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江戸城の天守閣は、江戸時代初期に火災消失してしまい、その後再建されなかった。
なぜなのか?
皇居となった今ではもう無理だろうが・・・。

A 回答 (2件)

幕府の支配体制が確立し、安定したので必要が無くなったと聞いています



財政的な問題も有ったのでしょう

いくら財政が逼迫しても必要なら造ったでしょうね

天守閣の目的は本来「兵糧の貯蔵と武器の貯蔵用」ですから平和時には不要でしょう
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この回答へのお礼

なるほどそういう事でしたか。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/11/11 14:04

このページでの質問にしては場違いだと思われますが、私の知っている限りは次のとおりです。


江戸城は、徳川家康が築城した後2度の築城がなされています。
しかし、1657年の明暦の大火で焼失しました。
勿論その後に再建計画があり天守台までは前田綱紀によって築かれましたが、天守閣は織田信長が岐阜城に築いたのが初めてのことで、城の守備には不要である。と言う意見や、保科正之の江戸の街の復興優先の考えが採用され、築城は後送りされたと聞いています。
その後も、江戸城は度々火災を被っています。
本丸も1863年の火災で焼失したまま再建されず、西の丸に機能を移したまま明治維新を迎え、現在に至っています。
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この回答へのお礼

なるほどそういう事でしたか。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/11/11 14:03

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