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国民体育大会のお話ではありません。先の大戦末期には一億玉砕のスローガンもあったと聞きます。世界史上でも自虐といえばこれほどの自虐はないわけで日本人全員が死んでも守らねばならないものは一体何だったんだろうとあるお年寄りに聞くとその方は「国体」と答えました。
一方靖国神社には非戦闘員である一般の戦没者ばかりでなくいろいろな立場から戦争に反対して殺された人や例えば九州大学で生体実験のあげく殺された米軍捕虜や徴用の結果被爆死した大陸や半島出身者は祀られていないのだそうです。さきのお年寄りに靖国は国体護持のための施設かと尋ねると「そうだ」との返事。確かに「だれしも死ねば神」と言いますが、戦争に反対して命を奪われた人々を神様扱いしている話は聞いたことがなくその方が言うとおり靖国の存在目的は国体護持だと考えれば合点がいきます。
戦後60年以上たってもそう考えていいのでしょうか。
そうでないとすれば明確に靖国が顕彰する死者と顕彰しない死者がいることをどのように考えればよいのでしょうか。

A 回答 (8件)

>そうでないとすれば明確に靖国が顕彰する死者と顕彰しない死者がいることをどのように考えればよいのでしょうか。



だいたいは質問者さんや他の方のおっしゃる通りですね。
靖国神社はもともと明治天皇が戊辰戦争で斃れた人たちを祀るために作った東京招魂社が最初というのはそのとおりです。ただし最初の頃と第二次大戦中では、その使われ方はまったく違います。

最初は国事に殉じた方を祀るのはそうなんですが、その上で「戦時に天皇に命をささげた戦死かどうか」が非常に重要でした。ですから幕末の尊王の志士、吉田松陰や坂本竜馬・高杉晋作なんかも合祀されてます。また戦死者の中でも全てが祀られるのではなく、陸・海軍の審査で内定した者を天皇の勅許を経て決定されました。

しかし合祀されるかどうかはまだコントロールしていました。陸軍が合祀を強く希望した八甲田山雪中行軍遭難事件の死亡者を、政府が否決した事からも分かります。理由は国難に殉じた訳ではなく、平時の職務中の死亡であるからなんですが、それでも軍の自由にはなっていないと言う事です。

これを軍部が利用し始めるのはもっと後です。
満州事変などの軍部の暴走、5・15事件などの青年将校の首相暗殺などで軍に逆らえない雰囲気が出来上がり、総選挙で選ばれた第1党の党首が首相になるという慣行が破られ、軍人出身の斎藤実が総理大臣になる所からシビリアンコントロールが崩れました。
そこからは軍部によって、靖国の名を使って「国の為に死ねば神になって靖国に祀られる」と、兵士へのコントロールの為に大々的に使われるようになります。「ジハード(聖戦)の為に死ねば天国にいける」と若い青年を自爆テロに誘う手法とまるで同じです。一つのマインドコントロールです。
(ちなみに何でもかんでも広く祀られることになったのは戦後です)

5・15事件が1932年、日中戦争に入る盧溝橋事件が1937年ですから、実際にはこの狂った期間は靖国の歴史の中でも日中戦争に入ってから終戦までのたった10年弱です(違う話ですが、鬼畜米英などと言っていたのもこの時期で、その前にはちゃんとイギリスやアメリカへの行き来や留学などもありました)。

ところがこのたった10年弱の時間から、靖国神社は時が止まってしまっているんですね。終戦後も海軍出身の松平宮司が強引にÅ級戦犯を合祀してしまい、それ以後も極東軍事裁判を否定する立場を取っています。宗教法人と言いつつ政治的な思惑を持って合祀をしてしまった所に間違いがあります。
靖国神社130年の中で、このたった10年ほどの特殊な時期の考えが、今スタンダードになっている事もおかしいですね。

また靖国神社は「神道」と言っても国家神道であり、一般の神道とは別ものと考えたほうがいいです。
一般の神道は人が死んだら神になると言う考えはありません。あくまで国難に殉じ、天皇の為に命をささげた戦死であった場合に、”特別に”天皇の名の下に神として祀られると言う事です。だから栄誉なんですね。
そういう意味ではあなたのおっしゃるように「国体護持の為の施設」と言えます。
しかし先ほど書いたように、こと第二次世界大戦の間は、「軍部にによって戦争の為に利用された施設」と言えます。

ですから厳密な意味で言うと、もともとの靖国神社のあり方と軍部に利用された数年間の(または今の)靖国神社とは少し意味合いが違ってきます。
またもともとの考え方で言えば、いまの合祀されてる人間も少しおかしいでしょう。A級戦犯は戦死でもありませんし、先ほど書いた靖国を利用した側の軍部のトップの人達だからです。

おっしゃるように靖国神社の本殿には外国人の犠牲者、海外で亡くなった民間人(満州に移民した開拓団など)、空襲の犠牲者、原爆で犠牲者などは祀られていません。ですから追悼施設としては、かなり片手落ちな施設となります。
戦死した軍人、海外で亡くなった方、空襲や原爆の犠牲者などすべての犠牲者の為には、全国戦没者追悼式が行われています。
また全ての戦没者が靖国に祀られているわけではなく、認識証の回収されない兵士や氏名の判別が不可能な遺骨などは、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に34万8,000柱の遺骨が納骨されています。
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この回答へのお礼

たいへんこまかくご説明頂き感謝します。すべての戦没者を分け隔てなくお祭りすれば問題はないのにと思います。それができない理由とはいったいなんなのか、おぼろげながら見えた気がします。

お礼日時:2006/08/16 11:24

まず国際的な一般常識として、国家には国のために死んだ人、特に一般兵士を追悼する義務があるということを認識してください。



たいていの国にはそのような施設があり、戦没者を悼む儀式を行ったり、外国要人が参拝したりします。
代表例は、アメリカのアーリントン墓地ですね。
反宗教の共産主義国であった旧ソ連や中国でさえ、革命や祖国防衛のために戦った兵士を追悼する儀式がありました。

日本には、軍人や公務員以外の戦没者を追悼するために、千鳥ヶ淵戦没者墓苑がありますが、やはり当時の軍人は「靖国で会おう」が合言葉のようでしたから、生き残った軍人や亡くなった軍人の遺族にしてみればやはり靖国神社が慰霊を追悼する場所ではないかと思います。

確かに日本が第二次世界大戦を戦ったのは、「国体護持」の理念もありました。そのため戦争に参加した人は、未だに国体護持の為だと考えても不思議ではありませんが、大多数の戦後生まれの日本人にとっては、やはり戦没者追悼の意識が強いでしょう。

国体護持は戦中までの話であり、今は靖国神社は国体護持の為の施設ではないと考えるのが、妥当かと思います。
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この回答へのお礼

アーリントンやロシアの墓地には日本人をたくさん殺した人間がいるわけでそんなところに花をもっていく首相も大馬鹿者だという批判がありますが、同感です。またルメイのような日本人にとっては悪党に勲章をやるなんぞ自虐も甚だしい…と脇道にそれましたが、軍事墓地は兵士のメンタル面でのケアのためにあるものでいわば軍事施設のひとつだろうと思います。まsた墓地である以上そこに眠る人の遺志がもっとも尊重されるべきで、アーリントンでは申請制になっていると記憶しています。

負けた国の首相が勝った国の兵士の墓に詣でる、これは平和を誓うとかの意味合いよりも「屈服の再確認」でしょうね。ODAをたくさんあげれば無思考に靖国にくる外国元首はいるでしょうが、そのために血税をつかうなんどもってのほかです。靖国の存在はアーリントンやそのほかの国の戦士の墓地とは全然異質のものです。

国体護持でなければなぜ、すべての戦没者をわけへだてなく祀ろうとしないのか、疑問は深まります。ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/16 11:19

また来ました。

m(__)m
この話になるとどんどん脱線しちゃうのですが、大雑把に。
No3 の方の「神とGODは違う」というのはまさにその通りですが、

>靖国は他人のために、今後の子孫のために死んで行って、神(魂)になった人を、いつまでも感謝するために建てた神社です。

の部分は明確に違うのです。
靖国のHP自体に書いてあります。
http://www.yasukuni.or.jp/annai/gaiyou.html
政府の起こした戦乱(当初は内乱もありましたので)で政府の命で従軍し亡くなった人を神として祭り、顕彰する為の施設として作られたものです。

それゆえ、従軍してない、戦死者でない東京大空襲などの犠牲者は祭られていません。

日本の神道には大きく二つの系列があります。
一つは伊勢神道で、これは古代の日本の政権が権力を維持する為に神に近い存在である事を国内に示すために作られた行政機関です。
靖国も広い意味でこの系列になります。

もう一つは、地方の農村漁村などの夏祭り、秋祭りなどに現れる自然信仰で、自然の中の森羅万象を神として扱い人間はその恵みを受けるという精神を引き継ぐものです。

神社統合政策がいろんな時代に行われたため、これらの両方を祭ってる所も大変多く、関連はゴチャゴチャになってますが、大きくこの二つの流れは実在します。

ちなみに、今、どこでも神道系の儀式で行われる二礼二拍一例は、伊勢神道の形式によります。

>仏ではいけない・・・仏教が日本発祥ではないのも一因にはなると思いますが、そもそも行政機関として発祥した伊勢神道系列の施設ですので、他に日本発祥の物があってもこれに落着したのは間違えないでしょう。
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この回答へのお礼

神道の系譜については知りませんでした。勉強してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/16 11:07

すみません。

もう一度。

カミは別に日本人を守るために存在してません。そこにそういう物がある、だけです。

まだまだ一神教の考え方から抜けれないみたいですね。日本宗教ではキリスト教や仏教のように末法思想や救済は無いですよ。
そして国民は別にカミになろうとしてる訳ではないです。
勝手に子供が大人になるように、勝手になるのです。生きてる人がその存在をそう呼ぶだけです。

後、植民地とはどう言う物か、調べるとすぐわかります。
想像を絶します。
確かにこれにはなりたくありません。

あ、ちなみに私は、キリスト教でも仏教でも神道でもないです。
今はやりの無宗教です。
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この回答へのお礼

宗教観が違うという事でしょうか。であればキリスト教徒である事を理由にしての分祀をも肯定するべきで、国民である以上戦死すれば自動的に普くカミになるというのは、あまりに国家主義的色彩の強いカルト的な考えではないでしょうか。宗教である以上自由であるべきかと思います。

植民地についてはそれにならなかった国も他国を植民地にしなかった国もたくさんあります。やるかやられるかという理屈はあとづけの自己弁護でしょう。
なぜ靖国は皇軍の側のそれも戦死者のみをまつっているのでしょうかね。戦争に反対して殺された人々を含めて全世界の戦没者全員をお祭りすれば問題はないのに。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/16 11:06

仮に私がある人のお世話になって、あるいはある人に迷惑を掛け、私のせいである人が命を落としてしまったら、その人の死後、その人の冥福を祈り、祭壇を作って毎年追悼をします。

その人の遺族の意向を伺って、同意を得られたら追悼しようなどということはありません。

その人の遺族が、私に対して、「お前のせいで父が死んだんだから、お前に追悼なんかしてもらいたくない、お前が死ね」といわれるかもしれませんが、私はその人を追悼し、冥福を祈ります。また、私が愚かなためにその人に迷惑を掛けたなら、追悼のたびに反省するに違いありません。

質問者さんは「靖国が顕彰する死者と」というように『顕彰』という言葉を使っておられるので、質問者さんの思想・態度は明らかですね。

日本政府の立場からみて、追悼するかどうかを決めているので、その基準に異議ありというなら、その意見を申し出てはいかがでしょうか。

日本では政教分離が定められていますが、地鎮祭とか追悼とか、人として常識に属する行為はしてよいのです。最高裁判決でも、国家と宗教との完全な分離は不可能としています。目的と効果に気をつけなければならない、としているだけです。

現在の日本の法律では、もはや戦犯ではなく、公務死と認定されているのですから、合祀基準に当てはまります。基準に当てはまる以上は合祀するのが靖国の使命です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いや、私なら遺族から同意を得られないのなら記念碑からそのお名前を削除するでしょうし、それが常識だと思います。もちろん心の中で深く感謝しその方の行為に思いをはせるでしょうが、同意を得られない相手の外形的お祭りはするべきではないと思います。台湾や韓国の遺族は同意しないどころか、外形的な名簿からの削除を積極的に求めてきたわけですからカルト的でおかしな理屈に拘泥せずにお名前を消して差し上げるべきでしょうね。

顕彰ということばですが、遺族会の副会長である尾辻某氏もテレビで使っていらしたのでそのような背景があることには気がつきませんでした。

しかし考えてみると私は宗教法人としての靖国の信者ではありませんので、A級戦犯だろうがイワシの頭だろうが祀れとか祀るなとかいう立場にありません。そういうところに首相が行く事自体がおかしいしこれが政教分離違反でなければいったい何がそれに該当するのかと言うほど明確な憲法違反だと考えます。地鎮祭判決は存じていますが、司法もフェイスハガーのように戦前の亡霊に取り憑かれているのでしょう。

おそらく「一億玉砕」も肯定されるべき歴史観として靖国は信奉しているのでしょうが、もしそうだとすると、日本人は皆死なねばならないことになり、とても恐ろしい死の神社だということになります。なにかあれば死ぬ事を強要されるところに首相がお参りに行く、とても恐ろしい事だと思います。

疑問なのはどうして、質問にも書きましたとおり兵士や一般の敵味方の戦死者に限らず平等にお祭りをしないのかという事です。

お礼日時:2006/08/16 10:56

ちょっと本題からそれるかもわかりませんが、気になったので...



神道で言う所の神は、GODではないです。kamiと発音する固有名詞なだけで今風に説明すると魂、って言うのが一番意味的に近いと思います。英語に日本の神道の考え方が無いので実は約せないのです。

つまり仏とも全然別物で、仏教じたい異国の宗教なので、日本古来の独自の文化で言うと、靖国があろうがなかろうが生き物は皆死ぬと神(魂)になるって言うだけで、人の格を超えGODや、仏になった訳ではありません。だから森首相の、神の国発言は、GOD国と言う意味ではないのです。死んだ生き物の上に我々は生かしてもらっている、ってゆうだけです。

靖国は他人のために、今後の子孫のために死んで行って、神(魂)になった人を、いつまでも感謝するために建てた神社です。
日本人を守るため、なので異国の宗教ではいけません。だから寺ではないのです。

ちなみに日本に一神教の考え方はありません。GODとは一神教の神の事です。逆に言うとGODを約せる日本語はありません。
なので神社に居る神は別に人を救ってくれるようなヒーロー的要素はまるで無いです。
考え方がまるで違うのです。

GODを神、と約してしまった所から勘違いが始まったんだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、確かに世界の宗教それぞれに神の存在と概念は違いますね。カミが日本人を守るために存在するものなら一億玉砕を唱えた当時の指導部はカミの目的に真っ向から対立する存在であり戦犯の合祀などもってのほかということになりませんかね。ご回答いただきありがとうございます。

お礼日時:2006/08/15 17:39

こんにちは。


靖国の目的は国体護持ではないと思います。

靖国は戦争中は、戦争遂行の為のプロパガンダとして機能しました。
「靖国」が「神社」であるわけがそこにもあります。
「靖国寺」ではいけなかったのです。

誰でも死ぬのはいやですから、国の命令でも率先して戦って死にたくはないのが普通です。
その為、そういう死に方に対しては何らかの栄誉を与える必要がありました。

通常、一般家庭では人は死ぬと仏様になります。

しかし神道では神様になります。
その違いを利用して、より高い位に見える神様に祭り上げる事を目的とした機関が靖国です。

国体自体は、天皇を頂点とした国家体制の事で、例え国民が100人しかいなくても指導者が天皇なら一応国体護持は果たされます。

早い話が天皇が一人生き残れれば、国民は全滅でもいい・・・それが一億玉砕の考え方です。
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この回答へのお礼

そういえば廃仏毀釈から相当たつのに仏壇と神棚がある家も多いみたいですね。
納得のいく回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/15 17:23

> 靖国が顕彰する死者と顕彰しない死者がいることをどのように考えればよいのでしょうか。



靖国神社は、明治天皇の意向により、戊辰戦争以来、国事に殉じた者の霊を祭るところです。
祭神は戦病死した「英霊」と呼ばれる軍人軍属とそれに準じる人々が祀られています。したがって沖縄戦の「ひめゆり部隊」や召集され日本兵として戦死した台湾や朝鮮半島出身者も含まれます。
空襲等による被害者は、出身地に限らず祭られてはいません。
明確に、国のために戦って死んだ英霊の神社です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。日本人が全員玉砕して、そのあとに残る「国」とはいったいなんなのか、空虚な思いもあります。それから誰かの死を悼むときその意志をもっとも尊重されなくてはならないのは肉親であった遺族だと思うのですが、半島や台湾出身者の遺族が合祀を拒否してもなおその思いを踏みにじる靖国に「不戦の誓い」をしに行く御仁にもなんとも不思議な感じがありますがね。

お礼日時:2006/08/15 17:02

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