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 20数年前に言われました。(実習中に患者様から)

 この言葉から、過去にかなり自信も失ったし、考えるところも多く、今に至るまで覚えている言葉です。

 この言葉にこめられた意味を自身が、思うことの多い今です。

 患者様が伝えたかったことは何だったのでしょうか。何でもいいので回答いただきたく質問いたします。

 

A 回答 (5件)

「財産を失っても痛手は少ない。


 健康を失うと痛手は大きい。
 勇気を失うと、それこそ取り返しがつかない」(作者不明)

という言葉を見つけました。
これも若い内に通じる言葉でしょうね。

老いては、
誇りや自慢するため多く所有しているものよりも
自分の貧しさを実感するもの
それが「老い」だと思います。

人に与えて元気にすることも、
人から奪うことも出来ないのが健康ですね。

誰も悩みたくて悩むのじゃないけど
それもsakakuraさんの思い遣る気持ちからの
魅力だと思います。

もう他人を思い遣れないほどの老いは気概すらない。
自分が一番辛い。

つまり若く元気な人に
「今は解る必要がないのだから、同情でも要らない」
おっしゃったのでしょう。

同情というより真面目に対応しているのですから、
真面目がよくなかったのでしょう。

業の深い老人を札束でおびき寄せるとか、
被害妄想の老人をクマの着ぐるみで追っかけるとか
で患者で遊びながら歩行訓練すると
成果が上がるようです(嘘です)。

この回答への補足

 諸先輩方、これ読んであきれないでください。

補足日時:2006/09/09 17:42
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この回答へのお礼

 うーん、なかなか含蓄のあるお言葉ありがとうございます。

 後のち、若い男の理学療法士さんのリハを見せていただいたのですが、お姉さま方、目をきらきらさせて文句を言うことなく熱心に取り組まれておりました。

 餅は餅屋か
 病院を終の棲家にいたしたしましょうかのテンポがよかったのか、灰になるまでなのか

 もう、私はその現場にはでることないでしょう、できる人しか残らないそれがそこです。昔話でした。どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/09/09 17:36

「強がっているのは今のうちだよ。

じきに納得せざるを得ない年齢になるんだよ」という意味だと、私は解釈しました。あなた自身も感じておられるように、この20数年の間、多くの経験を積まれたでしょう。それらがあって、今の自分がいるのですね。「若いのは悪いことではない。ただ、若いだけなんだ。そうして若かった人もいずれ、年をとっていく・・・」人生の機微を感じさせる言葉ですね。
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この回答へのお礼

 もし、はじめのような言葉なら、彼女もかなり意地悪ですね。私は、若い人を見て、その人の個性や、いいところ、今の本人を見たいです。

 ただ、若い中にも、人によっては、(すれてないわかいからこそ持てる)魅力のある人もいます。

 私は、そうではないといわれたわけなのでしょうか。(笑い)年をとっても、年齢に甘えたずうずうしい
ばあさんにはならないようにしたいものです。

人生に機微は、きれいではありませんね。

お礼日時:2006/09/10 21:19

若さゆえの空回りの気配り看護だったよですね。



下記の回答に対する補足書かれた通りだと思います(長生きしているとね・・・理解されるようなものではない)

たぶん78歳の女性は心の中で、いいな、おねえちゃん若くて、私も、ああいう時があったなー、だけど、身体も(こころ)も(こころ)も(こころ)も動かんのよ、言っても判らんやろなこの子には、私も若いときは判らんかった。 

50歳になった私は50歳くらいの時の親父やおふくろの気持ちが今わかります、20歳頃は判らなかったですね。判ったつもりでも。

個人個人に即した医療サービスめざしてがんばってください。^^。
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この回答へのお礼

 どうも、いつもからまわりのようで(笑い)

 燃え尽きるものもないのに尽きてます。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/09 17:39

どのような場面で言われたのかは判りませんが。



以下は、私が相対するときに心がけていることです。

必要な時に、必要な分を、必要なだけ。

多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。
そして、早すぎても遅すぎてもいけない。

最後にいつも笑顔で快く。

その配慮が足りなかったのではないでしょうか?

この回答への補足

 大腿部頚部骨折をされた78歳の女性の歩行訓練のときでした。私は、早く退院もできるよう前の日より、1歩でも多く歩いていただきたかったのですが、ご本人にとっては、やはりペースが速く、あとで、ベテランの看護師に、疲れたと話されたということでした。

 長く生きているとね、なんだかすり減って疲れる、 がんばろうとしても体が思うように動かない、
 気持ちは答えたいけれどついていかない、
 話しても多分、理解されるようなものではない

 そのようなところへの配慮が足りなかったのかもしれないですね。

補足日時:2006/09/09 06:19
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この回答へのお礼

 アドバイスありがとうございました。今は、あの頃には理解しようとしても実感できなかったことが、少しはわかるようになった気がします。
 患者様が退院してからの環境や、ご本人の気持ちや、それを支える家族のことなど。

 まだまだ、わかりたくもない、わかるはずもない時は、すぎてしまったのだと思う夏の終わりです。

お礼日時:2006/09/09 07:29

変な回答の仕方ですけど、質問者の方はこの言葉を言われた時はかなり若さに満ち溢れていたのではないですかね。


仏教の教義に生老病死すなわち四苦の考え方があります。
生とはこの世に生を受ける苦しみです。
老とは老いる苦しみです。やはり歳を重ねると肉体は衰えます。誰しもそれから逃れることはできません。
病とは字のとおり病にかかることです。肉体を持つ以上やはりなんらかの形で病気はするものです。
死についてはあえて説明はさけますが、おそらく患者はそのうちの「病」と「老」を言いたかったのではないでしょうか。
あまり気にすることはないと思いますが。
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この回答へのお礼

 「病」と「老」を言いたかった。そうですね。でも、言葉では言わないし、理解されがたいものとおもわれたから、初めの言葉になったのでしょう。

 ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/09 07:14

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