入門書を読んで理解を深めてから質問しようと思っていたのですが、なにぶん多忙かつ
魯鈍であるため、ほとんど理解していない状態での質問をお許しください。
ゲーデルの不完全性定理の入門書を読むと、一般人向けの説明として次のように記述されて
います。
●自然数論を含むような数学的体系の無矛盾性を、その体系内で証明することはできない。
これは、分かりやすいく言うとどういうことなのでしょうか。論理記号式を使用しないと
説明は無理ですか。

不完全性定理は「自己参照」とか「自己言及」を行なった際に生じる、避けられない
困難性や矛盾の存在を言い表しているのだと思いますが、次のような(安直とも言える)
拡大解釈を許すような、普遍性のある定理なのでしょうか。
●認識主体が自分自身を完全に認識することはできない。(認識)
●哲学が哲学を完全に定義することはできない。(定義)
●体制が自己の正当性を自分で証明することはできない。(証明)

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A 回答 (3件)

前の回答の、前半の超数学の部分に関して、不正確な言い方をしてしまったので、追加しておきますね。


ゲーデル先生の証明は以下のことを含んでいます。
●自然数を含むようなどんな形式的体系においても、それが無矛盾なら、「公理+推論規則」を使って命題Aも¬A (Aの否定)も証明可能でなく、しかも、Aはこの形式的体系において真である。そのような命題Aが存在する。
 「定理」とは「公理+推論規則を使って証明可能な命題」ですから、正確にはAは定理ではないですね。前の回答ではここがいい加減過ぎました。「定理」と「真である命題」は区別しなくちゃいけないんです。
 「真なのに証明できないって、どゆこと???」となって戴ければまさに嵌った!んです。ようこそ、mori0309さん!!
●しかも、Aを証明できるように形式的体系に公理を追加してみても、追加の結果できた新しい形式的体系が無矛盾なら、やっぱり命題Bも¬Bも証明可能でない、そのような命題Bが存在する。
 公理を幾ら拡張しても無駄。という訳です。それに下手な拡張は無矛盾性を損ないます。ひとつでも矛盾を含む体系では何でも定理になります。何でも証明可能。Aも¬Aもです。証明能力が異常に高い体系は、矛盾を含んでいるかも知れないと疑うべきですね。
●さらに、自然数を含むようなどんな形式的体系においても、それが無矛盾なら、C:「この形式的体系は無矛盾である」という命題は、Cも¬Cも証明可能でない。
 だからと言って、自然数を含む形式的体系の無矛盾性が証明できない訳じゃない。実際、自然数の算術体系の無矛盾性について、たとえば超限帰納法による証明があります。ただ、その形式的体系自身の中で証明することは出来ない、というだけの事です。(実際、超限順序数は自然数の範囲を超えてます。)つまり、有限個の「公理+推論規則」だけで数学を完結させることは不可能である。
 
もちろん、自然数論を含まない体系(つまり「無限」を含んでいない体系)では、それ自体の完全性が示せる可能性があります。つまりもし、自分自身の完全性、あるいは無矛盾性を証明できたら、その形式的体系は矛盾しているか、あるいは数もまともにかぞえられないおバカな体系なんですよ!!
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この回答へのお礼

さすが!!! 敬服! 脱帽!
なんという明快かつ機智に富んだ回答なのでしょう。すっかりstomachmanさんのファンに
なってしまいました。1000ポイントくらい差し上げたい気持ちです、、、、、、
が、しかし、明快なのに理解できないのが素人の悲しさです。
●> 「無矛盾な形式的体系Aにおいては、真ではあるが証明も反証もできない命題aが存在する」
今のところ鵜呑みにするしかありません。(当たり前ですね)
証明も反証もできないのに、なぜ真であると断定できるのですか?
(これを初回の質問で出せばよかったのですね)
●> 「自動的に定理を枚挙するようなアルゴリズムはない」
ということは自分でものを考えて法則を発見してくれるコンピュータは作れないという
ことなのですね。(アルゴリズムによらないコンピュータができれば話は違ってくる
でしょうけど)
●> 自然数を含むようなどんな形式的体系においても、それが無矛盾なら、C:「この形式的
 > 体系は無矛盾である」という命題は、Cも¬Cも証明可能でない。
???「無矛盾なら無矛盾かどうか証明できない」ということですか? 変な日本語。
「自分で無矛盾と言い張っているけど、他人から見て無矛盾かどうかは肯定も否定もできない」
ということなのでしょうか?
●> 有限個の「公理+推論規則」だけで数学を完結させることは不可能である。
●> 「認識主体」や「哲学」は「形式的体系」ではない。
なぜか分かりませんけど、この言葉を聞くと、ホッとします。また、例によって墓穴を掘る発言
をしますけど、この言葉を聞いて感じることは、次のようなことです。
★そぉか~。宇宙の未来は不確定なんだ。人間も宇宙自身も、因果律の奴隷じゃないんだ。
我々はみんな自由なんだ。生きているということは、そういうことなんだ。我々自身の自由に
よって価値を創造していくことができるんだ。その価値がすなわち真理なんだ。
(すこしだけならツッこんでもいいですよ。でも、ただの独り言ですので)

お礼日時:2001/01/07 17:05

補足がひとりごと、なのは重々承知しておりますが、もう、ほんの先っちょだけ、突っ込ませてくださいね。


> 証明も反証もできないのに、なぜ真であると断定できるのですか?
その形式的体系Aの中では証明できない、ってだけであり、別の体系Bから見れば、Aにおいてaが成り立つのは自明かも知れない訳です。(ここで言う体系Bが、Aに対する「超数学」です。)

> 自分でものを考えて法則を発見してくれるコンピュータは作れない
そうじゃないです。法則は帰納法で見つける物。実際、人工知能では学習の一種、あるいはデータから法則を見つけだす方法(データマイニング)として盛んに研究されてます。ここで言っているのは機械的演繹によって「真の命題を全部枚挙することが出来ない」という事で、別の話です。

>「自分で無矛盾と言い張っているけど、他人から見て無矛盾かどうかは肯定も否定もできない」
まさしくその逆です。自分では無矛盾と証明できないけど、他の体系から見れば無矛盾性が証明できることがある。あるいは、自分の無矛盾性が証明できちゃうやつは、他の体系から見れば、だからこそ矛盾していることが分かる。
ちなみに「キャッチ22」という小説(傑作です)をご存じでしょうか?その中に出てくる軍規:
(1) 発狂した爆撃手以外は任務から外されることはない。
(2) 発狂した場合には、本人が申告しなくてはならない。
(3) 自分で発狂したと申告した者は、正気だとみなす。
「わたしゃー、酔っ。ぱらっちゃ、あ、いませんよ~っと」

> ★....
焦んないでってばぁ。この話で言う「真」は「宇宙の真理」のことじゃないですよぉ。
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mori0309さんてば、安直しちゃいけません。

(stomachmanも初めて学んだときは高校生だったもんだから、もろに安直してしまいましたけどね。)
無矛盾性と健全性と完全性はよく似ているけど別の概念ですから、慎重に区別しましょう。不完全性定理のストレートな解釈は「自動的に定理を枚挙するようなアルゴリズムはない」という意味です。
系:数学者は失業しない
ここで「定理」とは「公理」+「推論規則」から演繹される「真である命題」のことです。全ての「定理」の集合が「理論」。つまり、形式的体系における「理論」というのは、それ(「公理」+「推論規則」)を言ってしまったら、必然的にこういう話(「定理」)になるじゃないか。という、「公理」+「推論規則」の中に既に暗に含まれていた結論の総体です。もちろん「公理」+「推論規則」を変えれば「理論」も変わりますから、ピタゴラスの定理がどんな「理論」にも含まれている、という訳じゃありません。
> ●認識主体が自分自身を完全に認識することはできない。(認識)
> ●哲学が哲学を完全に定義することはできない。(定義)
少なくとも「公理」+「推論規則」が記述できるなら、「理論」は陰に(陽にではなく)定義されるわけです。そういう意味で完全に定義され、認識されている。ただ具体的にもれなく枚挙するシステムは作れない。(微分方程式は立てたけど、解けない、というのと似てますね。)これを「DNAが分かればヒトが分かるか」のように拡大解釈しちゃいけません。形式的体系の「理論」は、「公理」+「推論規則」以外の影響は全く受けない。一切の夾雑物は許されないのです。しかしヒトはDNAのみで生きるにあらず。死体や鼻くそにだって同じDNAがあります。
系:医者は失業しない。
 一方、「認識主体」や「哲学」が「形式的体系」か、というと全然そうじゃない。理論物理学のいう万物の理論(theory of everything)は、いわば宇宙の「公理」+「推論規則」を見いだそうという研究です。演繹とはまるで逆のことをやっている。「公理」+「推論規則」をいろいろ仮定してみて、そこから演繹される「定理」を現実と比較する、という作業をやっていくしかない。これは帰納法ですね。究極理論!と思っていても、いつか反例が見つからないとも限らない。
系:物理学者は失業しない。
また、数学の正当性を論じる「超数学」自体も、形式的体系ではありません。ましてや「形式的体系」以外の方法を検討しようとする時に、その活動が形式的体系の枠の中にあるのかというと....
つまり、不完全性定理があるかどうかとは無関係に、「哲学を形式的体系として表現できるか」という問題が先に来るんです。
系:哲学者は失業しない。
「認識」に関しては、証明ではなく「ん!そうに違いない!!」という納得が求められている訳で、これは不完全性定理の文脈には乗りそうもありません。
> ●体制が自己の正当性を自分で証明することはできない。(証明)
幾ら何でも、これは「正当性」の意味がずれちゃってませんか?
系:政治家は失業しない。

mori0309さんてば、まあまあ、そう焦らないで。
レイモンド・スマリヤン「決定不能の論理パズル」白揚社
ダグラス・ホフスタッター「ゲーデル・エッシャー・バッハ」白揚社
ナーゲル、ニューマン「数学から超数学へ」白揚社
など、すてきな本がいっぱいありますから、10年掛けてじっくり楽しんで下さいよ。
系:本屋は失業しない。
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私がよく分らないのは ゲーデルの第1不完全性定理です。『形式的体系Sにおいて、形式的体系Sが無矛盾である限り、「形式的体系Sにおいて命題は証明可能である。」という命題も「形式的体系Sにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である。』 と表される(別表現もありますが)とあります。
ここで現れる命題は抽象的言語であってよく分らないのです。例えばユークリッド幾何学においてはこの具体例は何でしょうか。私の理解は 『例えば無限遠点において平行線は交わるは証明可能である』はその例のように思うのですが 間違っているでしょうか。
問題は 無限遠点が公理を用いて表されるか どうか という先輩のご指摘があり公理をあらためてみてみますと 公理2に線分を限りなく伸ばすことができる とあります。つまり無限遠点は「公理2の限りなく線分を伸ばした点」と理解され 公理の定義を用いることで表されるとおもうのです。間違っているでしょうか。参考までに公理を挙げておきます。
<ユークリッド 幾何学の公理>
(公理1)与えられた2点に対して、それらを結ぶ線分をちょうど1つ引くことができる。
(公理2)与えられた線分は、どちらの側にも限りなく伸ばすことができる。
(公理3)平面上に2点が与えられたとき、一方を中心とし、他方を通る円をちょうど1つ書くことができる。
(公理4)直角はすべて相等しい。
(公理5(平行線公理))直線外の1点を通り、その直線に平行な直線は1本に限る

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Aベストアンサー

不思議で不思議でならない.
質問者は「ゲーデルの不完全性定理」
を理解してるんだろうか・・・・
この定理の大事な「前提」を
スルーしているんじゃないのかな.
「自然数論を含む形式的体系」じゃないと
不完全性定理はでてこない.
実際「ゲーデルの完全性定理」ってのもあるんですよ.

前の質問で,証明の粗筋をかいてくれた人がいたでしょう?
そこでは「ゲーデル数」っていうのが大事な働きをしてるという
指摘があったでしょう?
「数」が必要なんですよ,不完全性定理には.
ものすごくぶっちゃけていえば
「完全性定理」と「不完全性定理」の境界は「数」.
ちなみにこの場合の「数」ってのも
きちんと公理系(ペアノ公理系ってのがメジャー)で
定義される「形式体系」.

さて。。。あなたが述べている「ユークリッド幾何の公理」系
(原論の言葉でいえば本当は「公準」であって
原論でいうところの「公理」はべつのもの)は
果たして,不完全性定理の述べるところの
「公理系」なのでしょうか?
つまり,古典的な
「原論の形のユークリッド幾何の公理(公準)」
は,現代的な意味での「公理系」なのか?です.
現代的な意味での公理系であるならば
なぜヒルベルトは「幾何学の基礎」で
ユークリッドの公理系をある意味で「批判」して
新しい体系を提示したのか?
ヒルベルトの意味でのユークリッド幾何でも
果たしてゲーデルの議論に乗せるのには十分なのか?

そもそも「無矛盾な形式体系」であっても
不完全性定理の前提を満たさないものがあるのではないか?

まずはそこらへんから考えないと
そもそも不完全性定理を適用できるか分からないわけです.
#って。。。実は答えはすでにあるのですが
#ちょっと調べれば分かるのでスルー.

ちなみに・・・・
不完全性定理のいうところの「決定できない命題」の
自然なものってのは1973年とか1977年ころに
なってでてきたんですよ.
不完全性定理が1931年で,連続体仮説とか
選択公理の方面での命題が1940年近辺の話なので
いかに大変な仕事だったのかが分かりますね.

資料:
・ゲーデルの20世紀シリーズ(東大出版会)
・ゲーデル 不完全性定理(岩波)

ちなみに,私もalice_44さんやTacosanさんと同じで
無限遠点は出てこないでしょうと答えます.
だって「限りなく伸ば」したって,
それからどうなる?ということについて何も述べてない.
演繹できるから大丈夫?
ユークリッド幾何で導ける点って「有限」のところだけでは?
公理系の外部のものが内部で証明できないのは当然です.

不思議で不思議でならない.
質問者は「ゲーデルの不完全性定理」
を理解してるんだろうか・・・・
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Qゲーデルの不完全性定理を、小学生にも分かるように教えていただきたい

本の中の不完全性定理の説明文で、

>「この命題は証明不能である」
 という命題が証明可能であるならば、
 この命題の中で主張している「証明不能である」ということと、
 それが「証明可能」であるということとは、
 「矛盾」していることになる。

とあるのですが、
どうして矛盾しているのでしょうか?
(何となくはわかるのですが)

私は、小学生くらいの数学知識しかないので、
命題、証明の意味がよくわかってないのかもしれませんが、

たとえば
未確認物体(宇宙人みたいな)が、草原などにあったと仮定して、

解剖しても今の科学では、この物体は「なにか」わからない。
「この物体は証明不能である」

今の科学では証明不能であるということは、
証明可能なのではないのでしょうか
(科学がまだ未発達ということで)
ということとは意味が違うのですかね?

自分で書いていても、頭が混乱してきました・・・笑

数学の知識がある人には笑われる質問かも知れませんが、
「小学生(私)には、証明不可能」な問題を、
証明可能な方、教えて頂きたい。・・・笑
お願いします。

本の中の不完全性定理の説明文で、

>「この命題は証明不能である」
 という命題が証明可能であるならば、
 この命題の中で主張している「証明不能である」ということと、
 それが「証明可能」であるということとは、
 「矛盾」していることになる。

とあるのですが、
どうして矛盾しているのでしょうか?
(何となくはわかるのですが)

私は、小学生くらいの数学知識しかないので、
命題、証明の意味がよくわかってないのかもしれませんが、

たとえば
未確認物体(宇宙人みたいな)が、...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

失礼ながら、
たいぶ解釈を違えておられるようです・・・

こう書けばわかっていただけると思うのですが、
-------------
A:「この命題Aは証明不能である」
という命題Aが証明可能であるならば、
・命題Aにおける「証明不能である」

・B:「命題Aは証明可能」である
ということとは、
矛盾していることになる。
-------------

つまり、文章中に出てくる「命題」というのは、全部同じ命題(Aのこと)なのです。

いわば、
-------------
「わかりません」が正しいということが証明できるならば、
・「わかりません」ということと、
・「‘わかりません’ということが正しい」ということとは、
矛盾していることになる。
-------------
ということです。


>>>
たとえば
未確認物体(宇宙人みたいな)が、草原などにあったと仮定して、
・・・
ということとは意味が違うのですかね?

違いますね。
むしろ、こう考えたほうがよいです。

・数学や算数の教科書に書かれていることは、すべて、ある前提を元に書かれているが、その前提は証明できない。
(この前提のことを「公理」と言います。)

あるいは、(例として適切かどうかわかりませんが)

・法律に書かれていることが正しいかどうかは証明できない。

というのも、イメージをつかむためには良いかもしれません。


以上、ご参考になりましたら幸いです。

こんにちは。

失礼ながら、
たいぶ解釈を違えておられるようです・・・

こう書けばわかっていただけると思うのですが、
-------------
A:「この命題Aは証明不能である」
という命題Aが証明可能であるならば、
・命題Aにおける「証明不能である」

・B:「命題Aは証明可能」である
ということとは、
矛盾していることになる。
-------------

つまり、文章中に出てくる「命題」というのは、全部同じ命題(Aのこと)なのです。

いわば、
-------------
「わかりません」が正しいと...続きを読む

Qゲーデルの不完全性定理

不完全性定理って結局、数学は不完全であるということが証明されたってことですよね?だとしたら、これから数学を研究することに何の意味があるのでしょうか?

Aベストアンサー

その「不完全」という意味は日常会話などで
使われる意味での「不完全」とは違います。

数学基礎論においては、完全性とは、ある公理系が
与えられたときその公理系において全ての恒真命題が
証明可能であることを言います。また、証明可能とは
公理から有限の手順で結論が導かれることを言います。

この意味での完全性から転じて、不完全性とは、ちょっと
アバウトな言い方ですが、真ではあるが公理から
導けない命題が存在することを言います。

ゲーデルの不完全性定理は、再び厳密さに欠ける
アバウトな言い方ですが、矛盾のない体系には証明
できない命題が存在することを示しています。

つまり、不完全性定理は数学になにか瑕疵があることを
意味しているわけではありません。

数学の分野もかなり現代では裾野が広いですが、
それだけ未解決問題も多くあります。ゲーデルの
不完全性定理によって数学基礎論ではある種の決着
がついたのかもしれませんが、まだまだ多く残る
未解決問題に手をつけることにより発展の余地は
多く、未踏の地平は広大です。

その「不完全」という意味は日常会話などで
使われる意味での「不完全」とは違います。

数学基礎論においては、完全性とは、ある公理系が
与えられたときその公理系において全ての恒真命題が
証明可能であることを言います。また、証明可能とは
公理から有限の手順で結論が導かれることを言います。

この意味での完全性から転じて、不完全性とは、ちょっと
アバウトな言い方ですが、真ではあるが公理から
導けない命題が存在することを言います。

ゲーデルの不完全性定理は、再び厳密さに欠ける
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Qゲーデルによれば、無限を前提にしないと数の整合性/無矛盾性が保てない?

ゲーデルによれば、無限を前提にしないと数の整合性/無矛盾性が保てないと言えるのでしょうか?

Aベストアンサー

逆になぜ質問のような考えに辿りついたかの説明を求めたいところですが……

ゲーデルによらずとも、数の全体を考えれば自然に無限がでてくると思います。
ゲーデルの不完全性定理などはむしろ、数のような無限対象では無矛盾性を証明することは不可能だと言っていると思いますが。

Q不完全性定理から証明された「真理性 Ω は、ランダムである」とはどういうことですか?

ゲーデルの不完全性定理の応用でチャイティンが、
「任意のシステム S において、そのランダム性を証明不可能なランダム数G が存在する」
という事を証明し、その後「真理性 Ω は、ランダムである。」という定理を発表したようですが、

この「真理性 Ω は、ランダムである。」とはどういう意味なのですか?
論理学も数学もほとんど無知ですが感覚的に分かるように説明して頂けませんか。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

チャイティン氏の理論は「アルゴリズム的情報理論」と呼ばれ、外見上は「コンピュータ・プログラム理論」の体裁ですが、その数学的帰結はいわゆる「証明論」や「超数学」等の数学の根本を扱う分野にそのまま適用することができるとされています。

Ωの定義を普通の言葉で言い直せば、「ある公理系内で無作為に一つの命題を選び出したとき、その命題がその公理系内で決定(証明又は反証)可能である確率」であり、またチャイティン氏の言う「ランダム」とは「計算不可能」、広義には「その命題なり数なりを導出する方法が一切存在しない」ということと同義のようです。

従って、「真理性Ωはランダムである」を言い直せば、

「ある公理系内で無作為に一つの命題を選び出したとき、その命題がその公理系内で決定可能である確率は、(実際には決まっているはずなのに)一切いかなる方法によっても導出することが出来ない」

ということになるかと思います。さらに具体的に言うと、

「Ωを2進数で表したとき、小数点以下のある特定の範囲以降の各桁が1であるのか0であるのかを、計算によって決定することは不可能である」

ということです。(ちなみに、その各桁が何であるかを決める数学的根拠を提示することが不可能であるということから、この各桁の並び方をコイン投げの裏表の出方に例え、そのことをもランダムと言う言葉で表しています。)

このように言うとさほど大きな重要性が感じられないかもしれませんが、「Ωがランダム(計算不可能)である」という事のインパクトは実際にはもっと大きく、そこから導かれる帰結にさらに大きな意義があると考えているようです。そのような重要な帰結の一つが、ゲーデルのG命題よりもさらに重要な「絶対的に決定不可能な命題」の提示であり、そのような命題にかかわる方程式を彼は実際に論文で書き下しているようです。

詳しくは(もしまだお読みでなければ)チャイティン氏の著作、「セクシーな数学」や「メタマス!」がお勧めです。アマゾンや楽天でいつでも入手できると思います。

チャイティン氏の理論は「アルゴリズム的情報理論」と呼ばれ、外見上は「コンピュータ・プログラム理論」の体裁ですが、その数学的帰結はいわゆる「証明論」や「超数学」等の数学の根本を扱う分野にそのまま適用することができるとされています。

Ωの定義を普通の言葉で言い直せば、「ある公理系内で無作為に一つの命題を選び出したとき、その命題がその公理系内で決定(証明又は反証)可能である確率」であり、またチャイティン氏の言う「ランダム」とは「計算不可能」、広義には「その命題なり数なりを導出す...続きを読む


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