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「無意識」は夢に深く関係しているようですが、夢に従事していないとき、例えば、昼間は何をしているんでしょうか? 

A 回答 (24件中11~20件)

面白い質問だと思いますが、これは明確に答えがでないのではないでしょうか。



フロイトがどういったかは別にして、私は、意識であがらない部分を無意識とおいただけではないかと。つまり、人間はすべてのことを意識できると思っているが、実はそうではないのだよ~!
という関係を示す「意識」の対概念として「無意識」を提唱したのではないかと思っているのですが・・・(あくまで概念にすぎないのでは、と)。

蛇足ですが、心理は真理ではないので、ご注意を。
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この回答へのお礼

多分、そういうことだと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/22 15:51

#11です。



・「覚醒」した状態/覚醒していない状態
・意識/無意識

とは、符号する関係にありません。

 覚醒していない状態でも、外部からの入力に対しては『ウォッチング』状態で、例えば、赤ちゃんが熱を出して泣き声を上げた時、母親は反応し、起きます。
これは、無意識なのではなく、ちゃんと外部を観察している状態なのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

> 覚醒していない状態でも、外部からの入力に対しては『ウォッチング』状態で、例えば、赤ちゃんが熱を出して泣き声を上げた時、母親は反応し、起きます。これは、無意識なのではなく、ちゃんと外部を観察している状態なのです。

結局、覚醒していないけれども、「無意識」ではなく、「意識」が働いているという意味でしょうか?

この例から思い出すことがあります。「泥酔して、電車に乗り、家に帰ったのに、その記憶が全くない」という現象です。これは、覚醒していないけど、「意識」がある状態ですか? それとも、「覚醒して、意識があった」のだけど、記憶が失われた」だけでしょうか?

補足日時:2006/08/22 15:50
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#8です。

補足拝見いたしました。

「無意識にそうしてしまった」などと副詞的に働く場合は、エス、または超自我が意識せずに働いたことの表現になり、
厳密に言えば、実体はない、とも言えるでしょうが、
「無意識がそうさせた」などという場合の無意識は名詞として、無意識的エス、または無意識的超自我の略として暗黙の了解を得ているような気もするので、この場合は実体を持つと言って良いのかもしれません。

しかし、おっしゃるように、私自身、
「無意識は」「無意識とは」などと前置きして述べる場合に、上の両方の意味を区別せずに使っている場合も多かったような気もします。
他のスレで「言葉の定義が大事」などと偉そうな回答をしたばかりなので冷や汗ものですが、有意義なご指摘をいただきましてありがとうございます。

全く、思い込みほど怖ろしいものはないわけですが、自身に対する検証を放棄することだけはしたくないものです。
回答する気にさせる質問を作るのは回答するより数倍難しいはずで、
時期によってはその能力ゆえに色々やっかみもあるでしょうが、楽しみにしている方も大勢いますので、引き続いてのご健闘をお祈りいたしております。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>「無意識がそうさせた」などという場合の無意識は名詞として、無意識的エス、または無意識的超自我の略として暗黙の了解を得ているような気もするので、この場合は実体を持つと言って良いのかもしれません。

確かに、世の中一般では、そのように解釈されているようですね。だから、その世の中の解釈に反して、「無意識という実体は存在しない」などと言うと、逆におかしいぞと言われそうです。結局、「心」の中には、意識される領域と意識されない領域が有って、「意識されない心の領域」を「無意識(領域)」と呼んでいるようですね。

そこで、ちょっと、別の疑問になるのですが、そもそも、「心」の中には、何故、「意識される領域」と「意識されない領域」があるのでしょうか? 

多分、フロイトの理論では、「抑圧」がかかっているので、意識されない領域ができると言っているように思います(フロイトをちゃんと勉強してるわけではないので、間違っているかも知れません)。もし、そうだとすると、「じゃ、その抑圧をかけているのは何なんだ」という疑問が出るわけですが、私の思い付くのは、道徳とか、社会規範のようなものしかないような気がします。しかし、そうだとすると、それは、結局、超自我の働きなので、抑圧されているというよりは、「エス、自我、超自我」の3者で、葛藤しているだけのはずです。

そうすると、その葛藤状態が、意識されてもいいように思うのですが、何故、意識できないのか不思議です。それで、もっと根本的な疑問として、「意識されない領域」って、本当にあるのでしょうか?

「本当に意識されない」なら、「意識されない領域」があるということすら気付かないはずではないでしょうか? 「夢」でも、「いい間違い」でも、結局、気付いているのではないでしょうか? 「意識されない」のではなく、単に、メカニズムがわからないとういうだけの気もするのですが。

まだまだ、疑問が尽きないのですが、発散しそうなので、この辺にしておきたいと思います。

お礼日時:2006/08/22 15:44

NO.10さん御忠告ありがとうございます!


まあ質問内容と御礼の内容からして分かっておりましたが、他の回答者様の答えがおもしろく、また補足するのが自分自身にとってプラスになるので敢えて参加させていただいております。
抽象的な質問というのは本当に面白いですね。
質問者様とのやりとりは子育てしていく上でもいいトレーニングになります。(僕はまったく専門的な勉強をしたことが無いので参加していて面白いです)
で補足ですが・・・
>脳自体は、目に入ったもの、耳に聞こえたもの、肌に感じたもの全ての情報をいったんストックします。
ですが、
一番分かりやすい例として催眠療法があります。
子供の頃の記憶にさかのぼり過去の記憶を呼び起こすってやつです。
これはまさにストックしている証拠ではないでしょうか?
過去の記憶はデータとして蓄積されております。
情報として必要ないものであれば消去していけばいいだけです。
それは日々の些細な出来事にも通じていると思います。友達との会話の中で何かしらのキーワード、例えば「花」という単語が出たときに、別に花には興味が無いのにその日たまたま路傍の片隅で見かけた花が頭の中に浮かんできたりします。
どうでもいい事でもストックされているのですから脳の情報蓄積能力はすごいものが有るような気がします。
まあ、HDDのように確認できる訳ではないのであくまでも参考までに・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>一番分かりやすい例として催眠療法があります。
子供の頃の記憶にさかのぼり過去の記憶を呼び起こすってやつです。

あー、そういう意味ですね。それなら、わかるような気がします。というのは、そのような記憶は、結局、何らかの「要約」がなされているはずだと思うからです。ビデオカメラに撮ったように厳密な意味での全記録は残っているわけではないと思います。

どのように「要約」されているのかは、大変興味のあるところです。我々は初対面の人の顔を見たとき、その顔を写真に取ったように記憶するわけではなく、多分「特徴」を抽出して記憶しているのだと思います。そうでないと、次回会ったとき、前回と顔の角度が少しでも違うと、前回の顔写真情報と一致しないので、別人と思ってしまいます。

お礼日時:2006/08/22 15:11

無意識は「本音」です。


意識は「建前」です。

本音は
積極的に周囲に働きかけるのは苦手で、
主に保持的、受動的に
自分の恒常性を保つために働くようです。

だから本音(無意識)を示せる人というのは
無謀であるか、無頓着なのかになり
周囲を困らせることもありそう。

それでも怖くない覚悟(計算)の上ならば
責任を取れる偉い人か
狂人になっちゃいそうです。

例えば、対等な人間だと思っているのに
「先生」とか「~様」と呼んだりするのは
無意識に敬っているからでなく建前です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>無意識は「本音」です。意識は「建前」です。

あー、スッキリした。一刀両断、スッパリ割り切りましたね。

一方、私は、同感しながらも、段々、混乱してます。と言うのは、「無意識」という「意識」は存在せず、存在するのは、「エス、自我、超自我」ではないかと思い始めたからです(#7回答参照)。もし、そうなら、エスが「本音」で、超自我が「建前」で、自我が両者の調停役ということになりそうです。

お礼日時:2006/08/21 19:53

学派や研究者によりその領域は、一定ではないように思います。



フロイトは、

・意識
・前意識…主に記憶(思い出せるもの)
・無意識…欲求(空腹など)、本能的な衝動

のように考えていたと思います。

また、視覚について、意識が集中していて鮮明に見えている部分と、その周りの背景となっている部分とがあり、意識していないという意味で、その背景部分を無意識と呼ぶことがあります。

 このように、情報として入力し続ける無意識もありますし、意識しているもの以外を全般に無意識と呼ぶことがあります。

「意識する」という部分は非常に複雑な領域で、例えば、ある臨床例では、痛みを感じないが、痛みが存在することを認識している状態があるようです。
つまり、脳へ、痛みとしての信号が伝達されているにも拘らず、痛みとして知覚しない(痛いと感じない)という状態があるようです。
そのような重要でない情報は、無意識へと押しやられてしまいます。

参考図書
無意識の脳自己意識の脳 アントニオ・R・ダマシオ著
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

参考図書は、今度見てみたいとおもいます。

お礼日時:2006/08/21 19:44

うーん。


専門的な分野で解析すると表現方法がいろいろ有るので勉強になりますね。
一応補足要求まで・・・
>意識をしたけれども処理されなかった情報が無意識です。
というのは、人間が生きていくためには、ありとあらゆる情報を処理していく行為です。
つまり脳事体は、目に入ったもの、耳に聞こえたもの、肌に感じたもの全ての情報をいったんストックします。
で、必要と思われる情報だけを優先的に引きだします。
これが認識すると言うことです。
快適な温度で生活しているときは特に意識しません。
が、寒かったり暑かったりしたときは認識し、蓄積された経験によって何らかの対応をします。
何らかの対応を迫られた訳ですから、優先順位が上がったのです。
別の例を挙げると、心臓は常に動いています。
動かないと死んでしまうわけですが、この働きを命令しているのは脳であり、命令を出している以上意識している訳です。(ちょっと極論っぽいですが・・・)
しかしこれは意識としては上がってきません。
無意識にに動いている状態です。それでも脳は意識しているのです。
まあこの例は夢とは関係ない部分ですが、意識できない訳ではないのです。
つまり情報としては常に意識はしているけれども、認識をしていない状態ではないでしょうか?
僕の言う処理とは優先順位が上がって認識し対応する(考える)という事です。
脳が何かしらの対応をした方がいいですよ(考えた方がいいですよ)っと要求してる部分が意識に繋がる部分と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>無意識に動いている状態です。それでも脳は意識しているのです。
おっしゃる通り、無意識「に」働いているという表現が正しいんですね。#7、#8へのお礼と補足で書かせていただいたのですが、私は、無意識「が」働くものと勘違いしていました。無意識に「何が」働くのかを考えるべきでした。脳や心が働くということですね。「脳や心が」昼間何をしているかは、比較的想像しやすいです。

ところで、本論からはずれますが、「脳自体は、目に入ったもの、耳に聞こえたもの、肌に感じたもの全ての情報をいったんストックします。」というのは本当ですか?以前にも同様の話を聞いたことがあり、脳ってそんなに大量の記憶容量があるのか疑問に思ってました。

お礼日時:2006/08/21 19:35

#3です。

補足拝見しました。

>無意識は、昼間、具体的に何をしているのでしょうか?
:意識というもの自体が、意識するという作業によって初めてその存在を確認できるものだと思います。

意識は、自分や周囲の世界への認識を意味していると思いますが、どのような認識になるかは人それぞれ異なるでしょう。
それは、その個人の過去の記憶や、獲得してきた脳神経関連の蓄積によるものでしょうし、それによって形成されうる可能性全てを指して無意識と言うように思います。
【具体的に何をしている? 】ということになると、何らかの刺激に対処すべく待機している、ということになるのではないでしょうか。

この辺までは、kobareroさんには釈迦に説法だと思います。
【昼間】という要素に注目されているようですが、
夢は、意識の拘束が緩まる、という刺激を受けて無意識が浮上して意識となる過程で発生するだけだと思いますし、
昼間でも何らかの刺激で無意識的行動を取ることはあるわけで、夜昼の違いがむしろ意識の強弱にあるということに留意すれば良いのではないかと思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>夢は、意識の拘束が緩まる、という刺激を受けて無意識が浮上して意識となる過程で発生するだけだと思いますし、昼間でも何らかの刺激で無意識的行動を取ることはあるわけで、夜昼の違いがむしろ意識の強弱にあるということに留意すれば良いのではないかと思います。

#7の方へのお礼に書かせていただいたのですが、私は「無意識」という言葉の意味を勘違いしていたのではないかと思ったのです。ところが、hakobuluさんの回答を読ませていただくと、hakobuluさんも、「無意識」という言葉の意味を私と同じように考えておられことがわかりました。それで、もしかすると、私だけでなく、一般に「無意識」という言葉の意味が変則的に解釈されているのではないかと思い始めました。

どういうことかと言うと、「無意識」というのは、元々は、文字通り「意識が無い」であり、「意識」がないという「状態」を表しているのであって、「無意識という何らかの実体を表しているわけではない」はずだということです。だから、「無意識自体」が何かをするということもないはずだと思うのです。ただ、世間一般では、「無意識という実体」があるかのように考えられていますよね。これって、本来の意味からするとおかしくないですか?

私は、初め「無意識という何らかの実体」があると思ったので、「無意識が昼間、具体的に何をしているか」について疑問に思ったのですが、実は、「無意識」などという「もの」は、存在しないのではないか、そして、存在するのは、#7の方の説明にあった「エス、自我、超自我」のような心の働きではないかと思い始めました。そう考えてみると、エスは本能的快楽を追求し、超自我は、あるべき姿を追及し、自我は、エスと超自我の間の調整を取って、日夜励んでいるという説明ができます。

こんな感じの理解で良いでしょうか?

補足日時:2006/08/21 18:17
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全くの私的意見ですが・・・


無意識が夢に関係している時点でそれは意識です。
つまり、人間は常に膨大な量の意識(情報)を傍受していますが全ての意識に対しての処理能力は備わっていません。常に入ってくる意識に対して優先順位を付けて処理(意識を確認)していきます。
意識をしたけれども処理されなかった情報が無意識です。
人間は寝ている間も意識しています。
よくテレビをつけながら寝てしまい、夢でテレビの内容を見たという経験が無いでしょうか?
これも意識です。
人間は生きている限り脳が働いて何らかの意識があります。無意識というのはあくまでも記憶に残らなかった情報と思えばいいのではないでしょうか。
記憶には残らなくても脳には蓄積されています。
夢で、なんでこんな夢を見たのか分らない、というのは蓄積したものが流出したものだと思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>意識をしたけれども処理されなかった情報が無意識です。

「意識をしたけれども処理されなかった」とは、どういう状態を意味するのか、あまりよくわかりませんでした。意識できないから「無意識」と呼ばれると思っていたのですが。

補足日時:2006/08/21 07:04
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NO4です。


意識にとって無意識は一体であり、意識は無意識をよく知っています。
あなた自身の行動に多大な影響を与えており、今回ご質問の元になったような、自分自身に対する疑問は無意識からの質問状です。

そうはいっても疑問は晴れないと思いますがこれだけは憶えてください。
無意識と意識、そして意識の見せる現実世界は、夢の世界に住む無意識にとっては隔たりがあり、煩悩を振り払わない限り意識と現実の実態を無意識世界は理解できません。

今回のご質問はそんな無意識から見た意識に対する疑問の裏返しであり、自分自身の存在に対する疑問です。人から聞いてもこれ以上のことは理解できないと思います。この無意識から見た自分自身に対する不安を解消するのは信仰心による絆です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/21 07:03

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