一回も披露したことのない豆知識

伝教大師と弘法大師では、どちらがどの様に優位なのでしょうか?

A 回答 (4件)

[宗祖伝教を挫いて、弘法の真言を用いているのですから、弘法の何処が勝れているのかをお聞きしたいのです。

]
詳しくということですか。
仏教には2つの側面があるのです。1つ目は「上求菩提」、つまり悟りを求めて仏陀に近づきたいという面、もうひとつは「下化衆生」つまり限りない人々を救っていきたいという面、この両面性が仏教そのものなのです。キリスト教は救済面が強いので救済宗教、仏教はそれに比較して悟りの面があるので悟りの宗教とも呼ばれるゆえんです。さてこういうと伝教と弘法の違いが、わかるかもしれませんね。つまり、弘法は、悟りの面を追及したんですね。般若心経は、釈尊が弟子の解空(げくう)第一のシャーリプトラに観自在菩薩の境地に達したときの有様を話しているものです。悟りを教義の第一にしているわけです。一方、伝教が持ち帰った法華経は、釈尊晩年の教えですね。釈尊が実は久遠仏であり何度も転生して人々を救っているという存在であるということを明らかにしたお経ですね。つまり、救済仏の側面を強く出しているお経なんですね。だから法華経を基礎としてあまたの救済宗教ができてきたこともうなずけるでしょう。また、仏道者は悟りの道を究めたいと望むのは当然で、ゆえに仏道の悟りについて伝教が弘法に教え請うたこは理解されるでしょう。弘法は、悟りを求めるだけでなく、教育や香川県の満濃の池の構築などをつうじで救済活動をたくさんしてますね。簡単な説明ですが、つまり高野山も叡山もどちらも仏教なんですね。「上求菩提・下化衆生」のどちらの側面が強いかというだけなんですね。当然、仏道修行者はこの両面をバランスよく学んでいかないといけないので、少し優柔不断に見えるということなんです。でも本当は、仏教はそれほど高度な宗教なんですね。仏陀は、これしかないということは説かなかったんですね、だから仏道修行者は大変なんですよ。
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この回答へのお礼

あけまして、おめでとうございます。
再度のご回答、ありがとうございます。

釈尊は、「法華経」の中で、「妙法蓮華経を弘めよ」と明確に説いていると思います。
また、法華経以前の教えは、衆生を法華経に導く為の教えであると言われています。
伝教の時代には、他宗との法論対決もあり、法華第一とされた「天台」の教義が、真言を用い、阿弥陀を唱え、仏像を拝しているように変わってしまっています。
宗祖伝教の本来の意図から、天台は大きく違ってしまっています。

今の天台の存在意義はあるのでしょうか?
ダダの悪法を説く、一教団に過ぎないと思うのですが?

お礼日時:2007/01/14 08:38

世間では、


般若心経がいいとか法華経がいいとかいろいろ言われていますが、
わかりません。心の問題ですから。

一般に、天台宗はその後権力と結びついたと言われていますが、
高野山にも多くの、実力者の墓があるようですよ。

ここで、知識を、再確認しておきます。
真言宗―空海―高野山―金剛峰寺、全国に布教跡あり。
天台宗―最澄―比叡山―延暦寺、有名僧が学んだ。
(記憶法)「真空パックの高野豆腐は金がかかって、天才もひぇー」

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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

単に、「心の問題」と捉え、教義の識別さえ曖昧にしてしまうのは、それだけ、この国は「仏教」という事に関して、無関心もしくは社会的教育レベルが、相当低い国なのですね。

何を根本として、人生を歩むのかを明確に出来ていない、そういった国だから、様々な悲惨な事件や事故が耐えないのではないでしょうか。

お礼日時:2006/12/28 08:43

「伝教大師と弘法大師では、どちらがどの様に優位なのでしょうか?」


仏教では悟りの階梯を示す序列は厳然としてありますよ。みんな一緒ということはないのですね。だから努力が必要なんですね。努力即幸福ということですね。
さて、弘法大師は三蜜を得たと言っているのですから如来の悟りを得ていたのでしょう。
伝教大師は、法華経を持ち帰ったのですから立派ですが、法華経の意味まではわからなかったのでしょうね。
法華経の中の久遠仏は三蜜を得ないと判らないでしょうしね。そういう意味においては、弘法大師が明瞭に伝教大師より悟りの上位にいたといえますね。
開祖の序列がどうであれ、伝教大師が開いた叡山はその後数々の高名な僧を輩出し、その意味では高野山に勝ってますね。
名選手必ずしも名監督になり得ずの例え通りですね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

あくまでも、仏教上の教義の上での優劣で、具体的にはどの様に優位なのかをお伺いしたいのですが。
本来、「法華経」を基に叡山を築いた伝教ですが、その後この寺は弘法の真言を取入れ、密教化していきます。
その後、天台の阿弥陀を用いて、浄土を唱えるようにもなって行きます。

この様に、一宗が宗祖滅後、ころころと適当に変わって行ってしまう事に疑問があるのです。宗祖伝教を挫いて、弘法の真言を用いているのですから、弘法の何処が勝れているのかをお聞きしたいのです。

お礼日時:2006/12/28 08:34

優位を決める事は、できないと思います。


 同じ仏教が発祥とはいえ、最澄は法華経、空海は密教であり宗派が異なります。故に、同じ比較要素を拾い上げる事が難しく優位を決められないと思います。

 それぞれの宗派に関係する方々は、自分が属する側を優位と仰るでしょう。

 宗派に利権や民族が絡むとイスラム教のような宗派間の争いが延々と続くのだと思います。

 幸いにも日本人は宗派の優劣について明言する方が少ないので争いが生まれていないのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

今では少なくなっているのでしょうが、古来よりディベート的な事が行われていたと聞きます。
そこで、物事の「高低浅深」を争ったと聞きます。
「争う」といっても、暴力・戦争の意味ではなく、あくまでも仏教の学問においての競技のようなものだと聞いています。

お礼日時:2006/12/28 08:24

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