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のどこに「蒔いた種は刈り取らなければならない」と書いてあるのでしょか。教えてください

A 回答 (3件)

前回、蒔いた種についての記述がどこだったか明確に答えていなかったので、今回その箇所を書きます。




詩編 126編 5節
<涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。>

詩編 詩編 / 126編 6節
<種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。>


上の言葉は、パスを間違えると、「自分が蒔いた種は自分で刈れ」という裁き言葉に歪められ、聖なる神の言葉を歪めた人の奴隷にされてしまいます。



神の愛を歪めた人に捕囚されてはならない。
主人の声を聞き分けなければならない。
悪の子らの鳴らすラッパに、踊らされついていってはならない。


神の愛を歪めた人。 誰なのでしょうね。

イエスは「勘違いするな。私は律法を壊しにきたのではない。完成させに来たのだ」と言っています。

律法は神の愛。


聖書に最初をご覧ください。

混沌 なにもかもバラバラで、無秩序だった。
神は「光あれ」と言った。
そして律法ができ、人々はむすびとほどきの基本を与えられ、集団の形が作られた。
つまり共同体における共通認識のルールです。
この神の愛によって、バラバラだった共同体は、やっと人の形になった。
これが神の愛(律法)によって包まれた神の民という集合体なわけです。

ところが、神の愛が歪められ、分裂が起こった。
また バラバラになったわけです。
そして律法が歪められ、勢力のある人たちが主張する律法解釈が共同体における神の愛だとされた。
その歪められた愛によって共同体は縛られたわけです。

本当の神の愛で縛られていないので窮屈です。


ルカによる福音書 / 12章 51節
<あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。>

イエスは偽の神の愛をほどきに来たわけです。
つまり人々を開放するためにやってきたと述べている。
歪められた神の愛に捕囚された人々を解放するためにやってきた というわけです。



マタイ・16・19
「あなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、あなたがたが地上で得ことは天でも解かれるだろう」
   ↓
「あなたがたが地上で禁じることは、神も禁じる。 あなたがたが地上で許すことは、神も許す」

あなたがた とは誰のことか。
「収穫は多いが蒔き手が少ない」の蒔き手ですよね。



17:マタイによる福音書 / 5章 17節
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 」


18:マタイによる福音書 / 5章 18節
「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」


19:マタイによる福音書 / 5章 19節
「これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。 」


20:マタイによる福音書 / 5章 20節
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」


誰に対して言っているのか 種を蒔く人に対して厳しく真剣に言っているわけです。


神の愛を歪めた人。
イエスの言った言葉を歪めた人。
その歪められた人のならず音楽に小躍りしてついていった人。
主人の声を聞き分けられず、パウロの音楽をイエスが鳴らす音楽だと思ってついていってしまった人。
それが今の・・・なわけです。


パスを間違えては審判によって裁かれます。
神の愛を歪めた者は炉にくべられます。
パスを間違えたら とんでもないことになりますよ。
そして、あなたは今まさに パスを間違えようとしている。
あなたのほかの発言を読みましたが、悲しいものがありました。
何故ならあなたが踏み出した方向は死の樹だからです。
誰もできない。 あなたしかできない。
あなたが自分の主人の声を聞き分ける能力を育てるしかない。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2007/02/05 14:02

「蒔いた種は刈り取らなければならない」という言葉は聖書には


ないでしょう。
刈り取られるときが来るといっているのです。そしてその日に、
人は打ち場のふるいにかけられてある者たちは焼かれるのです。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2007/02/05 14:03

ガラテヤの信徒への手紙 / 6章 7節


思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。

ここだけを読めば悪い事をした人は なんて勘違いしそうですが
そのまえの5章19節~23節の行いをしていないガラテヤの人々に忠告をし
22:ガラテヤの信徒への手紙 / 5章 22節
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

つまりこれらの言葉を心に留め生活しましょう。そうしないと自分勝手に考え、自分中心に動くと
刈り取られますよ~という事ですよね
同じようなたとえで

私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながり、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」
ヨハネによる福音書15;5(2001.6.9)

まあ簡単に書くとイエス様につながりクリスチャンらしく
他の人を愛してください、と言ってるんだと思います
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2007/02/05 14:02

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