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(1)神様はいるのか?見たことある人はいるのか?人間に姿を見せることはあるのか?神と悪魔に違いはあるのか?個人的にキリスト、ブッタも神では無いと思う。(2)死後の魂、霊界はどうなっている?天国、地獄はあるのか?(3)罪はあるのか?     【依頼事項】(1)(2)(3)について教えて下さい。あらゆる宗教の観点からの意見をお待ちしています。専門家や経験者からの回答をお待ちしています。      【回答の仕方】宗派を述べて下さい。一般人は「一般人」にチェックを入れて回答下さい。宗教用語は分からないので、中学生レベルで理解出来ると内容だと助かります。

A 回答 (23件中11~20件)

 私の基本はカトリックです。

でも、考え方は既にカトリックを逸脱しています。だから答の内容は独断的です。

(1)神様はいるのか?…います。でも、宗教で描かれている神とは全く違います。神は何もしません。例えば太陽は私達に何をしようという意志はありません。私達が太陽をどう感じるかです。同じ様に神は淡々と成すべき事をしているのでしょう。
 見たことある人はいるのか?人間に姿を見せることはあるのか?…見るという現象は単に脳の作用でしかありません。つまり、神は感じるもので、感じた人の脳が見たという反応を起こしたに過ぎません。
 神と悪魔に違いはあるのか?…(悪魔に関しては、その意味するものの範囲が非常に広く、全てに当てはまる定義づけはできません。あくまでも「神」に対する「悪魔」だけを対象に述べます。)人が感じる神も悪魔も自身の中にある心の反映に過ぎません。
 個人的にキリスト、ブッタも神では無いと思う。…その通りです。ヒトの存在意義を突き止めようとしたかもしれませんが、神ではありません。

(2)死後の魂、霊界はどうなっている?…これいついては全く判りません。父は「在ったら知らせるよ」といいましたが、十数年経っても音沙汰がありません。
 天国、地獄はあるのか?…輪廻については肯定的に考えています。「あの世」が「この世」にあるとしたらどうでしょう。ヒトはこの世の何かに生まれ変わるのです。そして天国も地獄もこの世にあると考えています。

(3)罪はあるのか?…罪とは決められた規範に対する違反行為です。ここでは「自然の法則」に違反する事が「罪」と呼べるでしょう。
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この回答へのお礼

(1)>見るという現象は単に脳の作用でしかありません。→理解出来ます。
(2)その考えも有りですね。
(3)「自然の法則」に違反する事が「罪」→自殺ですね。だからキリスト教では人間は罪を生まれながらに背負っていると言うのでしょうか。。。(よく分らないしどうでもよいが。)  ところで本当に人間しか自殺をしないのでしょうか?  過去の動物番組で子供を生んだ親が、その子供の餌となるべく死んでいました。これもある意味自殺だと思います。人間が家族の為に保険金目当てで自殺するの場合はどうなるのでしょう。。  ◇ちなみに私のコメントに何の責任も負いかねます。死なないでね。

お礼日時:2006/05/29 01:35

(1)神と悪魔


実在します 現在は誰でも感じ取る事は可能ですが見る事は無理です 元々見えない所に存在しているからです
でも向こうからは見えるらしいです 殆どの人が いる筈は無いと考えられている現在では仮に見えたとしても神と認めるでしょうか?霊能者の中には見える方もいるらしいですが神か悪魔かは判断が付かないのでは と思います
悪魔とひっくるめて言いますが実は何種類か存在します 詳しい事は省きます
殆どの方は知らないのですがイエス様&お釈迦様は元は神ですが人として生まれただけです 理由は簡単で人が人を導くのは無理だからです つまり使わされて来たのです キリスト自身言っております ”我は使わされし者” とあります 
でも大方は言葉通りは受け取れ無いでしょうね? 上に使わした神がいるのです その又上に居るかも知れませんし更に・・・・
このような方々は恐らく他にも居たと思います 本人自身知らないまま亡くなった方もいるでしょう 例えば親鸞、弘法大師はそうではないかと思われますし世間にも普通の人として存在し回りの方々になんらかの良い影響を与えた事でしょう
神が人として生まれるなら人が神になれるのでは? これは正解ですが なる/ならない は人に決める権限はありません

(2)死後の世界
天国と地獄 ばっちり ありますが解らないようになっているのです 地獄があるから悪い事をしないでは駄目だからのように思います つまり悟る事が要請されていると考えて良いのでは? 
どの道 あの世で悟らされますから 生まれ変わった時は真面目な人生を送るでしょうね? ですから全てとは言いませんが現在真面目な方の前世は推して知るべしです でも記憶が無くならないと生まれ変われないのです 稀に記憶があったりホンの少し残っていたりはします

(3)罪について
人には前世があって現在があるのだと解れば直に理解出来ますね?お釈迦様ははっきり教えてくれたようですが現在では坊さん自身が解りませんので世間では更に解らなくなりました そのような時代が来る事はお釈迦様自身予告しておりましてその通りになりました 坊さん達も習っているはずですが (法滅侭経)
イエス様ははっきりしません でも弟子達には教えたと思われる部分があります 注意深く読まないと無理ですが
現在では前世がある事を誰でも感じ取る事は可能です
実例から二,三百年の周期で生まれ変わった方が一番多いです つまり貴方は恐らく二,三百年前この世に存在していたのです 更にその二,三百年前も つまり戦国時代にです
天才は生まれ変わる度に同じ事をやってきたから上手になったのです 突然変異ではありません 遺伝は姿形だけの模様です

現在は誰でも感じ取る事は可能です と書きましたが 直接あの世に行ったり前世に戻ったりは出来ません
特殊な方法がありまして色々と不思議な事が数多く起っているので感じ取れるのです
誰でも出来ますがその為にあるのではありませんので説明致しません ご自分でお調べを 中にはお坊さんや神主さん神父牧師もおります 
体験を通じて感じ取る事が出来るのです これ自身今までに無かった事で 現在では迷信と否定されている事が事実であったと解るのです
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この回答へのお礼

(2)考える事が大事なのですね。
(3)>特殊な方法がありまして→非常に気になります。科学的な方法ですか?但し未知なる物を感じれたとしても、何も変わらないと思います。

お礼日時:2006/05/28 18:29

あ!ちょっと補足を追加。


信仰心なんて言いますがね?
日本の信仰心は「信じる」ではなく「感じる」だと思います。
最近はどうも「信じる」を重視して「感じる」がおろそかになっていると思います。

それが大人の簡単で分かりやすい言葉をつい信じてします。
どこぞの占い師やライブドアの様に感じることを忘れ、彼らの簡単な言葉を信じようとした。

「信じるのは相手ではなく、相手を見る己自身の心だ。」と言われます。

宗教や占いでも同じで相手の言葉を信じようとした。
これが危険なんじゃないでしょうか?

中学生レベルなら話は簡単です。
神サマを信じることを考えるのではなく「感じろ」。
多感な若者であれば感性に自信を持てるようになってください。

貴方に神は感じますか?
アミニズムは基本的に自然信仰だからこそ神を感じたのだと思います。
それ故に未だアミニズム信仰の残る日本人の感性は世界にも優る民族なんでしょうね。

ほら、ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラは日本のアニミズム信仰から出てきたキャラなんですよ。

感じるからこそ「畏怖と敬意と謝意」を大切に☆
これを考えたら何故日本が故人を神として祀るのが分かると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「感じる」も「信じる」と同じくらい難しいですね。

お礼日時:2006/05/28 17:49

1:神はいる。

全ての万物に神は存在する。
2:無い。あるとしたら並行世界。
3:ある。人様に大迷惑をかけるような行いは罪。

宗派:人類の母なる宗教「アミニズム信仰」です。
神は絶対的なものではなく、ましてや自分を救ってくれる存在ではない。

万物に対し畏怖と敬意が込められたモノである。

それ故に実在の人物すら神になる。
あくまで「畏怖と敬意」の対象であってイエスやアラーと違って絶対的な存在ではない。

>>神と悪魔に違いはあるのか?
ファイナルファンタジー、女神転生をすれば違いは分かりますよ。
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この回答へのお礼

(2)並行世界、なるほど。「神=悪魔」だとすると並行世界かもしれませんね。  ◇女神転生したくなりました。

お礼日時:2006/05/28 11:11

無宗派と言うか、無宗教ですが、意見を言わせてください。



(1)について
ここで言う神様とは、具体的な偶像を指しているのでしょうか? それならNOだと思います。
ただし、日本昔話のような、「森の神様」「川の神様」といった、抽象的なものは、我々の心の中に存在するような気がします。何か、物を大切にするため、神聖化する為に心の中に造り出した想像だと思いますが・・・。
でも、私はこういった、日本の八百万の神の考え方が好きです。
で、最近はそういう傾向が少ないので、物を大事にしない人が多いのでは? と感じています。

(2)について
死後の世界は、正直に言って分かりません。
ただ、残された人が、「亡くなった方の居場所が無いのでは、何とも悲しい」ので、想像しているのでは無いかと思います。
輪廻転生で生まれ変わっても、天国にいても、どこかにいるわけですから・・・。
で、悪人は地獄と言う嫌なところに押しやる・・・のでは?

(3)について
ここで言う「罪」とは、「原罪」の事でしょうか?
各宗教で、色々とあるみたいですが、ミルトンの「失楽園」を読むと、色々と知る事も罪になってしまうみたいですね・・・。
私としては、「善行」に対する「罪」みたいな物は、皆さん各人の心の中にあると思いますが、それ以外の、「神に近づく行為」とか、そういった「原罪」は無いと思っています。
生まれた時の赤ちゃんの顔や、子供の目を見ると、汚れない顔つきしていると思いませんか?
それに対して「原罪がある」なんて、とても思えません。
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この回答へのお礼

(1)その考えも良いですね。子供にはこれが良い。(3)罪自体意味が難しいので参考程度にさせてもらいます。

お礼日時:2006/05/28 01:40

自殺しようとしていたがこの1冊たった1000円で私の人生は変わった


>熱心に進行しないと理解できない話ですね
いいえ 
ただほんの少しの信仰があれば変わります
からしだねのような小さな信仰があれば
暗闇の中でろうそくの小さな火がどこまで見えるのでしょうか?真っ暗であるなら何キロ先までみえるらしい。そんな小さな信仰であってもかわります

パチンコやに行きながらの信仰、タバコをすいながらですよ。主は私を変えました。結婚も、あきらめていた仕事も、欝もパニック障害もあった。すべて本当
かわりました。
3)信じさせようとしない神も良くないのでは?
いいえ、そうではありません。日本人が本当のイエスの教えを伝えていないからね。
たぶんちょっとでも触れれば理解できると思います
なんせ私はがちがちの仏教徒でしたから
宗教名はだせません、誰でもご存知ですね
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この回答へのお礼

どうもありがと。

お礼日時:2006/05/27 15:57

>しかし愛も絶対ではなく何億年もたてば悪や何かにかわるような気がします。



宇宙そのものが愛でできたと考える聖者・賢者は多いです。仏陀もその一人です。宇宙の真理・・・たくさん本が出ているのでそちらに譲りましょう。

>冷たい世界が好きな人にとっては地獄もまた天国ではないかと。

「冷たいのが好き」というのは肉体の反応です。「暑がりなのでひんやりしていて気持ちいい」という状態ですが、死ねば肉体的な感覚はなくなります。人間は痛いとか苦しいという反応をある程度脳みそで補正できます。気絶するのも一種の防御機能なのです。
そういう防御をする肉体がなくなれば霊体は痛みや寒さなどをダイレクトに受けます。しかもその状態に「慣れたり」「緩んだり」することはなく永遠に続きます。

>私は罪は無いような気がします。ちなみに過去に罪があり、現世で飢えで早死にするのなら、転生させなければ良いのではと思います。

転生しなければ地獄の苦しみを永遠に続けます。こんな場所から仮出所でもしたくなるでしょう。それが転生です。チャンスとして現世に生まれます。ですから現世での苦しみは地獄の苦しみに比べれば楽なほうです。しかも現世は挽回するチャンスがたくさんあります。再び地獄に戻らないように魂を磨くのがこの世と考えます。

では天国に行った人は転生しないのかというと転生してきます。というのも天国に行くという人は「努力して己を磨く意思がある」人で「愛がある」人です。天国の気持ちよさに浸るとそういう霊は「このままではダメだ!もっと努力して向上しないと!」と思うようになります。生前そういう思いを持って生きていた人なのですから。そして自分をおとしめるために現世に生まれてきます。

生まれる理由、転生する理由はもっと複雑なのですが。まあこれは神道の考えですね。おそらく質問者さんはご納得されないと思いますが、それでいいと思います。思想とは多様なものであって一つではないからです。

ちなみに思想の世界は物質世界ではないのでアミノ酸ではないですよ。ただし見えないもの、物質でないものでも物質世界に影響します。これは物理学や量子力学でも仮定として使われています(証明できないので)。特に宇宙に関しては9割以上が仮定ですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ちなみに思想の世界は物質世界ではないのでアミノ酸ではないですよ。
魂は思想の世界だと言うのでしょうか?

お礼日時:2006/05/27 15:53

クリスチャンから


1いると思う。思うと言うより「いる」と言う確信
信じる事により自分が変わったから
2悪魔と言うのは私たちを混乱させ、心乱すもの
人の心の中にいる。と言う感じ、認識するほうが具体的でいいでしょう?神様はその反対
天国と言うのもある。まず今の心の中に、その心が
天国があると確信させる
3罪と言うのはある。しかし一般的にいう罪ではない
神を信じないと言う罪だけがある。
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この回答へのお礼

(1)信じることでどうかわったのだろう?変わることはすばらしいが、それが居るには繋がらないと思う。
(2)熱心に進行しないと理解できない話ですね。しかし心に天国を見出せても何が良いのだろうか。(3)信じさせようとしない神も良くないのでは?

お礼日時:2006/05/27 13:48

神道&門徒の一般的な日本人です。

私も回答させてください。

(1)私は2通りの考え方をしています。
1つは「神も悪魔も自分の心の中にいる」という心の中の神様/悪魔
もう1つは「自分の力や思考が及ばない物」という物質的な神樣/悪魔

前者は神道が良い例なのですが、神社の祭壇には大抵、お社の前に鏡が置いてあって、この鏡は自分を映すものだという説があります。
つまり、自分は神様を覗こうとしているのだけれど、自分の顔が映る。神は己の心の中にいるというわけです。
存在の有無で言えば自分が存在するかぎり、神も存在していて、深く内省することで姿を掴むことができるかもしれません。

後者は人間の及びもしない自然の力を人間が勝手に擬人化して、神格化/悪魔化すること、いわば自然崇拝で、どの宗教でもベースラインはここにあると思われます。
旱魃に見舞われた村に雨が降ったり、何も落ち度のない人が住んでる地域に地震が起きたりすれば、神/悪魔かどうかはともかく、見えざる大きな力が働いたと思いたくもなるでしょう。(もちろん、地球も空も見えているけれど)

いずれの考え方にしても、大いなる自然を敬うことと、自分を内省して自己を高めることは、人に迷惑を掛けることではないので、個人的に好きな考え方でし、具体的に存在していると考えることもできます。

あとキリストやブッダ、あるいはマホメッドという人たちは別に神様じゃないですよね。
結局、人間というのは実際に目に見えない物や者、不確かなものに深い造詣を得る事ができないので、それを体現する物/人を信仰の対象とし、その人が亡くなったら像を作って拝むのでしょう。(これも物質的なものから逃れられない人間の罪といえるかもしれませんね)

(2)死後の世界?これは死んだ人にしか分りません。。。。というと回答にならないので、天国と地獄の方。

天国と地獄は此の世と彼の世の鏡写しで、飢えに苦しむ地域はこの世の地獄ですし、病にも罹らず、家族と共に安楽に死を向かえることができるのはある意味天国でしょう。(こう思う段階で私も既存の宗教観・道徳観から脱出できていないわけですが)
そうした時に、此の世での格差を埋め合わせるために考え出された慰めや癒し、あるいは戒めの概念が天国と地獄と思います。よって、死後の世界はともかく、天国と地獄は確実に此の世に存在していると考えます。

(3)罪はあるでしょう。仏教では業などといいますが、生まれながらにして罪があるといいます。(端折って書きすぎですが)
例えば、先の例で行けば何故、飢えに苦しむものと富めるものがいるのか、とか突き詰めて考えていくと、自然の摂理の不条理について考えざるを得ません。
そうした中で、輪廻転生といった概念が生まれ、天国や地獄の存在が現実味を帯びて、それを支配する神や悪魔がいるのではないか?と言った同道巡りになっていきます。

結局の所、永遠にその真理にたどり着くことはできない故に、沢山の宗教家が一生を修行に捧げて暮らしているのではないでしょうか。
そして、一般の人も、何がしかの真理を見出したいと思って、宗教をするひともいれば科学や数学や国語などの学問をするひともいるのではないでしょうか。

長文になってスミマセン。素人のくせに本一冊ほど書けそうな勢いになってきたので、この辺にしときます^^

私はある意味物質至上主義で、何故、地球上でアミノ酸の塊だけが蠢いて這いずり回って生死を考えているのか、未だに明快な答えを得ていませんが、
願望として、そういった不確かなロマンを持って生きるのも素敵なことではないのかな、と思っております。
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この回答へのお礼

(1)2通り、そうですね。私としては心の神は善/悪の感情であり、「自分の力や思考が及ばない物」が神や悪魔なのではと思います。祭壇の鏡はおもしろい話でした。(2)死後の世界が有るのか無いか?有るならどうなっているか、知りたいですね。(3)私は罪は無いような気がします。ちなみに過去に罪があり、現世で飢えで早死にするのなら、転生させなければ良いのではと思います。  ところで魂はアミノ酸なのでしょうか?

お礼日時:2006/05/27 13:36

私は無宗教ですが、私にも投稿をさせて下さい。



1)私は神様はいないと思います。同時に悪魔もいないと思います。
ただ、ある人がそれに近い存在を見たという可能性は十分に考えられる事だと思います。
ふざけている訳ではありませんが、人は必ず対極の存在をえてして作りたがるものです。神という存在を認めている方の中にその対極をお考えになられた方の創造物だと私は思っています。
これは正義の裏には必ず悪があり、光の裏には必ず陰があるのと同義であると考えます。
対極の存在を必要と感じるのは人間の性です。
無という事(実は無という概念こそが重要なのですが)は現代の人間は比較的簡単に捉えられるようになりましたが、「実はこの存在しない」という考えはインド人の数学者が考えた偉大な概念なんですね。
この対極として「無限大」を導き出すのは比較的簡単な事だろいうと思います。
無限大の定義は広すぎてよく説明できません。有限である事(つまり頑張ればいつかは数え切れるのか、もしくは本当に際限ないのか)を前提としているのか、それともそうでないのか。
話がそれてしまいましたが、なにかそれに近しい存在を誰かが見た可能性は高いと思います。

2)死後の魂は恐らくないと思います。よって天国も地獄も無いと思います。
「永眠」という表現を亡くなった方に使われると思います。まさにこの様な感じだと思います。
夢については脳の化学反応、眠りの浅さ等に依存して起きるものですので、死後は脳がないため、この様な事もないなだと感じます。

3)罪とは何でしょうか。殺人を犯す事でしょうか。他人の気分を害することでしょうか。人の作った法律に背く事でしょうか。
人と他の生物を殺める事は違うのでしょうか。
動物はただ、食すためのみに殺す事を許されていると思います。そしてその亡骸を最大限に利用する事で許しを請うのだとも。
動物が人を襲うのは罪ですか?人が他の動物を捕獲、食材にするためには何のお咎めもないはずなのに。

敢えて罪が存在するのならば、
人間中心の世界を作った人間の存在そのものが罪だと思います。

皆様の仰っているように
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この回答へのお礼

(1)りんごが有る/無い、と言う感じですかね。 ちなみに除霊をする時は、神や高級霊をいったものの力を借りて除霊するらしいです。どこかのサイトに載っていたのだが、霊能力者やその高級霊すら神を見た事がないだとか。。キリストやブッタは人の心の中に神は居ると言ってた様な気がするのですが、だとすると神とは全生命、物体や空間も含めたものの事なのでしょうか。。  (2)輪廻転生と言う言葉もあるので生まれ変わりも考えられると思います。   (3)確かに罪を定義すると難しそうですね。それと人間中心の世界とは思いません。私たちが人間だからそう思うのであるからだと。

お礼日時:2006/05/27 10:38

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