダを攻める利点はなかった(貢物で財宝は吸い上げたし、それでも毎年なんらかを渡してくる)ため別に攻めなかったことなどが、一応存続していた理由であると思います。

なお、後のネブカドネザル王のときに滅ぼされた理由は、反乱を行おうとしたため、とされています

なお、この時代まだ宗教的なものはあまり関係ありません。いわゆるアブラハム系宗教はまだ無いため(ユダヤ教成立はバビロン収監以降)、この時代の年代史を考える際には、あまり宗教的なものは考えなくても良いかと思います。

ユダ王国が存続したのは、そういった外交的しのぎあいで、なんとか生き残っていた、というのが実情のようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/アハズ
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この回答へのお礼

わかりやすい回答有難うございました。
この時代はあまり宗教的な事柄は考えなくてよいのですね。勉強になります。

やっと高校時代の恩師の質問が解けました。

お礼日時:2006/04/30 23:23

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