

動物を特集した番組を見て考えたことです。
動物愛は人間愛にもつながり、教育的によく言われる「命の尊さ」の刷り込みに利用されている気がしました。
しかし、一口で「命」と言いいますが、それはどういう対象を指しているのでしょうか。
生物学的にはそれこそ、バクテリアも「命」の対象に入りますよね。それならばたとえば人間にとって害を及ぼす害虫、細菌のようなものまで、尊い命という風に考えなければ不徹底でしょう。普通の感覚では、犬はかわいがるが、蚊やハエは見るなり退治しようとします。もしかしたら蚊を殺すに忍びないと言う人でも、疫病の病原菌生物を愛護しようとは思わないでしょう。本当の「命」愛護家なら、自分の肉体を病原体微生物に与えるのでしょうか。
そう考えると、その線引き、尊い命とそうでない命のボーダーはどこにあると考えたらいいのでしょうか。
また、このような不徹底な人間中心主義的なおごった考えを、さも正論のようにかざす無神経さはなぜ批判されないのでしょうか。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
がると申します。
立脚点としては「神秘主義を学んでいる人間」って感じなので、例外的に見ていただけると。んっと。まず「命の定義」なのですが。例えばそこらへんにある無機物とかに「命がない」かといわれると、私は「そうとも限らない」と考えています。
例えば。小さな子供にとって、愛用のぬいぐるみはきっと「生きている」でしょうし。だからこそ、例えば致命的な破損が起きたときに「**ちゃんが死んじゃった;;」なんて発言が存在しうるんだと思うんです。
で。私にとって「尊い命」……というか「大切にしたい命」ってのは「自分にかかわっている命」です。それは自分自身であったり、自分にとって大切な人やモノの命であったり。
ええ。非常に傲慢で、自分勝手な定義だとは我ながら思いますが。
で。
> このような不徹底な人間中心主義的なおごった考えを、さも正論のようにかざす無神経さはなぜ批判されないのでしょうか。
については。やはり「きれいごと」だからではないでしょうか?
中身がどんなに壮絶であろうとも。表層のきれいさやそういったミスリーディングに引っかかりやすいのが、人の常だと思うです。
やっぱり傲慢な定義なのですね。
#3のご回答にもあるように、気付きが重要だと思うのです。それを素通りしている風潮はたいへん恐ろしいです。しかも偽善を通り越した何か名前のつかない悪ですよね。傲慢と無知と無明が一緒になったような。それが人の常としたら、大変まずい時勢だなと思います。
No.8
- 回答日時:
質問者様のご意見を見て、自分もつい先日まで考えていた事なのでついつい回答してしまいました。
あくまでも個人的な意見なので、ほんの参考程度に思って下さい。命の大切さについて、
アタマだけでそれを引きずり出すのは、多分無理だと思います。
僕らは、今、ここにいます。
僕らは、人間です。
僕らは、生きています。
これだけは、僕らが否定しようの無い事実です。
質問者様は、「命」ってなんだと思います?
僕は、「命」は「創り出すもの」だと思います。
命があるもの、生き物は、常に何かを創り続けてきました。それを否定されると、人間はその否定するものに対して怒りや憎しみを抱いてきました。
命について、アタマで答えを出す事はできないと思います。なぜなら、僕らが既に命あるものとして、いわば「制限されてきた」存在ですから。
僕らが4次元世界を自由に飛び回れないのと同じ様に、僕らは命あるものとして存在しているんです。
だったら、それに従わないと。
背くことは、人である限り無理だと思いますよ。
これを最も的確に、最も単純に教えてくれるものが、「ココロ」です。
心は、すべき事も、してはならない事も教えてくれます。
例えば、人を殴らない。人を傷付けない。心の「闇」に、溺れない。
「人間中心的」なのは、仕方の無い事です。
人間は、人間らしく生きていればいいんじゃないんですか。
どうすればいいのかは、「ココロ」に聞けば、一番確実だと思いますよ。
カウンセラーみたくなってしまいました。
あくまで、「参考」にしておいて下さい。
それでは。
そうですね。「生かされてゐ」るというのが実情で、その運命に沿っているしかないのですから。
私は「命」ってよくわかりません。なんでこんなものが宇宙に存在するのか、不思議で仕方ないです。
私もその「心」に従うのは、一番いい手のような気がします。
No.7
- 回答日時:
「その人間にとって大切な命」が尊い命なんだと思います。
所詮明確なボーダーは存在せず、おっしゃるとおり「人間中心主義的」な線引きでしょう。確かに人間中心的な考え方は驕っていますが、われわれが人間であるかぎりは避けられないことかと。避けられないことならば、否定するより肯定したくなります。極論を言えばボーダーを考える時点で人間中心といえます。なぜならば尊さは人間独自のものだからです。そういったことを考える余裕があるだけで驕りは生まれてしまいます。
批判されないのは人間が自分にも驕った部分があると自覚しているか、
人間中心を貫いているからではないでしょうか。
はい、よくわかります。
ただ、最後の文でおごりを意識しているということがあればいいと私は考えています。それならば、人間中心主義はそれほど醜くもないです。しかし、無意識になってしまっているならば、これは醜いです。
No.6
- 回答日時:
かわいい動物は尊い命 もしくは すべての命は尊いのどちらか
No.5
- 回答日時:
動物愛護運動の一環である動物解放運動の思想的な根拠となっている、ピーター・シンガーという哲学者がいます。
その人によると、愛護すべき、言いかえれば苦痛を与えることが倫理的に間違っている、動物の対象を定義しています。
高等哺乳類及び鳥類です。
人間が苦痛を感じることが自明であるので、苦痛を感じる機構である、神経系と脳の原始的な部分が人間とほぼ同じであれば、人間と同じ苦痛を感じるはずだ、というのが理由です。
人間と同じ苦痛を感じる機構を持っていない生物に、苦痛を与えることは論理的に不可能なので、その生物に何をしても苦痛を与えることにはならず、したがってそれは倫理的に悪いことではない、という結論になります。
ただ、この主張は何十年も前に書かれたものなので、その後の生物学、特に脳に関する分野の進歩を考えると、この主張の前提となっている生物学的な知識が今でも正しいとされているのか疑問があります。
まあ、このような意見もある、程度に考えてください。
その考えに一理はあるきがします。しかしなにかキレが悪い印象を拭い去れません。魚類が入っていないのは疑問ですし、爬虫類愛好家もいる。
でも、人間と同じように感じるであろう、ということは、かなり納得がいく理由です。
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