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近江屋事件について。

近江屋事件が発生する以前に、坂本龍馬は土佐藩を脱藩していたはずです。

なのに何故何かあったら助けがすぐに来れる土佐藩邸の前の近江屋に泊まったのでしょうか?

土佐藩士らが助けに来てくれる根拠はどこにあったのか教えてください。

A 回答 (3件)

龍馬の脱藩は、とっくに取り消されてます。


龍馬の海援隊、中岡慎太郎の陸援隊、共に土佐藩から活動費用が出るようになってました。
大政奉還の発案者として、土佐藩の中心メンバーの間では、龍馬は守らなければいけない最重要人物になってます。

越前旅行から帰った直後、居場所が公にされない分、安全と思ってたのでしょう。いざとなったら、裏口から脱走し薩摩藩邸に逃げ込むことが出来るとも考えてたでしょう。土佐より薩摩をあてにしてたはず。
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脱藩はしていたけれども薩長同盟などを成立させた立役者であり、勝海舟のとりなしもあって脱藩は赦免されています。

だから関係は悪くはない。その後は土佐藩から警護役も派遣されていますので土佐藩の中でも重要人物扱いになっていたものと思われます。近江屋は土佐藩の御用商人でもあったことから土佐藩志士の根拠地的な存在、龍馬がここに起居していたのは必然かと思います。
 このあたりが土佐藩士らが助けに来てくれる(期待したかどうかはわからない)根拠でしょうね。
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土佐藩亭からの助けを期待して近江屋に泊まったのではありません。

 近江屋は誓願寺への逃亡も容易な土蔵を構えており、もともと龍馬はその土蔵に滞在していました。 しかし、竜馬は襲撃される3日前から風邪をひき、丁度襲撃の前日に近江屋の二階に移っていたため、不幸にも襲われてしまったのです。
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