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江戸時代の教育機関として、藩校や私塾・寺子屋というものがありますが、藩校と寺子屋については何となくわかるのですが、藩校と郷学との違いが良くわかりません。
また、寺子屋と私塾の明確な違いも良くわかりません。このあたりのことに詳しい方、教えてください。よろしくお願いします

A 回答 (2件)

 下のHPに江戸時代の学校について詳しく説明されています。



参考URL:http://wwwwp.mext.go.jp/v100nen/index-17.html
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2002/04/13 23:06

 


  参考URLに示されているように、日本には、古来から、官制の教育機関と民間の教育機関があり、民間の場合、寺院などが、仏教を教えると共に、その他の一般知識も教えていたことになります。足利学校などは古くからありますが、入学者として、庶民も入ることができたとされます。
 
  江戸時代になると、各藩が、自藩の有能な人材を育成しようと、また武士の教養程度を挙げようと、藩立の学校を設けます。江戸幕府も官立学校を設けます。これらの入学者は武士階級で、教授内容は、儒学と武術であったということになります。
 
  他方、伝統的に地域の庶民の教育は寺院などが地元の子弟を集めて行って来たのですが、江戸時代には、寺院以外でも、一般庶民に基本的な読み書き算数などを教える機関が民間で設立されます。対象は庶民の子弟で、江戸時代中期になると、経済の発達もあり、庶民も、読み書きや算数程度は身に付けないと、商業活動などで支障を来すので、特に発達をみたとも云えます。
 
  藩校と郷学の違いは、藩校は、藩が設立した、いわば公立学校で、入学資格は藩の武士階級の子弟ですが、郷学は、半公立学校とも言え、藩校に準じて、藩が認めているもので、入学者は武士や一般庶民で、藩が設立する場合と、庶民や武士が設立し、藩が認めるというような形が多いようです。
 
  寺子屋は、ほぼ純粋に庶民の子弟の基礎教育に当たったもので、経営者や教授者は色々で、大体、現在の小学校・中学校が、民間で造られたというようなものです。これは、社会の発達に応じ、一般庶民も読み書き算数や、その他の色々な教養が必要になった為、需要ができて、それに応じて多数成立したものです。大体、六歳頃から十二歳頃までの庶民の子弟が学びました。
 
  私塾というのは、或る程度知名度のある知識人の先生の元に、教えを請う人がいて、自然発生的に学校のような形になったもので、基本的には、寺子屋と違って、成人が入学する私学です。師=先生がどういうことを専門にしていたかで、私塾で教える内容は色々であった訳で、儒学を教える私塾もあれば、本居宣長の鈴屋のように、本居の国学を教える私塾や、緒方洪庵の適塾のような西欧医学を中心に西欧文化を教える私塾など色々なものがあったと云えるでしょう。
 
  寺子屋は、庶民のための小学校・中学校という感じで、私塾は、特定の師を中心としている私学で、武士・庶民の別なく入学できる、江戸時代の単科大学のような感じでしょう。福沢諭吉の慶応義塾は、後に明治時代の大学にまで延長するはずで、総合大学の祖だとも云えます。
  
  >日本教育史1
  >http://www.nsk-japan.com/kyosai/dts/gts3.html
    

参考URL:http://www.nsk-japan.com/kyosai/dts/gts3.html
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この回答へのお礼

丁寧でわかりやすい説明ありがとうございました。これできちんとまとめることができそうです。お手数かけていただきまして本当にありがとうございます。

お礼日時:2002/04/13 20:15

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