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 ふと、「国」「国家」って一体何かなって思いました。

 それはある政府なり公共団体が提供するサービスが届く範囲なのか、それとも法律が
有効な範囲なのか、はたまた単純に国境によって区切られるのか、それとも、文化圏に
よってくぎられるのか。

 何だかとんちんかんな質問かもしれませんが、考えれば考えるほど深みにはまる系統
の命題で、ちょっと、ほかの方のアドバイスがいただきたくて質問してみます。よろし
くお願いします。

A 回答 (4件)

一つの視点です、


国とはあなたに国籍を与えた主体です。
自分の国籍以外の国に行く時に
パスポートを発給してくれます。
あなたが日本国のパスポートを
もって外国に行った時、
最も感謝する主体です。
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この回答へのお礼

 お返事遅れて申し訳ありません。 

 簡潔で明瞭なお答えですね。外国にいったことがないので、なかなか思いつかない所でしたが、
新しい見方ができそうです。

お礼日時:2002/05/01 13:01

  >ふと、「国」「国家」って一体何かなって思いました。



[国]というと意味が広すぎるので狭い意味での[国]で括るなら、[国家]とはある一定の領土とそこに住んでいる住民が、
自分達の領土を治めていくための組織、政治権力を有する政治社会と言えるでしょう。

16世紀以前は洋の東西を問わず勢力範囲が拡大縮小するたびに国境が変化する[力]による[住み分け国家]とも言えるでしょう。
宗教や民族の括りより領土という観点から国境問題がシビアになってきたのは17世紀以降の近代国家以後のように思えます。


  >それはある政府なり公共団体が提供するサービスが届く範囲なのか、それとも法律が有効な範囲なのか、
  >はたまた単純に国境によって区切られるのか、それとも、文化圏によってくぎられるのか。

日本のように海で囲まれた一民族の国家では単純明解ですが、似たような英国でさえアイルランド問題を抱えており、ただ単に
国境線の線引きをしただけでは、民族も言語も文化も違う国内間の見えない国境に悩まされることになります。

いま現在紛争の起きている地域は17世紀以来、殆んど人為的に殖民地や分割統治など複数の[近代国家]のした事の結果です。
アフリカ、印度、東チモールなどは元の宗主国によって同じ地域が分断されたために起きている紛争であり、アフガンも同様です。

イスラエルの場合は特殊で、戦後英国、米国などの後押しで今まで2000年の空白の後、ロレンスが交わしたアラブ人との
約束を反故にして無理矢理1948年に[イスラエル共和国]を成立させたからで、以後イスラエルによる【国家規模のテロ】が
行なわれているのは嘆かわしいことと言えるでしょう。

イスラエル近辺の場合は戦前はイスラム人もユダヤ人も向三軒両隣で仲よく暮らしていたのは周知の事実で、今丁度シャロン首相
のような極右と、提灯持ちのダーティ・ブッシュに振り回されているのは何とも嘆かわしい惨い話と言えます。

我々の隣国、朝鮮半島も忘れてはなりません・・・彼らは同じ言語、民族、文化でありながら米ソ、東西冷戦の生贄になりました。
平常時は外国旅行中でも我々を保護する国家であっても、ねじがゆるみ悪意が支配する時、国家は危険な存在となるでしょう。
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この回答へのお礼

 お返事遅れてもうしわけありません。

 ちょっと難しいかも。あまりニュースを見ないもので、一発でお返事するのが難しいです。
これをもとに勉強してみます。

お礼日時:2002/05/01 12:58

あなたは日本人であることを意識しているだろうか?



大部分の人はしていないはずである。人間は生まれてくるとき自由がない。おぎゃあと泣いた時に、両親も国籍も民族もきまってしまう。好きで日本人に生まれたわけではない。

そもそも国家と個人はどういう関係なのであろう。
国家は民俗学的な視点からいえば、人間が集団を管理する上で必要となりできたものということらしい。ある種の手段だ。しかし人間の集団ができれば自然に慣習や文化が作り出され民族ができる。そして国家という形でまとめていくことになるのであろう。

今アメリカではテロからか愛国心が高まっているという。イスラム系アメリカ人を殺して「断固アメリカを支持する」といった犯人もいたらしい。しかしイスラム系だからといっても国籍をもっていればアメリカ人だ。アメリカは多民族国家なので国家の矛盾がよく表れている。アフリカから奴隷としてきた黒人、亡命してきた元ソ連人(ロシア人)、移住してきた中国人・南アメリカの人々。そしてヨーロッパのさまざまな国から殖民した人。土着のインディアンもいる。これだけの民族で一つの国が作れるということはある意味ですごいことである。
民族はさまざまでも一つの国家が成り立つということだ。

あのテロを見てアメリカ人であることを意識した人々は、早くとも約300年前にアメリカに来た子孫である。もちろんインディアンは違うが、政治・経済の主導権を握っているのが白人系なのでこういえるだろう。そんな300年という短い歴史の中でアメリカ人は作られた。
もともとばらばらの民族である。今でも移民する前の国・文化に誇りをもっていたりする。
なのに「アメリカ人」としての意識が芽生えるのである。
非常に不思議なことだ。

先ほど書いたが、国家は手段なのだ。
これほどまでに違う民族、文化がまとまるということは、統治者がまとめられるよう政治的な支配をしているからである。
つまり、法律によって治安を維持し、行政を執り行っているというこだ。
国家とはそういうものである。

愛国心。なぜ?そのようなものが生まれるのだろうか?個人の思想は自由であるはずである。しかたなく義務的に生まれてきたこの国になぜ誇りを持つようになるのだろうか?
それは年を重ねるごとに余計な知識を身に付けるからである。
学校教育がまずあてはまる。それに運動会になぜ国歌を歌い国旗の掲揚をするのだろう?卒業式もだ。
しかし学校に行かなくても○国人という意識は高まるであろう。
例えば野球場には国旗が掲揚され、戦争の歴史が語られ、王族の話題がニュースになったりする。
大人から「A国は私たちの国を侵略した。」「伝統文化は大切だ」といったことを学んでいくと自分が何人であるか意識するようになるのだ。

しかし実際には、○国人よりも何民族かということを強く意識することになる。国家の前の段階、慣習で集まって結成された人々である。
不思議でである。アメリカは300年でアメリカ人として新しい国民になったのに、2000年も前のユダヤ人とイスラム人の対立はなくならない。
民族は深く人間に根をおろしているのかもしれない。
アメリカでイスラム系住民が殺されたことも、日本でチマチョゴリに嫌がらせすることもそれを証明している。あと1000年たってもこういうことはなくならないのだろうか?

よくよく考えれば、日本も2000年前にはさまざまの小国家が乱立して、その小さな国の国民として働いていたわけである。朝鮮半島も3つに別れていた。でも今は「朝鮮半島を統一を!」とみな願っている。アメリカ人の黒人はアフリカ人なのに、すでにアメリカ人になっている。
不思議である。分かれて対立していたのにいつのまにか同化しているのだ。
しかしイスラエルとパレスチナは2000年の間対立したままだ。ユダヤ人は他の国に逃れてもイスラエルを忘れることはなかった。これは深い信仰のせいだと思う。
しかし民族、文化というものはある程度時間がたつと同化したり、混ざり合ったりしてなくなってしまうものなのである。蛇足だがそこから新しいものが生まれることもある。

そのような民族というものに誇りを持つというのはどうであろう??
過ぎ足れば及ばざるが如し。ユダヤ人の方々には申し訳ないが、そうだと思う。
いつかは変化し、なくなる可能性が高いのだ。1000年、2000年たったら地球は今とぜんぜん違うはずである。民族に誇りを持つことは、現在では意味があるが、もっと長い時間で見ればあまり意味のないことなのである。


すいません私の論文から抜いてきたので、文体が常体で。失礼しましたm(__)m
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この回答へのお礼

 レス遅れて大変申し訳ありません。

 「民族意識」「国家意識」というカタチがつかみづらい物に対する考察、僕の疑問を広めていった
一つの結果みたいなものですね。(僕がここまで論拠だったことができる人間ではないですが。)
 
 政治手腕で国家統一、民族統一と言うと、ちょっとドライだなと思いますが、この視点はなかなか
わかりづらい。到達しづらいです。

 ただ、民族に誇りを持つことがあまり意味がない、と断言なさっているところに、ちょっと意見を
返させていただきます。地球は1000年2000年あとには確かに変わってしまうでしょう。でも
なぜそのことと、民族の誇りが結びつくのでしょうか。「民族の誇り」に固執して、変化に順応でき
ないということでしょうか。

 そう言ったことは、歴史の中に、割とあると思います。捉え方の問題ですが、元寇の時にモンゴル
軍は火薬兵器と集団戦法を駆使して日本に攻撃を仕掛けました。ところが、日本人はこれに対して、
一対一の戦いを挑んだという話を聞いたことがあります。

 新しいものを取り込んで、勝利を収めた人もいます。織田信長です。彼は当時無敵だった武田の
騎馬部隊を、早々に取り入れた鉄砲を用いて撃破しています。

 確かに、変化についていけないと、新しい流れの中からドロップアウトするでしょう。戦後日本
は、その流れにしがみつき、今では最先端になっています。しかし、「新しい流れ」というのは、
一体何なのでしょうか。いや、もっと平たく、「1000年2000年後の変化」とは、一体何で
しょう。新たなテクノロジーが開発、運用されることでしょうか。それとも、環境破壊が進み、シェ
ルターのようなものに住まなくてはならなくなることでしょうか。

 私が思いつくところの「変化」とは、どうも「先進国のわがままの産物」でしかないような気がし
てならないのです。そんなわがままに付き合うために自分の誇りある文化を捨ててしまうというのは、
なかなか難しいことだと思います。

 

お礼日時:2002/04/30 08:49

 国の定義は、国土があること、国民がいること、主権が存在すること、だったと思います。

国というと大きくなりますので、自分の住んでいる市町村、又は、もっと小さな単位で自分の町内会を例にして考えた場合、何を基準にして区分がされたかといえば、近所が集まって一定程度の範囲で町内会を形成しいてるでしょうし、その範囲や町内会の名称は過去の経緯を経て決められたものでしょう。

 サービスが届く範囲、法律が及ぶ範囲で国を定めたのではなくて、国土の範囲が決まっていてそこに住んでする人々の政治、経済、文化、などを確立するために法律を作り、サービスが提供されてきたのだと思います。当然、人々の暮らしの中から文化が生まれたのだと思います。

 日本は「島国」ですので、国土に対する意識というのはあまりなく、海までが国土であるという感覚ですが、諸外国では隣町が外国という感じです。歴史的には、紛争や宗教的な背景など様々な要因があって、国が形成されて国家となったのだと思います。
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この回答へのお礼

 レスが遅れて大変申し訳ありません。

 >国の定義は、国土があること、国民がいること、主権が存在すること

 「主権が存在する」というのは、こうやって指摘されるまで考えもしませんでした。我々が「日本人」と言えるのは、
日本が一つの主権ある国家だからですね。

 >サービスが届く範囲、法律が及ぶ範囲で国を定めたのではなくて、国土の範囲が決まっていてそこに住んでする人々の政治、経済、文化、などを確立するために法律を作り、サービスが提供されてきた

 まず、国家がないと、法律や文化は生まれませんものね。

 >日本は「島国」ですので、国土に対する意識というのはあまりなく、海までが国土であるという感覚ですが、諸外国では隣町が外国という感じです。歴史的には、紛争や宗教的な背景など様々な要因があって、国が形成されて国家となったのだと思います。

 この辺の所は、もう一度歴史を見直してみようと思います。世界史は中学でやって以来、
高校ではかじる程度しかやっていないので、苦労しそうですが。

お礼日時:2002/04/30 08:25

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