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「丸い三角形は存在しない。」

という陳述についてどう考えられるでしょうか?

1、意味も意義も在る。
2、意味はあるが意義は無い。
3、意味は無いが意義は在る。
4、意味も意義も無い。

A 回答 (14件中1~10件)

回答は1.



意味について:
 陳述であれば言語である。言語としては文法的に正しいので、意味はある。

意義について:
 陳述について、思考するだけの価値(真偽など)があるので、意義はある。

この回答への補足

>陳述について、思考するだけの価値(真偽など)があるので、意義はある。

ということはこの陳述は「丸い三角形」の実在を否定するものではないということですね。

どうもご回答ありがとうございました。

補足日時:2006/10/07 15:02
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この回答へのお礼

ラッセルの記述理論へ持っていきたかったのですがやはりここのカテゴリーでは無理なようですね。
ちなみにこの質問は哲学にもならないものです。
しかしご理解いただいているのはあなた様だけとは何とも心もとない限りです。

お礼日時:2006/10/13 21:11

#13です。


>「合衆国首相は存在しない」は如何でしょう?
:矛盾の無い文なので命題足り得るのでしょうが、この文が使われる前後の文脈によっても違ってくるでしょう。
2に近いのですが、
「意味はあるが意義は無い。」というよりは、
「矛盾はしていないが意義はない」という感じでしょうか。
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございます。

又よろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2006/10/13 20:38

ユーグリッド幾何学では、三角形と丸は共存しないことを再確認する陳述になります。


意味も意義もないと思います。

ユーグリッド幾何学でなければ、意味も意義はある陳述になり可能性がでてくると思います。

非ユーグリッド幾何学の新しい体系の可能性を考えていらっしゃるのでしょうか?
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございます。

又よろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2006/10/13 20:39

#11です。

ご返事ありがとうございます。
>「丸い三角形」と言う記述は意味を持たないが意義を持つということでよろしいでしょうか?
:私の言いたいことは、
>「丸い三角形」という記述は意味を持たない、
ということとは少し違うような気がします。(自分で言ったことなのに、「気がします」とは無責任ですね)

私は、最初ご質問を拝見した時に、
一本のヒモで三角形を作った場合、徐々に角をなくしていくことによって円にすることが可能でしょうから、その過程が面白く、
また最終的には「これは三角形とは言えず円である」という認識に至る境界が必ず訪れるはずだと思いました。

しかし、どの時点を以ってそう宣言することが可能なのか、ということを考えた場合、
円になる直前の状態というものは何と認識したら良いいのだろうか、とも思いました。

もう一押しすると円になる、という状況は訪れるでしょうが、その最後の一押しはどのようなきっかけでなされるものなのか、という点を考えると、
#10で述べたような様々な実際問題とつながる部分があるような気がして、興味深く感じたのです。
そのような興味につながるという点だけでも意義があると感じたわけです。

「丸い三角形」という物体自体はあり得ないが、
「丸い三角形は存在しない。」と陳述することによって、意味のあることと無いことの瀬戸際にある状況を浮き彫りにするという点で意義があり、
意義があるということはすなわち意味があるということになる、と思った、ということになりそうです。

この回答への補足

どうもご回答ありがとうございます。

実在はしないが思考はし得るので意味も意義もあるということでしょうか。

では
「合衆国首相は存在しない」は如何でしょう?

補足日時:2006/10/08 23:43
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>「丸い三角形は存在しない」は実はラッセルの「丸い四角形形は存在しない」をもじったものです。



うーん、それは失敗しましたね。
ルーローの三角形をご存知でしょうか。
あれは丸い三角形と言えなくもありませんよ。

ところで、命題というものはすべからく真偽を決定できるものなはずです。
ご質問の文章は、「丸い」という形容詞が曖昧なために、真偽を決定できないので、命題になっていません。
たとえば、「曲線を有する」というような言い換え方をすれば話は別になるでしょう。
命題中心主義の立場からは、命題でないものについては、意味や意義は判断できないのではないかと考えます。

私は、意味だの意義だのという立場には与しない哲学に属しているので、4択には答えられません。
無意味なものには意味をいくらでも捏造する余地があると考えているからです。

この回答への補足

どうもご回答ありがとうございます。

>うーん、それは失敗しましたね。
ルーローの三角形をご存知でしょうか。
あれは丸い三角形と言えなくもありませんよ

実は私も丸い三角形を考えたときルーローの三角形を調べました。
ただ別の哲学書では著名な哲学者の方が丸い三角形は実在しないとし、{命題「丸い三角形は存在しない」}という文章がありましたのでそれを援用させていただきました。

補足日時:2006/10/08 20:53
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この回答へのお礼

しかしながらそう考えると確実に真偽の定まった命題と言うのは経験に還元されないような命題のみとなりますね。

お礼日時:2006/10/08 22:51

#10です。

ご丁寧な補足をありがとうございました。

丸という概念と三角形という概念を認めた上でなければこれは命題として成立しないでしょうから、
丸≠三角形という定理(と言って良いのでしょうか)に基づかざるを得ないでしょう。
そうすると、「丸い三角形」という表現自体が誤りになるわけですが、そこは許容範囲で(こういう場合に許容範囲というものを設けると先に進まなくなるような気もしますが)、「【丸い】と形容できる三角形」と解釈すれば、
「丸い三角形は存在しない」と考えるのは、ごく論理的であろうと思います。
つまり、内容については「真」としたつもりでした。

しかし、当たり前のことを言うな、と一蹴するべき命題ではなく、大いに(存在)意義のあることだし、当然意味もある、と考えたわけです。

この回答への補足

「丸い三角形」の替わりに「黄金の山」でも「月の住人」でも構いません。
特定の個物が存在しない、ということが述べられているような命題とお考えいただけますでしょうか。

補足日時:2006/10/08 22:08
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この回答へのお礼

どうもご回答いただきありがとうございます。

「丸い三角形」と言う記述は意味を持たないが意義を持つということでよろしいでしょうか?

お礼日時:2006/10/08 21:04

ズブの素人ですがおじゃまさせてもらってもよろしいでしょうか。


(と言ったわりには返事を待たずに割り込むオヤジであった・・・)
逆ですが、噛み砕いたお話を伺えることを期待して恐る恐る参加いたします。

素人なりに無い頭を絞った結果、1のように思えてきました。
しかも、このような捉え方が妥当なのかはわかりませんが、物事の本質を見極めようとする姿勢を喚起するにうってつけの命題(?と言っていいんですよね)ではないかと思います。

というのも、「丸い」とか「三角」とか言っているが、一体明確な区別がついた上でその言葉を口にしているのだろうか、という点に思考が収束していかざるを得ないでしょうから。
無論、数学的な定義はあるのでしょうが、
要点は三角形を限りなく円に近づけていった場合の円に化ける瞬間でしょう。
「しつけと虐待の境界線」「正当な殺人と不当な殺人の違い」「愛情と憎しみを隔てるその紙一重」「平和のための戦争」などなど、
人類がそれを思考することによってDNAの(進歩的)自然変化を促すことさえ可能であると想像できる課題を解く方法論の一助、またはきっかけとなり得るように思います。

こういった意味で、1~4のどれか、と言われれば1ですし、
むしろ『有意義であるから当然意味もある』という感想を持ちました。

専門的立場からすると捕らえ方が少し違うのかもしれませんね。
その場合は、教えていただければありがたいと思います。

この回答への補足

やはりどうしても困難が付きまといますね。
というのはこの質問が哲学カテゴリーにおける質問であるということを理解していただけない場合が多いのですね。
だから自称専門家といった輩も出てくるわけです。

また困難のひとつに用語の問題があります。
例えば陳述とはなんでしょうか?

哲学カテゴリーにおいては、陳述とは真偽の定まった文と言うことになりますが、それさえご存知のない方が多いのではないでしょうか。
状況によって真偽が変わるような文であればそれは陳述とは呼びません。
例えば「丸い三角形」がno3さんの「角丸三角」を指示するのであればこの文は偽となり、普通の意味では真となります。
これでは陳述とはいえません。

またこの質問で私がお伺いしたいのは「意味と意義」の意味であることはno4さんのご回答からも明らかだと思います。なかには質問の意図さえ理解できない方がいらっしゃいます。
自称専門家もその一人ですが(笑)。

それはさておき
「丸い三角形は存在しない」
という陳述は以上の理由から真か偽か定まっていなければなりませんが、ご回答の内容ですと偽のようですね。

逆に真であるとした場合は如何でしょう。

補足日時:2006/10/08 17:44
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答えは「意味も意義もない」です。


哲学という道具で何でも処理できるわけではないと私は考えます。三角形は三角形であり、丸は丸です。
言い換えてみれば、車が故障して病院に持って行くようなものです。
哲学カテで質問するには哲学にふさわしい質問である必要があると思います。
まあ私は素人ですから、この回答が参考になるかはわかりませんが。

この回答への補足

「丸い三角形は存在しない」は実はラッセルの「丸い四角形形は存在しない」をもじったものです。
しかし直接ラッセルの記述理論についての質問をしても回答がえられないと思いこのような形で質問させていただきました。
しかしやはり無理なようですね。

補足日時:2006/10/07 20:52
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/07 19:07

 回答ではないのですが、まず訊きたいことがあります・・・



 質問者さまのいう、「ある」及び「在る」には何か意味があるのでしょうか?

 質問者さまは、「ウサギの角は鋭くない。」(いわゆる内偏充論というやつです。)をどう説明されますか?

以上二点に答えてください。

この回答への補足

「ある」及び「在る」が語であるかぎり有意味と言うことでしょう。単なる無意味な音であればそれは語ではないということになりますね。
「丸い三角形は存在しない」という陳述は「意義も意味もある。」
主語は固有名でないからといってその分が無意義と言うことは無いと思いますよ。

補足日時:2006/10/07 19:04
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この回答へのお礼

>質問者さまは、「ウサギの角は鋭くない。」(いわゆる内偏充論というやつです。)をどう説明されますか?

つまりここを私はお聞きしたいわけですよ。
「ウサギの角は鋭くない。」と言う命題は有意義か無意義か。

お礼日時:2006/10/07 19:20

4の人のいう


「意義」と「意味」の定義で考えれば、「意義」と「意味」が文章の中に存在しているので、質問の回答私もは1でいいと思うんです。

でも質問者さんの4の方に対する「回答に対する補足」のなかでのコメントに共感できません。

「丸い三角形は存在しない」という「文」自体は、「丸い三角形の存在を否定」してませんか?

この回答への補足

いや、それは私の解釈ではなくてno4さんの意見なんです。
なぜならば「丸い三角形は存在しない」という陳述が「丸い三角形」と呼ばれる特定の対象の存在を否定するものであれば、それは意義を持たないものということになります。というのもこのような対象が実在するとしたら、それは存在するだろうからです。
すならち、われわれはまず、このような対象が実在すると仮定しえないとするのであり、次にわれわれはそのような対象が実在するということを否定することになるからです。

補足日時:2006/10/07 18:43
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