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時代小説を読んでいると「芝の在から・・」とか「板橋から江戸に行く・・」と言ったようなくだりがしばしばみられます。
 江戸時代で「江戸」と呼ばれる所は今の東京のどこからどこまで辺りなのですか?またそれは川など、何によって分けられていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

「子連れ狼」という劇画があり、主人公の拝一刀父子は


「江戸朱引き内への立ち入り禁止」という設定になっていました。
家康の頃は江戸城を中心に4里四方だった江戸も明暦の大火以後は市街が広がり、この朱引き内を「御府内」と呼び、江戸城を中心に豊島区、渋谷区、荒川区、北区、目黒区の一部、品川区の一部、板橋区の一部をも含む地域になります。
これが江戸と言う街になります。
犯罪者を「江戸所払い」という刑に処しますが、この内側に入らなければセーフで、赤羽あたりにいればよかったようです。
因みに町奉行の管轄は「墨引き」といって、旧東京市の15区に当たります。
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この回答へのお礼

なるほど、なるほど!!
「江戸」って言っても今の都内のイメージからすると意外と狭いんですね?赤羽が江戸外とは・・・
 これから時代小説を読む時の参考になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/18 08:19

下記のページに地図があります


概ね各街道の最初の宿場のまでの範囲(板槁は中山道の最初の宿場です)といったところでしょうか

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/江戸
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この回答へのお礼

地図で見ると一目瞭然ですね!
参考になりました。ありがとございました。

お礼日時:2006/09/18 08:21

小学生の頃、祖母から"かねやす"迄が江戸の内とききました。

"かねやす"が何処だったか忘れたので検索してみたらヒットしました。

参考URL:http://www.city.bunkyo.tokyo.jp/cgi-bin/kview.cg …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「かねやす」・・・今の本郷辺りまでだったんですね?

お礼日時:2006/09/18 08:16

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