浄土真宗系のお寺での帰敬式(お髪剃り)の際に僧侶の方が唱えられる
『流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者』という短い偈文の意味を
ご存知の方 いらっしゃいましたらお教えください 宜しくお願いします

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A 回答 (1件)

三界の中に流転して


恩愛断つことあたわずとも
恩を棄て無為に入るならば
真実に恩に報いる者なり
(「清信士度人経」四分律行事鈔・巻下四)

迷いの世界を輪廻している間は、恩愛を断ち切ることは難しい。しかし、思い切ってそれらを棄て、仏門に入ることは、真実に恩に応えることになるのだ。
つまりこの娑婆世界を生きていくには、親の恩や肉親の愛情など、どうしても絶つことのできない絆やしがらみがあります。でもその絶ちがたい恩愛を棄てて、「無為」に入るのが真実の「報恩者」だというのです。
つまり、出家して仏弟子として仏道を歩む宣言ですね
    • good
    • 2
この回答へのお礼

 amida3様 ご丁寧にご回答を賜りましてありがとうございました
これでやっとお得度を受けて以来の疑問が解決いたしました
また、出典までご案内下さいましてありがとうございます
これを機に、さらに精進してまいりたいと思います
まずはお礼まで 合掌

お礼日時:2001/05/02 00:45

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Q浄土真宗の新盆の迎え方について

昨年秋、母が亡くなりました。
当然、今年は新盆を迎えるのですが、私の家は浄土真宗です。ネットなどで調べたところ、浄土真宗ではお盆に特別なことをしない(霊魂が帰ってくると言う考え方はない)ようですが、新盆にも当てはまるのでしょうか?
なぜこれで悩むかと言うと、私は早くに父を亡くし母と二人暮しでしたが、お盆には迎え火と送り火を焚きお飾りをし、という日本のごく普通のお盆の迎え方をしていました。ただ、菩提寺は現住所の他県にあって遠いため、お坊さんをお呼びしてお経を上げてもらったり、お墓参りはしていませんでした(数年に1度くらいは行ってましたが)。
父が亡くなったのは私が小学生のときでしたが、白いお盆ちょうちんを飾ったのは覚えてるんですが、それ以外の記憶はないんです。
母が亡くなったときは菩提寺がない状態でこちらにお墓を買っていたので、葬儀屋さんの紹介で葬儀の時にお世話になった住職さんに49日まではお世話になりました。実はその方から法要についての冊子をもらってあったんですが見つかりません。
お盆のときの作法はどうなのか、そもそもお坊さんには来てもらうのか、もう細かいところから全くわかりません。どなたか詳しい方がおられたら、教えていただけないでしょうか。
ちなみに、私の住所では7月にお盆を行うのが慣習のようですが、うちでは8月にやっていました。私の仕事の関係で、母の初盆も8月にしようと思っています。
よろしくお願いします。
また、文面中もし失礼なところがあったらご容赦ください。

昨年秋、母が亡くなりました。
当然、今年は新盆を迎えるのですが、私の家は浄土真宗です。ネットなどで調べたところ、浄土真宗ではお盆に特別なことをしない(霊魂が帰ってくると言う考え方はない)ようですが、新盆にも当てはまるのでしょうか?
なぜこれで悩むかと言うと、私は早くに父を亡くし母と二人暮しでしたが、お盆には迎え火と送り火を焚きお飾りをし、という日本のごく普通のお盆の迎え方をしていました。ただ、菩提寺は現住所の他県にあって遠いため、お坊さんをお呼びしてお経を上げてもらったり、...続きを読む

Aベストアンサー

自己紹介欄にあるように、浄土真宗の坊さんです(^○^)

>新盆にも当てはまるのでしょうか?

そのとおりです。お盆という行事は仏教のものではなく(他の仏教国にはそのような行事が無い)、中国経由で仏教が伝わる際に、シルクロードを通って伝わった他の宗教行事とミックスして、日本で独自に発展したもので、仏教の心を味わうには伝統的な意味で必要な行事でありますが、霊魂が帰ってくると言う考え方は仏教には無いので、浄土真宗ではそのような考え方につながるお盆での特別なことはいたしません。新盆でも同じことです。
なお、お盆の行事は、宗教行事というよりも地方独自の民族行事ともなっておりますので、日本全国一律の作法があるのではなく、地方ごとに、その土地の特産物などを取り入れた独自の飾りつけも残っています。その中には、浄土真宗では行わないことになっている提灯や灯籠等もありますが、迎え火や送り火は全国的に浄土真宗では行っていません。

なお、お母さまがご往生の際にご縁のお寺があるようですが、冊子等は、再度申し出ればすぐにいただけると思います。気にせずに「見つからないので・・・ください」と言えば良いのです。そのためのお寺です。

>そもそもお坊さんには来てもらうのか、
来てもらうか、来てもらわないかは、亡きお母様のご往生には関係がありません。したがって、亡きお母様にとって、どちらもプラスとかマイナスとかではないので、ご自身にとって、どのように新盆を迎えるのが良いかでご判断ください。自宅に呼ぶのも良し、よばないのも良し、本山や別院のお盆法要に参加するのでも良し・・・何でも良しです。
浄土真宗は、「ああしなければいけない」とか「高しなければダメ」ということは少ないです。ただ、他宗と比べると、「する必要が無いからやらない」ということが多いだけです。
合掌

自己紹介欄にあるように、浄土真宗の坊さんです(^○^)

>新盆にも当てはまるのでしょうか?

そのとおりです。お盆という行事は仏教のものではなく(他の仏教国にはそのような行事が無い)、中国経由で仏教が伝わる際に、シルクロードを通って伝わった他の宗教行事とミックスして、日本で独自に発展したもので、仏教の心を味わうには伝統的な意味で必要な行事でありますが、霊魂が帰ってくると言う考え方は仏教には無いので、浄土真宗ではそのような考え方につながるお盆での特別なことはいたしません。新盆でも...続きを読む

Qお通夜やお葬式で読まれるお経について(浄土宗)

先日大切な祖母が亡くなったのですが、お通夜やお葬式の時のお経について興味があり質問させていただきます。

以前、般若心経の現代語訳の本を読んで以来、その意味に感銘を受けすっかり虜になってしまいました。
そこで、祖母のお通夜とお葬式でも読経されるのかな?と思い注意深く聞いていたのですが、お焼香をしたり祖母との思い出を思い出したりしているうちにすっかり忘れてしまいました(笑)

調べてみたところ、般若心経は宗派もあまり関係なくあげられるとありましたので、もしかしたら読まれていたのかもしれないと思ったら気になってしまいました。

我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?

祖母は私にとって大事な存在でしたので、その祖母にどのような言葉が贈られた(?)のだろうかと気になったもので、
般若心経だけでなく、他のお経の意味についてもこれから勉強したいと思い質問させていただきました。

初歩的な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>>我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?
ありますよ。差定(さじょう)といって基本的な作法・よむべきお経は決まっています。ただ地方や、寺院によって若干違いがあります。
 では基本的なものをご紹介します。

・通夜差定
1、香偈(こうげ)
我が心身を清らかにしたまえと念じ、香をたいて全ての世界時代の仏様に帰依し供養するという意味で、最初に読みます。
2、三宝礼(さんぼうらい)
佛(仏様)・法(仏教)・僧(僧侶を中心とした人々の集まり)という三つの宝を敬い帰依することをたたえる偈文。
3、三奉請(さんぶじょう)
一に阿弥陀さま、二にお釈迦さま、三にその他十方の仏さまがたをお招きする文です。
4、懺悔偈(さんげげ)←ざんげとはよみません。
自分自身が作った罪の全てを仏様の前で懺悔(さんげ)するためにお念仏する前にとなる偈文。
(十念・十回お念仏を声に出して称える。)
5、一尊哀愍(いっそんあいみん)
香偈の一種と思っていただければよいかと思います。
6、開経偈(かいきょうげ)
なかなかめぐり合えないお釈迦様の教えに人間に生まれてやっと出会えた喜びはなんいにもかえがたい。というような意味のお経をよむ前に称える偈文。
(焼香)
7、真身観文(しんじんかんもん)
浄土三部経のなかの『観無量寿経』のなかにとかれている、阿弥陀佛の姿を心の中で念じ観るという部分。
8、回向(えこう)
今まで積んだ功徳や善根を亡くなった故人に振り向ける。
9、降魔偈(ごうまげ)
仏教は煩悩を断ずるための教えであって、それは悪魔を切るの剣のようなもので、「南無阿弥陀佛」の念仏はどのような愚かな者であったとしても罪を滅ぼし浄土において煩悩を断ずることができるという、徳をたたえる偈文。在家のなくなった方に用いる偈文。
(十念)
10、摂益文(しょうやくもん)
『観無量寿経』の「光明徧照(こうみょうへんじょう) 十方世界(じっぽうせかい) 念仏衆生(ねんぶつしゅじょう) 摂取不捨(せっしゅふしゃ)」という文で、阿弥陀仏の光は全ての人に分け隔てなく注がれているが、南無阿弥陀佛と念仏する者は全てを受け入れられ捨てられることはない。という意味です。
11、念仏一会(ねんぶついちえ)
念仏の数の多少にかかわらずお念仏に出会い、お称えすること。
12、通夜回向(つやえこう)
お通夜読経や念仏の功徳を故人に振り向ける。
13、総回向偈(そうえこうげ)
全てのことを振り向けるための偈文。
14、同唱十念(どうしょうじゅうねん)
通夜に出席した人とともに、十回お念仏を称える。
15、総願偈(そうがんげ)
仏教の悟りを志す人たちが誓うべき四弘誓願の意味を表す偈文。

・葬儀差定
1、四奉請(しぶじょう)
三奉請の一に阿弥陀さま、二にお釈迦さま、三にその他全ての世界の仏に、四つに観音菩薩・勢至菩薩や全ての菩薩お招きする文。
2、懺悔偈
上記通夜4の通りです。
(十念)
3、根本陀羅尼(こんぽんだらに)
ノウボウアラタンノウタラヤーヤー ノウマクアリャミターバーヤー タタギャタヤアラカテイ サンミャクサンボダヤ タニャタオンアミリテイ アミリトウドハンベイ アミリタサンバンベイ アミリタギャラベイ アミリタシッデイ アミリタテイセイ アミリタビキランデイ アミリタビキランダギャミネイ アミリタギャギャノウキチキャレイ アミリタドンドビソバレイ サラバアラタサダニエイ サラバキャラマキレイシャキシャヨウギャレイ ソワカ
という、阿弥陀佛を讃える言葉をサンスクリット語という古代インド語で読むものです。
4、本誓偈(ほんぜいげ)
真実だ物が立てた本願の要旨は全ての人々を極楽往生させることで、阿弥陀佛の心にかなうためには念仏し速やかに極楽往生し、不退転の位に住すことであるという偈文。
(十念)
5、歎佛偈(たんぶつげ)
『勝鬘経』の一節で、仏の体も智慧も全てすばらしいものであると称賛する偈文。
6、下炬(あご)
導師がたいまつをもって引導を渡すこと。
(十念)
7、開経偈
上記通夜6の通りです。
(焼香)
8、歎佛頌(たんぶつじゅ)
『無量寿経』上に、阿弥陀佛が仏になる前の法蔵菩薩という菩薩であった頃、師匠である世自在王佛を賛嘆した偈文。
9、摂益文
上記通夜10の通りです
10、念仏一会
上記通夜11の通りです。
11、回向
上記通夜12の通りです。
12、総回向偈
上記通夜13の通りです。
13、同唱十念
上記通夜14の通りです。
14総願偈、
上記通夜15の通りです。

です。ですから、
>>祖母のお通夜とお葬式でも読経されるのかな?
とご質問の中にありますが、通夜葬儀ではよまれていません。
 浄土宗は基本的に南無阿弥陀佛の念仏を称えて阿弥陀佛の他力によって極楽に往生させてもらうという教えですから、自力修行によって「空」という境地を体得していくための『般若心経』は中心としてよむお経ではありません。ですから、浄土宗の流れを組む浄土真宗では、『般若心経』は一切よみません。あくまで、浄土宗でよまれる『般若心経』も補助的な意味で読まれるものです。
 浄土宗で中心としてよむお経は「浄土三部経」とよばれる三つのお経です。それは『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つです。この三つのお経は、『妙法蓮華経(法華経)』や『般若心経』と並んでメジャーなものですから、現代語訳や解説書はかなり出ていますから書店でも探しやすいものであると思います。

>>祖母は私にとって大事な存在でしたので、その祖母にどのような言葉が贈られた(?)のだろうかと気になったもので、
浄土宗や浄土真宗・時宗と言った浄土教と呼ばれる仏教には、還相回向(げんそうえこう)という考えがあって、亡くなったかたは仏様になっていつでも私たちの隣にいて見守り導こうとしてくださるといいます。
たしかに、通夜葬儀はなくなった方のためであるかもしれません。けれども、仏教の本当の目的は私たち生きている人間がどのように生きていくかです。ですから、通夜葬儀のお経はは亡くなった故人が「私たちに向って」送ってくださった「このように生きていきなさい」というメッセージであるかもしれませんよ。
 
>>般若心経だけでなく、他のお経の意味についてもこれから勉強したいと思い質問させていただきました。
 非常にすばらしいことです。浄土三部経の一つ『阿弥陀経』のなかには「倶会一処(うえいっしょ)」阿弥陀仏の極楽浄土を目指して念仏を称えるものは、今一度極楽浄土で会うことが約束されているという意味です。ですから、浄土宗の通夜葬儀はさようならする会ではなく、極楽浄土で今一度会う再会の喜ぶを分かちあくことを約束する会なのです。だからこそ、自分自身がしっかりお念仏を声に出すことで阿弥陀仏とまたは故人と一生懸命生き抜いて後亡くなっと時には極楽浄土に向うことを約束することで、故人も「また会えるのか嬉しいんぁ」と安心して極楽に向うことができるのです。
 浄土三部経の中には『般若心経』とはまた違った仏教の味わいが書かれています。仏教は味わいがいのある宗教であり、味わいがいのある哲学でもあります。いろいろ興味深いことがたくさん出てくると思います。

長々書き連ねましたが、まとまらない稚文のため文意を読み取っていただきたく思います。至らないところがあれば、続けて回答させていただきます。
合掌 南無阿弥陀佛

>>我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?
ありますよ。差定(さじょう)といって基本的な作法・よむべきお経は決まっています。ただ地方や、寺院によって若干違いがあります。
 では基本的なものをご紹介します。

・通夜差定
1、香偈(こうげ)
我が心身を清らかにしたまえと念じ、香をたいて全ての世界時代の仏様に帰依し供養するという意味で、最初に読みます。
2、三宝礼(さんぼうらい)
佛(仏様)・法(仏教)・僧(...続きを読む

Q和讃について(浄土真宗本願寺派)

最近になって、毎日までとはいきませんが、祖父母の月命日を
中心として正信偈だけをあげております。
(以前、こちらで教えて頂いた浄土真宗本願寺派CDを参考に)

 そこで改めて詳しい方にお尋ねしたいのですが、日常の家庭での
勤行というのはどこまで読経すればいいのでしょうか?
正信偈+和讃6首+回向でいいのでしょうか?

 それと、一つ分からないことがあるのですが、ネットで調べると
和讃6首を読むとありますが、これは「浄土真宗 聖典 勤行集」でいうと
「念仏和讃」のことを指すのでしょうか?
 それとも『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』も含めた中から適当に
あるいは順番に6個ずつ読んでいくという意味でしょうか?


(少し前に知人のお母さんが亡くなった時、お通夜が始まる前に
近所の方で正信偈を読経していたのに感動(?)し、
現在、手探りながら自分の家の宗派の作法を覚えたいと思っております。
私ももうすぐ30歳。地域の仏事に参加することもあるでしょうし、
なにより、子どもも一緒に仏壇の前に座って手を合わせる様な
家庭にしたいと思います。(今はお供えのお下がり目当てですが...)
父母に聞いても詳しくないので浄土真宗本願寺派の
作法に詳しい方アドバイスお願い致します)

最近になって、毎日までとはいきませんが、祖父母の月命日を
中心として正信偈だけをあげております。
(以前、こちらで教えて頂いた浄土真宗本願寺派CDを参考に)

 そこで改めて詳しい方にお尋ねしたいのですが、日常の家庭での
勤行というのはどこまで読経すればいいのでしょうか?
正信偈+和讃6首+回向でいいのでしょうか?

 それと、一つ分からないことがあるのですが、ネットで調べると
和讃6首を読むとありますが、これは「浄土真宗 聖典 勤行集」でいうと
「念仏和讃」のことを指すの...続きを読む

Aベストアンサー

日常勤行としてのお勤めは、正信偈念仏和讃草譜六首引です。正信偈(正信念仏偈)のお勤め方法は、日常の「草譜」と月命日等大事なときにお勤めする「行譜」、そして本山のみ御正忌報恩講の際のみの「真譜」が(他にも葬場用とか第二種とか)ありますが、通常の勤行聖典には、草譜と行譜が載っています。そして、六首引についてですが、(勤行聖典は市販本も含めれば何十種類もありどれをお持ちかが不明ですが題名から濃紺の本願寺出版のものと思います。)日常の勤行の際の和讃は一般には、三帖和讃(『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』)のうち、浄土和讃の最初から6首、つまり「弥陀成仏のこのかたは・・・」から6首でお勤めします。ただ、小本和讃をお持ちの方は(且つ和讃すべての節を読める方は)、本山や別院、寺院の晨朝勤行と同様に三帖和讃を順番に繰り読みして(一部用いない和讃もあります)お勤めします。
いずれも勤行とは、『正信偈・念仏・和讃六首・回向』と回向(願以此巧徳・・・)までです。
和讃の節を表す記号(「はかせ(博士)」といいます。)が読めれば、勤行集で小さく掲載された三帖和讃の初重、二重、三重の和讃も区別が付くと思いますが相当練習しませんとすべては読めません。まず、新米の坊さん等でも読めませんので、繰り読みにはきちんとした勤式を習得した僧侶からの直接指導や繰り読みをしている寺院の晨朝勤行に参加しての練習が必要でしょう。
まずは、所属寺住職にお尋ねください。
また、参考に下記URLもお読みください。合掌

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_08_02.html

日常勤行としてのお勤めは、正信偈念仏和讃草譜六首引です。正信偈(正信念仏偈)のお勤め方法は、日常の「草譜」と月命日等大事なときにお勤めする「行譜」、そして本山のみ御正忌報恩講の際のみの「真譜」が(他にも葬場用とか第二種とか)ありますが、通常の勤行聖典には、草譜と行譜が載っています。そして、六首引についてですが、(勤行聖典は市販本も含めれば何十種類もありどれをお持ちかが不明ですが題名から濃紺の本願寺出版のものと思います。)日常の勤行の際の和讃は一般には、三帖和讃(『浄土和讃...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q仏教の宗派、特に浄土真宗について

仏教の宗派、特に浄土真宗について
お詳しい方がおられましたらご回答お願いします。
仕事上、宗教に関わることが多くあります。
浄土真宗に大谷派・本願寺派がありますが
以前、大谷派のご住職に墓石に年齢は寿算と刻み、
才ではなく歳と入れると伺いました。
この点について大谷派と本願寺派では違いはあるのでしょうか。
その他大谷派・本願寺派での違いがあれば教えて下さい。

Aベストアンサー

お尋ねの点については、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)に違いはありません。

「歳」と「才」については、「歳」が正しいのです。宗派に関係がありません。

「才」は、「才能」「天才」「文才」など、能力、資質、智恵を意味する語(文字)であり、年を意味する「歳」とは別の文字です。
「歳」の略字でもありません。
年齢に「才」を使用するのは誤用であり、公用文では認められていません。

「寿算」については、
「壽、寿」は、一文字で「ことほぐ・ことほぎ」と読み、めでたい文字であり、また、長命のほか、「年・歳」の意味があります。

したがって、長命といわれるほど(その基準は相対的、感覚的なもの)長生きをして亡くなった場合、ある地方、あるいはある地域の慣習により「壽算」と刻しているようです。

以上で解るように、「壽算」は、縁起かつぎ、迷信、俗信、俗説を排除している浄土真宗のみ教えそのものにそぐわないので、本来「壽算」とは刻しません。

「法名 釈□□  俗名○○  何歳」で十分です。「享年 何歳」と刻したり、書いたりする人もありますが、「享年」と刻さなくても、墓石に「何歳と」あれば享年に決まっているので重複を避けるのです。
しかし、刻してはいけないということではありません。

質問にはありませんが、付け加えて申し上げますと、墓石柱には「南無阿弥陀佛」又は「倶会一処」と刻し、家名や家紋は、その根方(多くは左右花立の間の香炉)の前面に刻します。

お寺さんと石屋さんは、何代にもわたってのお付き合いがあり、余程教義と異なったことをしない限り、お互いに不愉快な思いをしたくないとの配慮から、細かいことは言わないので、長い間には少しずつズレが生じているようです。

また、依頼者も世間の流行や風潮に迎合したり、なぜかお寺さんに相談をせず、石屋さん任せにする人が多いようですが、余程のことがない限り、黙認をされているお寺さんもあるようです。

お尋ねの点については、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)に違いはありません。

「歳」と「才」については、「歳」が正しいのです。宗派に関係がありません。

「才」は、「才能」「天才」「文才」など、能力、資質、智恵を意味する語(文字)であり、年を意味する「歳」とは別の文字です。
「歳」の略字でもありません。
年齢に「才」を使用するのは誤用であり、公用文では認められていません。

「寿算」については、
「壽、寿」は、一文字で「ことほぐ・ことほぎ」と読み、めでたい文字であり、また、...続きを読む

Q「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。

「諸行無常」と「諸法無我」の違いを教えてください。
自分なりに調べてみたのですが「諸行無常」と「諸法無我」の意味や違いが理解できません。できれば具体例をまじえながら説明していただければ幸いです。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版
悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるものにあまりこだわりを持つな、地上のものに執着を持つな、ということ。

・諸法無我

これも諸行無常と同じく、地上のものに執着を持つなという教えですが、これは、空間論です。
時間論で、「一切のものが変転していく」ことをとらえているとすれば、こちらは、「一切のものは実在ではない。すべてのものは夢幻の世界である」
という空間の教え、思想です。

この両者いずれも、この世的、3次元的な視点ではなく、あの世からこの世を見たときの視点です。なので、特に後者の思想は、悟りを得ないと解りにくいと思えます。
たとえていえば、この世は舞台劇であり、実在する建物と思っているのははりぼての舞台セット。
出演者はそれぞれの役柄を演じているが、舞台を降りたら(あの世に戻ったら)本来の自分に戻る。
だから、自分が舞台上の役で持っている地位や財産にあまり執着して生きるな、ということですね。
さらにいえば、舞台を降りたら(死んだら)すべてが無になるというのは誤りであり、役者の顔を脱ぎ去った、本来の自分が生きている「死後の世界」に戻っていくので、舞台上のことに執着するなということでもあります。

ちなみに、もうひとつ「涅槃寂静」があり、この3つを三宝印といって、仏教の教えの基本とされています。

・涅槃寂静

時間・空間、そのすべてにおいて、固定的なものは何もない、恒常なるものは何も無い。そのなかで、現にここに存在し、修行をしている私は、いったい何であろうか?という問いを追求し、そして永遠の実相なるものをつかみとってゆく、そこに涅槃寂静の境地が開けてくる・・・。

そして、これらの思想は、無我、空の悟りに通じていくものです。

沈黙の仏陀/大川隆法/幸福の科学出版
悟りの挑戦(下)/大川隆法/幸福の科学出版

を参考にしていうと

・諸行無常

これは別に悟りを得てなくても、誰もが理解しやすいと思えます。
頑張って一戸建てを建てたり、マンションを買っても時間の流れとともに朽ちてゆき、いずれ建て直ししないとダメになります。
美しく咲いた花でも、しばらくすれば枯れて散る。
70年代に、日本中のアイドルで笑顔の可愛い女性タレントも、今では中年太りのおばさんという方もいる。
これは時間論です。
そして、いまあるもの...続きを読む

Q三歸依文と開経偈の出典について

以下の三帰依文と開経偈の出典をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

三帰依文は阿含経典を探してみたところ、似ているものは見つかるのですが、このままずばりの箇所が見つかりません、宜しくお願いします。

人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつる。

開経偈は全くどこにあるのか見つかりません。ご存知の方よろしくお願いします。

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

Aベストアンサー

 質問に記述されている「三帰依文」は,大内青巒が,法句経・華厳経・法華経の経文を組み合わせたものだそうです。
 
 大内青巒は,明治時代の仏教学者で,浄土真宗本願寺派21世大谷光尊の侍講(スーパーアドバイザー)を務めました。また,曹洞宗が在家教化に用いている「修証義」の原型を編纂しました。
 東洋大学の学長も務められました。
 
 開経偈については,わかりません。

参考URL:http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_158.htm

Q立正佼成会の彼女の裏の姿が気になります

結婚を考えている彼女から最近カミングアウトされたのですが、立正佼成会という新興宗教に実家ぐるみで加入?しているそうなのです。「宗教」と聞いただけでやや偏見を持ってしまうのはどうかと思いますが、やはり引っかかります。
このサイトでも同じような質問をされている方がたくさんいるようですが、とても参考になります。今回私が皆さんに教えていただきたいのは、立正佼成会の会員とそうでない無宗教の人との違いです。
具体的にどのような行事があり、どのような慣習ややらなければばらないことがあるのでしょうか。「団参」とはなんですか?また、宗教によっては禁止とされる行為もあると聞きます。
立正佼成会にそのような禁止事項があるものですか?
親切な方、ご回答願います。

Aベストアンサー

佼成会会員の娘です。
わたしは、信者ではありませんが、成人するまでは、親の監督下ですので、
教団と深く関わっていました。

まず、ひとつ言って置かなければならないのは、
たとえ宗教団体でも人の集まりです。仏様を敬っていても、ふつうの人間です。
諍いを起こしたり、間違いを起こしてしまう人もいれば、
思いやりを持って、誠実に仏に学ぼうという人もいます。

つまり、平たく言うと、佼成会は、「仏教サークル」です。
「カラオケ」が好きな人が集まれば、「カラオケサークル」ですが、
「仏教の教えと庭野さんの考えが良いと思う人のサークル」です。
サークルなので、合宿(団参)や勉強会もあれば、お茶会や座談会・お祭り・ボランティア活動(ユニセフ街頭募金など)もあります。

カラオケサークルには、ロックを狂信している人もいれば、ただ歌うのが好きな人もいるように、
「個人の解釈で、教えの受け取り方も、人への勧め方も様々です」

「ただ拝めば良いことがある」という人もいれば、「良いことをすれば、徳がつまれて良いことがある」と思う人もいれば、「人に会うことが好きだから通っている」という人もいるし、「悩みを聞いてくれる人がほしい」という人もいます。また、「本当に自分の成長を目的にしている人」もいます。そして、一部に「コレは絶対であるから、人に勧めることこそ善行である、と信じて疑わない人」も当然、巨大な教団には現れてしまうのは事実です。
でも、それを不快だと思った時には、話せば本人に戒めてくれる人も、
教団にはちゃんといます。
だから、ひとつの教団と言っても、多くの人の集まりであることは忘れないで下さい。
彼女がどのような人か、見極めるのは質問者様自身です。

それと、家族が誘われることがありますが、断ることは自由です。
ご自身が信仰されないかは、ご自身と彼女の問題です。
彼女が強要しない方なら、何の問題もありません。
もし、自宅で、彼女が他の方とお供養をしたいという時は、家に居なくてもよいのです。
ちなみにわたしは、人様に自分の先祖を供養してもらっているので、
せめて同席しようと、郷に入れば郷に従えで、その場だけ読経しますが、
普段は関わりはありませんし、会員の皆さんにも、
「わたしは、宇宙の壮大な力に敬意と信仰心は持ちますが、無宗教です」と宣言して、
その立場で、お話ししています。

この関係を築くにはわたしの場合、紆余曲折ありましたが、
時間をかければ、きっと相互理解も出来ます。

最後に、わたしが、この教団と関わりができたことで得たことは、
自分の考え方の前向きさです。
信者ではないですが、そういう教えを受けていた母に育てられたので、
考え方がシンプルで、他の考え方に柔軟になれた気がします。

佼成会会員の娘です。
わたしは、信者ではありませんが、成人するまでは、親の監督下ですので、
教団と深く関わっていました。

まず、ひとつ言って置かなければならないのは、
たとえ宗教団体でも人の集まりです。仏様を敬っていても、ふつうの人間です。
諍いを起こしたり、間違いを起こしてしまう人もいれば、
思いやりを持って、誠実に仏に学ぼうという人もいます。

つまり、平たく言うと、佼成会は、「仏教サークル」です。
「カラオケ」が好きな人が集まれば、「カラオケサークル」ですが、
「仏教の教えと...続きを読む

Q浄土真宗ではなぜ正信偈をいちばん大切にするのですか

我が家は浄土真宗です。毎朝お経をあげてゐます。CDで再生するといふ方法を採用してゐますので、その間に別の用事をすることができて、きはめて効率的です。

日本佛教の他の宗派では、『般若心経』『法華経』など、外国の経典を第一とするものが多いと思ひますが、浄土真宗では、なぜ『教行信証』の「正信偈」をもつとも多く用ゐるのですか。

Aベストアンサー

どうも、真宗のボーズと呼ばれるものです。

>>浄土真宗ではなぜ正信偈をいちばん大切にするのですか
 これは、誤解ですね。浄土真宗では「浄土三部経」が最も重いもので、「正信偈」はその次にきます。例えば、「浄土三部経」と「正信偈」の読誦の作法は大きく違います。「正信偈」を読むときは本を広げずに暗記して読む暗誦が許されていますが、「浄土三部経」を読むときには必ず本を開けて読誦しなければなりません。また、読経中に経本を置いておかねばならない時、地面に直接おいてはいけないので中啓といわれる扇子のようなものを下に敷くのですが、そのうえで経本を重ねなければならない時は、「正信偈」が載っている本を「浄土三部経」の載っている本の上においてはいけないと基本的には習います。こんな感じで扱いとしては「浄土三部経」の方が「正信偈」より上です。

>>日本佛教の他の宗派では、『般若心経』『法華経』など、外国の経典を第一とするものが多いと思ひますが、浄土真宗では、なぜ『教行信証』の「正信偈」をもつとも多く用ゐるのですか。
 上述の通り、浄土真宗においても「正信偈」よりも「浄土三部経」の方が重く扱われています。ですから、「正信偈」が一番大切だから大切だから、「正信偈」をもっとも多く用いるというのは間違いです。
 まず、声明(お経や偈文のよみ方)の先生方の中には、勤行と読経をわけて説明する方があります。勤行とは「正信偈」や「御和讃」を読むことで、読経とは「浄土三部経」を読むことです。もちろんこの二つは一つの法要の中に双方が入っている場合もありますが、細かく分ければこんな分類ができるようです。そして、浄土真宗の勤行のやり方の基本にあるのが「正信偈」の中に「善導独明仏正意」と出てきます善導大師の『往生礼讃』であり、読経のやり方の基本にあるのが『浄土法事讃』であると考えられます。
 中でも、浄土真宗の初期の段階においては『往生礼讃』は中に説かれる六時礼讃の作法に従い日常勤行(毎日行うお勤め)がおこなわれておりました。この、六時礼讃をやめ日常勤行を現在の「正信偈」と「御和讃」を読むというかたちで定着させたのが、八代目の蓮如上人という方になります。その史料としては蓮如上人の子である実悟上人が『本願寺作法之次第』の中で

一当流の朝暮の勤行、念仏に和讃六首加えて御申候事は、近代の事にて候。昔も加様には御申ありつる事有けに候へ共、朝暮になく候つるときこえ申候。存如上人恩代まで六時礼讃にて候つるとの事に候。越中国瑞泉寺は綽如上人の御建立にて、彼寺にしばらく御座候つると申伝候。其後住持なくして、御留守の御堂衆ばかり三四人侍りし也。文明の初比まで朝暮の勤行には六時礼讃を申て侍りし也。然に蓮如上人越前之吉崎へ御下向候ては、念仏に六種御沙汰候しを承候てより以来、六時礼讃をばやめ、当時の六種和讃を致稽古、瑞泉寺の御堂衆も申侍しこと也。然ば存如上人の御代より六種の和讃勤に成申たる事に候。

とあって、蓮如上人が朝と暮れのお勤めにおいて六時礼讃をやめて、朝暮れのお勤めではよまれていなかった念仏と御和讃をよむという和讃勤にかえたとあります。ここでは、「和讃勤」とあるだけで「正信偈」には触れられていませんが、蓮如上人は文明五年(1473年)三月に『三帖和讃』に「正信偈」を加えて四帖として開板しています。これによって、日常勤行が六時礼讃をやめて、「正信偈」とすでに別の法要や念仏会などでは風誦されていた「御和讃」が採用されたようです。

 では、なぜ蓮如上人は六時礼讃をやめて、「正信偈」と「御和讃」を採用するようになったかというと、これには歴史学的な理由と教学的な理由があると考えられます。
 まず歴史学的な理由として文学史思想史の専門家である堅田修氏の説によれば、本善寺に残された蓮如上人自筆の文明五年十二月十二日の『御文(御文章)』(現在私たちが普段読んでいる『御文』の中には収録されていません)のなかには

近此は当国加州の両国のあいだにおいて、仏法についてあるいは聖教をよみて人を勧化するに、五人あれば五人ながら、そのことはあいかわれりと云々。是併法流相承なきいわれなり。或は聖道のはて、或は禅僧のはてなんとか、我本宗の字ちからをもて、なましいに自骨の了簡をくわえて、人をへつらいたらせるいわれなり。これ言語道断あさましき次第なり。向後において、かのことばしんようすべからざるものなり。

とあって、簡単に言えば天台宗や真言宗または禅宗等他宗の僧侶たちが、蓮如上人のもとで転派するものは多くあったようですが、浄土真宗の教えをよくよく勉強することなく、もともと自分のいた宗派の解釈で浄土の教理を勝手に説いていたという事態が起こっていたことがうかがえます。これは、大変な問題ですが、これは勤行についても同じことが言えます。当時六時礼讃は天台宗などでは勤められており、また真言宗などでも覚鑁大師が浄土教に注目し真言宗の中でも『往生礼讃』は学ばれていたことも考えられますので、六時礼讃の時にとなえられる『往生礼讃』の偈文は広く知られ、他宗から転派してきた僧侶はもといた他宗の勤行式に従いそれぞれに勤められていたことが想定されます。このとき、他宗でも使われていた六時礼讃ではなく、「正信偈」と「御和讃」という浄土真宗にしかないものを使った勤行式をつくる必要があったのではないかと考えられます。これが、歴史的な理由です。

 次に教学的な理由という事ですが、まず「浄土三部経」の読経にしろ「正信偈」や「御和讃」の勤行にしろ教学的には助業にあたります。この助業という言葉に対するのが、正定業です。この正定業とは南無阿弥陀仏の念仏の事であり、念仏を称えることが浄土真宗では最も大事なこと考えられます。では、助業とは何のためにするものかといえば、親鸞聖人の師法然聖人は『選択本願念仏集』の中で

助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし

として、助業を傍らに行じながら、お念仏を中心に行いなさいとしています。これは、念仏では往生に不十分であるから他の読経や勤行をせよという意味ではなく、本当に大切なお念仏を称えるために助業を行しなさいという事です。いわば、読経や勤行はお念仏を称えるために雰囲気づくりのようなものという事です。
 こういった勤行の意味についてに親鸞聖人のひひ孫に当たる存覚上人は『破邪顕正抄』のなかで、

つぎに和讃の事、かみのごときの一文不知のやから経教の深理おも知らず、釈義の奥旨をもわきまえがたきゆえに、いささかの教釋のこころをやわらげて無知のともからにこころえしめんがために、ときどき念仏に加えてこれを誦し用ゆべきよしあたえらるるものなり。これまた往生の正業にあらず、ただ念仏の助行なり。(中略)誦経等に対して、差別を論ずるに非ず、全分文盲のともがらに於ては、かの誦経等は、なおなし難く、この和讃等は学びやすき故に、もし声明にものうからん時、且は音声をやすめしめんが為、且は法味を味はしめんが為に、是を示しをかるるばかりなり。

とあって、「御和讃」は仏教の難しい文章が分からなくとも、お念仏の信心を心得させるためのものであり、お念仏を称えていただくための助業としています。つまり、「正信偈」や「御和讃」は親鸞聖人が経典の難しい教理教学を理解しなくても、お念仏の心を頂けるようにと分かりやすい言葉でつくってくださったものです。しかし、これは経典読誦を軽んじているのではなく、「浄土三部経」説かれているお念仏の心をすべての人に受け取ってもらうために「正信偈」や「御和讃」があるという事です。このような理解のもと、蓮如上人は親鸞聖人の本意は経典を読誦させる事にあるのではなく、お念仏を称えその心を頂いていく事にあるのだから、「浄土三部経」をわかりやすく解説してある「正信偈」や「御和讃」を中心としていったとかんがえられます。

この上述の事を念頭に置きますと気になるのは
>>毎朝お経をあげてゐます。CDで再生するといふ方法を採用してゐますので、その間に別の用事をすることができて、きはめて効率的です。
という文章です。質問者は何のためにcd再生をしていらっしゃるのですか?その間に別の用を済ませることができるということは、そのお勤めを聞くこともないわけですよね?もし、お勤めをあげることを目的でやっているのであれば、雰囲気づくりばかりやって肝心なことしていません。例えば、学生時代にテスト勉強をするために部屋を掃除しようと思い立って、部屋を掃除し終わったころには疲れて寝てしまって肝心なテスト勉強をしていないのと同じです。法然聖人は『九巻伝』に伝わっている言葉の中で、

名号を聞くというとも、信ぜずば聞かざるが如し。たとえ信ずと云うとも、唱えずば信ぜざるが如し。只常に念仏すべし。

とあって、お念仏を称えるようにならなければ何もしていないのと同じであると厳しく戒めています。また、親鸞聖人も御和讃の中でも「善導讃」において

助正ならべて修するをば すなはち雑修となづけたり 一心をえざるひとなれば 仏恩報ずるこころなし

正定業である念仏の傍らに読経や勤行のような助業を行ずるのではなく、念仏と同じように、また念仏以上のものとして読経や勤行を行うものは、雑修と呼ばれるもので、お念仏の心を頂いていないひとで、仏の心に報いようという気持ちもないとしています。
 どうぞ、cdをかけているのでしたら一緒にお勤めしてお念仏を称えていただきたい。そうでなければ、cdをかけるこもただの自己満足ですよ。ご考慮ください。

誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

どうも、真宗のボーズと呼ばれるものです。

>>浄土真宗ではなぜ正信偈をいちばん大切にするのですか
 これは、誤解ですね。浄土真宗では「浄土三部経」が最も重いもので、「正信偈」はその次にきます。例えば、「浄土三部経」と「正信偈」の読誦の作法は大きく違います。「正信偈」を読むときは本を広げずに暗記して読む暗誦が許されていますが、「浄土三部経」を読むときには必ず本を開けて読誦しなければなりません。また、読経中に経本を置いておかねばならない時、地面に直接おいてはいけないので中啓...続きを読む

Q寺院のお坊さん等の社会保険

お寺の住職さんとか職員の方の社会保険は、どのようになっているのでしょうか?
国民健康保険、国民年金、雇用保険に加入しているのでしょうか?
ご教示方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お寺でも神社でも、基本的に5人以上の労働者がいる場合は、社労士に依頼して、社会保険と厚生年金に加入します。

4人以下の小規模の場合は国民年金と国民年金基金に加入しますが、老後の差額を考えれば、霊園などの別法人を作って、社会保険&厚生年金に変えるでしょうね。
なにせ税金で優遇されてるので、支出が増える分には問題ないからです。

※個人が儲かると所得税でもってかれますが、お寺が儲かる分には優遇されます。
なので、別法人から給料が出る形にしちゃいます。
ですので、本来はお寺の住職は個人事業主ですが、お寺という法人を作って、そこの雇われ住職という体系にすれするわけです。

これで、老後は雲泥の差になります。


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