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女系天皇の議論なども相変わらず盛んですね。
ふと思ったんですが、結構「男系」も微妙ではないかなって思うんです。

孝謙天皇以後の女帝は生涯独身ですが、古代の女帝は結婚していますよね。
明治以後は天皇から外されたようですが、応神天皇の母の神功皇后も以前は天皇に列せられていたようです。
そう考えると、女性天皇の子供が天皇に即位した例はたくさんあります。
また、それらの場合女性天皇はすべて男性天皇を配偶者としていますが、元明天皇の配偶者である草壁皇子は即位する前に亡くなっています。
そして、元明天皇と草壁皇子の子供の文武天皇が即位し、その子供の聖武天皇も即位していますが、これは女系と考えられなくもないのではないのでしょうか?
もちろん、文武天皇の方が元明天皇より先に即位しているので、単純に元明天皇の子供が即位したとはいえないのですが、
系図的に見れば女系で繋がっていると見れるような気もします。

A 回答 (7件)

>元明天皇と草壁皇子の子供の文武天皇が即位し、その子供の聖武天皇も即位していますが、これは女系と考えられなくもないのではないのでしょうか?



誰から見た場合に、女系か男系かにより考え方が変わります。
元明天皇から見た場合、文武天皇は女系にあたりますが、天武天皇からみた場合男系になります。

神宮皇后の場合ですが、神宮皇后自体が、架空の人物の可能性が高いうえ、神宮皇后の子応神天皇の出生がおかしいため、別王朝になったと考えるべきでしょう。

古代において、女系でつなげようとした形跡はその他に、武列天皇から継体天皇になる時に、仁賢天皇の子、手白香皇女と継体天皇が結婚し、後の欽明天皇につなげた事があります。
継体天皇自体が、応神天皇の子孫とされていますが、これは非常にあやしく、実質的には、女系でつなげています。

また女系でつなげようとした例として、光仁天皇の場合があります。
光仁天皇自身は、天智天皇の子孫になりますが、既に臣下に下っており、継承権は無くなっていました。
光仁天皇の妻が、聖武天皇の子、井上内親王であったため、光仁天皇と井上内親王の子、他戸親王を皇太子とすることで、光仁天皇が即位します。

このへんは、紛れも無く女系でつなげようとしています。
他戸親王は、後の桓武天皇の謀略のため廃嫡、幽閉、毒殺されてしまいます。
そのため、ここでの女系での継承はありませんでした。

現在の天皇家は、形式的には神武天皇から男系だけで継承されていますが、神武天皇の祖天照大神からすれば、女系を含めた継承になります。
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朝鮮語の専門家で京大卒の50代なんて極端にの左曲がりの人に歴史的に無知と言われると、苦笑してしまいますね。



大体、女系を推す人は歴史的に女系にしようと推した動きがあったことばかり取り上げて、結果として男系を守ろうとする圧倒的多数に阻まれてきたという部分に目を背ける不思議な歴史観を持っているものです。

かつて14年前に参議院で同様の話を展開しようとした社会党が一笑にふされたのに、今や首相が女系でもいい、なんて言ってるんだから、国や議会の歴史観なんていい加減なものです。
今や保守だった自民党にまで女系賛成者が出る反面、共産党のほうが天皇制の支持率と皇室の基本的人権について論じるなど、自民党の女系賛成者よりよほどマシなことを言い出している始末です。

今現在のところ、男系女系のいずれかという話において男系にすべきというのは、つきつめると、世間の4分1が男系でなくてはと思っていて、残りの4分の3が男系に限らず女系でもいいと許容していて、女系でなくてはと思っている人は中韓と極端な左派の人以外(日本人としては0.001%以下でしょう)しかいないことです。

みんなが女系にすべきだ、というわけでもないのに、変な陰謀めいて女系を押すのは気味が悪いですね。
皇統が始まって最初の数百年には勿論、男系以外にしようと言う動きがあったことは確かです。
しかし、それを阻み、その後1000年以上続けてきている男系の流れを戦後生まれたコロコロ変わる価値観で変えて言って欲しくはないですし、仮にそれら2000年くらいの伝統を一切無視したとしても、明治大帝以来天皇が権力の正当性を保障する日本の伝統を守りたい、と個人的には思います。
中韓やアメリカのように、大統領や書記長が大権を握って横暴を行う国にはなって欲しくなく、あくまで大臣の長である総理大臣が調和を取る穏やかに国でいて欲しいからです。
日本は、戦時内閣の東條内閣でさえ、大臣を御しきれず内閣解散するくらい、強権が発動しにくい国柄を維持してきたのですから。
少なくとも朝鮮半島に入れ込んだ発言ばかりしている方に、歴史に無知などとは言われたくないものです。
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持統天皇は、自らが生んだ草壁皇子に皇位継承させることに執着していました。

天武天皇が没した後、すぐ草壁皇子が即位できなかったのは、これに反対する勢力があったためと思われます。そこで、持統天皇は、天武天皇の皇后の立場で「称制」(皇位につかずに政務を行うこと)をし、機を熟すのを待ち、その間にライバルを倒していきました。しかし、その草壁皇子が亡くなってしまったので、自ら即位しました。そして、孫の文武天皇に譲位し、初めて太上天皇(上皇)と称しました。こうした流れを見ると、持統天皇は、夫の天武天皇の系統を子孫に継承させるための「中継ぎ」ではなく、自らの血統を皇位に就かせることに腐心したと考えられます。すなわち、奈良時代の天皇は「天武系」ではなく「持統系」なのです。

そもそも、日本の伝統は、男系女系どちらでも継承できるというものです。女系が入っている名家は沢山あります(例えば、公家筆頭の藤原近衛家など)。皇室が男系でも(この「も」が大切です)見えるのは、偶々のことです。昔は側室が沢山いましたから。「男系を維持しようとした先人の努力」なる男系維持論者の論理は完全に破綻しています。そんなものはありません。皇室が女系継承がいけないというのは、日本の伝統に反することですし、実際、女系で継承しようとした痕跡は幾つもあります。

男系至上主義者は、「君側の奸」であり、歴史に無知です。
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男系ということを考える時女系でつながっているかどうかではなく、男性だけを考えてつながっているかどうかです。


文武天皇は天武天皇-草壁皇子-文武天皇と男性だけでつながっているから、紛れもなく男系の天皇です。
ことばを変えれば男系というのはY染色体でつながっているということです。
私が思うに、男系が重要視されるのは、Y染色体以外の染色体は世代を経るごとに1/2で失われていきます。しかしY染色体は間違いなく祖先から維持されています。不倫が無いと仮定すれば、今上天皇のY染色体は継体天皇のY染色体と同じものです。しかしそれ以外の染色体は同じである確率はきわめて少ないです。
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 仮に万が一「広義の女系」と言えるという結論が出たとしても、一般的な意味における「女系」については非となるのが皇室の伝統です。



 ですから、あなたの問題提起は言葉遊び以上の意味は、全くありません。従軍慰安婦問題における「広義の強制性」と全く同様ですね。
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女系でもつながっていることはあります。


(とくに、律令が制定された頃は、親等制限が強く、女系の子はほぼ間違いなく男系でもつながるようになっていました)

女系でつながっていることは必要なことではありません。
女系で繋がっていてもいい、ということです。

男系でつながっていることは必須条件です。
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皇位は天武→持統→文武と引き継がれました。

持統天皇は
女性ですがこれは天武から文武に皇位を継承するための
つなぎの即位という考えで文武が元明の子どもだから
即位したわけではありません。
文武から聖武も年齢的なことがあって文武→元明→元正と
つなぎ継承があったものであくまで男系で天武→文武→聖武と
男系をつないだと見ることができます。
ちなみに系図を見れば分かりますが天武以降称徳天皇までと
その次の光仁天皇とは系統が違っていて、光仁天皇は
天智天皇の男系孫です。
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