旅行好きのおしりトラブル対策グッズ3選

特攻隊で亡くなられた士官の遺書などに接すると、文語体の荘重さに惹きつけられます。
文語体の文章が作れるように勉強したいと思っていますが、テキストとか何かよい方法がありましたらお教えください。

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A 回答 (2件)

まずは高校生に戻ったつもりで古文のお勉強が一通りは必要でしょう。

教材は小西甚一の『古文研究法』あたりを。受験用参考書として書かれながらその域をまったく逸脱し好き放題に奔走する朗らかな無双の名著としてよく知られたものです。

実地には吉田満の『戦艦大和ノ最期』をまずはご覧になるのが一番かと。我が国の文語文の長い歴史の掉尾を飾る傑作です。これ以後、日本語はすべて口語文になりました。文語文で書かれ、しかも世に稀なる名品と衆口の一致してとなえる作はこれが最後です。

吉田の大和をまず読むべきとするのは、これが誰が読んでも物凄く面白い(「巨鯨沈ム」のくだりなぞ全身に震えの来るような素晴らしさ)ということのほかに、文法的な誤りがごく少ないことを理由とします。擬古文はどうしても間違いが出ます。そして古典文法の本格的な研究は明治以降のことなので、江戸や明治に書かれたものは決定的に恥ずかしい間違いが沢山あるのです。これは一葉や熊楠のような不世出の天才も例外たりえませんでした。

『戦艦大和ノ最期』は何度も書き改められています。戦後すぐに書かれて、ようやく決定稿が出されたのが七十年代に入ってからです。まずはこの決定稿とされるものから読んでください。「ノ」がポイントです。「の」となっているエディションは駄目。必ず歴史的仮名遣いのものを。新仮名のもありますから、そして古本屋では安いのでこれを眼中に入れてはいけません。

この本が尊いのはただの日本人が、ただの秀才が、普通の人が書き綴ったものだということもあります。若年時に三島由紀夫と交友があったくらいで文学趣味は身に付いたものですが、しょせんは東大法科の出身、やがては日本銀行に勤務してそれなりに出世、文業はあくまで余技にとどまりました。口語文で書かれたものは、まあ、上手は上手という程度です。頭のよい、勉強を厭わない、律儀な人の手になるものです。「お勉強」の成果がよく取り入れられている(と思う)。じつに有り難い。

次に読むべきは尾崎紅葉でしょう。とにかく上手い。内容がゼロに近いのがなんですが、とにかくもう常に上手に言い回す大力量には平伏すほかない、ってくらいに上手い。この人は口語文も凄いですよ。ただ、内容がないのね。ふう、と溜息。

で、紅葉に文法的錯誤がぼろぼろあったかなかったか、私にはわかりません。若いころ、文法どうこうを考えずに読んだので。で、そういうことにわずらわされずに読むなら露伴でしょう。

露伴のは漢文脈の強い文語文です。ですから文法的な誤りがあるとしても年期が入った、もう誤りでも誤りとは言いにくい誤りに限られると見てよさそうに思います。『運命』という驚天動地の大傑作をまずはご覧になってくださいな。凄い。じつに面白い。

最後に擬古文最大の鬼門は助動詞「き」です。連体形「し」で頻繁に現れるものですが、これがほんとにひどい。みんなここでしくじる。死屍累々とでも評するか、これにはとくに気を付けてください。
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この回答へのお礼

早速『戦艦大和ノ最期』を仕入れて勉強してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/02 20:21

古文ではないので、いわゆる古典の勉強は無駄でしょう。


明治時代の押川春浪の文章などに親しんでみてはいかがでしょう。
候文でもなく、いわゆるバンカラなんですが、こんな文語体もあるわけです。
青空文庫で明治の文を探してみるとよいですよ。
但し、夏目漱石はいけません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/02 20:23

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Q文語体/口語体とは?

文語体/口語体というのをよく耳にしますが,分かりやすく言うとどういう言葉なんでしょう?

又これが近代文学に与えた影響はどういうものがありますか?

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<文語体/口語体~分かりやすく言うとどういう言葉なんでしょう?>

わかり易く言えば、「書き言葉」と「話し言葉」ということです。

1.「文語体」:

(1)「文語」とは文章だけに綴る特別な言語です。

(2)「文語」は平安時代の文法を基礎として発達しています。従って、やや古語的なニュアンスを含んでいます。

(3)文語体とは、その文語で書かれた文章のスタイルのことです。
例:
「太郎さんは朝起きて、学校に行きました」


2.「口語体」:

(1)「口語」とは口頭から発する言語です。つまり話し言葉のことです。

(2)「口語」は会話で使われる言葉そのものです。従って、時代に合わせて慣用は移り変わりを見せます。

(3)口語体とは、話し言葉風の文体のことです。
例:
「太郎なら朝起きて、学校に行ったよ」


3.両者の混合:

(1)上記の2つの例文は、基本的にはそれぞれ文語体(書き言葉)、口語体(話し言葉)で使われる例です。

(2)とはいえ、必ずしもその例に当てはまらない場合もあります。
例:
1)目上の者に対して報告する場合なら、
「太郎さんは朝起きて、学校に行きました」
という丁寧語で伝えることもあります。

2)詩的な文章、会話調のくずれたスタイルの絵本のようなものなら
「太郎なら朝起きて、学校に行ったよ」
と書かれることもありえます。

(3)一例ですが、昭和天皇の終戦宣言である
「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び~」
などは、本来は「文語体」の典礼語法に属しますが、このような話し方(口語)もないわけではないのです。

ちなみにこれを現代口語体にすると
「苦しいのをこらえて、つらいのを我慢し~」
となるところです。


ご質問2:
<これが近代文学に与えた影響はどういうものがありますか?>

ずばり、本が読み易くなった、ということです。

1.まず、漢字が少なくなります。

2.古語表現、固い言い回しが少なくなります。

3.日常会話で耳にする言葉なので、なじみやすく、わかり易くなります。

4.本を読むスピードがアップします。

5.その分より多くの本を読むことができ、多くの読者が増え、読者層の幅も広がります。

6.近代文学に限らず、特に公文書、学術書、翻訳書などでは、より簡潔で明快になり、解読や理解も深まります。

7.近代文学に限れば、作家が日常の主題を選び易くなったことにも影響を与え、読者も共感できる文学が数多く生まれたでしょう。

8.口語=「話し言葉」ですから、文学に「方言」「独特な言い回し」が使われることによって、方言なども地域限定の特殊語というより、馴染み深いものになっていきます。

などなど、いくらでもあります。
以上ご参考までに。

はじめまして。

ご質問1:
<文語体/口語体~分かりやすく言うとどういう言葉なんでしょう?>

わかり易く言えば、「書き言葉」と「話し言葉」ということです。

1.「文語体」:

(1)「文語」とは文章だけに綴る特別な言語です。

(2)「文語」は平安時代の文法を基礎として発達しています。従って、やや古語的なニュアンスを含んでいます。

(3)文語体とは、その文語で書かれた文章のスタイルのことです。
例:
「太郎さんは朝起きて、学校に行きました」


2.「口語体」:

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Q文語体と歴史的仮名遣い

口語体と文語体の具体的違いが分かるようでいて分かりません。
現代仮名遣いと歴史的仮名遣いも同じです。
それと文語体と歴史的仮名遣いは、何がどうのように違うのですか。
また、古語とは古文のことなのですか。
ご存じの方にはおかしな質問でしょうが簡素なご説明くださいませんか。

できることならば文語体と歴史的仮名遣いを学習するための入門的な学習書を何冊か勧めてはいただけません。

学生時代に挫折した森鴎外や夏目漱石を原書のまま読書しようかと思っているので。
感覚で何となく読める日本語力からそろそろ卒業したいです。

Aベストアンサー

 まず、文語体のお話をしましょう。文語体とは戦前まで日本の書物に使われた言葉です。文語体の反対は口語体です。つまり、現在の私たちは口語体を使っていますね。そもとも、文語体って何かといえば、漢文でしょう。

 まず、入門書を案内します。
山本夏彦 完本・文語本 文藝文庫 2003年
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%8C%E6%9C%AC%E3%83%BB%E6%96%87%E8%AA%9E%E6%96%87-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%A4%8F%E5%BD%A6/dp/4167352168/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1248322623&sr=1-1

愛甲次郎 世にも美しい文語入門 海竜社 2008年
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%96%87%E8%AA%9E%E5%85%A5%E9%96%80-%E6%84%9B%E7%94%B2-%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4759310002/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=books&qid=1248322623&sr=1-4

 まず、文語体のお話をしましょう。文語体とは戦前まで日本の書物に使われた言葉です。文語体の反対は口語体です。つまり、現在の私たちは口語体を使っていますね。そもとも、文語体って何かといえば、漢文でしょう。

 まず、入門書を案内します。
山本夏彦 完本・文語本 文藝文庫 2003年
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%8C%E6%9C%AC%E3%83%BB%E6%96%87%E8%AA%9E%E6%96%87-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%A4%8F%E5%BD%A6/dp/4167352168/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=...続きを読む

Q「口語」、「文語」、「話し言葉」、「書き言葉」

 日本語を勉強中の中国人です。「口語」、「文語」、「話し言葉」、「書き言葉」とこの四つの言葉の関係について、次のように思いますが、皆様はどう思われますか。

口語=話し言葉
文語=書き言葉

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>口語=話し言葉
>文語=書き言葉
というのは言葉本来の意味からは正しいのですが、

日本語の歴史の特殊事情により、実際には違う意味で理解されています。

結論から言えば、
口語=現代語
文語=古語
というのが普通の理解です。

「口語」はいわゆる「共通語(明治以降の東京方言をもとにしています)」としての「書き言葉=話し言葉」を指し、
「文語」は書き言葉としての古典語を指す呼称です。

江戸時代(19世紀)までの日本では、共通語としての「話し言葉」は成立していませんでした。
江戸時代までの日本は、統一国家というよりも、各地域をそれぞれ「殿様」が治めるゆるやかな集合体であったため、それぞれの地域の「お国言葉」が話されていたのです。
そのかわり「共通語」の役割を果たしていたのは専ら「書き言葉」として用いられていた「古典語=文語」でした。
日本では「書き言葉」としては共通語としての「文語」を用い、
「話し言葉」としては地方によって異なる「お国言葉」を用いていたのです。

現在でも「お国言葉」は「方言」として残っていますが、明治時代以降「共通語=口語」が国策によって成立したので、公的な場面の話し言葉はほぼ全国で統一が取れています。
中国の事情はよくわかりませんが、「北京語」が「共通語」となって、「広東語」などは「方言」という扱いになっているとすれば、そのような関係が成立したのです。
そして、「書き言葉」としても新しく成立した「共通語=口語」を採用する方針が定められたので、「文語」は一部を除いて姿を消しました。

そういうわけで、
現在は、「口語」=「現代語(話し言葉=書き言葉)」
「文語」=「古典語」ということになりました。

ところで、現代の日本において「書き言葉/話し言葉」の区別は、
「常体/敬体」の区別と考えられることが多いようです。

すなわち、「書き言葉」は、「だ・である体」で、
「話し言葉」は、「です・ます体」を指すことが普通になっているようです。
もちろん、「だ・である体」の文章も「です・ます体」の文章も、両方が存在するので、外国人の方には非常にわかりにくいことと思います。
お気の毒です。

>口語=話し言葉
>文語=書き言葉
というのは言葉本来の意味からは正しいのですが、

日本語の歴史の特殊事情により、実際には違う意味で理解されています。

結論から言えば、
口語=現代語
文語=古語
というのが普通の理解です。

「口語」はいわゆる「共通語(明治以降の東京方言をもとにしています)」としての「書き言葉=話し言葉」を指し、
「文語」は書き言葉としての古典語を指す呼称です。

江戸時代(19世紀)までの日本では、共通語としての「話し言葉」は成立していませんでした。
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Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q「わかりづらい」  と  「わかりずらい」

「わかりづらい」  と  「わかりずらい」
漢字にすると(判り辛い、解り辛い)なのかと思います。

「わかりづらい」が正しいとおもって使っていたのですが、
最近「わかりずらい」もよく目にします。

二者択一だったら皆様はどちらを使うべきですか?

アドバイスを頂きたいと思います。

Aベストアンサー

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
検索結果に該当するものが見当たりません。
キーワードを変更して再度検索をしてみてください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BA%A4%E9%A4%A4&jn.x=29&jn.y=11&kind=jn&mode=0

私は辛い(つらい)→づらい、と考えて「づらい」を使っています。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
検索結果に該当するものが見当たりません。
キーワードを変更して再度検索をしてみてください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BA%A4%E9%A4%A4&jn...続きを読む

Q「ですます」 調と 「だである」 調

「ですます」調と「だである」調の違いが良く分かりません。
この点ご教授願います。

「みた、聞いた、~でない、聞かない」などはどちらに属すのでしょうか。
他にも「だった、であった、~した、であります、きれい、美しい」などはどうなのでしょうか?

どちらでも使えるような気がするものもあるのですが……

最近、舞城王太郎、綿谷りさなど読んでいると日本語が分からなくなりました。


気にせずに好きなようにかけ、などの回答はご遠慮ください。

Aベストアンサー

#2です。

>「聞くところによると……」
>というのはどちらかに分類できるものなのでしょうか?

「聞くところによると」がそもそも文語調ですよね。
「聞くところによると、ナウシカは青き衣をまとっていたそうである」 しっくりきます。「である調」ですね。

「聞くところによると、ナウシカは青き衣をまとっていたとのことでした」 使えなくはないかもしれませんが、少し変です。
「聞いたところによりますと、ナウシカは青き衣をまとっていたそうです」こちらの方が自然に感じます。どんどん長ったらしくなりますけどね。^^;

Q泉鏡花など、古い文学作品が読めるようになりたい

ネットで調べたり、高校の時の教科書などを読み返して「文語体」「歴史的仮名遣い」「旧仮名遣い」などの言葉は分かったのですが、古文とも違う、現代小説とも違う文章が、すぐに頭の中で想像できません。

ガイドブックや読み方アドバイスのような本・サイトってありますか?

Aベストアンサー

百聞は一見にしかず
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person50.html
旧字旧仮名のものもありますから実際に読んでみてはいかがですか。

Q"~せりの意味は?"成功せり、死せり

 我、奇襲に成功せり
など、いろいろなところで見かけるんですが、正しい意味がつかめないのです。これは奇襲に成功したということではないのでしょうか?(真珠湾攻撃のこの打電は攻撃が成功すると確信した時点で打ち出されたものであるらしいが、"せり"を推測の意味でつかっているのでしょうか。)

 我、死せり
だと、これから死に至る…という"推測"している感じがします。

この"せり"とは意味が異なるのかもしれませんが、勝てり、来たり、など"り"で終わる言葉がありますが、国語的な正しい解釈はどうなっているんでしょうか?

 今川義元を討ち取ったり~
だったら、うちとった後だし

 我、勝機を見たり。我、勝てり。
だったら、これからの推測ですよね。

ちょっとでも意味がわかる人いましたら、よろしくお願いします。戦いの時の言葉によくつかわれる気もしますし…。なんなんでしょうか。
 これまで何となく使っていた言葉でしたが意味をわかっていませんでした…アドバイスお願いします。

Aベストアンサー

完了の助動詞「り」なのでは?

Q呪文を唱える時などの言葉遣い

よく、漫画や映画などの呪文を使うシーンで、「古の神よ、~たまえ」とか「今、・・・力を与えん!」とか「~せんことを」のような言葉遣いしますよね。
あれは「古語(適切な表現ではないかもしれません。昔の言葉遣いという意味です)」という分類で正しいのでしょうか?そう呼ぶには少し違和感があります。
それとも造語のようなものなのでしょうか。

愚問ですみません。無性に気になってしまいました。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

そのようなものを「文語体」といいます。

「古語」というのは,「語彙」を指すのであって「文体」を指すものではないと思われますので,いささか不適切な表現でしょう。

余談ですが,へたに文語じみた文章を見ると滑稽で仕方がありません。

「~(せ)し……」とか。助動詞「き」はただの過去助動詞じゃないはずなんですが。。。


以上,普段文語を読み書きしている人間でした。

Q太宰治と志賀直哉の確執について

最近太宰治の「如是我聞」を読んだのですが、その中で太宰が志賀のことを名指しでけちょんけちょんにけなしていました。
ウィキペディアで調べたところ、太宰が最初に「津軽」の中で志賀を批判し、それに立腹した志賀が太宰をけなす発言をし、だんだんエスカレートして遂に「如是我聞」が発表されたということらしいのですが、この対立の経緯について詳しく知りたいのです。
参考になる書籍やHPがあったら教えてください。また、上に書いたこと以外のことをご存じであれば教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

こんにちは

太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた
時のことを書いています。その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十
年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い
たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい
ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で
評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し
く批判しています。きっと志賀直哉自身にというより、彼に象徴される世間の偏
った高尚趣味(と太宰は思っている)若い作家達の彼へのとりまき、へつらい、
に嫌悪感を抱いていたのかもしれません。(やっかみも少しはあったかもしれま
せん)(^^) それを読んだ志賀直哉が、座談会の席上で仕返し(?)に
太宰の作風をけなすなどしてバトルが始まったようです。

でも、私は、ことの発端は、有名な、太宰と井伏鱒二との確執のような気がします
。井伏は太宰が故郷青森から上京した時から頼っている文壇の先輩であり、私生
活でもいろいろと面倒をみてもらっていた作家です。太宰は候補になっていた第
一回芥川賞を逸したり、その後もあの手この手で受賞の依頼をするなどしても
(川端康成におねだりの手紙を書いたりしていますね)思うように行かず、また
女性問題等でもトラブルがあるなど、徐々に生活に行き詰まりを感じ、
薬物中毒に陥ったりしていきます。
井伏も当時は貧乏作家で、さほど将来を嘱望されるような作家ではありませんでした。

そんな中、井伏が「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を取りますが、
その作品に盗用が見られるとし(後に大傑作とされる「黒い雨」にも盗用
論争)それに嫌悪した太宰が、井伏批判、そしてその背後にある文壇、世間、そ
の象徴である"老大家"の志賀直哉批判、と日頃の不満が発展し、たまりにたまったうっぷんを
はき出すように、意を決して「如是我聞」を発
表するに至ったのではないでしょうか。
遺書には「井伏さんは悪人です」とありますね。

「如是我聞」で太宰は「その者たち(老大家)の自信の強さにあきれている。
……その確信は……家庭である、家庭のエゴイズムである」などと言ってますが、
私は、津軽の名家に生まれながら真の家庭的愛情に恵まれなかった太宰の本音が
そこに伺えるかなぁという気がしています。

「如是我聞」は、死ぬ数ヶ月前、心中した山崎富栄の部屋で、
新潮社の編集者、野平健一が口述筆記し、死後に発刊されていますね。

参考文献といえるかどうか判りませんが、「ピカレスク」(猪瀬直樹・小学館)
にはとても興味深いものがあります。

私見ですが書いてみました。

こんにちは

太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた
時のことを書いています。その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十
年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い
たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい
ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で
評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し
く批判しています。き...続きを読む


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